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初めての調剤部屋




「ミア、こっちにきて手伝いな」


「はい! ミグライン店長!」



 ある日の店番中、店長に調剤部屋へと呼ばれた。

 なんだろう? 元気よく返事をして店の奥へ向かう。

 先輩達が薬草の混合や、大きな窯で素材を煮出す作業をしている調剤部屋は、釜の火の熱で少しモワッとしていた。

 煮詰められた植物の匂いががギュッと凝縮された甘苦い香りが充満している。



「ミア、この調剤服を着て粉砕をしてみな。道具はあそこの棚のを使っていいからね。作業が終わったら洗って元の場所に戻すんだよ」



 店長は私に調剤服を手渡すと、サルト先輩を呼んだ。



「サルト、こっちにきてミアに教えてやんな」


「はい、ミグライン店長。分かりました」



 教育係のサルト先輩は、手早く刻んでいた手元の薬草を片付けると、スタスタとこちらに歩いてくる。私もサルト先輩に遅れないように、急いで調剤服を羽織った。



「ミア、道具を取ってこっちに来い」



 サルト先輩の簡潔な指示を受け、さっき店長に教えてもらった棚へ道具を取りに行く。うっ、ちょっと高い。爪先立ちしてやっと擂粉木のような木の棒を掴んだ。

 早歩きでサルト先輩のもとへと戻る。



「台の上へ薬草を置いて、この棒で押しつぶすんだ」



 ストンとその場へ座ったサルト先輩は、胡座(あぐら)をかくと足に挟んだ台の上で、木の棒を使いゴリゴリと薬草を潰してみせた。

 足長いな。台を挟んでも余りある足を羨ましく思いながら、サルト先輩の横で胡座をかき、短い足でなんとか台を挟む。



「こんな感じ、押しつぶすようにやってみて」


「分かりました!」



 真似をしてグリグリ、ゴリゴリと薬草を潰した。すり潰された薬草は、緑色の汁と苦々しい香りをたたせている。

 私は、手を動かしながら、自然と緩んでしまう口元を、なんとか引き締めた。

 だって、初めて大切な商品を作っている店の裏に、通してもらえた。

 そして下処理とはいえ、大事な調剤に関わってるってことは、ちょっとは信用してもらえたってことじゃない?



「ふふふんー」



 おっと、つい喜びが口をついてしまった。

 そっと隣を盗み見る。サルト先輩は通常通りの無表情だ。中断していた刻み作業を再開している。

 トトトトッと刻む姿は、ベテランシェフみたいだ。全く美味しそうに見えないどぎついピンク色の根の微塵切りが、出来上がっていく。


 うん、大丈夫。私の鼻歌は聞こえてなかったみたい。セーフである。

 気を引き締め直して粉砕の続きを行った。



 グリグリ



 ゴリゴリ



 ひたすらにグリグリ


 ・

 ・

 ・

 ・

 ・





 そして気づいた。


 これ、めちゃくちゃ辛い! ひたすら力仕事だ!

 しかも、単純作業で飽きる!!


 台の上に薬草を置き、上から擂粉木で力を込めてすり潰す。

 皆、涼しげな顔でやっているから、こんな苦行だとは思わなかった。エルフのポーカーフェイス恐るべし。


 私はヒーヒー言いながら、なんとかその日のノルマをこなし、速攻で筋肉痛になった腕を摩りながら、その夜の枕を涙で濡らしたのだった。






「ミア、どこ行くんだい?」


「ひゃっ、店長!? あの、店番を」


「全く。あんたは、こっちだよ。昨日の続きをやんな」



 翌日、出勤するや否や、そそくさと店番のカウンターに向かおうとした私の首根っこは、ガシッとミグライン店長に捕まった。

 そのまま調剤部屋へと連行される。うー、まだ筋肉痛が治ってないのに……。のんびり平和な店番タイムが恋しすぎる。


 調剤部屋の真ん中にぽいっとされた私は、重い足取りで棚に向かい、擦り漕ぎをとった。サルト先輩の横の空いてるスペースへいきストンと座る。腕の痛みに耐えながら、下処理の粉砕作業を行った。




 グリグリ……


 ゴリゴリ……



 ひー、やっぱり、腕が痛すぎる! 筋肉が千切れそう!

 道具を放り出して、店番のカウンターに飛び込みたいけれど、奥の方で在庫チェックをしている店長が、チラチラこちらをみている気がして怖い。

 隣にサルト先輩がいるから、やってるフリで腕を休めることもできない。なんでここに座っちゃったんだろう!


 痛みに耐えながら擂粉木を握る。涙目で粉砕作業を続けた。

 辛さから現実逃避を始めた私の意識は次第に薄くなり、気がつけば前世の記憶の中に落ちていった。






 ※※※※※ ※※※※※ ※※※※※ ※※※※※







 この世界に来る前のこと。

 これは私が、新卒ほやほやの頃の話だ。




 体調不良を訴える赤ちゃんの泣き声や、ぐずる小さい子どもたちの声。

 それを宥めるお母様方の、苛々とした雰囲気。


 薬局の待合室は、薬を待つ患者さん達の、不機嫌さで溢れていた。

 常連のおじいちゃんおばあちゃん達が、身を小さくしてソファーの端に座っている。


 そんなガラス越しに見える恐ろしい光景を、なるべく視界に入れないようにしながら、私は必死で薬の粉を測る。


 測った粉を乳鉢に入れ、乳棒でグリグリ、クルクルと動かし、先に量った粉薬と混合する。乳鉢をひっくり返して中身を分包機に入れた。


 小さい子は錠剤が飲めない。


 単純に錠剤を飲み込むことができない。

 あと、成人と同じ量では過量投与になるので、その子の体重に合わせた成人より少ない量の粉薬、ドライシロップなどが医者から処方される。


 その粉薬を、1回分づつを切り離せるビニール袋にパックする作業を、一包化(いっぽうか)という。


 子ども用の粉薬以外にも、薬の管理が難しい高齢の方が、一包化を希望することも多い。


 朝食後・昼食後・夕食後・寝る前など、服用するタイミングごとに複数の薬を一袋ずつパッケージ化する。


 一袋にパックすることで、複数の薬の飲み間違いや飲み忘れ、紛失などのリスクを減らすのだ。

 パックには患者の氏名、飲むタイミングはもちろん、薬の名前、服用する日付を入れることもある。



 一包化を行うための機械を、分包機(ぶんぽうき)という。

 粉をカセットにセットすると、自動で分包してくれる魔法のような最新型の「円盤型分包機」と、昔からある手動の「Vマス分包機」がある。


 いま私が粉薬を入れたのは、悲しいかな手動の「Vマス分包機」だ。


 手元の処方箋を確認する。


 この薬の服用方法は1日3回、14日分の処方だ。

 3×14は42。暗算をして42のメモリに分包機のレバーをセットする。


 分包機に入れた粉を、ヘラを使い均等にならしていく。

 ここをちゃんとしないと、一回量が多い日と少ない日の差が出てしまう。



「お薬、あとどのくらいかかりますか?」


「お待たせして申し訳ありません。あと少しでご用意ができますので」

 


 待合室から、お母さんの不満を受付の事務員さんが宥める声が聞こえた。

 そろそろ怒鳴り出す患者さんも出るかもしれない。


 待たせてしまっている自覚はある。

 私は、まだ分包作業に慣れていない。

 ベテランの先輩薬剤師なら、もっと早く分包できただろう。

 でも、だからといって適当に作業するのは許されない。


 もうこれでいいかと焦る気持ちを抑え、私は薬を端に寄せて均一にならす作業をやり直した。





 ここから3つ奥の通りにある、小児科病院が転院すると決まったのは、少し前のことだ。

 転院といっても、元あった場所から通りの反対側、2ブロック離れた場所に新しく病院を立て直すらしい。



 「ふーん、そうなんだ。病院、結構古い建物だったしな」と、聞いた当初は他人事に考えていた。



 問題は、その病院の転院に合わせて、病院の目の前にある門前薬局、〝こまり薬局〟も移転すると決まったことだった。


 こまり薬局の店長は、転院する小児科病院、〝瀬戸内小児科皮膚科病院〟の院長先生の息子だ。

 つまり、瀬戸内小児科皮膚科病院とこまり薬局は、ずぶずぶの関係である。

 今回の病院の転院にあわせて、こまり薬局は今の薬局を閉め、病院の転院先の真横に新しく開局するらしい。


 そして、その皺寄せを受けたのが、この度私が入社した薬局、〝ほしの薬局〟である。


 こまり薬局の店長は、有名なクッキーが入った菓子折を手土産に、ほしの薬局にやってきた。

 開局準備で3ヶ月ほど薬局を閉めること、その間の瀬戸内小児科皮膚科病院の患者さんは、転院した病院と、比較的近い距離にある、このほしの薬局に行くように促しても問題ないですか? と、申し訳なさそうな顔で、うちの店長に尋ねる。


 なぜ、病院は転院のダウンタイムなく開業しているのに、あなたの薬局は開局までに3ヶ月ものラグがあるのか。

 なぜ、もっと早く転院が決まった時点で、連絡してこなかったのか。

 なぜ、こちらの薬剤師の数から抱えられる処方箋の数を、計算できないのか。


 湧き上がってくる疑問を引き攣った笑みに隠しながら、店長はこまり薬局からの要請に「もちろんです」と、快く応じたらしい。


 そして今の現状である。

 これまでほしの薬局が受けてきたメイン処方箋科目は、内科・整形外科・眼科だ。私もそう聞いたから、この薬局に入社した。


 ほしの薬局にとって、小児科皮膚科は専門外。

 小児用の粉や皮膚科で出された軟膏を、素早く調剤するための機械も人手も薬剤師の技術も、全く足りていない。

 もちろん、たかだか3ヶ月のために、高額な機械や追加の薬剤師を抱えられるほど、懐も暖かくはなかった。


 今の待合室は、さながら時限爆弾のようだ。

 なかなか出てこない薬にイライラした患者さん達の不満が、いつ爆発しても不思議ではない。

 調剤室は、たまにしか動かしてこなかった分包機の独壇場と化している。



 ガシャコン、ガシャコン、ガシャコン ……



 分包機が出すどこぞの工場のような音が絶えず響き、殺伐とした雰囲気に拍車がかかる。

 突然増えた慣れない科目の処方箋、見慣れない処方が来るたびに、過誤がないか調べなければいけない手間、倍増した仕事量と残業。

 患者さんはもちろん、調剤室で調剤作業をする薬剤師の先輩方も、ピリピリとしていた。



 私は、自分の呼吸する音が周りに聞こえないように、マスクの中で自然と開いてしまった口を閉じる。

 そして、鼻からゆっくりと息を吐き出した。

 そのまま深く深く深呼吸を繰り返す。



 大丈夫……、大丈夫……。

 焦らないように……。



 角度を調整しながら、まっすぐゆっくりとヘラを動かした。



 よしっ! 出来た!



 やっと均一になった粉を確認して、手に持っていたヘラを置くと、分包機のスタートのボタンを押した。

 ほっと一息つく。



 ガシャコン、ガシャコン、ガシャコン ……



 その場に(うずく)まり、分包機の下から出てくる一包化製剤を見つめていた私の元へ、すぐ新しい処方箋が手渡された。







 ※※※※※ ※※※※※ ※※※※※ ※※※※※







「12剤を90日分も一包化ですか!? ……あっ、何でもないです」



 急に大きな声を出し立ち上がった私に、調剤中の先輩方からの注目が向いていた。


 そうだ。ここはミグライン店長の薬屋。

 現実から逃げ出した意識が向かった先が、前世の小児科地獄時代の記憶だなんて、夢にすら希望はなかった。


 ボーっとしてました、すみません!と、ペコペコと先輩達に平謝りをして、サッと座る。

 何やらネチャネチャしたものを混ぜながら、こっちを見ているサルト先輩の(いぶか)しげな視線が痛い。

 私は擂粉木をギュッと握り直すと、一心不乱に粉砕作業に集中するフリをして、何か言いたげな緑の目を華麗にスルーしたのだった。



 トラウマさんは、雑草のように深く広く根を張って、色んな記憶と結びつこうとしてくる厄介ものですよね。

 忘れていたはずなのにふとした時、物事や香り、仕草なんかとリンクして這い出てこようとする。なんとも嫉妬深いやつだと思います。



お読みいただき感謝です。

本当にありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 薬局の事情がメチャメチャリアルだ……w
[良い点] ほのぼのとした異世界の日常....イイ!とてもイイ! あ、ちょっと口調が。ゴホン(咳払い) 場面の描写や状況がとても読みやすく、主人公もまた可愛らしさを感じて、一緒に成長を見守りたいなって…
[良い点] 非常に面白かったです。ブックマークさせていただきました。 続きも読ませてもらいます
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