三足の草鞋
「ちわーっすー」
店番をしていると、あの人の声が聞こえた。
「パルクスさん! お久しぶりです! いつ帰ってきたんですか?」
カウンターから立ち上がり、ウキウキと彼の元へ向かう。
パルクスさんは赤茶色の髪に同じ色の瞳をした冒険者だ。30代くらいに見えるが、無精髭を剃ればもっと若く見えるのかもしれない。いつも胸当をつけ皮のズボンを履いていて、すぐにでも森へ飛び込めそうだ。
重そうな剣を下げ、中身がパンパンに詰まったポシェットを腰につけている。自称ではそこそこ強いらしいが、いつもヘラヘラしているので、どうも信じられない。
「ミアちゃん、久しぶり。あー、帰ってきたのは3日前かな。今度また隣町まで、商隊の警護の仕事があるんだ。足りないものがあるから、買い足しに来たぜー」
パルクスさんは、皮のバックから中身が少なくなった瓶を、次々とカウンターへ出した。
「3日前ですか。無事に帰ってきたのなら、顔くらい出してくれてもいいじゃないですか」
むくれながら瓶を確認する。
「足りないのは眠気覚しと……え? 火傷、化膿止めの軟膏と、痛み止めも? パルクスさん、怪我されたんですか? 大丈夫でしたか?」
「あぁ、野営警護中、野生の魔がでたんだ。大丈夫大丈夫、そんなに大きいやつじゃなかった。人数もいたからすぐに退治できたよ。月がでない夜で辺りが暗かったから、ちょっと被弾して火傷しただけさ」
「野生のま?」
「そうそう、火属性のやつ。珍しいだろ 」
まって、魔? 魔物のこと?
魔物とか本当にいるんだ……。いるんだ。
一生懸命この地で生きているつもりではいたが、やっぱりどこか夢見心地な感覚が抜けていなかった。
私は、温室のような日本で、ぬくぬくと平和に育ってきた。
野生の動物に襲われたなんて、たまにニュースで見る季節の風物詩くらいの感覚だった。殺人事件だってワイドショーで騒ぐアイドルの不祥事と同じくらい他人事だ。
すぐに倒せたから大丈夫、とパルクスさんは言った。でも、それでもこんなに沢山の薬を使わなければいけない状態にまで追い詰められたんだ。これが大丈夫と軽く言えるレベルなんて、普段からどんなに危険な目に合っているのだろう。
私は、この世界で身に付けなくてはならない危機感に、全くついていけていないことを自覚した。
パルクスさんの話を聞いて、ファンタジーな世界にふやけきっていた私の頭は、冷水を浴びせられたような気分になる。
……怖い。
さっきまで、パンパンに詰まっていたパルクスさんのポシェットを思い出す。
あ、きっと自身の動きを阻害しない範囲で最大限の薬を持ち歩いてるんだ。簡単に命が奪われるこの世界の摂理を理解し、途端に恐怖を感じた。
「それは……大事にならなくて、良かったです」
乾いた口で、お見舞いの言葉を紡いだ。
「今回はちょっと運がなかったな。野生の魔なんて滅多に出会わないのにさ。あー、最近ついてねぇぜー」
「魔は、滅多に遭遇するようなものじゃないんですね。良かったです」
「そうそうあんなのに遭遇してたら、たまったもんじゃねぇよ」
「うーん、でも困りましたね。うちの回復薬、運までは回復できないんです」
「あー、なんだよ。運も回復できないなんて、使えねぇ薬屋だなぁー」
「ふふふっ。使えない薬屋の常連を長年務めていただき、心から御礼申し上げます」
魔との戦闘が、よくあることではないと分かり少し安心した。
ホッと一息つき、いつもの軽口を言い合う。無意識に強張っていた、肩の筋肉を緩めた。
「それで、火傷はどこにどの程度です? 薬はすぐにききましたか? 傷跡、今も残っていますか?」
「ミアちゃんは、相変わらずの薬バカだなー。火傷は頭を庇った時に右腕にしたよ。結構酷かったけど、戦闘が終わってすぐに化膿止めと火傷薬を塗ったから今は……ほら、こんな感じ。肌の色が他と違うとこがあるだろ?」
「もう心配は終わりか?薄情だなぁ」と、笑いながらパルクスさんは、右腕の服をまくった。火傷跡を見やすいように、屈んでくれる。
覗き込んで、火傷跡を確認する。赤みとケロイドが残る部分はあるものの、大部分は茶色い色素沈着程度まで回復している。
パルクスさんがまくった腕には、今回の火傷以外にも沢山の古傷が見えた。あっと、声にだしそうになったが、何とか心配の声を押し込めて、何でもないというような顔をして話を続けた。
「ふむふむ、今は結構回復していますね。痛み止めは? どのくらいの痛みで飲みましたか? 痛みはすぐに無くなりましたか?」
「あれはーそうだな。のたうち回るほどの痛みじゃあなかったが、我慢するのは辛かった。痛み止めは二口飲んだぜー。気が付いたら痛みは消えてたよ。ああ、回復薬もその時一緒に飲んだかな」
「痛みは、再発しましたか? 痛み止めは、追加で飲みました?」
パルクスさんは捲った袖を元に戻し、そのまま左手で顎を触りながら答えた。まばらに生えた無精髭を、じょりじょりしている。
「あぁ、野営中にあと二回飲んだな。戦闘が終わってから鐘ひとつ分程たった時と……あれは辺りが明るくなりはじめてたからー。そう、ニの鐘が鳴るくらいだな」
「なるほど。因みに、そのあと眠気とかでましたか?」
「そうだなぁ、眠気はなかったなー。でも戦闘の興奮もあったし、もともと夜の見回りで眠気覚ましも飲んでたぜー?」
「了解です! いつも貴重な情報提供、ありがとうございます。すぐに足りない薬の、補充をしますね!」
質問を繰り返し、貴重な情報をゲットした。大いに満足である。
薬バカと言われても結構!
この世界に、〝MR〟がいないのが悪いのだ。
MRとは、製薬会社に勤める、医薬情報担当者のことだ。
病院や薬局を訪問し、自社薬の情報の提供・収集・伝達を薬の適正使用と普及のために行う。
ただの営業じゃん、ドクターと接待ゴルフキャバクラじゃん! と思うことなかれ。
薬の情報を医療関係者に提供し、逆に使用された薬の効き目や副作用などを、医療の現場から収集して製薬会社に報告する。
そして医療現場から得られた情報を、医療関係者にフィードバックする役割を担っている。
薬は作って終わりではない。
使用される中で明らかになっていく、効果や副作用もある。
そういった現場の生の情報を集めてくれるMRは、医療現場にとってとても大切な職業なのだ。
そんなMRがいない。
どうやらこの世界では、薬は簡単な服用方法の説明のみ。
売ったら売りっぱなしのようだ。
使用方法は購入者に委ねられている。
はたして、そんなことがまかり通っていいのか?
適正な用法・用量は? 1日の、上限摂取量は?
服用タイミングは? 食事による、影響はあるのか?
飲み合わせや相互作用は? 連続投与による、過量摂取の可能性は?
副作用は? 医者の判断で、空腹時投与の薬を食後で処方してきた意味は?
疑義照会で医者に確認したら、一言「そのままでいい!」と言い、ガチャンと電話を切られましたけど?
この薬、食事の影響で効果が半分以下になるんですけど?
こっちの薬も、初回投与量は維持量の半分で処方されていないと、いけないんですけど?
患者さん、初めて飲むって言っていますけど?
処方医に電話したら、では「半量で!」と、怒鳴り散らされましたけど?
……おっと、少しばかり、私の内なるダークマターが顔を出してしまった。私は薬剤師時代に飛んでしまった意識を、店へと戻す。
つまり、何が言いたいのかというと、薬を安全に使うためには、現場の生の声のフィードバックが必要不可欠なのだ。
しかし肝心の、MRがいない。ならば、自分で、情報を集めればいい!
自分で薬を作り、自分で売り、自分で情報を集める。
私は医薬品製造者であり、薬剤師であり、医薬情報担当者!
二足ならぬ、三足の草鞋を履き潰すのだ!
薬の適正使用の未来は、この手の中にある!
大いなる野望を胸に秘め、棚からいくつかの大瓶と軟膏壺を、カウンターへ運ぶ。よいしょ、よいしょっと、ふー、重かった。
木でできた、お玉杓子のような道具で大瓶から薬を掬うと、彼が先ほど並べた小瓶へ注ぎ足す。軟膏壺からも木のヘラを使い、パルクスさんの小瓶の減っている分を補充した。
「眠気覚しが一掬い、痛み止めが四掬い、軟膏がそれぞれ五掬いずつですね。えーっと、2×1+3×4+(2+2)×5=34なので、合わせて銀貨34枚です」
「相変わらず計算はやいねー。あってんの、それ? はい、34枚」
「ふふふ。パルクスさんからなら、ぼったくってもバレなさそうですね。はい、34枚ちょうどお預かりしました」
「おい、こら。やめて、おじさん本当に騙されちゃいそう」
パルクスさんは両手を腕の前でクロスさせ戯ける仕草をした。
私はそんな彼に笑った後、少し戸惑いながら彼の顔を見上げ、おずおずと尋ねる。
「パルクスさん。痛み止めを、こんなに使うほどの怪我を負ったのに、どうして回復薬は使わなかったんですか?」
「あー、戦闘は、すぐに終わったからな。高い回復薬を使うほどじゃないと思ってねー」
補充された瓶を皮のポシェットに戻しながら、彼はあっけらかんと答えた。パンパンになった腰につけたバッグをポンッと叩く。カチャッと中で瓶がぶつかる音がした。
「そうですか。でも、心配なので次からは回復薬もちゃんと使ってくださいね!」
「……。分かったよ。それじゃ、またな! 今度は帰ったら、ちゃんと挨拶に来るぜー」
最後に私の頭をわしゃわしゃと撫でると、パルクスさんは来店した時と同じ、軽い足取りで店を出て行った。
「行っちゃった」
名残惜し気に、彼を見送った店先を見つめる。平和なお昼寝タイムも楽しいが、常連さん達から貴重な薬情報を集める時間も好きだ。
パルクスさんは、いつもちゃんと質問に答えてくれるし、埃っぽい服装をしている割にはなんだかいい匂いがするので、私のお気に入りなのだ。たまに会うと話しかけてくれる、気の良い近所のお兄ちゃんみたいな感じ。
「はぁ」
いつまでも突っ立っていても、しょうがないか。カウンターに戻ろうと、後ろを振り返る。
店の裏に続くドアの前に、サルト先輩がいた。
!?? びっくりした! 気配、全く感じなかったよ!
緑色の瞳でじっとこちらを見ているサルト先輩と私は、暫く無言で見つめあったのだった。
今ちょうど放送している某家政婦ドラマの主人公、多◯未◯子さんの職業がMRみたいですね。
(いろんな意味で)綺麗なMRさん、ご覧いただけるとMRの職業理解が深まると思います。
私? 私はもちろん、録画しています!(見るとは言っていない。)
今回は冒険者パルクスとの会話と、ミアの内なるダークマター回でした。
次回は明日の夜、更新致します。