閑話1 ある薬師見習いの平穏
見習いの朝は早い。
当番の日は二の鐘で起きなければならない。朝食を食べ、急いで身支度を済ますと家族に行ってきますと告げる。
まだ薄暗く静かな通りを歩いて一等地に店を構える職場へ行き、一通り店内の掃除をしたら表を開ける。看板代わりの少し埃っぽい店頭幕を下ろし、端に石の重石を乗せて留める。
最後に朝日が顔を出したばかりの店先を、軽く掃除したら開店準備の完了だ。
寝静まっている住宅街と違い、この辺の工房や食事どころではチラホラと開店準備や営業前の下準備のために皆んなが動きだしている。
この地区に店を出しているということは、彼らは成功者達だ。働いている従業員達も意識が高く、自分の仕事にも誇りを持っている。
俺もいつもの業務を淡々とこなす。まだ見習いで一人前の薬師とは程遠いけれど、有名なこのミグライン店長の薬屋で働いていることに、違いはない。
母も近所の人に、俺のことを自慢しているみたいだ。この前も「サルトはすごいね、あの薬屋で働いているんでしょう?」と、三軒隣のおばさんに声をかけられた。
そういう俺も、友人に仕事の話をするときなんかは、ちょっと鼻が高くなる。
ミグライン店長は本当にすごい人だ。今まで一子相伝で護られてきたエルフの薬を、それぞれの長から学び受け継いで、この店を開いたらしい。
それは、古い慣習の壁を越えるほどの実力があり、頭の凝り固まった化石のような長たちからも、認められたということだ。
エルフなら皆、ミグライン店長を尊敬している。同族以外からは薬の創始者、伝説の人とも言われているらしい。
この店で働いているというのは、その憧れのミグライン店長に認められたということ。有り体に言えば、エリートだ。
そんな俺の日常に突然、変化が訪れる。あいつがやってきたのだ。
思えば、最初から変なやつだった。
「ここで働かせてください!」
この店に入ってくるなり、大声でそう言って、何故か頭を床にこすりつけながら、ミグライン店長に直談判したのだ。
珍しい太陽色の髪が地面に付いてしまっているが、彼女は気にせず頭を床に擦り続ける。
髪や服が汚れることも構わず、一生懸命働くのでお願いします!と、あいつは小さく丸まり床を見ながら、必死で頼み込んでいた。
ちょうど店番をしていた俺は、その光景を見て目を見開いた。目を見開くなんて、本当に久しぶりなことだった。つまり、そのくらい驚いた。
この店で奉公するためには、通常であれば紹介状が必要だ。
紹介状には、たいがい薬師スキルの認定書がついている。
「その街の長の、お墨付きの書状がつけられていることもある」と、先輩たちが言っていた。
俺もギルドの認定書付きの紹介状を持った上で、尚も雇ってもらえるか緊張しながら、この店の敷居を跨いだものだ。
しかし、あいつは無謀にも、何も持っていなかった。身一つでこの門を叩くなど、きっと前代未聞の事件だ。いや、度胸だけは持っていたか。
とにかく、普通は門前払いされて終了だが、なぜかミグライン店長は、彼女を雇った。
彼女の熱意に当てられたのか、自分を売り込むくらいなのだから、実は高いスキルを持っているのではないか? と、一抹の期待があったのか。実際のところはわからない。ただ、彼女は度胸だけではなく、運も持っていたのは確かなようだ。
ミグライン店長から働く許可をもらった彼女は、床に這いつくばった体勢をやめ、立ち上がった。顔を綻ばせながらお礼を述べる彼女を、まじまじと見つめる。
うちの妹くらいの、背丈じゃないか。
アロノールも、受けているか微妙だ。まだ奉公にでる歳では、ないような気もする。
だが、彼女は既にこの店で働く権利を、得てしまっている。迂闊に年齢のことは、聞かない方がいいだろう。
彼女は一体どこから来たのか、今晩泊まるところもないらしい。「それなら二階の屋根裏に住み込めばいい」と、ミグライン店長が提案した。
あ、これは休日関係なく、こき使う気だなとピンときた。ここの屋根裏は狭いし汚いし、俺なら勘弁してほしいと思う。でも彼女は、嬉々として新しい住処を受け入れた。
うん。〝丘に咲くソルバムの美しさ〟とはこの事だ。あぁ、可哀想に。
後で屋根裏の実情を目にしてショックを受けるのだろう。
何も知らず喜ぶ彼女に流し目を送りながら、俺はそっと哀れんだ。
翌日、屋根裏の衝撃をおくびにも出さず、彼女は店に顔を出した。
「はじめまして! ミアといいます。先輩、これから宜しくお願いします!」
朝当番で開店準備をしていた俺は、声が聞こえた下の方に目を向けた。近くで見ると、かなり小さいな。見た目の幼さに反してしっかりと挨拶をしてきた彼女が、ナビルク色の大きな瞳でこちらを見上げている。
「店の開店準備を始めるところだ」
そう伝えると、やり方を勉強させて欲しいと彼女は言う。
ずっと1番最後に入った新入りだった俺は、初めての後輩に少し気持ちが昂った。
「サルト先輩! この幕は、店から何センチ離して張ればいいですか?」
「ナンセ、ンチ?? あぁ、まぁ人が入れるくらいの幅があれば、大丈夫だ」
店頭幕を張らせると、幕と店の間隔を聞いてきた。ミアは変なことを気にする性格のようだ。
最初は同じエルフかと思っていた。見た目もそうだし、薬屋に奉公に来るくらいだからすっかり思い込んでいた、と言う事もある。
でも直ぐに、どうも違うと気づく。なんというか、接すれば接するほど違うのが分かる。
俺たちエルフは、表情が乏しい。とはいえ、決して感情が無いわけではない。普通に怒ったり辛かったり楽しんだりしているのだが、その心情が表情にでにくいだけだ。
そのせいか、悲しいことによく同族以外からは無愛想だとか、お高く止まっているだとか、プライドが高いなどと言われる。俺たちエルフの評判が良くないのは、この感情表現の乏しさが原因の一つだ。
でもミアは違った。分かりやすいほど感情が表情にでる。
ついこの前、ミグライン店長に新しい道具の提案をした時もそうだったらしい。
「薬研の提案をしてきた時なんか、皆んなに見せたかったさ。店番をサボって寝ていたのを誤魔化そうと、焦って話題をすり替えたのが丸わかりだったね」
ミグライン店長は、クッと小さく笑いながらそう言った。
ミグライン店長が、笑った。初めて見た。
店長の話を聞いていた他の従業員達も、全くあの子はと言いつつも、頬を緩めている。
くるくると変わるミアの分かりやすい感情に当てられてか、最近ミグライン店長や先輩たちの表情が少し豊かになってきた気がする。店の雰囲気が丸くなったと、常連の冒険者にも言われた。
俺も、何かが変わったのだろうか?
周りは昔から、御近所や幼馴染みの友人たちも、皆エルフだった。俺達は、同族以外との関わりが薄い。
ここで店番するようになり、冒険者たちに薬を売る際会話をすることもあるが、事務的で簡素なものだ。だから、ミアのような存在に出会ったのは、初めてだった。
人間は、みんなこうなのだろうか?
種族が違うと、こんなにも感情表現が豊かなのか。
全く異なるものだな。
一緒にいるとミアの感情に酔うというか、疲れることもある。だか、嫌な気分になるわけではなない。
妹、というには、少し違うな。
実家の妹のことを思いながら考える。
なぜなら、ミアは気がつくと突拍子のないことを始める。この前なんか、愕然とした顔で瓶を俺の方へ向けてきた。
何かと思って話を聞くと、瓶に入れていたスライムが死んだことがショックだったらしい。
全く意味がわからなかった。
放置すれば、スライムだって死ぬだろう。ミアの驚きはよく分からなかったが、どうやら生きているスライムのように、粘度を保ったままその状態を維持できる素材が欲しかったらしい。
それならばと、職人が作業用に使うスライムオイルのことを教えた。俺の優しい丁寧なアドバイスに、何故か釈然としない顔でミアは頷いた。
スライムや、スライムから抽出して作られた素材としてのスライムオイルのことを知らないなんて、ミアはどんな辺境の地で育ってきたのだろう。
それだけじゃない。通貨だって初めて触ったような顔をしていた。
知らないことが多すぎて、最初のころは手取り足取りという言葉じゃ足りないくらい手間がかかった。
もしかして、箱入りのお嬢様なのか? そういえば時々、貴族言葉のようなものも使っているな。
髪や目の色も珍しい。初めて会った時、遠くから来たと言っていたし、この辺の出身ではないだろう。機会があれば今度、出身地を尋ねてみよう。
結局、スライムオイルを買い直したミアは、店番をしながらカウンターの端で瓶に入れたスライムオイルを、時折クルクルと回して遊んでいるようだった。
一体、それの何が面白いんだろう。
妹はこんな風に変なことを言わないし、謎の行動に驚かされることもない。そうだな。やっぱりミアは、妹とは少し違うようだ。
ミアは店番の時、よく冒険者と話をする。
その中でも、特に親しく話をしているうちの1人が、あの有名なパルクスだ。
うちの店に来るためには、それなりに金がいる。その辺の薬屋とは格が違うのだ。一介の冒険者では、うちの商品に手を出すことは叶わない。
パルクスは見た目こそ軽薄そうなのだが、その見た目に反して腕が立つ名が知れた冒険者だ。この街でも5本の指に入る実力だとも聞いたことがある。
この前、そんなパルクスにミアは驚くようなことを言っていた。なんと、回復薬を使うようにお願いしていたのだ。
いくら親しい中でも、言ってはいけないことがあると思う。
俺はパルクスが怒り出さないか、心配しながら見守った。
「分かったよ。それじゃ、またな! 今度は帰ったら、ちゃんと挨拶に来るぜー!」
俺の心配をよそに、パルクスはミアの頭を触り、機嫌を崩すことなく店を出て行った。
ほっと胸を撫で下ろす。こちらを向いたミアと、目があった。
緊張の糸が緩んだ俺は、「怒られなくて良かったな」という意味を込めて、ミアに言った。
「お前、あの冒険者と仲がいいんだな」
ミアはびっくりした顔をした後、体をモジモジとさせながら言った。
「サルト先輩。もしかして、妬いているんですか?」
「……。」
ミアには本当に、驚かされることが多い。
うん。妹とは、全く違う生き物だ。
呆れてものも言えないという経験を、俺はこの時、初めてしたのだった。
同僚からみたミアの姿。
教育係のサルトは、ちょっとだけ苦労している模様。
ミアの面倒を押し付けられたともいう。
流石ミグライン、亀の甲より年の功。
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