グラーレの小屋
「うーん……」
只今、絶賛天秤と睨めっこ中である。
ミグライン店長がパパッと用意してくれた、正確な量のグラレの葉が、天秤の右のカゴにのっている。私は左の籠にちょっとずつグラレを足して、天秤の腕が平衡になるようにしているのだが、
「うーん、ちょっと右に傾いてる? いや、平衡な、気がする?」
ザリックさんは天秤を完璧に仕上げてくれた。だが、正確な数字がデジタル表示される電子秤と違い、結局は秤の籠の平行を目視で確認しなければならない。どうしても誤差が出てしまい、回復薬の出来に影響してしまうのだ。
この1週間、調剤部屋に篭り回復薬を作り続けているが、まだ一本しか成功していない。ミグライン店長は体で覚えるしかないさと、放任主義だが、私は気が気ではない。
失敗した分の素材料金は、給料から差っ引かれてしまうのだろうか。まだ蒸留機や秤の元も取れていないのに、どうしよう。
回復薬を作れば作るほど負債が積み上がる、しかし作らなければ覚えられない。タダ働きになる日も近そうだ。まさか、給料がマイナスの数字になったりは、しないよね?
しかも、先日秤を受け取りに行った時に、ザリックさんに蒸留機を追加注文したこともある。
「今回は貴族区域に持っていくので、前回と同じように正確に作ってください」
ザリックさんは、任せとけとばかりにニカっと笑って請け負ってくれた。頼もしいかぎりだ。
新しい蒸留機分も負債が増えた。しかも、今回は貴族様に献上するアロマをつくるのだから、蒸留機も薬屋の中古鍋のリメイクとはいかない。天秤の両籠に、ピカピカの蒸留機と負債の山がのっている幻が見えてしまい、頭を振った。
早く回復薬の成功率をアップさせなければ。うんうんと、唸りながら天秤を見つめる。隣でゴリゴリと粉砕作業中のサルト先輩の緑の瞳も、心配そうに揺れているような、気のせいのような。
天秤と睨めっこしていると、あっという間に1週間が過ぎた。憂鬱な水の日がやってくる。今日はアトバスさんと、常連さん数名が白壁まで見送りをしてくれた。話をしながら歩いていると、気が紛れるので嬉しい。
「最近、ロランのやつがギルドにいないことが多いんだ。ミアちゃん何か知ってるかい?」
ギルドの顔が休みがちなので、皆心配しているみたいだ。
ロランさん、そういえば最近お店にもきてくれていない。体調でも悪いのかな? それとも、副業を始めたとか?
薬屋に来てもらうばっかりだったから、今度は私からギルドに尋ねに行って聞いてみようと決めた。
門をくぐり、貴族区域へと入る。いつもの不思議馬車に乗り込んだ。3回目なので、慣れたものである。ガタゴトと進む馬車が止まったのは、怖い貴族が待ち構える城ではなく離れのまえだった。
「ミア様、お待ちしておりました」
今日も、ロンルカスト様が迎えてくれた。青い髪がサラリと揺れ、ブラウンの優しげな目元と柔らかい笑顔に安心する。今日も深緑の執事服を着ていた。やっぱりこれが彼の制服みたいだ。
「本日は急遽、騎士団の大規模演習が入りましたので、レオルフェスティーノ様はこちらにいらっしゃいません。ミア様がアロマを作成する許可は頂いておりますので、どうぞ気兼ねなく離れをご使用なさって下さい。」
今日は東の塔へ挨拶に行かなくて良いらしい。やった! あの冷徹貴族の冷たい視線と、嫌味を浴びなくても良いんだ。大きな憂がひとつ減って、飛び上がりたくなったが、ロンルカスト様の手前、グッと堪えた。
でも先触れを出したのに不在とは、先触れの意味なくない? もやもやした気持ちを抱えたまま、離れと呼ぶには立派すぎる一軒家へ足を踏み入れた。庭と立派な玄関を抜けて、調剤部屋に任命した広い部屋の扉を開ける。
テーブルの上には、前回採取してこの1週間で乾燥したポメラの綺麗な光の三原色が広がっていた。
わっ、綺麗! ……じゃなくて、えぇ!?
確か6色ぐらい採取したはずだ。3色しかないのは何故? 前回、花弁の色と並べた場所をメモした紙をチェックする。何か起こるかもと思ってメモしておいて良かった。私、グッジョブ!
えーと、緑、赤、青の花弁はそのままで、黄色が緑色へ、ピンクとオレンジが赤に変化っと。
うーん。同じ花なのに乾燥させただけで、こうも違いが出るとは、謎すぎる。これは色の違う花弁を混ぜるのは、やめておいたほうがいいかもしれない。何が起こるかわからない。
まずは色の変化がなかった、赤のポメラ一色でアロマを作ってみよう。
方針を決めた私は、ロンルカスト様に確認が終わったのでポメラの採取をはじめたいことを伝え、離れを出る。薬草園に向かう途中で、ロンルカスト様が口を開いた。
「ミア様。先程馬車を見つめていらっしいましたが、何か不足がございましたでしょうか?」
「あ、いえ、とても乗り心地がいいです。不足などございません。えーっと、グミットが、あのような細い糸で馬車を引っ張れる事が不思議でしたのです。平民街では、もっとしっかりした縄でグミットと馬車を繋いでおりますので」
馬車に不満など勿論ない。嫌ならば次からは白壁から歩いて来い、などと言われたら困る。慌てて弁明をする。
離れについて馬車を降りた時、グミットと馬車を繋ぐキラキラの蜘蛛糸がスーと消えるのが、目に入った。驚いて、つい見入ってしまったのだ。
一瞬の事だったのに、まさか見られていたとは。あ、そうだった。この人、後ろにも目があるんだった。
「グミットとはグラーレのことでしょうか? 彼らは風の精霊を祖に持っております。その魔力で馬車を引っ張っているのです」
「グラーレですか。確かにグミットとは色や形、纏う雰囲気が違うと思っていました」
「グラーレが馬車につけた風の魔力が見えるとは、ミア様は目がよろしいのですね。少し歩くことになりますが、グラーレの小屋がございます。宜しければご覧になりますか?」
“え、別に結構です”とは言えなかった。自分からグミットの話題を出してしまった手前、断れない。
「はい、是非」
にっこりと笑ってイエスと答えた。ノーと言えない日本人の遺伝子は、根深い。
さっき、さらっと魔力とか精霊の話が出てきた。壁が消えたり、炎が踊って鎧が動く世界だから、そうかなとは思っていたけど、プロジェクションマッピング説も、万に一つはと考えていた。
平民街では、全く接しなかった魔法文化が貴族の街では根付いている。店長や先輩達も魔力や精霊なんて一言も口にしなかったし、冒険者達も護衛の時は賊と剣や槍で戦うと言っていた。
逸れの魔の話は聞いたけど、街の外のことだったし。
壁一つ超えるだけでこんなにも違うとは、もはや別世界だ。貴族街は魔法世界でした。そうですか。どう考えても平民の私が関わるような場所ではないです。
少し歩くことになります、と言っていたロンルカスト様の言葉通り、グラーレの小屋は遠かった。城半周分くらい歩いたんじゃないかと思った頃、やっとそれらしき小屋につく。歩幅の小さい私は、もうヘロヘロだ。
グラーレ小屋は、小屋と言っても結構大きくて綺麗だった。想像していた馬小屋はと全く違う。
グラーレ一頭に対して、十分なスペースのある綺麗な小部屋が連なり、私の住んでるマイホームよりもずっと広くて綺麗だ。
悲しいかな、平民の私の部屋は貴族の馬以下のクオリティーだったことが判明した。しょぼん。肩を落として、真っ白なグラーレと汚れのないグラーレ達の部屋を見つめる。
「……グラーレは、大変綺麗好きなのですね」
「このグラーレ達は、それぞれが1人の騎士とペアを組んでおります。彼らは背中を預ける大切なパートナーなのです。日々、自分と契約を交わしたグラーレのお世話をする事は、騎士の大切な役目でもあります」
競馬と騎手の関係を想像した。なるほど、お世話をする事で信頼関係を結んでいるのか。
「そうですか、グラーレはとても大切な役目を担っているのですね」
近くにいたグラーレの耳元をいい子いい子と、撫でてみた。グラーレは気持ち良さそうに目を細める。もっと撫でろとばかりに、私の手に顔を擦り付けてきた。
可愛い。さっきまでは私よりもいい部屋に住むグラーレがちょっぴり憎らしかったが、スリスリされてすごく可愛い。真っ白な毛並みも柔らかくて、触っていて気持ちいい。
だんだん気立ての良い大型犬みたいに思えてきた。わしゃわしゃと撫で撫でしていると、グラーレが私の顔に自分の顔を近づけてきた。
「ビぃーーーッ! ブルッルルルルッ!!」
突然後ろから響いた鳴き声に驚いて、私は撫でていたグラーレから手を離した。鳴き声の方を向くと、青ざめた顔をしたロンルカスト様が、興奮するグラーレを宥めている。
「驚かせてしまい申し訳ございません、ミア様。私の不注意にて、こちらのグラーレの蹄を踏んでしまいました」
びっくりした。私が先程撫でていたグラーレも、鳴き声に驚いたのか、ツンとしながら部屋の奥の方へと行ってしまった。
「大丈夫ですか」
「いえ、私の不手際ですので、私が対処いたします」
手伝おうと足を踏まれて興奮しているグラーレへ近づくと、ロンルカスト様に素気無く断られてしまった。うー、残念。もっとグラーレの柔らかい毛並みに触れ合いたかったのにな。
ロンルカスト様が興奮したグラーレを宥めている間、グラーレの鳴き声は馬と同じなんだなと冷静に思ったりした。
グラーレも落ち着き、名残惜しかったが小屋を出る。また城半周分ほど歩いて、やっと薬草園についた頃には、私の足は棒になっていたのだった。
転生しても日本人のスピリットは消えていないようです。お人好しと例えるか、優柔不断と呼ぶかは、あなた次第なのです。
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