異世界の迷子
「え!? なに!? いたっ! なんか、ジャリジャリする!」
目が覚めて、最初に飛び込んできた景色は冷たい地面だった。
確か、私は通勤途中だったはずだ。
駅から電車に乗って、イヤホンで曲を聴こうとして、あれ? そこからの記憶がない?
何故か地べたに寝そべっていた体を起こし、立ち上がった。頬についた砂利を右手でペシペシと払う。
そして右手についた砂利を両手を擦り合わせるようにして落とそうとして異変に気づく。
「え?」
目の前の手は、まるで子どもの手のように小さかった。自分の掌を茫然と見つめる。
掌の先に見える服にも、見覚えがない。掌から視線を外し、スカートを摘んだ。ペラペラとした生地だ。ベージュのワンピースで古着のように薄汚れている。靴下はなく、捨てる時期を忘れられたような貧相な上履きを履いている。
これは夢だと思いたい。思いたいが、先ほどまで肌に食い込んでいた砂利の感覚や、時々通り過ぎる湿気を帯びた風は、非常に生々しい。
どう考えても現実だ。
わざわざ、頬をつねらなくったってわかる。
「どういうこと? なんなの、これ?」
一体、何がどうなっているのだろうか。
混乱する頭で、助けを求めようと辺りを見回すも、どうみても森の中のようでさらに困惑した。しかも人の気配は全くない。木々が生茂るわずかな隙間から、真上に昇った太陽がチラリと見えた。
私はいつもの7時12分の電車に乗ろうとしたはずだ。なのに、まるで昼間のような時間帯に思える。
葉の隙間から微かに太陽の光は届くものの、辺りはシーンと静まり返り薄暗い。時々ふく生温い風が密に生えた木々達の鬱蒼とした枝を不穏に揺らす。ザワザワと揺れる様は、おどろおどろしい森特有の雰囲気をさらに加速させた。
突然森の中にポツンと取り残された私は、思考が追い付かず、ただただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
ギギィーーーッ!
遠くから獣の鳴き声が聞こえてハッとする。
「ひゃぁっ!」
そうだ、ここは森の中。停止していた脳が、強制的に再起動する。
今の鳴き声は遠かったが、人を襲う動物が近くに潜んでいるかもしれない。こんな小さな手と丸腰では、熊や大きな犬に襲われたとしても対抗することなど不可能だろう。
その場に留まることすら恐ろしくなった私は、行き先も分からずにフラフラと樹海の中を歩き出した。
ペラペラの靴で地面を歩く。
底が薄いので、石や砂利を踏むたびに痛みを感じた。方角も分からない。
パキリと自分で踏んだ枝の音に、ビクリとする。誰もいないのに、誰かにつけられているような奇妙で恐ろしい感覚になった。
少しすると、横倒しになった馬車を見つける。大勢の人が乗れそうな大型の馬車だ。
馬車を引く馬は見当たらず、人が乗り込む部分だけ派手に横転している。
馬車なんて初めて見たが、苔や落ち葉がそんなに付いていないことから、最近、もしかしたらここ数日で事故に遭ったのかもしれない。
淡い希をを抱きながら中を覗いてみたが、残念なことに助けてくれそうな人は誰もいなかった。そうだよね。人がいる気配なんて、しなかったもん。
肩を落としながらさらに歩みを進める。
右を見ても左を見ても同じような木ばかりだ。どこに進めばいいのか分からないが、とにかくこの森を抜けたい。
真上から少しずつ傾き始めた太陽を見ながら、私はひたすらに歩いた。この森で、獣に震えながら夜を超える自信はない。額から汗が滴り落ちてくる。
秋なのに、なんでこんなに暑いの?
拉致されてアマゾンにでも捨てられたのかもと、意味のない妄想をし始めた時、湧き水を見つけた。
やった! お水だ!
駆け寄って我慢していた喉の乾きを潤すため、水を掬って飲もうと屈む。そして、水面に映る自分の顔を見てフリーズした。
そこに映っていたのは、知らない子どもだった。肩につくくらいの金色の髪に青っぽい瞳の女の子。目を見開き、驚いた顔をしてこちらを見ている。
バッと立ち上がり、湧水から2、3歩後ずさった。生温い風が頬をなでる。風と共に頬をくすぐった髪は、金色だった。
慄然として唾を飲む。
ゴクリと、小さく喉が鳴った。
……どうやら私は、私の知っている私ではないようだ。
恐る恐る湧水に戻り、水面をなるべく見ないようにしながら震える手で水を飲んだ。
ゴクゴクと飲み、喉の渇きと空腹を紛らわす。そして、自分の姿から逃げるようにして湧水から離れ、また歩きだした。
どのくらい歩いただろうか。太陽の傾きも大きくなってきた。
もうすぐ日が暮れてしまう。ひたすらに森を歩き続ける中、考える時間だけは沢山あったため、冷静になることができた。
多分、私は思いもよらないことに巻き込まれている。この気温も場所も姿も、分からないことだらけだが、少しずつ現実を受け入れるしかない。
足が棒になるほど彷徨い続けた。太陽が姿を消し、月と交代しはじめた時、やっと森を抜ける。
「やった! 街だ!!」
遠くに見える街の灯りに歓喜した。
ひたすらに彷徨っていた森と違い、今度は街という目標が見える。ヘトヘトに疲れているはずなのに、私の歩く速度はアップした。
なんとか辿り着き、街に入る。話している人々の言語が認識出来ることにほっとした。アマゾンがあるペルーではなかったようだ。
そして半分スラムのような街の光景や、通り過ぎる人々の剣や槍を持った格好、平坦顔の日本人にあるまじき彫りの深さの人々が日本語を話すという違和感に、いよいよここがペルーではないどころか、異世界なのではないかと気づく。
「どうしよう。私、ここでどうすれば……」
この街のことも、この世界のことも、右も左も分からない。それに、見た目も子どもだ。
水面に映った顔を見たので分かってはいたが、すれ違う人達との身長差で、自分がかなり幼いと思い知る。下手をすれば幼稚園生くらいの身長かもしれない。
「こんなところに放り出されて、私、これからどうやって生きていけばいいの?」
一気に不安が押し寄せてきた。
だが、頭を振ってそれを追い払う。
「 ……うん、よし! うじうじするの終わり! とりあえず、生きるためにはご飯だよね! つまりお金と働き口! 職場を探そう!」
恐怖の樹海を歩き続けた後に、やっと見つけた街と人々に、テンションのおかしくなっていた私は、後先も考えずに最初に目に付いた薬屋らしき店に飛び込んだ。
「遠い田舎から出てきました! 薬に興味があります! 一生懸命働くので、どうか雇ってください!」
勢いだけの懇願をあっさり受け入れてくれた薬屋のミグライン店長は、さらに私が今日泊まる宿も手持ちの銭もないと聞くと、二階のちょっとクラッシックなお部屋への、住み込みの許可までくれたのだった。
現状。
寝床をゲットしました。