閑話5 ある薬屋店長の平穏(前)
「プペラとパシロン、ナロールは少し多めにしておいたほうがよさそうだね」
明日注文しなければいけない、素材を確認する。発注に漏れがないかを確認をして、立ち上がった。いつもと同じ調剤部屋を眺める。
愛弟子たちが、粉砕や混合、煮詰め作業など、黙々と調合を進めていた。いつもと同じ風景、いつもと同じ調剤部屋なのだが、決定的に何かが違う。
今日が水の日だからだ。
「店長、先輩方、それでは行ってきます」
そう言い残し、あの子は4度目の貴族街へ向かった。
それからいつもと店の雰囲気が違う。正確に言えば、何十年と変わらなかった以前の雰囲気に戻っただけなのだが。
……ほんとに不思議な子だ。
あの子が来てから、この店の空気は変わった。
見習いとして雇ってから、まだほんの短い期間しか過ぎていないというのに、私達はすっかりそれに慣れてしまった。
今この部屋に、どこか物足りなさを感じるのはそのせいだろう。居心地が悪くすら感じてしまう。恐らく、他の弟子達も同じことを思っているだろう。
調剤部屋をぐるっと見回す。棚に並ぶヤゲンが目に入った。
「えっと、ミグライン店長。ちょっと試してみたいことがあって、その事で考えていたんです」
目を泳がせながら、おずおずと切り出した、先日のあの子の言葉を思い出す。
私たちエルフは、今ある技術を守り伝えることが得意だ。淡々と物事をこなすことに苦がないのは、長い生に飽きないための、種族特性かもしれない。
だがそのかわり、何かを新しく作り出したり考えたりは苦手だ。というか、そもそもそういう発想がない。
私もエルフの性質と、違えない。巷では薬の創始者なんて言われているが、とんでもない事だ。
この店に並ぶ薬たちも、先人達の教えに忠実に作っているだけ。別に私が考えて作り出したわけでも、なんでもない。
でもあの子は違う。人間の特性なのか、何にでも興味を持ち、よく話し、いろんな表情をする。
違うな。いや、何十年か前にいた人間の弟子は、こうではなかった。これは、彼女の個性のようだ。
時たま、私達エルフとは違うくるくるとよく回る表情がとまり、何か考え込むような顔をする。
そうした後は、決まって突拍子もないことを言い出すのだ。
「あの厠に積んである藁って、なんですか?」
青と紫が混ざった無邪気な瞳で、そう聞かれた時は、誰もが絶句した。あれの使い方を知らないとは、なんという。
聞いたこともないようなものを、作りたがったりもする。
しかも、どういうものを作りたいのかと詳しく聞くと、考え悩みながら説明を始める。その場で、想像しながら、設計図を組み立てているのだ。
作った事があるわけでも、確証があるわけでもないことが分かる。新しいものを作ろうとしていた。これは明らかに、私たちの性質とは異なっている。
最初はその突飛な行動に面食らった。だが、慣れとは恐ろしいものだ。
最近はあの子が何を言い出すのか、少し楽しみになってきている。
この年になると、驚くことなんてそうそうないと思っていた。
人生、何があるかわからない。
弟子たちやサルトも、あの子が作るものに興味津々だ。サルトはいつも、あの子が使っているヤゲンを、羨ましそうに見ていた。
あの子は、一向に貸してやる気がなさそうだった。しょうがないから私から言ってやった時のことを思い出す。
「それからこの前作った妙な道具だが、サルトに貸してあげな。サルト、使い方わかるかい?ミアに教わるように」
「はい!分かりました。店番をします。あ、薬研ですか? 喜んで! サルト先輩、後で使い方を」
「分かりました、ミグライン店長。新しい道具の使い方は把握しているので問題ありません」
そらみたことか、と思った。サルトがあんなに嬉しそうにしている。あの子はというと、喜んで! と言ったくせに、なぜか不満そうな顔をしていた。
そんなに高いものではないが、自分の道具を人に貸すのが、嫌なのかもしれない。私はザリックの工房に、ヤゲンの追加発注をすることに決めた。
きっと、次の土の日には納品されるだろう。あいつはああ見えて、昔から新しい物好きだ。嬉々として他の依頼をほっぽり出して、ヤゲンの製作を優先する姿が目に浮かんだ。新米冒険者だったあの子が工房長とはね、月日が流れるのは早いもんだよ。
鍋を繋げた風変わりな道具、ジョウリュウキもそうだ。あの子がジョウリュウキを使いだすと、弟子達の機嫌が良くなる。調剤部屋がアロマの良い匂いで満たされて、気分が安らぐのだろう。
アロマウォーターも人気なようだ。
あの子がジョウリュウキのそばを通るたびに、皆んなソワソワと期待して手元が疎かになるから困ったもんだよ。
あぁ、アロマウォーターで思い出した。あれは本当に、いい迷惑だった。
あの子が店の裏地で長時間キンフェルを集めたせいで、それを目撃した近所の住民から、私が人間の小さな女の子にばかり辛い仕事をさせていると、謂れのない噂が立ったのだ。あの時は、事実無根の疑いに、本当に頭を抱えたものだ。
あの子が初めてこの店に訪れた時のことを思い返す。
最初から、あの子は異質だった。突然、店に飛び込んできて、働かせて欲しいと金色の髪を床に擦り付けはじめたのだ。
弟子たちは直談判という非常識な行動に戸惑っていたが、私はあの子が纏う空気感に驚いた。人間に感じる、特有の壁がないのだ。
エルフと人間が、夫婦となる事はない。種族が違う、といってしまえばそれまでだ。
だが、恐らくエルフと人間は、互いに微量の嫌悪感を感じている。この忌避反応は、種を守るための本能的なものだろう。
ところがあの子には、その壁を全く感じられなかった。とても奇妙な感覚だった。私はあの時、彼女を雇うべきだと決断した。
自分がこんな賭けのような選択をするとは、今考えても不思議だ。直感的に、あの子に何か感じるところがあったとしか、言いようがない。
彼女が働き始めると、その特異な体質はより際立った。人間特有の壁を感じるどころか、彼女がいると、自分の気持ちが丸くなるように感じるのだ。
それは弟子たち、そして店全体へ伝染していく。今では、店の雰囲気自体も大分変わったように思える。
変化は良い方向へ向かっている。店の売り上げは伸びたし、客からの反応も良い。
なかなか売れにくい回復薬もよく売れるようになった。あれは単価が高いので利益率が良い。
教育係のサルトは、あの子のことを田舎者の世間知らずだというが、本当にそうだろうか。
この街の名前も知らなかったのには流石に驚いたが、貴族に話しかけたと聞いた時は、心臓が飛び出るかと思った。
貴族に声をかけるなど、「殺してください」と、自分の首を差し出しているようなものだ、とあの子に説明すると、顔を青くさせていた。初めて知ったような顔だ。
どれほどの田舎者だったとしても、貴族のことを知らないなど、あり得るだろうか?否、貴族の危険性を教えない親なんて、いるはずがない。
もしかして孤児なのか、とも思ったが、孤児にしては教養がある。
接客できるだけの言葉遣いも、初めから身につけていた。頭の回転も悪くない。覚えも計算も早い。
少し雑なとこのあるサルトに比べて、薬の扱いもやけに丁寧なので、新入りにも関わらず店番を任せっきりにしている。
知識の足りない部分と突出する部分の差が大きくて、非常にチグハグな印象を受けるのだ。いったい、どういう育ち方をしたのだろうか。
「ミアは、どこの出身なんだい?」
「えーっと、すごーく遠いところから来ました。ど田舎だったので、村の名前は分からない」
何度か出生を尋ねてみたが、その度に気まずそうな顔であの子は私の質問をはぐらかした。
……もしかしたら、公に出来ない出自なのかもしれないね。
そう思った時、私ははたと気づいてしまった。
あぁ、そうか。思い返せば、同じような不思議な空気を纏ったものに、あったことがある。随分と昔のことだから、すっかり忘れていた。
「もっと早く、気づいてやれていれば!」
私は爪が食い込むほど拳を握りしめ、自分の至らなさを呪ったのだった。
文字数が多くなりすぎたので、前後で分けました。
それだけミグラインのモヤモヤも溜まっていたということで、許してください。
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