仮面夫婦(仮)のはかりごと
いやーはっはっ、二日クオリティー。時間にして十時間未満。
駄目ですね、推敲するとまず完成しない。という訳で手直し殆どなしです。
どうぞ、暇潰しとしてお楽しみください。
「お姉様ばかり狡いわ……!」
ぴしり、ときれいに磨き上げられた爪の先が、こちらを向く。潤んだ双眸は、華やかな柘榴色。
「私だって、私だってお父様の子よ? なのに……なのにどうして、お姉様ばっかり贔屓されるの……」
私、悲しいわ。
そう言って、わっと泣くのは私の義妹。それを見て、我先にと群がるのは、妹に傾倒する見目麗しい青年達。
彼等が背を擦り、立たせ、その手を目元から外すたび、はらり、と美しい黒髪が彼女の肩から零れた。
……茶番。何という茶番。
ただひたすらに寒気と怖気がする。
え? 何かしら、この子達本気でやっているのよね??
頭の痛い思いを扇子で隠し、幾重にも繕った仮面の下で溜息をついた。
――ここは学園の卒業式、の後の国王陛下主催のパーティーである。その式は王妃殿下、並びに王太子妃たるこの私。
私の名はウィロウ・レイラ・クレール。
先王の第一王女にして、今目の前に泣き崩れる少女、シエンナ・アドルフィルの義姉である。
何故先王の娘が現王の子息の妻になっているのかという疑問については、後述しよう。まずは目の前の問題をかたずける必要があるのだから。
「――…アドルフィル伯爵令嬢、ティーツリー侯爵令息、セラフィナ子爵令息、グロス商会子息、直答を許します。何をなさっておいでかしら」
直答を許す。
その言葉に青年達はいきり立ち、シエンナは涙目も忘れてきょとん、と目を瞬いた。
「え……? お姉さまと私は姉妹でしょう? 直答の許可なんていらないわ」
~~っ、い る の よ !
夫人はどんな教育をシエンナに施したのやら……。頭の痛いことが増えた。
けれど、それが分からないのが商会子息とシエンナである。
「そうです、殿下。いくら殿下が嫁がれたとはいえ、元々姉妹なのですから」
……姉妹仲良く、とでも?
気苦労の絶えない貴族だ。姉妹仲が険悪であるなどよくある話。
嫁がれた?
ええ、嫁いだわね、公爵位持ちで。王族から王室に入っただけだわ。
端から、丸眼鏡を押し上げてそう言う彼に、周囲の野次馬、基衆目が天を仰いだ。いえ、淑女は精々額に扇子を当てる程度だったけれど。酷い方だと、震えて扇子を取り落としておいででしたけれど。
……大丈夫かしら。
それを諫めたのは、侯爵令息だ。
……今更ながらに思ったけれど、全員、父君はそう重役ではないのね。良かったわ。
「キーツ、殿下とシエンナは共に暮らした時期が少ないからね、仕方ない」
ギザな仕草で、肩口迄の髪を掻き上げる。
……あらまあ、そうね。
自分と恋に酔うお年頃よね。でも、王太子妃よ? 仮にも元王女よ? 仕方ない、だなんて、それはいただけないのではないかしら。
「じゃーさ、シシーと殿下は、これから仲良くしていけばいーんじゃない?」
随分と緩……のんびりした調子でそう言うのは、気性にたがわず三枚目そうな子爵令息。
父君は外交をなさっておいででお家を明けていらしたようだし……あら、お母君が遠くで卒倒しておいでねえ。介抱に向かわれなくてよろしいのかしら。
「クリス! 良い事を言うのね! お姉様、どうかしら……? っ、その、お姉様が私のことを、その……」
もじもじ、とグローブに包まれた指先を、シエンナはすり合わせた。
ええ何かしら。せかせかするのは好きではないのだけれど、あまりのんびりしていては社交は務まらなくてよ?
「私、と、あの……」
「シエンナ、大丈夫だよ」
「妃殿下はお優しいと評判だ」
「シシーは好きなようにすればいーのさ」
にこり。
「私、ね……! お姉様と、仲良くしたいの!」
一世一代の告白、とばかりに、シエンナは目を瞑り、手を組んだ。涙の滲んだ目元や、引き締められた口元は、それだけ見ればとても愛らしい。
……のだけれど。
「……アドルフィル伯爵令嬢、わたくしは寸劇を繰り広げよと言ったのではなくてよ」
扇の裏で失望の溜息をつけば、わざとらしくシエンナは肩を震わせ、子息たちは臆面もなく憤る。
バタバタと誰かの倒れる音と、寸劇、に対する失笑が響いた。
それに構わず、商会子息が私に噛みつこうと近付いてきた。顔は憤怒に染まっている。
「殿下ぁ! 如何な、如何な殿下とは言え、妹君にそのような……! シエンナが、貴方のためにどれだけ悩んだ事か……っ、御存じないのですか!」
知るか。
「そっ、そうです殿下、シエンナはただの王族となっても、雲上人となった貴方を慕い……幾度となく枕を濡らしていたのですよ!」
……いや、何であなたが知っとるん? ……こほん、領地の方言が。でも、貴族令嬢の寝所に入ったのよね? ほらお聞きなさいな、皆さん騒めいて……。それ、当回しな婚前交渉を公言しているのと同じよ?
それに続くように、子爵令息が声を上げる。
「なのにあんた! 何で実の妹をそんな扱いできるんだよ!」
まあ、のんびり屋の仮面の下には、熱血のお顔があったのねえ。……後、は……。
「お姉様……っ、そんな、そんなっ、失望しました!」
……いえ、失望したのはこちらよ?
パチリ、と音を立てて扇子を閉じる。ゆっくり、ゆっくり閉じられていく様は、それはもう見ごたえがあるのだろう。一段一段、五段ほどの階段を、細身のドレスを捌き下りる。
「アドルフィル伯爵令嬢」
「は、は……い」
「貴方は今日、学園を卒業なさった。そうね?」
「は、はいっ」
「おめでとう、お祝い申し上げるわ」
「っ、お姉様!」
シエンナの双眸が、キラキラと輝く。夢見る乙女のような、嬉しそうな顔だ。先程の悲鳴は何処へ行ったのやら。
でも、ごめんなさいね? 先に謝っておくわ、もちろん心の中で。
「ならば今日から、一人前の大人ねえ。ああ素敵、社交界が楽しみよ?」
「そ、んな、お姉様に、そんな」
――褒めていただけるだなんて。
立ったまま、頬を染める彼女に、私はただ、うっとり微笑み返す。衆目が息をのむのが、手に取るように分かる。
――許すのか。
――どうするの?
――殿下はお優しくていらっしゃるから。
――ああでも駄目よ。そんなのいけないわ。
――だってここは社交界。
――ああそうだ、厳格な秩序がある。
――我らが父たる陛下の社交場。
――…さて、どうなる?
炯炯と、輝く眼が一対、煌びやかな光に紛れた。
それはそれは、峻烈なまでに冷やかな色。良く見慣れたそれが今、こちらを向いている。厭わしくて、慕わしくて、……どうにも、憎い。
そのまま、気分も良く陶然と私はシエンナに歩み寄る。
その手を取って、シエンナは学生たちの中央へ躍り出た。ぱ、と幾何学模様の床の上、優雅に回って私は手を離す。
「先達から、卒業生に薫陶を授けましょう。ええそう、社交界を渡り歩くためのものよ。ご存じの事も多いと思うけれど、それは許して下さいな?」
陛下や、妃殿下主催とは言え、だ。お二人は忙しい。この場は私に任されている。それはもう一人の仕切り役である夫、レクス・エレン・クレール公認。
彼は私のやることに口を出さないのだもの、ならば、非礼にならない程度に色々とやるべきよね。
ゆったりと微笑んで、一つ一つ指折り数える。
「――まず、大前提として。下級貴族の方は、より身分の高い者の声掛けを待たなくてはいけませんわ。それより先に口を出しては、手打ちにされてしまうこともありますもの。……ああ、そう今日から。今日からよ?」
クスクスと茶化すように笑って見せれば、淑やかな笑いが。
一部が青褪めているけれど、まあ、感受性が高いことねえ?
「第二に、挨拶を交わして、直答を許されたなら。うふふ、そうね、まずは相手方の質問に答えなくては。折衝なら駆け引きも宜しいけれど、それ以外ではこれも相手方の眉を顰める行いですね」
ふむふむ、と紳士淑女が真剣な顔で頷く。真面目な子達だ。一部を除いて、青田刈りもいいかもしれない。
「第三に。社交の場で、養子に言った兄姉に馴れ馴れしく声をかけてもいけませんわね。ああ、その逆もしかりよ。嫁いだ、婿に入った、などと言った場合にも適応されます」
既に嫁いだ人間がいるのか、さっと青褪める者が半分ほど。
あら、ちらりちらりととなりがきにされているようだけれど……さて。
「これらを破った場合、社交界からつまはじきにされる事がありますから、よく気を張って頂戴ね。勿論、今日から。……そう、我が国の飼う雀達は、どうにも優秀なものだから、ね?」
くふくふと哂えば、皆笑い出す。さて、隣で震えている小鳥たちは、これから、どうなるのか知らねえ?
先代国王は、現国王の実弟にあたり、不祥事を起こした兄にかわって王位についたものの、若い身空で御隠れになられた。それが私の父だ。
崖から馬車が落下し、お父さまは即死。お母様は苦しみ抜かれてなくなった。
そこで問題となったのが、王位。国家の長の座を、長々と空けておくわけにはいかない。しかし当時、私は7歳。お父様に宛がわれた、側女の子であるシエンナに至っては5歳。
如何に私が聡明と謳われようと、法律に基づき、王位を継承する事は叶わなかった。そこで臣下が担ぎ上げたのが、現国王――かつてのシェド公爵だったのだ。
彼が起こした不祥事というのは、何の理由もなく己の婚約者――のちの私のお母様――を排し、何の理もなく子爵令嬢を婚約者に据えたいと申し出たこと。
無論祖父である当時の国王の琴線に触れ、ならば己がその罪補って見せよと。そう言って辺境へ廃されたのである。ただ、一代限りで次代よりは伯爵位に繰り下がるとはいえ、破格の対応だった。
冷血漢と呼ばれたおじいさまも人の子で、人の親だったのだと、そう言わしめるほどに。
……伯父様が廃されたのち、辺境を治める次第となったのは、他の思惑あってのことでしょうけれど。
端的に言えば、まあ贄だったのね、あの方。
孫には甘かったとはいえおじいさま、王は国家と民の奴隷ぞと、そう仰って憚らなかった明け透けながら厳格な方だったもの。
まあ兎も角、仔細あって伯父様は王位についた。無論臣下達は伯父様を中継ぎとしてしか見ていなかったのだし、伯父様ももとよりそのおつもりだった。……けれど、そこで欲を出したのが王妃だ。
……まあ、あら。あのひとを伯母様と呼ぶつもりはないわ。無論お義母様とも。だって……お母さまを一度でも悲しませたのだもの、私が生まれるきっかけを作ったからって、そう簡単に赦せるとでも?
こほん、話がそれた。
兎も角彼女は、自身の子を次の王にしようとしたのね。でも、けれど宰相や諸々、まともな重役は、もちろん靡かなかった。
そこで彼女が頼ったのは、そう。悪いご朋友。数の暴力というものがある。
彼女は下級貴族を唆し、黒い噂の絶えない貴族を言いように手駒にした。そうして、どんなお上手な手を使ったのか、彼女の子は見事、王太子位についたのだ。
勿論伯父様はなんとかそれを覆そうと、宰相閣下以下面々とご尽力なさった。それが決定した折には私の離宮にわざわざ足をお運びになって、頭を下げられてお出でだったし、私の両親の墓前で涙を流して、土で汚れるのも憚らず膝をついていらした。
他の重鎮皆様方も、わざわざ官位一つ持たない小娘にお詫びにいらして下さった。出来得る願い事ならば、常識の範疇で叶えると言い添えられて。
ええ、あの方たちは、良く良く誠意を尽くして下さったわね……。
それで、私が望んだのは宮廷での然るべき権力と領地だった。小さくても構わない。領地持ちの貴族であれば、幼くとも社交は必須。
兎に角、当時の私は少しでもあの女、……ごほん、王妃に一矢報いる手段が欲しかったのよね。
それだけしていただければ、私の名を、常識の範囲内で使っていただいて構わない(意訳:迷惑はかけないで)と伝えた。
結局私は伯父様のシェド公爵位を継ぎ、辺境へ身を引いた。このまま離宮に留まれば、私自身が厄介ごとの種となるのは明白だったからだ。
――そして、王太子妃の位は、それが裏目に出る形となった、目に見える証拠。あろうことか、どこからかその確約を聞きつけた王太子、ルクス・エレン・クレール(母親と違ってまとも)が、婚約者となるよう申し入れをしてきたのだ。
彼は盲目な母親と違って聡明で、どちらかと言えば穏やかな気質だった。5つ上の彼を、幼い頃は“あにさま”と呼び慕ったものだ。
曰く、ルクスの血は王として民を治めるには弱い。というより、貴族を従わせるには弱いのだと。それを元より承知の貴族達はルクスに自身の娘を売り込み、挙句寝所へ忍び込ませるなどもしている。できるだけ皇位の貴族も黙らせたいため、形だけで構わないから婚約を結んでもらえないだろうか。それも非公式で。
頭の痛い内容だった。
書状、召喚状は全て国王経由。本人から数文、書き添えられてはいたが、非公式、つまり形だけ。――そうなれば約束の範疇に十二分に収まってしまうのだ。さらに追い打ちをかけるかのごとく、数日後、宰相たちから書面が届く。父の愛した国が壊れる? それは許容できない。
この時はまだ、私は純粋にあにさまと慕う心のままだった。
*
『皇帝陛下に拝謁いたします』
『久しいな、シェド公』
『は、皇帝陛下に置かれましてはご機嫌麗しく。……それで、書簡の件についてですが』
参内した私に掛かる声は、昔と変わらず負い目のあるそれだった。
『すまない、この通りだ。全ては私の不始末ゆえ。私が隠居する折には、すべて持っていこう。だがいましばし、国の為と思って……』
伯父さまは、私と会う時、たとえ玉座の間にあろうと玉座には座らない。そして必ず、亡き父の形見を、座面に置いていた。
私とて、王族の義務を忘れたわけでは無かった。けれど公爵位を賜った折から、暫くは領に注力するとしてそれを果たしてこなかったのだ。
『……陛下のお下知とあらば、従わない道理もありませんでしょう』
『ならばっ』
『わたくしも王族。なればその責務、王侯貴顕に生まれた定め、果たさせて頂きますわ』
玉座に向けて膝をつけば、伯父様が絞り出すような声で一言、すまないと。
そのまま、二人の間に落ちた長い沈黙。それを遮ったのは、重苦しい蝶番の音だった。
『ルクス・エレン・クレール。お召により参上仕りました、陛下』
それが暫くぶりに聞く、従兄殿の声だったのだ。
彼は私を見止めると、僅かばかり目を開いたが、それだけだった。陛下の御前であるし、構わなかったのだけれど。
「よくきたな、レクス」
「……お召との事でしたので」
涼やかな声が、耳朶を打つ。
最期にあったのはいつ頃だっただろうか。そう考えて探れば、あの、父が死んだ年以来だった。それは面影しか残らない筈だ。
内心で感心していれば、二人の視線がこちらを向く。
「ウィロウは了承してくれたぞ」
「っ、そうですか。姫君、礼を言います」
「いえ、殿下の、国のお役に立てるなら」
凪いだ銀鏡は、かつての柔らかさを継いではいなかった。淡々とした返答と、見せかけだけの仮面は、あの頃なかったものだ。
「それから、もう私は姫ではありませんので」
「……そうですね、ではどうするべきか……」
姫君、という呼び名を固辞すれば、困ったようにレクスが眉を下げた。二人して考え込むのに、伯父様が声を割り入れる。
「仮とは言え婚約者だ、ファストネームでいいだろう」
それが落としどころだろうか。
「では、ウィロウ嬢と」
「わたくしは、レクス殿下と」
そう言って、確かめて。
特に違和感がないことには、あまり驚かなかった。叔父様が、「硬い……」と呟いたのは聞こえないふりをして、そちらへ向き直る。
「それで」
「父上、他にご用は」
甘い、空色の髪が揺れる。銀が繊細に飾られた円管の髪飾りが垂れさがっていることに、その時初めて気がついた。
そんな私に気付かず、咳払いをした伯父様は、もう用はないから、二人で宮廷内を散策でもして来いと仰った。
大方、楽屋雀に噂させるためかしら。
流さるる儘、乞わるる儘。
ふわりふわりと、特に何かを口にするでもなく、庭園を歩く。正直、王妃には会いたくない。殿下に王妃の面影はないし、特に忌避感はなかったけれど。
「…――幼い頃はよく、こちらにおいででしたね」
ポツリ、と降って注いだ言葉に、私は目を瞬いた。
「え、え……。ここは、お母さまのお気に入りでしたから」
眩しい。嘗ての幻覚が浮かぶようだった。
「貴方は生垣よりも小さくて、侍女たちが苦労していた。その度に私が駆り出されて、何て我が儘な姫君だろう、と」
青天の霹靂だった。咄嗟の事に息を詰め、そして平静を装う。
「……まあ、初めて聞きました」
「ええ、初めていいましたから。あにさま、あにさまと慕われるたび、私は貴方を嫌いになりました」
空を見上げて、溶け込むような頭を振って。彼は訥々、語り始める。何故、婚約を思い立ったのか。
「姫君、と呼ぶたび、貴方が嬉しそうに笑うたび、嫌悪が募った。妹君を慈しむ声が聞こえる度、反吐が出る思いでした。貴方は私より恵まれていたでしょう? 父に母に、周囲にも」
答えはしない。だって私は知らないから。
「……わたくしは、貴方を慕い、憎んでいたのでしょうか」
「申し訳ないが、分かりません」
即答に、コロコロと私は笑った。でしょうね、知っていたら怖いですわ、と。それさえも眉を顰められるので、優しい“あにさま”像が崩れていく。
でも、その言葉を聞いている度、ふつふつと沸き立つ黒いものがあった。煮詰まったそれは、もう何なのか見当がつかない。
それでいて、他人事のような重み。
「小さな憧憬は、いつか思慕になって。
――心の奥に残ったそれは、幻想の恋になって。かつての父との約束を違えた時芽生えた澱は、今のお言葉を聞いて、どうやら憎悪になったらしい」
どこか面白く思って、くつり、喉を鳴らす。
すると、急に視界が反転した。
ぽすりと音がして、草や土の香りがじかに感じられる。
「――黙って。貴女の声は、やはりひどく耳障りだ」
端正な顔立ちが、どこか泣きそうに歪んでいた。
「……他の令嬢との婚約も、何度か考えましたが、私は貴方に抱くこの、嫌悪と愛執以上の感情を、どうにも懐けそうにない」
――それが酷く、忌々しい。
噛みつくように首筋に埋められた顔に、私はくすくす笑いを上げた。
「ふ、ふふふ、あらいやだわ。奇遇な事に、同感ですの」
「なら、」
「ええ。――婚姻を、結びましょう」
その日は、彼の髪のような空が澄み、私の瞳のような、薔薇が咲き誇る日だった。
*
それから婚姻はトントン拍子で進んだ。
伯父さまは卒倒しそうな顔で私に頭を下げていらした。宰相たちは胸を撫で下ろしていた。何でも、レクスが父のような女性に捕まらなかったことが喜ばしく、肩の荷が下りた思いだったらしい。
婚姻後も、相変わらずお互いの想いは変わらない。外では仲睦まじい夫婦を演じているものの、内では酷く疎遠な中だ。
ただ、婚姻という形で互いが互いを捕まえているので、特に違和感はなかった。
――そんな中で。
「――シエンナを、社交界から追放する?」
随分とおかしな話が舞い込んできた。追放も何も、シエンナはまだデビュタントを果たしていない。
「ええ、まあ、未来でだが、シエンナ・アドルフィルとその実母、リリア・アドルフィルの素行不良、という形で社交界から追い出したいんです」
……つまり、それは表向き、という事だろうか。
「本命は」
「……賢しいことだ」
「誉め言葉だわ」
「ふぅ……。シエンナ・アドルフィルは、リリア・アドルフィルがどこぞの馬の骨とこさえた子でした。即ち叔父上の子ではないらしい」
随分と、王室を侮ってくれたものだ。
珍しくポーカーフェイスを崩したレクスは、あくどい表情で笑み鳴らした。
一方私は愕然としていた。
品行方正、大和撫子を地でいく夫人だったはず。それが不貞行為とは。
「ただ、元王族のゴシップは避けたい。そこで社交界追放という、事実上の抹殺を企てました。宰相殿が」
「……ざっくりね」
「ええ」
どっさりと渡されたのは、彼女の通う王国最高学府における素行、並びに成績。
その全てが呆れ果てたものだった。
まず、シエンナの代は生徒が多い。シエンナは、血筋はどうあれ、王女として生まれたのだ。お近づきになりたい家は五万とあり、その五万が王女出征に合わせて子を産んだ。二学年下までが、王女のご学友となる為に生まれた子である。
そしてその殆どが、シエンナから声をかけられたことがあるらしい。
曰く、友人にと壊れて、宥めたら泣かれた、だの。
実技で負かしたら「お姉様に訴えてあげます」だの。
上位貴族に粉をかけ、王女だったと泣き崩れていた、だの。
分かりやすい醜態という醜態を詰め込んだ資料だった。その上成績は褒められたものではなく、王女、をいつ何時も振りかざす。
……身分偽証で罪人にしてしまえるのでは? それにお姉様って、私のことよねえ。あの子、どんな記憶力をしているのかしら。
というか、その記憶力でこの成績って……。
徐々に目が死んでいく私を、面白そうに眺めていたルクスは、それで、と切り出した。
「引き受けて、貰えるだろうか」
「ええ、できるだけ穏便に、自然に。貴族社会の澱みにはご退場願うわ」
元々、妹だからかわいがっていたのだ。妹ですらないと分かった今、彼女を目にかける理由がない。
この際伯爵への支援も打ち切ってしまいましょう、そうしよう。
「――…と、いうのが今回のことの顛末よ」
優雅に私が紅茶を啜れば、呆れとも感嘆ともつかない声が、四方から零れる。
「なんというか、えげつないですね、殿下」
「あら~、わたくしは妥当だと思いますけれど? けれどまあ、うふふ~、シエンナ嬢は大変ですわねえ」
「待って、姫様主観だから目立ってないけど、ルクス様も相当えげつないことやっておいでですよね、それ」
「……ウィーさまがいいなら、私は何でも」
上から、宰相子息ジーク様。
その婚約者サリー様。
頭を抱える近衛オルド様。
私の可愛い側近ウィーチャ。
もう直ぐ、中核を担うことが確定している人材である。
「というか、婚約云々のところはただののろけでは?」
ジーク様の言葉に、ウィーチャがひゃっと飛び上がる。
「ジークさま、駄目、それ、禁句……」
「あら、単語で切ってはだめじゃない、ウィーチャ」
にこにことウィーチャの髪を梳けば、沈黙を保っていたレクスが、酷く禍々しい気配を出した。うふふふ。
「のろけ、か。のろけ、ね。……ジーク、丁度魔物の討伐要請があったんだ、逝きますか?」
「ひえっ、それ駄目な方の字!」
怯えた声を上げるオルド様を懐柔、基、宥めるために、努めて優しい声を出す。そしてそっと、レクスの腕に手を添えた。
目が極寒ねえ。
「まあ、駄目よレクス。文官が手を潰してはいけないわ」
「い、嫌な予感……ウィーさま、やっぱり怒ってる……?」
「てか前提!」
手が潰れる前提っておかしい! 姫様捕食者の目えしてるし!
まあ、若鳥の騒々しいこと。
とここで、サリー様がおっとりと声を上げた。
「あの~、お命だけは勘弁してやってくださいな」
「サリー…!」
感動したようなジークさまは苦労性ねえ。この後きっと、爆弾が落ちるのだ。
「種がなくなっては血が繋げませんもの~」
ブフッ!!
「サリー⁉」
「サリー嬢、ちとそれは……」
「サリー様、真昼間」
次々と呈される苦言に、私やサリー様は首を傾げた。大問題よ?
「……ふむ、一理ある。という訳で、執務3倍で手を打ちましょう」
「「「「はああああ!?」」」」
絶叫が、秋の青空に轟いた。
もう、内容ごちゃまぜ。私にしては珍しくシリアス薄目。いや、出してないやつのシリアス感がえぐくてですね、ちょっとあれな頭で書いたあれな作品です。皆様、何か? あれは……あれは、頑張ってます!