スライム時計の献上
「ミアーレア様、お待ちしておりました」
馬車が西塔の前に着き、今日もにっこり笑顔のベルセが出迎えてくれた。
ギギッと豪華な造りの扉が開く。真っ黒で威圧感のある東塔の扉とは、大違いだ。
「そちらが、お噂の徨魔ですか?」
コツコツと靴を鳴らしながら廊下を先導するベルセが、チラリと振り返る。私の足元の黒猫に視線を落とした。
「はい。同行許可はいただいているとロンルカストから聞いていますが、大丈夫でしょうか?」
「先ぶれを受けておりますので、問題ございません。自我のある徨魔は珍しいので、私もお会いできて光栄でございます」
ベルセの優しい笑顔と、柔らかい言い方に胸を撫で下ろす。
東の塔や薬草園の往復で他の貴族とすれ違うと、結構な割合で悪口を言われる、日陰者の私だけれども、黒猫も他の貴族からのうけは良くない。
一緒に歩いていると、やれ獣を連れているだの、汚らわしいなどと罵られるのだ。
わんちゃんのお散歩してる貴族とか見たことないし、動物愛護精神は、あまり受け入れられていないらしい。
ロンルカストが確認済みとはいえ、西塔に連れて歩くのは、もしかしたら失礼にあたるのではないかと危惧していた。西塔側から、直接大丈夫と言ってもらえて安心する。
「そうですか。安心致しました」
「杖結びの件も聞き及んでおります。大変残念なことになりまして、心中お察し申し上げます」
「あ、えーっと。それも、噂ですか?」
「えぇ」
ベルセは眉間に皺を寄せ、悲痛な面持ちで私の目を見つめた。
心配してもらえたありがたさと、同じくらい不出来な自分が恥ずかしくなり、つい下を向いてしまう。
やっぱり、私が杖結びを失敗したということは、噂になって知れ渡っちゃったてるのか。最近、貴族たちから受ける悪口に、杖なしや、なり損ないと言ったワードが追加されたので、薄々気がついていた、
貴族、耳聡い。見られてたってこともないだろうし、どうしてバレたんだろう。
「何かお力になれることがあれば、なんなりと仰ってください」
「ありがとう存じます。お気持ちだけでじゅうぶ」
「ミアは最近、庭の鳥に困ってるんじゃなかった?」
「く、黒猫ちゃん、そんなこと今言わなくても」
「鳥、ですか?」
「そぅ、鳥。西塔第一側近の君なら、きっと良い追い払い方を知ってるだろうから」
庭の鷲問題なんて些細なこと、わざわざベルセに聞くことじゃないと慌てる私を他所に、ベルセと黒猫は鷲談義で盛り上がっていく。
「いえいえ、私など。とんでもございません。貴方様の方が、種族的に鳥のあしらい方は、お上手なのではないですか」
「クスクス…… そうだね。でも僕はほら、相手が可哀想だろ? 君の方がずっと扱いに、長けてるんじゃないかな、職業的にさ」
黒猫は、立ち止まって右前脚をヒョイと上げる。ピンクの可愛い肉球を私たちに見せつけながら、指先の爪を出したり引っ込めたりした。わぉ、黒猫の爪初めて見た。結構鋭くて物騒だ。
確かに20羽越えでやってくる鷲たちは怖いが、爪で八つ裂きにするのは、ちょっとやり過ぎだ。ぜひ西塔秘伝の平和的な追い払い方を教えていただきたい。
ベルセと黒猫が鷲問題について、私そっちのけで話しているうちに、執務室の前に着く。
「ディーフェニーラ様、ベルセでございます。ミアーレア様をお連れいたしました」
「入室を許可します」
ギギッと扉が開いた。
部屋の真ん中までいき片足を斜めに引く。もう片方の足の膝を曲げて跪いた。スカートの両端を軽くつまみ、頭を下げる。
「ごきげんよう、ディーフェニーラ様。アディストエレンにイリスフォーシアの光が満ちる良き日、お会いできまして嬉しゅう存じます」
「ごきげんよう、ミアーレア。慈悲深いイリスフォーシアに感謝を」
精霊の名前を使った貴族独特の挨拶に、ディーフェニーラ様も挨拶を返してくれた。
貴族の挨拶、できたよ!
勉強の成果を、ついに発揮することができた。レオ様には、下手な挨拶は不快だからするなと言われ続けていたので、なにげに初お披露目だ。ちょっと感動で涙目。
振り返って、後ろでスライム時計を持ち控えているロンルカストにハイタッチしたい気持ちを抑え、つまんでいたスカートから手を離す。
優雅に見えるように、ゆっくりと立ち上がった。
伏せていた顔を上げ、執務机に座るディーフェニーラ様を見る。
この人、レオ様のおばあ様なんだよね。ディーフェニーラ様は美人だ。レオ様が何歳なのかは知らないけれど、大きな孫がいるようには見えない。
ましてや、あんな性格の悪い孫がいるとは、容姿も中身も隔世遺伝とはなんぞやレベルだ。
品よく微笑むディーフェニーラ様の暗めの赤髪は、窓からの光の加減で少しオレンジ色に見えた。
軽く手の甲を口元に添えた、ディーフェニーラ様の髪と同じ色の瞳は、私の足元に向けられている。視線の先は、黒猫だ。
私の足元で両足を前に揃えてシャンと座る黒猫は、耳をピンと外側に向け、尻尾の先をピクピクと動かしていた。
さっきベルセも黒猫のことを珍しいって言ってたし、ディーフェニーラ様も、興味があるのかな。眉を顰めていないので、気分を害しているわけではなさそうだ。
「ディーフェニーラ様。本日は、時間を知る道具を献上したく参りました」
「えぇ。わたくし、とても楽しみにしていたのです」
期待されてしまうと、ちょっと不安になる。大丈夫かな。思ってたのと違うとか言われて、ガッカリされたらどうしよう。
サッと前にでてきたロンルカストが、恭しくスライム時計を差し出した。
時計は、一度ベルセが受け取り確認した後、ディーフェニーラ様の前にコトリと置かれた。
相変わらず机の両側には、書類が山積みにされている。レオ様といい、貴族って結構ブラックだよね。
「不思議な形ね。でも、とても美しいわ。どうやって使うのかしら」
良かった。見た目は及第点をもらえたようだ。
ザリックさん渾身のスライム時計は、美しいクリスタルでふんだんに装飾され、すまし顔でディーフェニーラ様の手の上におさまっている。
「はい。上下を反転させてください。瓶の中身が少しずつ下に落ちます。全てが下部に移動すると、鐘一つを6等分にした時間が経過したことを意味します」
ディーフェニーラ様が、掌に乗せたスライム時計をくるりと回す。サラサラとスライムオイルが流れだした。
オイルは、細かく削られた鉱石をたっぷりと含んでいるため、落下により光が様々な角度から当たり、キラキラと輝いている。
「まぁ、落ちるさまも綺麗ね。ずっと見ていたくなるわ」
「ご満足いただき嬉しく存じます。目安の一つとして、中身が落ちきったタイミングで休憩や軽い運動をしていただくと、頭のお痛みが楽になるかと存じます」
「ミアーレアの考案するものは、いつも大変興味深くてよ。これからも、わたくしの力になってくれるかしら」
「勿体無いお言葉をいただき、大変嬉しく存じます。執務でお忙しいディーフェニーラ様のご負担解消の、一助になれば幸いでございます」
ディーフェニーラ様は、スライム時計を気に入ってもらえたようで、ふんわりと品よく笑った。私も無事に献上を終え、緊張が解けたのでにこりと笑顔を返す。
ディーフェニーラ様には久しぶりにお会いするから緊張してたけど、レオ様に会うよりも一億倍楽だ。
ベルセは優しいし、ディーフェニーラ様も、他の貴族のように嫌味や悪口をいう気配はない。レオ様みたいな殺人級の精神攻撃も、もちろんない。西塔、平和だなぁ。
時計の献上も、喜んでもらえて嬉しい。ずっと玩具扱いされていたスライム時計に、報われて良かったねと、心の中でエールを送った。
クルクルとスライム時計を回すディーフェニーラ様の手元から、視線を戻す。
ふと、後ろの飾り棚が目に入った。
あ、懐かしい。
ポメラのアロマの第一号を渡した時の褒賞問題の思い出が蘇った。
褒美を受け取るなとレオ様から脅されて、テンパった私は、褒美を渡したいディーフェニーラ様に目を合わせるのも怖くなり、ディーフェニーラ様を見るフリをして、後ろのこの飾り棚を見つめていたのだ。その節は、お世話になりました。
殺風景なレオ様と違って、ディーフェニーラ様の部屋には、さまざまな装飾がある。壁にかかっている絵は額縁すら、もうめちゃくちゃ高そうだ。
飾り棚には、前見た時と同じように様々な動物の置物が飾られている。
羽の生えたグラーレや、羊や犬、兎っぽいのやカエルに似たもの。どれもこれも、キラキラの宝石が沢山付いていて、高そうだ。
バーっと視線を走らせる中、その中の一つが目に止まった。
黒一色で、瞳部分だけ金色の宝石がはめられている、小さな猫の置物だ。
他と比べると、宝石が少なくてちょっと質素に見えた。でも、なんとなく黒猫ちゃんに似ている気がする。
可愛い。見つめていると、その置き物はパチンとまばたきをした。
「え!? あ、動いた!?」
素っ頓狂な声を上げ、後退りした私の頭に、強い痛みが走る。
「あっ、うっ! なに、これ…… 」
その場に崩れるようにして蹲った。頭が割れそうだ。目もチカチカする。洪水のように、私の頭になだれ込んでくる何かに、抗うことができない。
床に敷かれたカーペットの模様がぐにゃりと歪んだ。次第に色を失い、目の前が真っ白になっていく。
歯を食いしばり激痛に堪える私の頭の中に、聞いたことのある声が響いてきたのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。




