丹鶴子(たかこ)
初めて投稿します。連作短編です。
文体は研究中。とりあえず完結を目標にしています。
「どういうことだか、こちらが何を言いたいか、わかってるよね?」
本部長が威圧的に口を開く。腕組みし、足まで組んで、ソファにふんぞり返りながら。
本部長の他局長や課長、所属施設の施設長と長の付いている人達が、私を取り囲むように座っている。
その中では蛇にニラまれたカエルのごとく下を向いて押し黙るほか、できることはない。到着早々意見を求められた際、目尻を下げ口角を上げていつもの笑顔で私論を意見したところ「全く反省の色が視えない!」と、すごい勢いで怒られたばかりだ。
「長野さんはどうしたいのかだけでも聞かせてくれないと。黙ったままじゃ時間のムダなんだよ。」
本部長が睨みとドスを利かせて告げてくる。えっと、ここ、老人介護福祉施設の運営本部ですよね?なんちゃら組的な、アウトローな組織じゃないはずですよね? そう言いたいのをグッとこらえて本部長の眉間を見据える。
「私は辞めたくありません。職種が変わっても残りたいと思っています。」
声は少し震えていたかもしれないが、毅然と聞こえるように発言した。だがはったりは相手に全くダメージを与えられなかった。
「自分がしたこと解って「辞めない」なんて言ってるの? 長野さん宛のクレームなんだよ? 誠意はどうやって見せるんだよ!」
恫喝だよ!これ、絶対恫喝だよ! 最初の「自分が」から最後の「見せるんだよ!」まで声がクレシェンド的に怒りのトーンで上がってますよ! 大体「誠意」って、政治家でもないんだから退職することが「誠意」とは思えませんよ、私は。
「苦情に関しては受け入れますが、事実無根の内容です。先方に謝罪して済むのであれば、私自身が役所へ出向いて謝罪してまいります。」
「君が謝罪して済む問題じゃないんだ!役所からのクレームなんて前代未聞。創業から今まで一度もなく委託事業を行えてきたのに、長野さんのせいで今まで築き上げた信頼は崩壊してしまったんだよ!その責任をどう取るつもりなのか聞いているのに、「辞めません」なんて責任を取る気がないんだろう!」
……呆れてきたよ、もう。じゃあどんな責任の取り方があるのか、具体例を提示してくれよ。
私 長野丹鶴子 37歳は、特別養護老人ホーム内で 介護支援専門員 いわゆるケアマネジャーをしている。といっても施設内のケアマネジャーではなく、施設内にブースがある独立した、地域の方を利用者とした居宅介護支援事業所の居宅ケアマネジャーだ。
居宅ケアマネのお仕事は、要介護・要支援認定者のケアプラン(介護の計画書)作成、介護サービス利用に伴う担当者会議などの日程調整・事業所調整や利用者を訪問してのサービス利用の聞き取り調査、その他保険者(区市町村)からの委託にて行う、介護度を決めるための認定調査が主な内容だ。他にも利用者に関わることを行った際は必ず毎回「支援経過記録」を書かないといけないし、毎月1回のモニタリングも記録しなければいけない。また担当している利用者が一人暮らしならば、行政サービスも利用を検討し、本人同意のもと手配をしたり、家族同居の利用者ならばその家族の愚痴を聞きつつ、プラン変更が必要かどうかも検討していかなければならない。さらには現場を知らない日本政府が勝手に「地域包括ケアシステム」(簡単に言えば、国でもう介護関係のお金出せないから、区市町村の中だけで面倒みてよ。特養とかも作る金がないから、自宅で介護者も被介護者も楽になるようにしてよね、という他力本願なシステム)とかいって、地域に在宅で安心して介護ができる環境を整えるように指示しちゃったもんだから、チームケアとして主治医に挨拶やら様子を聞きに行ったりやらしなきゃいけない。医者は自分で動いてくれないし、忙しいので、こちらが主治医に都合を合わせるしかないのだ。
ぶっちゃけ、電話・訪問・記録・調整だけが居宅ケアマネの業務内容なのかな。利用者に「電球替えて」と言われれば替えの電球さえあれば替えるし、「ガスが点かないのよ」と言われれば元栓が閉まってないかとか調べるけどね。
しかも困ったことに、ケアマネのマニュアルは全国統一ではないので、その地域・事業所によってやり方が違う。
区市町村から委託を受けて行う認定調査は、74のチェック項目とチェックの理由を記載する特記事項があり、特記は短ければいい、というところもあれば長く詳細に書いてくれという役所もある。
私は前に居た事業所の管轄区役所が詳細に書け派だったため、今の職場でも長々と細かく特記事項を記載していた。読むのは大変だけど、介護度が上がるか下がるかがかかっているんだから、という思いも個人的にはある。
今回問題となったのはその認定調査についてのクレームだった。いや、認定調査後の役所からのお取調べに対してのクレームだった、が正解だ。
認定調査はチェックと特記事項を記載した指定の用紙を保険者である役所の介護保険課に送る。そして介護なんかしたこともない介護保険課の職員がそれを読み、わからないところや辻褄の合わないところを、こちらに電話で問い合わせてくる。前いた事業所でも今の事業所でも「お取調べ」と言っていた。
役所は仕事をくれるところなので、逆らってはいけない。たとえ調査対象者の介護度が現在よりも更に下がるようなことになろうとも、逆らってはいけないのだ。
私の場合、調査対象者の家族に「要介護で出して欲しいんですよ」とか「要支援だと今のデイサービスに通えなくなっちゃうんですよ」とかうっかり調査時に聞こえたことを記憶しており、なんとか介護度を上げるか、少なくとも現状維持できるように特記事項を記載する。実際、調査対象者が「どう見ても要介護でしょ」ということの方が多く「私が決めるわけではないのですが、できる限り善処します」と返答してしまうので、特記が長々となってしまうのだ。
今回の調査対象者は視力のほとんどを緑内障と白内障で失っており、耳元で大声で話さないと聞こえないくらいの難聴を患っていた。一人暮らしだが大学教授の息子やどこかの介護施設長の娘がおり、交代で介護に当たっている。対象者本人も相当に勉学に励んでいたらしく、自立心は半端なく強い。だから見えてなくても昔取った杵柄で手紙も書くし、指に何箇所も切り傷をつけてでも調理をする。聞こえなくても音は外れているが歌だって歌えるのだ。
そのことがお取調べに引っかかった。介護保険課いわく「文字が書けるんだから本当は見えているはずだ。昔覚えた歌を歌えるということは聞こえているはずだ。」
威圧的に、取調べ尋問のように、3回ほどこの言葉をループされ……うっかりブチ切れたのだ、私は。いわく「先天的なものならともかく、加齢によるものなのだから、文字を書けたのは手が覚えているんでしょう。全盲の書家だっていますよ。聞こえない人は絶対に喋れないということでもないでしょう。」と……。
いつもなら「はい。はい。すみません。お手数おかけします。」などと逆らわない私がいつもよりも強めの口調で冷静に言ってやったのだ。裁判ゲームならプレイヤー弁護士の私が「異議あり!」と言って、相手検事が負けるような状況だ。
時遅しとは思ったが、「あなたに逆らった訳じゃないんですよ〜」と言わんばかりに、「この件は介護認定審査会で協議してもらうことはできませんかね〜」と追従するように伝えると、「もう結構です!このまま審査会に提出しますから!」と向こうがブチ切れ、私が「よろしくお願いします」と言っている途中でガチャリと電話を切られてしまった。それが所属施設を通り越し、本部へのクレームとなったとのこと。しかも「長野さんがいきなり逆ギレして、乱暴に電話を切られた!」というクレームにすり替わっていた。
そんなクレームがあったことなどつゆ知らず、次の日仕事に来た私に「本部に一緒に行って」と施設長や課長に引っ張られるように連れてこられた。本部に到着して、呼ばれた理由もわからないまま30分間もネチネチ、クレーム入れられた、お前の責任だ、給料泥棒だ、まともに仕事ができていないんだよ、などなど思いっきりパワーハラスメントな言葉を聞かされ続けている。そのおかげで朧げながらそのクレーム内容で呼び出されたのか、と判った訳だが。
しかもこれ、退職勧奨っていうか、もう少しつついたら退職強要になって、労働法違反で本部が一番困る事になるような状況ですよ。あー、録音できないのは痛かったなー。急なことだったからスマホすら持ってきてない。
で、まあ「辞めない」と冒頭の部分に戻る訳だが、ブチ切れて額に血管が浮き出ている本部長を局長が制した。
「長野さんの意向はわかりました。今後どうするかについてはまた追ってお知らせします。もう1時間も経ってしまいましたから、配置転換も含めて施設長と課長で協議してみてください。本部でも考えておきますので。」
ふっくらとした外見の局長のやわらかな物言いは、場の空気をそよ風のようにかき混ぜて落ち着かせた。局長はこの場のヒエラルキートップだからだ。
ボウっとしたまま職場へ戻り、早退することにし、その足で労働基準監督署へ行った。
労基の職員さんも「これ今日1日であったことですか!?」と驚いていた。まあ、そうよね。
そして心療内科の予約を取り、「うつ傾向・適応障害」の診断書を発行してもらった。
もういいや、と思った。あんな職場にしがみつく必要はない。違う仕事しよう。
そう思って終業間近の職場に電話をかけた。休職したいと伝えた。診断書もあると。「やめます」と言わなかったのは、早まりたくないのと、会社が私に対してどういう判断をするのか知りたかったのと、徹底的に原因究明したかったからだ。自己満足で、自分で自分を傷つけているかもしれなかったけど、構わなかった。
休職に関しては後日回答をもらうことになり、しばらく有給で休むことになった。
早く自宅に帰りたかった。
思う存分眠りたかった。
何も考えたくなかった。
帰宅すると玄関前で福井健が待っていた。
彼は初めて会った時と変わらない、屈託のない笑顔で私を迎えてくれる。
「おかえり。言っていたより早かったね?」
曖昧に笑い、部屋へ彼を招き入れた。
「今日さ、鍋にしようよ。材料持ってきた」
彼が言い終わらないうちに、彼の胸にしがみついた。彼の胸でしゃくりあげて泣いた。泣きながら「ごめん。」と謝った。
健は私の頭を撫でながら優しく抱きしめてくれた。私が離れるまで、そうしていた。
ちょうど10年前に私たちは出会った。健は14歳の中学生だった。当時の彼の苗字は山口だった。
学校の「職業体験」とやらで私の職場に来た。そして私は指導役だった。
当時私は理学療法士として、老人保健施設のリハビリ担当だった。
「運動が好き」という理由で、将来活かせる職業を体験する、という趣旨だったように思う。
3日間の職業体験で、私は彼に良い印象を与えていたらしい。正直私は「早く終わらないかな〜」と思っていたけど。
自分の仕事に加えて、実習記録も書かなくちゃいけなかったから、面倒だったというのが本音。
次に会ったのは、彼が17歳の高校生の時。
学校のボランティア活動の一環として、特別養護老人ホームに来ていた。
私は理学療法士から介護職へ転職し、介護福祉士資格を取って特別養護老人ホームの生活相談員として勤務していた。
当然私は彼のことを思い出すのに時間がかかったが、彼は私のことをしっかり覚えていた。
相談したいことがある、と話されたのでプライベートな相談には乗れないことを伝えた。が、彼は同級生や先生には相談しづらいから、と半ば強引に約束を取り付けてきた。
次の日が休みだったので、その日の夕方駅前のコーヒーショップで会うことになった。
相談内容は「母一人で育ててくれている。だからバイトしようと思うが、母がいい顔をしない。どうすれば良いか?」
いい子だな、と思った。下手したらマザコンになりかねない可能性もあるけれど、自分でその可能性を潰そうとしているし、早いうちから社会に出て自分を磨くのはいいことだ、とも思った。だから「あまりいかがわしい内容でなければバイトをするのはいいんじゃないか?お母さんにはバイト内容の詳細と、もらった給料をどう使うのか毎回報告する条件を出してみてはどうか?」と答えた。だが、彼は「ありがとうございます。」と返しながら、少し落ち着かない様子。不思議に思っていたら
「好きです。」
ボソリと聞こえた。
聞き間違いをしたかもしれないと思い、「ごめん。もう一回。」と聞いた。
「好きです。長野さんにとって俺は子供だと思うけど、恋愛対象として付き合ってください。」
今度ははっきり聞こえた。
私は男性と恋愛関係のおつきあいをしたことがない。
片思いは何度かある。異性の友人もいる。だが、こと恋愛になるととてつもなく臆病になる。
私の両親は不仲だった。世間でいう「毒親」だと思う。
恫喝と暴力で自分の所有物たる家族に言うことを聞かせたがる父。
父に逆らうこともせず、自分の理想を子供に押し付け、勝手に期待だけしている母。
当時の私は「この胸糞悪い家から自由にしてくれる人なら誰でもいい」と思っていたが、だからなのか好きになった男性が少し声を荒げるだけであえかな恋心は霧散した。当然告白するまでに至らなかった。
その後、不仲なくせに「世間体」のため、私が家出同然に一人で暮らし始めてから福島県へ移住していった。父の父(祖父)がなくなり、跡取りとなったためだ。
両親と離れたのは本当にスッキリした。ああ、これで自由だ。お父さんみたいな人とは恋愛も結婚もしない。お父さんみたいな人に縛られるくらいなら、一人の方がマシだ。
だからなのか、一人暮らしを始めてから恋愛スイッチは入らなかった。父のような人に言い寄られないよう、メガネにすっぴん、ひっつめ髪で通していた。「ブス」だと思って欲しかったし、タバコも吸って「我の強い女」だと思われたかった。仲の良い男友達に「隙がないし、手を出したら面倒臭そう」と言われた時は嬉しくて舞い上がりそうだった。ああよかった。私は間違っていなかった。一人で暮らすことで私は私自身の力で自分を幸せにすることができることを学んだ。自己中と言われようが構わなかった。
生活相談員の職についてからは化粧もし、タバコもやめた。もともと好きで吸ってたわけじゃない。化粧は面倒だけど。ずっとすっぴんでいたからか、25歳を超えても肌は衰えていなかったので、軽くファンデーションを叩くくらいで十分だった。
そんな私に今この男の子は「好きだ」と告白してきた。
なんの間違い?ドッキリ?いや、ドッキリを仕掛けるメリットが全くない。少し混乱しながらも口を開いた。
「ごめんなさい。私はあなたのことをよく知らないし、たった2回しか会っていない。」
「俺は一目惚れです。職業体験の時、優しくしてもらったからっていうのもあるけど。あの時から、長野さんのこと、好きでした。断られるのはわかってました。」
「うん。気持ちは嬉しい。本当に嬉しい。でもね、私もう30なの。山口くんは16?17歳でしょう?こんなおばさんを相手にしなくても、もっと可愛い子が同級生とかに」
「年齢じゃない。俺は長野さんの優しさと寂しさに惹かれた。寂しさは俺が取り除きたかった。こんなこと言うとマザコンみたいに思われるのわかってるけど、俺の母に似ているんです。外見じゃなくて、言動が。母の寂しさは俺たちじゃ埋められなかった。だからって母の代わりとかじゃないです。うまく言えないけど」
うん。お母さんがわりじゃないのは、伝わる。食い気味にこっちの言うことに反論してくるから言わないけど。
互いに視線を外し、コーヒーを飲んだ。もう随分温くなっていた。
私は条件を出した。
私よりも学業を優先すること。
アルバイトをするならお給料は自分の家族優先で使うこと。私は貢がれなくても生活できる。
大学に行くなら卒業まで会うのは昼間だけにすること。
そして、怒鳴らないこと。暴力を振るわないこと。誰に対しても。
彼はこの条件をのみ、互いの連絡先を交換した。これからデートを重ねながらお互いを知っていこう。そう約束した。
「あ、まだ条件足していい?」
「え?いいけど……飲まなきゃ連絡先消して、とか」
「まあ、そうなるかな?あのね、お互い「嫌だ」と思ったことはその場で言うこと。変な噂を聞いたとかも。誤解と思い込みは怖いからね。それからお互い今以上に好きな人ができたら、きちんと報告して別れること。」
「長野さん以上に好きになる人なんかいないよ。」
「私はいるかもしれない。(今までいなかったんだからこれからもいるとは思えないけど。)それにお付き合いしてみて、山口くんが想ってくれてる以上に私は山口くんを想えない可能性もある。」
「あ……。はい。そうですよね。俺、自分のことしか考えてなかった」
「それはいいの。これは人生の経験値の差だから。と言っても、恥ずかしながら恋愛関係って初めてなので、よろしくお願いします。」
「俺も、初めてなので。よろしくお願いします。」
お互いにペコペコと頭を下げる。なんとなく笑ってしまった。彼も笑っている。少し顔が赤い。熱い。
コーヒーを飲み干し、駅で別れた。
それから何度かデートをした。3回目くらいで、お互いを名前で呼ぶようになった。
彼の言っていたアルバイトがモデルの仕事だと気付いたのは、告白されてから2年経った頃だった。彼は双子の弟と一緒に、駅の特大ポスターの中で薄い微笑みを浮かべていた。素敵なポスターだった。見惚れていたら、駅員がそのポスターを剥がし、3人の女子高生に渡していた。キャーキャー言いながら女子高生たちは嬉しそうだった。
「ケン様素敵すぎ!」
「ユウ様もいいよ〜!」
へえ。健くんは「ケン」という芸名でやってるのね。てことは弟くんは「ユウ」なのか。初めて知った。
お互いに家族の話はあまりしなかった。私は両親が今福島県にいる、ということくらい。健は母と双子の弟と一緒に住んでいるということくらい。名前も知らなかった。
この頃にはすでに健のことを本気で好きになっていた。異性として。だから年齢差がのしかかってきていた。
側から見れば「オバさんと甥」「オバさんとツバメ」。しかもモデルの仕事ができるほど健の外見は素晴らしい。
けれど身を引くことはできなかった。最初の条件は何処へやら。私は健以上に彼のことを好きになってしまった。
彼は優しかった。居丈高になることもなく、きちんと私の出した条件を履行していた。怒ることもなかった。彼の屈託のない笑顔だけが、私の中にあった。
「丹鶴子さん!」
改札の向こうで、健が笑っていた。ポスターとは違う、太陽を思わせる笑顔。
「待たせちゃった?ごめんなさい、ケン様」
「え?なに?ケン様?」
「女子高生が言ってたから。ちょっと真似してみました。」
「うわっ、もうそれ禁止!恥ずかしいんだよ・・・ありがたいとは思うんだけど」
「人気商売だもの。ま、もう呼ばないわ。安心して?」
漫画や小説、映画やドラマにはならない。穏やかな交際。お互いを尊重し、信頼しているからこその穏やかさなのかもしれない。
その次の年、彼は苗字が福井に変わった。そしてお母さんを亡くした。
その直後に私たちは初めて契りを交わした。お母さんの代わりでもよかった。
双子の弟くんはモデル業を引退し、健は非公開だったプロフィールを少しだけ公開した。私との関係は秘匿された。
「それさ、丹鶴子さん悪くないよね?」
健が作ってくれたキムチ鍋をつつきながら、泣いてしまった理由を話した。泣きながら「私は悔しかったのか」と合点がいった。そして怒っていることもわかった。
「丹鶴子さんが前からパワハラ受けてたのはわかってたし、訴えるなら弁護士紹介するよ?俺も証言するし。」
私は前からパワハラを受けていた。上司からあからさまな仕事外しと無視をされていた。地域包括支援センターや他の居宅介護支援事業所にもその話は広まっていて、研修などで知り合いから「長野さんとこの上司、よっぽど暇なんだね〜」と言われるほどだった。けれど健にその話をしたことはなかった。
「ごめん。なんでパワハラのこと知ってるの?私言ったことなかったよね?」
「丹鶴子さん、半年くらい前から異常にテンション高かった。あと、前ほど食べなくなってた。部屋も片付いてないことが多かった。……寝てる時に、泣いてた。」
ごめんなさい、きちんと仕事します、って言いながら泣いてたそうだ。
ああ、それはパワハラ疑うよね。
「今回の件はさ、その役所の人?パワハラ上司と仲いいんじゃないの?」
………………!!!!!!
「なんでわかったの?」
「そのくらい周りも巻き込んで丹鶴子さんを追い落としたいんだよ、その上司。理由はわからないけど」
言いながらビールをグラスに注いでくれる。
「想像だけど、利用者さんや他の事業所との仲も悪くないから、丹鶴子さんに取って代わられる、とでも思ったんじゃない?」
「でも上司の方が経験年数も長いし、人脈だって私より多いのよ?」
「俺のいる業界でも多いけど、自分が一番じゃないとダメな人間て必ずいるから。俺のいる業界はそうじゃなきゃ仕事もらえない部分もあるけど。ケアマネって、昔は「介護職のトップ」的なヒエラルキーだったんでしょ?」
……負うた子に浅瀬を教えられ。
「健の言うとおりかも。そうか。上司は職場のトップ的地位に固執してた、ってことね。」
「想像だけどね。で、訴える?」
ビールを飲みながらキムチや豆腐を食べる。健は料理がうまい。食欲なんてなかったのに、結構食べてる、私。
「……辞める。バカに付き合う時間が勿体無い。明日から就活する。」
「そっか。じゃあそろそろ締めラーメンにしようか。」
健は鍋に残っていた具材をいったん取り出し、水で締めたラーメンを入れる。一煮立ちしたら取り出した具材を入れ直す。
「健、ありがとう。なんかすごく久しぶりにしっかりご飯食べてる、私。」
「どういたしまして。じゃあ、俺からも報告ね。連続ドラマ、決まりました!」
「! 本当に!? おめでとう!」
最近健はモデルだけではなく、舞台に立つようにもなっていた。ドラマなら私もTVで毎回見られる。
「じゃあ、TV買うね。録画用の機材も。」
「丹鶴子さんとこ、TVないのが良かったんだけど。」
そう言いながら嬉しそうに笑う。
ちょうど転換期だったのかな?
嫌な思いもしたけれど、いいことだってちゃんとある。
私たちはグラスのビールで、改めて乾杯した。
ケアマネの仕事内容はほぼ記載通りのはずです。間違いがあれば訂正いたします。