しだれ雲
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
へえ、日本海側でまた停電があったらしい。今年、これで何件目だっけ?
冬の雷は少数精鋭。数が少ない分、夏の雷より威力が大きいと聞いたことがあるよ。100倍以上にも及ぶのだとか。
日本海側に住んでいる親戚とか、雷の予測が立てづらい、とも話していたっけ。どうも冬の雷は、夏みたいにゴロゴロ鳴りながらやってくることは少なくてさ。だしぬけに一発こっきりの発射だから、見当がつかないんだって。
数と量。どちらがより脅威なのかは、簡単には判断しがたいところだ。
雷による被害は昔からたくさんあった。音がするたび、へそを取られるといわれて避難が促されるくらい、厄介なものと思われていたのは間違いない。
僕の地元にも、へそ関連じゃないけれど、雷をめぐる奇妙な言い伝えがあるんだ。よかったら聞いてみないかい?
むかしむかしのこと。
僕たちの地元では、ときどき「しだれ雲」と呼ばれる雲が観測されたらしい。
ほとんどの雲は綿を思わせる膨らみを見せるけれど、しだれ雲に関しては違う。まるでしだれ柳を目にするように、空の高きから低きへ。わずかな間を開けて、細長い雲たちがいくつもいくつも筋を成し、空を隠していくんだ。
この雲が出ると、十中八九、雷が訪れる。住民たちは早いところ、仕事を終える準備をして、屋内でその荒天をやり過ごすようにしたそうだ。
その「しだれ雲」による雷は、不思議と雨をさほど伴わない。
ひたすら音と光でもって天を騒がせ、地上の万物をおののかせる。その代わりといってはなんだけど、この雷は落ちる可能性が高かったという。
窓から見ていた者の多くは、彼方の海や山、野原へ落ちる姿を見たと、証言した。その直前の稲光の激しさもあり、雲が去るまでの間に窓から目を離さずにいた者は、ほとんどいない。
しかし、ある小島に住む猟師は不思議な体験をしたのだという。
その漁師はわけあって、本土よりわずかに離れた小島に家を持っていた。
このあたりは魚が豊富に採れ、自分一人の飯を確保するのに、ほとんど困ることはなかったという。
それでも「しだれ雲」がやってくるときばかりは、商売あがったりだ。
その日も、西の空にしだれ雲がかかるのを見た猟師は、早々に陸へ引き返し、ぎりぎりまで一本釣りをする計画へ切り替えた。
雲がどんより空を陰らせるまで、たっぷり魚を取った猟師は、家の中で下ごしらえをしつつ、雲の過ぎ去るのを待ったという。
ほどなく、薄暗い家の中を二、三度強く照らす光が飛び込んでくる。
――来たな。
と思う間に、とどろく雷音。
だいぶ近いな、と思いながらも猟師は、食べられる魚へ片っ端から串を刺していく。
すでに囲炉裏には火を入れてある。あとは順次、その縁へ魚を並べていくだけだ。
もうじき日も暮れる。おそらくはこのまま夜を明かすことになるだろう。
しだれ雲の雷に慣れていた漁師だったが、その日はやけに近くでばかり雷が鳴り光った。
瞬きするかのような閃光が走ると、すぐそのあとを追って音がやってくる。
しだれ雲の雷が、よく落ちるという話は漁師も承知していた。よもや、自分の住まう小屋へ落ちまいかと、魚の面倒を見つつも、轟音のたびに窓の外を見やっていた彼だが。
いきなり、その窓からの景色が塞がれた。
風はそれなりに出ていたものの、雨戸などという上等なものは備え付けていない。戸が風に滑って、窓をさえぎったなど、あり得るはずがないんだ。
いい具合に焼けた魚をわきへのけ、そっと小屋の外へ出てみる漁師だが、目の前の光景に息を呑んだ。
はるか向こうの水平線。
しだれ雲に隠れた遠方より、この島にいたるまで。太い丸太のごとき影が通っていたんだ。ちょうど、この小屋の横をぎりぎりかすめるか否かという位置で。
あまりに長大。その端を見通すことはできず、背の高さもまた彼の住まう小屋を5割ほど上回る高さを持っていた。
思わず固まっていると、今度はもう反対側。先の丸太もどきと同じものが、やはり小屋すれすれへ滑ってきた。
猛烈な速さで、遠くにあったゴマ粒ほどの点だったそれが、一拍のうちに小屋をはさむ新たな棒となって、この島へ横たわっていた。
家をはさむ二つの棒を観察すると、それらのあちらこちらに、茂みのごとく生い茂るものの姿が見られたそうな。
それが特大の毛だと彼が察したとき、またしても空が閃き、雷がとどろいた。
直下にいた彼は、それをじかに見た。
雷鳴一閃。ここから見える島のふちギリギリに乗っかる、丸太もどきの一部。その二本共に、目もくらむ光の軌跡が落ちたこと。
その直後、二本の丸太もどきがびくんと、わずかに跳ね上がり、落ちた拍子に島全体を大きく揺るがせたところを。
火は出ていない。なのに、周囲の大気が急激に暖まっていく。冬も深まる時期だというのに、漁師の顔からはたちまち汗が吹き出し、着こんだ服の下が濡れだすのを、彼は感じていた。
二本の丸太もどきは、しばらくそのままでいたが、やがて来た時と同じように予兆なく、あっという間に引っ込んでいったそうだ。
ただ気を張っていた漁師が見たことには、その戻っていく丸太もどきの先端は、大きさこそ違えど、形は自分たち人間の足の裏とそっくりだったというんだ。
しだれ雲の正体。それは我々でいうところの、こたつ布団のようなものではないかと彼は思ったそうだ。
そのうちでとどろく雷鳴は、こたつの中の熱源。そこを使って、あの丸太のごとき長大な足は、自らを暖めようとしたのではないかとね。