1
「いやーいつもありがとうございます!」
そう貫頭衣姿でもみ手する男に、何でもないといった感じで言う。
「ただの狩りだから」
「いやいやいやいや」
事実、ただの狩りだった。この山の周辺で猪が群れで暴れていて、狩人にも死人が出ていると聞いたので、さぞ食い甲斐のある大猪か物の怪かと思って来てみたら、ただの猪。群れ丸ごと瞬殺だった。たまには猛き闘争としゃれ込みたいものだと虚しくなった。
だが、男はそれを謙遜と捕らえたようで、もみ手する速度が上がる。
「あれ程の大猪! 『お猫様』でなければどだい無理でございますよ!」
冗談かと思ったけれど、男の斜め右後ろに立つ青年もうんうんと頷いている。
「そっか」
この技術レベルの人間には強敵なのは間違いない。
何せ、麻か何かで出来た貫頭衣は、村長とそれに連なるものが特別な日にしか着ることの出来ない特別な品なのだ。
そんな品を何故男が着ているかって? そりゃあ私が『特別』だからだ。
「いつも通り、一番大物の肝臓と心臓だけ頂戴。あとは村で分けて」
「はい! そうさせていただきます! 勿論、森羅万象への感謝を忘れずに!」
「よろしい」
男の言葉に満足する。こいつの曾祖父の代に教えたことは、今も根付いているようだ。
約束通り肝臓と心臓を受け取り、『収納』に仕舞うと、日の暮れないうちに森へと戻る。再現しただけの安全靴は木の枝に貫かれることなく、黒のパンツや黒のTシャツ、黒のロングコートのどれも枝や下草に引っかかることが無い。むしろ、四本ある尻尾が頭の上の耳と連動してご機嫌に揺れてぶつかる位だ。
初め、自分が猫になっていると気が付いた時、夢だと思った。だけれども、腹も減れば眠くもなる。餓えて仕方なしに虫を食べ。諦めがついた頃鼠を狩り。襲ってきた鼬を狩ったこともあった。
そうやって必死に生きることしばし。何時しか、人に化けれるようになっていることに気が付いた。服が黒一色以外に出来ないのは不満だが、それより不満なのは少女にしか化けられないことだろう。元男としてはかなりきつかったが、数えるのも馬鹿らしい程季節が過ぎた頃には諦めがついた。どうせ使うことも無いし。
まだ諦めのついていなかった頃、住んでいた森に人間が来た時、私は自分がいる時代が古代だと悟った。というのも、彼らは獣の皮を縫った服に、石の斧や石器の槍で武装し、靴も皮という原始人スタイルだったのだ。おまけに行水の習慣も無かったのか、凄く臭かった。
そんな彼らと交流し、行水の習慣を根付かせてしまった時、私はあることを決めた。
彼らの文化、技術に干渉しない、と。
私の、二十一世紀の日本を生きた知識は、彼らを容易に変えてしまう。おまけにこの身は妖怪変化の類。それが干渉したとして、果たしてそれは良いことなのか。
結局のところ、私は怖かったのだ。素朴な彼らが変わってしまうのが。だが、こうして交流を続けているのは、寂しいからなのだろう。
何せ、妖怪変化はあまりいない。だというのに、たまに出会えば弱っちいのに矢鱈と好戦的。手加減しても一撃死とか止めてくれよと。
そんな妖怪変化よりも弱い人間達が、最近争い始めた。原因は、米だ。西より伝わってきたこの穀物は、栽培するのに豊富な水が必要だが、団栗よりも保存しやすいとあっという間に広まり、結果水を求めて村々が争い始めた。その裏には、食料が安定して得られるようになったことで人口が増えた、というせいもあると思う。
力を求める人々が、妖怪変化と手を組み始めたと聞いても、不思議では無かった。
「おい! ここはオイラのムラだ!」
漁の盛んなある村に来た時、若い鼬の妖怪にこう言われた。まだ人型にはなれないらしい。
「そう」
私は無視して、この周囲で暴れていた狼の群れ五匹を担いで村に入る。
「こら! 無視するな!」
キャンキャン騒ぐ鼬を放置して、いつもの村長の家へと向かう。いつもは私に手を振る村人達は、どこか気まずげに視線を逸らしていた。ただ、誰もが貫頭衣を着ている。かなり豊かになっているようだ。
この村で一番大きい縦穴住居の村長の家の前に着く。気配からしてこの中にいるようだ。
「村長、いる?」
「これはお猫様!」
村長は後ろめたげに驚き、もみ手しようとした手を、鼬を見て止める。目の横に皺が寄っている。歳を取ったなあ。
「お久しぶりですな」
「ええ、久しぶり」
気まずげにする村長に、いつものように言う。
「これ、暴れてた」
優しく狼の骸を地面に置き、続ける。
「いつも通り、一番大物の心臓と肝臓は頂戴。あとは村で」
「…………」
複雑な表情を浮かべる村長に、鼬が言う。
「こんな奴に何もやる必要は無い! だってオイラがこのムラのカミだからな!」
何を言っているのだろうこの鼬は。
「カミ? ならあなたがこいつらを狩れば良かったのに」
「なにおう!」
激高する鼬に畳みかける。
「人型にもなれない。『力』もそんなに無い。なのにカミ? そう名乗るなら、せめてそれなりのことをしないと」
「はあ?」
鼬は小馬鹿にした様子で言う。
「カミってのは他のムラのカミと戦うのが仕事なんだ。それ以外のことなんて、どうでもいいね」
「それでいいの?」
私は、村長に尋ねると、苦々しげな表情を村長は浮かべた。
「……そっか」
でも、私は人間に干渉しないと決めている。これ以上は彼らの問題だ。狼の骸を『収納』し、村長に背を向ける。
「じゃ、また今度」
「ええ、また」
なんとなく、もうこの村長とは会えないだろう、と思った。
「え? 肉は? どこにやった!?」
鼬の声が、鬱陶しかった。