薬屋の店番
「ふわぁーあ。客の来ない店番、最高」
今は薬屋の店番中だ。
店内に誰も客がいないのをいいことに、行儀も外聞もなくダラダラとしている。
店番用の椅子に座り、少し高めのカウンターに顎を乗せながら、床に届かない足をパタパタした。
静かな店内で、のんびりと日向ぼっこ。幸せだ。世界はなんて平和なんだろう
ここにきたばかりの頃は夏真っ盛りだったけれど、最近はだんだんと夜が涼しくなってきた。とはいっても、日が出ている時間帯はまだまだ暑い。
店先には、看板がわりに店頭幕が張られている。
店頭幕といっても、入口の上から取り付けてある布を、店先から人1人分くらいの間隔を開けて地面にピンと伸ばし、少し余った布の左右の端っこに大きめの石を重りとして乗せたら設置完了の、簡単仕様だ。
今日の朝当番はサルト先輩だったに違いない。
いつもより幕と入口の隙間が広めだ。
入口と幕の隙間から入る朝の日差しが、座っているカウンターに直接当たって眩しい。
店番をしている店内は10畳か20畳くらいとそこそこ広いが、備え付けのカウンターの場所はずらせない。
朝当番の雑な仕事を恨みつつ、ちょっと暑い日差しを我慢して午前中から昼寝に勤しんだ。昼寝に飽きると、元の世界のこと、ここへ来たばかりの事を考え独り言ちる。
「うーん。あんまり思い残す事は、なかったみたいなんだよね」
不思議と、元の世界に帰ろうとは思わなかった。
帰り方が分からなかったので、どうしようもないといったほうが正解かもしれない。
元の記憶を辿ろうとしても、日常生活については、ぼんやりとしたことしか思い出せなかった。対照的に、職場の薬局での光景ばかりが、やけにはっきりと頭に浮かぶ。
大切な恋人がーとか、残してきた家族がーとかの未練はないようだ。
「仕事人間でよかった。うっ、なんか目の前が霞んできたような?」
自分の寂しい人間関係に、全然泣いてなんかいない。今となっては、のんびり働けるこの生活が快適だし、すっかり馴染んでしまっている。
素性のわからない胡散臭い私を雇ってくれた優しいミグライン店長は、スラリとした高身長にブラウンの髪をポニーテールにしている。ワンピース型で紺色の服をいつも着ているので、きっと仕事着なんだと思う。
100歳を超えているらしいが、そんな風には全く見えない薄い紫色の瞳をしたエルフだ。
エルフと言っても、見た目は人間と変わらない。エルフと人間の何が違うのかよく分からないが、この薬屋で働く従業員は全員エルフらしい。
「私は多分、人間です」と言ったら、お前はエルフじゃないのかとすごく驚かれた。きっと、自己申告しなければ分からない程度の、たいした問題ではないのだと思う。
この店で働き始めた頃は店長に、かなりの恩義を感じていた。それに追い出されたら死活問題だったので、がむしゃらに仕事を覚えて働いた。
今こうしてご飯と寝る場所の心配をしなくて済むのは、ミグライン店長のお陰だ。
「 ……って、感謝していたのは、最初の頃だけだけどねっ!」
後から自分の給与が、かなり格安でミグライン店長にボラれている事に気づき、恩義は霧散した。
だんだんと分かってくる、自分の実情。
めちゃくちゃ仕事させられるし、休みないし、給料も底辺なみだし。ミグライン店長は生活の補償をくれた恩人には違いない。違いないが、足元を見られたのも明らかだった。
まぁ、できるのは雑用くらいだけどさ。薬師スキルとか持ってないし。
でも雑用係を底辺の給料でここぞとばかりにこき使えるっていうのは、まあまあお得な拾い物だったのではないでしょうか、ミグライン店長さん。
きっとこの世界では労働基準法とかない。前世の最低賃金制度が羨ましい。ムニャムニャと、今更どうしようもないけどねと、呟く。
昼前になり、にっくき日差しはカウンターの横にやっとずれてくれた。
今は幕の薄い布を通って入ってくる午後の柔らかい日差しが心地いい。
目を細めながら、今朝の失敗を思い出す。
「いや、だって。まさかスライムがあんなにヤワだなんて、思わなかったし」
砂時計ならぬ、スライム時計を作ろうと、昨夜頑張って遅くまで格闘したのに、なんと朝起きたら瓶の中のスライムが、お亡くなりになっていたのだ。端っこなんて、カピカピに干からびていた。
しかも、びっくりしてサルト先輩のところへ持って行ったら、普段無表情の彼に、ただただ呆れた冷たい目を向けられて、二重のショック。
……そんな顔、できたんですね。
先輩、表情筋ないのかと思っていました。
サルト先輩は、なんだかんだと私の面倒を見てくれるこの薬屋の見習いだ。1番年が近いとのことで、私の教育係扱いになっている。見た目は中学生くらいの細身で、緑髪に同じ色の瞳。
はじめ自分の金色の髪に驚いたが、この世界の人達ってみんな鮮やかな髪や目の色をしているので、すぐに気にならなくなった。
サルト先輩は切れ長の瞳に、ロングのウィッグをつけて喋らなければどこぞの儚げなお嬢様に見えそうなくらい、整った中性的な顔立ちをしている。
でも、無口だし笑ったところも見たことがないので、クールが極まり過ぎてあまりモテないと思う。
その後、呆れ顔から普段の能面顔に戻ったサルト先輩から、「スライムじゃ無くてスライムオイルなら、時間が経っても粘度を保ったままの状態を維持できる」と、教えてもらった。
なんでスライムはダメで、スライムオイルならカピカピにならないのか。
全く分からなかったけど、「そうですか」と、無理やり納得し、今日の時間休を返上してスライムオイルを買い直しに向かった。
ただ今スライム時計、絶賛改良中である。
カウンターの端っこに置いたスライムオイルが入った瓶、お手製のスライム時計(改)を見る。
今日の三の鐘ピッタリにスライム時計(改)をひっくり返した。
そしてスライムオイルが落ちきったら瓶をひっくり返す。これを繰り返すこと、さっきで4回目だ。
これが落ちきったら、最後にもう一回ひっくり返す。スライムオイルが落ち切るのと、次の四の鐘が鳴るタイミングとのズレを確認する。
スライムオイルの量を増減して、次の鐘の音を合図にまた6回ひっくり返してその次の鐘の音とのズレを直していく。何度もこの調整を続けて地道にズレを直していけば、いずれスライム時計(改)が完成するはず。
ミグライン店長もいないし、スライム時計はさっきひっくり返したばかりだから、まだ大丈夫。このまま目を閉じて、ちょっとだけ寝ようかな。昨日、少しばかり夜更かししたのもあって、また眠くなってきた。
「ふわっ、ふわわあぁー」
大口をあけて欠伸をする。店頭幕から透ける日差しが、温かくて心地よい。
世界は平和だ。客もいなくて楽ちんだけど、平和すぎると眠くなってきて困るな。
ウトウトと、意識が飛びかける。
「店番が堂々とサボってるんぢゃないよ!!」
いい感じに重くなってきた瞼を、重力に逆らわず閉じようとしたのと、後頭部に強い衝撃と罵声を受けたのは、ほぼ同時の出来事だった。
現状。
職、上司の鉄槌をゲットしました。