勉強の成果
「うーん……朝? はぁ、」
目が覚める。
早々にため息をついた私は、上体を起こし、ベッドの横のサイドテーブルに置かれた花瓶から、無作為に一輪の黄色い花を取った。
何枚かの花弁を摘み、花を花瓶に戻すと、その横の水を張った小皿に、摘んだ花弁をそっと浮かべる。
私の手を離れた花弁は、水面でクルクルと回りはじめた。
速度を増すと共に淡い光りを放つと、瞬く間に形を崩壊させ、まるで溶けるように水面を黄色く染めながら消える。
揺れる水面に残った色も、徐々に薄れていき、やがて元の透明さを取り戻した。
リーンーーーー
部屋に鈴の音のような甲高い音が、小さく響く。
それは、先日セルーニに教えてもらった、私が起床した事を告げる合図が、正しく成功した事を示していた。
コンッ コンッ
程なくして、扉をノックする音が聞こえる。
「どうぞ」
「失礼致します」
入室許可をだすと、セルーニが入ってくる。
家仕えの正しい呼び方を教えてもらってから、私が勝手に部屋を出て、セルーニを困らせる事がなくなった。
朝の支度がスムーズに進んでいく。
一昨日、初めてこの方法を使った時は、何故これがセルーニへの合図になるのかと半信半疑だったので、小皿に浮かべた花弁が、水の中に溶けていくのを見て、とても驚いた。
そして、花弁がどこへ行ってしまったのか、非常に気になり、小皿に残る段々と色の薄くなっていく水面を人差し指でかき混ぜてみたり、その指をペロッと舐め、普通の水だなと首を傾げてみたりしたが、結局はよく分からなかった。
消えた花弁の行方をセルーニに尋ねてみると、
「役目を終えたのですから、消えたのではないですか?」
と、答えになっていない返事が返ってきたので、私もそれ以上考えるのをやめた。
「はぁー…… 」
「どうなされたのですか?」
ポメラの採取に、冷徹貴族から委託された書類仕事、ロンルカスト先生による座学などのルーティーンをこなしていると、あっという間に平和な3日間は過ぎ去っていった。
今日は憂鬱な水の日だ。
東塔のボス部屋へ、行かなければならない。
つい漏れ出ててしまった溜息に、ドレスの背中部分に付いる紐を結んでいた、セルーニの手が止まった。
心配そうにな顔で聞いてくるセルーニに、慌てて笑顔を取り繕い答える。
「いえ、大したことじゃないんです。その、東塔へ行くのが、ちょっと憂鬱で…… 」
「はぁ。確かに塔主様にお会いになるのは緊張しますよね。 ……私も、以前領主一族にお仕えしていた時は、毎日心が擦り減る心地がいたしました」
遠い目をしながら偉い人との謁見は緊張しますよね、と気遣ってくれたセルーニと、単純にレオ様が怖いから会いたくないと思っている私とでは、若干の隔たりがある気がするが、あえて訂正はしなかった。
領主一族にも仕えていたという実績に、疑いようのない腕前で、手際良く私の支度を終えたセルーニと一緒に、のそのそと一階に降りる。
食事部屋に入ると、準備されていたセルーニ特製のお洒落朝食に、消えかかっていた食欲が復活した。現金にも完食する。今日も美味しかった。
私が食べ終えるのを見計ったかのようなタイミングでロンルカストがやってくる。そして、最終宣告を告げた。
「ミアーレア様、本日のご予定でございます。午前中は座学のお勉強を、昼食をお取りいただき、午後から東塔のレオルフェスティーノ様へ、謁見に参ります」
「 ……はい、分かりました 」
渋々と返事をする私に、ロンルカストはにこりと笑う。
「座学では、精霊の名前と基本的な挨拶の復習を致しましょう。せっかく、午後にお使いになる機会がございますから」
「っ!? はいっ!」
前回、冷徹貴族には「お前は貴族の挨拶もできないのか」と、鼻で笑われた。
今日の見参で貴族の挨拶を出来るようになっていれば、少しは挽回…… とまではいかなくても、成長していることを示せるのではないか。
逆に言い淀んだり失敗したら、倍以上の嫌味を言われるに違いない。
目も当てられないその状況を想像して身震いした私は、朝から何処かへお出掛けしていたやる気をすぐさま呼び戻すと、気合を入れ直し、座学の勉強に集中した。
まんまとロンルカストの手の上で転がされている気がするが、気にする余裕などないのである。
午前の時間も敢え無く過ぎ去り、昼食を終えた私はロンルカストと東塔へ向かう。
先導するロンルカストは、沢山の書類を両手に抱えていた。先日、冷徹貴族から委託された業務だ。
最優先でやった方がいいのでは、という私の気持ちとは裏腹に、予定を管理するロンルカストはこの書類仕事に、1日につき鐘一つ分しか時間を割いてくれなかった。
ロンルカストは、「アロマの作製や座学も、書類仕事と同じくらい大切です」と言っていたが、私は「まだ終わっていないのか、無能め」と、レオ様に怒られる方がずっと怖い。
加えて、私はミスをなくすために二重チェックをしたい派だったので、3日間でこの量を仕上げるのは結構ギリギリだった。
緊急度と重要度のマトリクスについては、今後じっくりと話し合いたいところだ。
目の前で、重そうな大量の紙束を軽々と持ちながら歩くロンルカストに、感心して尋ねる。
「ポメラウォーターを持ってもらった時も思っていたのですが、ロンルカストは、とても力持ちなのですね」
「私は、魔力で身体強化をしておりますので、本来は持てない量でも問題なく持つことができるのです」
なんと、魔力で筋力をアップしていたのか、全然気づかなかった。
魔力は、私が思っているよりも色んな事に応用され、貴族生活に溶け込んでいるようだ。
あと、ロンルカスト細マッチョ疑惑は間違いだった。いや、まだ可能性はあるか。
「側近というのはサポートのみならず、土魔法で主を守ったり、体を魔力で強化したりと、色んなことが求められるのですね」
「いえ、そのような事はございません。本来は、このような事をするものは少ないのです。私の血筋は少々特殊ですので、一般的な側近としては、参考にはならないかと存じます」
珍しくロンルカストは、自嘲気味に話す。
特殊な血筋? 遺伝的な話だろうか? その方面に詳しいわけでもないが、医療分野にも繋がりのありそうな話題に、なんとなく興味を惹かれた。
「血筋、ですか?」
「魔力の属性や性質は、親から子へ受け継がれる事が多いのです。そのため、魔力は血に宿るとも言われております。私の家は、武寄りの血を持つ側近という珍しい家系でした。それ故に、私も少々特殊なのです」
家系でした、という過去形の言い方に胸が締め付けられた。
同時にこの話題を掘り下げてしまった事に、深い後悔をおぼえる。
ロンルカストの中で、この心境に至るまで、どれほどの苦悩や葛藤があったのだろうか。
家の血筋は自分で絶える、という諦めの余地も無いほどに確定した事柄を、淡々と受け止めているような言い方だった。
話の流れとはいえ、配慮に欠ける質問をしてしまった。私は自責の念に苛まれ俯く。
その時だ。フワッと、体が宙に浮いた感覚を感じた。
自動車でデコボコの道を通った時に感じるような、一瞬の浮遊感だった。
「あれ? 地震?」
「どうかなされましたか?」
ロンルカストは気がつかなかったようだ。
私の勘違いだったのかな? ボス部屋に近づいてきた緊張からくる、軽い目眩だったのかもしれないと思い直す。
姿を捉えてもないのにダメージを与えてくるとは、恐ろしい。冷徹貴族の計り知れない戦闘力に、部屋に入る前から怖気付いた。
真っ黒な扉の前につく。扉越しに、ロンルカストが通信をすると、ギギッと不穏な音を響かせて扉が開いた。
意を決して部屋に足を踏み入れる。
目を合わせると怯えて声が出なくなってしまいそうなので、レオルフェスティーノ様をなるべく直視しないように気をつけながら、部屋の真ん中まで歩き、跪いた。
「イリスフォーシアの光がアディストエレンを包み込――」
「耳障りだやめろ。其方の下手な挨拶を堪能する趣味はない」
私の勇気を振り絞った第一声と、勉強の成果が発揮される機会は、不機嫌な声により一瞬にして失われたのだった。
落ち込んでいる時に、「結果じゃないよ、努力したその過程が大事なんだよ」と上から声をかけられると、
「そうですね」と表面上は、物分かりの良いふりをしながら、「お前が失敗した時も、同じことを言ってやろうか!!」と、心の内で捻くれた私が叫ぶのです。
お読みいただき、また若干荒れ気味の後書きにまでお付き合いいただき、深く感謝申し上げます。
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