赤く染まる写真
夏休みまっただ中。
深夜零時過ぎ。
俺はスマートフォンから写真を印刷していた。
サークル仲間で海に行っていたのだ。
仲間、と言っても4人しか海には行ってないのだが。
プリンターから写真が出てくる。
なぜ今時写真を印刷するのか、そう思う人も多いと思う。
データがスマートフォンに残っていればいつでも見れるではないか、確かにそうだろう。
だが俺は気に入った写真を印刷する。
前にスマートフォンが故障してデータが吹っ飛んだ事があるのだ。
あれほど悲しい思いをするのはもう嫌なんだ。
「……ん?」
写真の一枚に異変があった。
「なんだ、これ……」
その写真は、赤く塗り潰されていた。
鮮血を思わせる、目が覚めるような、赤。
こんな写真、撮ったか?
しばらく頭を悩ませていると、
「ぃっ!?」
勝手にプリンターが動き始める。
間違えて印刷開始を押してしまったのか?
今までと違う、軋んだ音を立てながら、写真が出てきた。
「……?」
見た事がない写真だった。
写真は印刷前にすべて眼を通している。
その上で印刷しているのだ。
俺を含めて四人が写っている写真。
日が落ちた浜辺でふざけあって笑いあっている、思い出の一枚。
「っ!」
その写真が異常だと認識し、呼吸が止まった。
加藤 志穂
サークル仲間のうちの一人の周りが、ぼんやりと赤く染まっていたからだ。
赤く染まる写真
俺、大宮 和人は寝不足でぐったりしていた。
「おっはよ〜、およよ?」
「おはよ……」
「どうしたん和人?」
「……寝不足でさ」
今日は夏休み中だがサークルに顔を出しに来た。
志穂が来ることは分かっていたので、印刷した写真を渡す。
勿論、あの写真は入ってない。
「ほらよ……」
「おー悪いねえ! ありがと!」
「今時写真欲しがる奴も珍しいよな……」
「思い出に、だよ! 後でお礼すっからさ!」
ニコニコ笑いながら志穂は写真を鞄にしまう。
「俺、もう帰るから……」
俺が寝不足な理由、それはあの写真だ。
あの後、俺は写真を破いたのだ。
ビリビリに、細かく、これでもかと。
しかし、叶わなかった。
かってにまた印刷がかかるのだ。
プリンターから同じ写真が出てくる。
電源を切っても、コンセントを抜いても、出てくるのだ。
恐ろしかった。
誰かに冗談だと言って欲しかった。
仕方なく、写真を机に置いておくしかなかった。
「あー! あたしも! これ貰ったら帰るつもりだったんだあ」
そう言って志穂は俺の隣を歩く。
他愛もない話をしながら、大学の外に出た。
「ねー和人、ここずっと工事してるね」
「……ああ、なんでもビルを作ってるって話だな」
「ほー、だからあんなに高いんだあ」
来た道を、戻って行く。
小さな公園に差し掛かる。
建設予定のビルの横の公園だ。
「あ! あたしちょっとトイレ行きたいかも! 待っててくれる?」
「……いいけど」
学校ですればよかったのに。
と思わないでもないが、急を要したのだろうか。
仕方なく、公園外で待つ。
「……?」
ズボンのポケットに違和感を感じた。
何か、入ってる……?
薄っぺらでちょっと硬くて……
「ヒッ!?」
あの写真だった。
なんで!? どうして!?
確かに机の上にっ……こんな所にあるはずがない!!
震える体でやっとの思いで写真を見る。
「っ! 志穂がっ!?」
赤の色が強くなり、志穂を塗り潰していく。
見ている間にも、少しづつ。
「なんだ、これっ! どういうっ」
「おっまたせえ! ごめんねえ和人」
志穂が公園の奥から戻ってくる。
写真の志穂は、もうほとんど……
その時だった。
カロン……
遥か彼方、上空から金属がぶつかる音。
「っ!?」
大きな鉄の骨組みが、降ってくる。
志穂めがけて、真っ直ぐ。
「志穂! 逃げろお!!」
志穂に影がかかる。
「え?」
グチャッ。
一瞬の出来事だった。
「し……ほ……」
俺はその場に、膝をついた。
少し離れた俺に、血が飛んだ。
志穂は肉体の破片と臓物を巻き散らかし、その場にじわじわと大きな血だまりを作っていた。
むせ返る生々しい血の匂い。
「ぅ、えッ」
濃すぎる、濃密な匂い。
吐いた。
胃の中が空っぽになっても、胃液を吐き続けた。
近くを、人が通りがかる。
「きゃああああああ!!!!」
女性が悲鳴を上げる。
俺は、声をあげる事が出来なかった。
恐る恐る見た写真は、志穂が完全に、真っ赤に染まっていた。
*****
その後、俺は警察の事情聴取を受けた。
志穂は、事故死と言う事になった。
現場はブルーシートに覆われ、救急隊員が志穂を運ぶさい、鉄骨をどかした。
皆が皆、呻き、中には俺の様に吐いたようだった。
志穂がどうなったか、考えたくない……
それから、写真の事、言おうかとも思ったが、結局やめた。
どうせ、信じてもらえないだろうからだ。
頭のおかしい人扱いを受けて終わりだ。
マンションに帰った頃には日はすっかり落ちていた。
俺は、部屋に入ったものの現実を直視出来ず、玄関でぼおっと突っ立ていた。
ぴろん。
びくりと体を震わせる。
スマートフォンにメッセージが届いたようだ。
震える体で、それを開く。
やっほー和人!
いつも連絡くれるのに今日はしてくれないの?
ちょっとさびしいよ。
恋人の佐藤 美香子だった。
海へ行った四人の中の一人。写真にも写っている。
美香子とはあの写真を撮った海岸で付き合い始めたのだ。
付き合い始めて、まだ日は浅い。
そんな場合じゃ無かったんだよ!
俺は美香子に電話をし説明した。
今日大学で志穂に会った事、その後の志穂の事、事故の事。
「志穂が死んだってっ……冗談でしょう!?」
「嘘じゃない! 俺だって嘘だと思いたい! でも目の前で見たんだよ!」
「……本当、なのね」
美香子は半信半疑ながらも俺の事を信用してくれた。
「和人、あなた大丈夫?」
「っ、大丈夫なわけがっ」
「明日、会えない? 志穂の事、詳しく聞きたい……」
「美香子……」
「それに和人の事も、心配で……」
志穂と美香子は仲の良い友人同士だった。
突然事故で亡くなってしまって、気にならない訳がない。
俺は、それ以上何も言わずに頷いた。
結局俺は何も食べずに風呂だけ入って寝る事にした。
写真の事が、一瞬、頭をかすめた。
志穂が真っ赤に塗り潰された瞬間、志穂は死んだ。
再び見るのが恐ろしかった。
くしゃくしゃになった写真は、机に置いてある。
見たくない。
が、志穂が死んだ原因がこいつにあるなら?
いや、あれは完全に事故だった。
俺は目の前で見た。
「……」
写真を見た。
「ぃっ!?」
心臓が掴まれたかのように錯覚する。
心臓が激しく脈を打つ。
「うっ! げぇっ!」
トイレに駆け込み、再び吐く。
ひとしきり吐いた後、未だ混乱し痛む頭を掻きむしる。
なんだ!? なんだ!? なにが起きているんだ!?
写真の美香子が赤に染まり始めていた。
*****
待ち合わせ場所のカフェまで来た。
一睡もできなかった。
あの写真ばかりを見ていた。
見たくないのに、見てしまう。
「和人!」
「美香子……」
「……大丈夫? 顔色悪いよ?」
「眠れなくてな……」
先に来ていた美香子の隣に座る。
「志穂の事、ニュースで見たよ……」
「ああ……」
「本当だったんだね」
俺は、志穂とどんな話をしたか、どういう様子だったか、事細かに伝える。
元気だった。
あの日、死ぬような人間ではなかった。
それが……何故……
美香子は俺の話を黙って聞き、話し終えると涙を零し始める。
「志穂……っ、可愛そうにっ」
俺は、泣いている美香子に寄り添う。
それだけしか出来なかった。
「和人、ありがとう……」
「お礼を言われることは、別に……」
「ううん、思い出すの辛かったでしょ? ごめん」
「美香子……」
俺は、結局話せなかった。
ポケットに入っている写真の事を。
美香子を無駄に怖がらせたくなかった。
「……私、もう帰るね」
「送るよ」
すっかり気落ちした美香子は一人になりたかったのだろう。
わかるよ……何も考えたくなくなるよな。
駅に着き、電車を待つ。
美香子の家はここから二つ先の駅が最寄だ。
ビーッ! ビーッ!
耳に残る警告音。
快速電車はこの駅には止まらないようだ。
「和人、志穂の事、忘れないようにしよう」
俺は俯く。
本当は忘れたい。あの生々しい事故現場。脳に響く血の匂い。
「ね? 和人」
「………分かった」
「ありがとう」
美香子は笑顔になった。
快速電車が、もうすぐ目の前を通り過ぎる。
ドン
美香子が前に、線路に向かって倒れ始める。
「え?」
美香子と、目が合った。
「美香子!」
ドチャッ。
美香子が居た所を、電車が通った。
電車が警笛を鳴らし、ゆっくりと止まる。
「ヒッ、み、か……」
手を伸ばしたが、間に合わなかった。
じっとりと汗をかく。
「ハッ、ハッ、ハッ」
呼吸が荒くなる。
目から涙が溢れる。
「うぐぁっ、うわあああああああああああああ!!!!!!」
叫び続けた。
*****
夜、玄関でぶっ倒れる。
ぼおっと壁を見続ける。
何も考えたくない。
美香子が、死んだ。
警察は、事故か、自殺かで捜査を始めているようだ。
事故の場合、真っ先に俺が疑われたが、監視カメラの映像があったため、無罪放免となった。
「……」
監視カメラには、何も映ってなかった。
美香子はあの時何かに背中を押されたはずだった。
でも、その誰かが映ってないのだ。
美香子が、自分から、電車に向かって行っている。
そうとしか見えないそうだ。
また、目の前で人が死んだ。
重たい気分になる。
二日続けて?
こんな偶然、あるはずが……
寝返りを打つ。
その時、ポケットに違和感を感じて、凍り付く。
写真……あの写真……まさか……
ポケットから写真を引き抜く。
見たくない! でも、見ないと……見たくないっ……
震えながら、写真を見る。
「ひぃいぃいッ!?」
美香子が、真っ赤に塗り潰されていた。
偶然じゃない!?
どういう事なんだ!? 次は……
「健二っ!」
次は俺の友人、田中 健二だった。
俺は慌てて、健二に連絡した。
「健二! 今何してるんだ!?」
「和人? どうしたんだ、慌てて……」
「良いから答えろ!」
「……部屋で一人でいるけど?」
「今から泊まり言って良いか!?」
「はあ? 別にいいけど」
「今からすぐ行く!」
「は? ちょっと待て、」
ぶつりと一方的に通話を切る。
そのまま家を飛び出して、健二の元へと急いだ。
*****
健二は、写真を睨んでいた。
俺は健二に事のあらましを何も隠さず話した。
志穂の事美香子の事、包み隠さずすべて。
「お前はこれを、呪の写真だとでも言いたいのか?」
「そうとしか思えねえだろ!」
「非科学的だが、お前は嘘がつけないからな……信用するよ」
実際に二人が死んでいる。
健二が口を開く。
「何か原因があるんじゃないか?」
「原因……?」
「この写真を撮った時、または前後で何かしなかったか?」
思考を巡らせた。
思いつかなかった。
「健二は何か思いつくか?」
「うーん……これを仮に、幽霊の仕業と仮定して……」
「……まさか!」
「お前も気が付いたか、和人」
俺達は、肝試し感覚でとある廃墟を訪れていた。
訪れた者が不幸になるとの触れ込みで、いたずら半分、興味半分だった。
懐中電灯片手に、屋敷を探索した。
もう帰ろおーよぉ
そう言っていたのは怖がりの志穂。
結局、全ての部屋を探索したが、何もなかった。
一部屋だけ、開かなかった部屋があったが、それなりに満足して帰って来たのだ。
この写真は、そのすぐ後に撮ったものだ。
「不幸になるって噂は本当だった、ってことか?」
「そうなんだろう。そして、次に死ぬのは俺の様だ」
「っ、どうしたらっ」
「思い出せ、和人……噂では不幸になるだけだった。何か理由があるはずだ」
思いつかない、いくら考えても、思いつかなかった。
もしかしたら志穂か美香子が知っていたかもしれない。
でも、もう二人はいない。
健二が立ち上がる。
「行くぞ、和人」
「っ、どこへ」
「廃墟だ」
「そんな! 此処に居たほうがいい! 安全だ!」
「どこにも出かけずに一生ここに居ろと言うのか? 無理な話だ」
「健二!」
「幸い俺にはまだ時間がある。最後まで足掻いてやるさ」
そう言って健二は荷物をまとめ始める。
「っ、俺も行く」
「ほお、付いて来てくれるのか」
「お前の次は、恐らく俺だ。ならどうにかしないと」
俺達は、朝一番の電車に乗って廃墟に向かう事になった……
*****
港町に着いた。
暑い潮風がねっとりと肌を舐める。
もう夕方だ。すでに日が落ち始まっている。
昼には到着予定だったが、途中人身事故があったらしい。
そのせいで電車が遅れ、乗ろうとしていた特急に乗れなかった。
災難だ。
俺達には時間がない。
写真を見る。
写真の健二はすでに半分程赤に埋もれていた。
よく見ると背景も赤くなりつつある。
予定ではホテルにチェックインしてからだったが、変更してこのまま廃墟に向かう。
「いい場所なんだがな……」
海沿いの道を歩きながら健二が呟く。
「そうだな……」
楽しい旅行だった。
俺は美香子と言う彼女が出来て……最高の思い出だ。
どうしてこんなことになったのだろう。
数十分歩き、問題の写真を撮った浜辺に到着する。
目的の廃墟は、この先の崖の上にある。
その途中、
「あんたたち!」
老婆に声をかけられた。
「あの廃墟に行くのはおやめ」
「……何故?」
「肝を試すなら違う場所にいきなさい」
もう一度、健二が問う。
「何故?」
「あそこには悪霊が住んでるんだよ」
「……悪霊?」
「そうだ、誰かが起しちまったんだよ!」
「おばあちゃん! その悪霊の事詳しく教えてくれない!?」
俺は叫んだ。
この死の連鎖を止めたかった。
老婆は言った。
悪霊は一人ではない、何十人、いや何百人もの集合体だと。
その悪霊は、とてもさみしがり屋で、取りついて殺した人間を側に置くそうだ。
永遠に、逃れられない。
始まりは一人の人間があの廃墟で自殺をしたところから始まったらしい。
「悪い事は言わん、今はやめた方がええ」
「誰かが起こしたって、誰が?」
「そんな事は分からん。大きな音でも立てたんじゃないか?」
「!」
血の気が引く。
「和人?」
「忠告はしたぞ! 後は自分たちで決めなされ」
老婆は杖を突きながら立ち去って行く。
体が、ガクガクと震え、立っていられなくなる。
「和人! どうしたんだ」
「……の、せいだ」
「和人?」
俺は、思い出した。
「俺のせいだ……」
俺は、屋敷の一番奥、開かなかった扉を思い出す。
四人で無遠慮に屋敷を探索し、とうとう最後の部屋にやってきた。
「この部屋で最後かな」
「和人お、帰ろうよお……」
志穂は怯えている。
そんな志穂を美香子と健二は励ます。
「大丈夫よ志穂」
「そうだ、科学的に考えて幽霊など存在しない」
「なあんで三人は平気なのお?」
最後の部屋も探索し終え、帰る事になる。
その時俺は、もう一部屋ある事に気が付く。
「ここまだ行ってなくね?」
「えっ!? もういいよお、帰ろうよお」
ドアノブを押したり引いたり。
「開かねえなあ」
「和人っ、ホントにっ」
「誰か入ってますかあ!?」
悪ふざけだった。
大声を上げながら、俺は何度もドアを叩いた。
志穂が怖がってビクビクしてるのも面白かった。
「おーい!! もしもーし!」
「和人、そこまでにしておけ」
健二にそうたしなめられて、
「わあかったよ、ちぇっ」
最後にドアを蹴っ飛ばした。
健二が言う。
「確かに、そんな事もあったな」
「俺がっ、二人を殺したんだ!」
「落ち着け、和人」
「俺がっ俺があっ!!」
健二に頭を殴られる。
「っ! 健二?」
「お前が自己嫌悪に走るのは勝手だがな、俺はどうなる」
「健二……」
「一人より二人だ、和人。手伝え」
健二にそう叱責され、震える足で前に進む。
生き残るんだ。
そう決意して。
*****
すっかり日が落ちた頃、俺達は廃墟に着いた。
廃墟は、崖の上にある洋風な建物だ。
来た時と同じく、暗く重たい空気を纏っている。
「……行くぞ」
健二がそう言い、敷地内に入って行く。
まずは庭から調べて行く。
庭には鬱蒼とした木が何本も生えている。
何十年と手入れしていない庭は、無法地帯だ。
恐らく原因は最後の開かなかった部屋にあると見ている俺達は、そこまで調べずにどんどん進む。
「ん? 待て、和人」
先を進んでいた健二が足を止める。
「どうした?」
「誰か居た」
「……えっ?」
健二は、人影を見たと言う。
俺には全く見えなかった。
「こっちだ」
健二は早足に進んで行く。
「ちょ、健二」
俺は木の枝に前を塞がれつつ遅れて健二の後を追う。
……開けた場所に出た。
目の前には海、そして、細長い三日月。
いつもなら綺麗だと思える三日月も、誰かが笑っているように見えて不気味に思える。
健二が叫んだ。
「志穂!!」
耳を疑った。
「健二……?」
「良かった志穂! 死んだなんて嘘だったんだな」
健二は誰かと話していた。
俺には見えない誰かと。
健二に掴みかかる。
「健二、何言ってんだよ冗談キツイって」
「お前こそ何を言っているんだ? 志穂、元気で本当に良かった」
健二は、明るい志穂の事が好きだった。
もともと一匹狼なこいつがサークルなんかに入ったのは志穂の事が気になっていたから。
疑問だった。
家に籠るのが好きなこいつが率先して廃墟に行くだなんて。
健二は志穂の死を、認めたくなかったんだ。
「健二! 志穂は死んだ! 俺は目の前で見たんだ!」
「黙れ! ならそこに居る志穂は何だっていうんだっ」
「俺には見えない! お前が作り出した幻覚だ!!」
健二は頭を振る。
認めたくないと駄々をこねる子供の様に。
「っ、志穂?」
健二が何もない場所を見つめる。
俺には見えない志穂を見つめる。
「志穂! どこに行くんだっ志穂!!」
「健二っ!」
「志穂!!」
健二に突き飛ばされ、尻餅をつく。
健二は走る。
志穂を追って。
「待て! 健二! その先はっ!!」
健二の後を追う。
長く伸びた草と木の根に足を取られつつ、転びそうになりながら。
ようやく追いつく。
「志穂……帰ろう」
「健二」
「こんな所、怖いだろう。一緒に帰ろう」
健二が再び走り出す。
「志穂! 君がいないと俺はっ!!」
「健二待て! 健二い!!!」
健二の姿が、消えた。
「ああ……ああああああっ!」
健二は、崖から落ちていった。
もはや立てなかった。
四つん這いで崖に近付く。
恐る恐る覗き込む。
遥か下の方に海面が見える。
健二の姿はどこにもない。
崖から、ズルズルと離れる。
「健二っそんなっ」
ブルブル震えている時、写真の事が頭に浮かんだ。
ポケットに入っているくしゃくしゃの写真を震える手でつかむ。
「健二っ」
背景も健二の姿も、二人と同じように……
そして残った俺の姿は、もう半分程赤く塗り潰されていた。
震えていた足で立ち上がる。
もう、俺しか残ってない。
前に進もうとするが、足がすくむ。
「クソッ! 動け! 動けよ!」
太ももを何度もこぶしで叩いた。
やってやる、俺一人だけでも!
もう後は無いんだ!
俺は廃墟の中に足を踏み入れた。
ゆっくりと中を探索する。
目指すは開かずの扉だ。
場所はうろ覚え故、一つ一つ確かめて行く。
カタン
「っ!」
ほんの小さな物音ですら恐怖に戦く。
音のした方を咄嗟に振り向く。
「……?」
人影が見えたような気がした。
此処には俺しかいないはずだ。
気のせいか。
部屋を出て、荒れ果てた廊下を歩く。
タスケテ
振り向いた。
な、なんだ今の。
確かに声が……
次の部屋に入る。
……あった! 開かなかった扉だ。
タスケテ
幻聴じゃ、ない!?
振り向いた。
「ヒッ! うわあああああああっ!!!!!」
無数の赤く透明な手が俺に助けを求めるように伸びる。
タスケテ、タスケテ、タスケテ
恐怖のあまり俺は幻覚を見るようになってしまったのか!?
俺はその場に座り込んだ。
ひたすら助けを求める声に耳をふさぐ。
タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、
「うあ、うわああああああああああああああっ!!!!!!」
耳を塞いでも聞こえてくる声、声、声。
一人や二人ではない。
何十、何百の声。
体が、心が、精神が、押しつぶされる。
幻覚に幻聴、そう思っていたのに、赤い手が俺の頬に触れる。
ゾワリ
確かに、触られた。
「ぎゃああああああっ!!!!!」
叫んだ。
叫んだところでどうにもならないのは分かっていた。
でも叫ぶしかなかった。
「俺には無理だ! お前たちを助けられない!! 許してくれ!!!」
そう言うと、ぴたりと声はやんだ。
コロス
耳を疑った。
コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、
「やめてくれぇっ……」
座り込み頭を抱える。
逃げ出す事も出来ない。
背中には開かない扉がある。
来た道は戻れない。
俺は、ここまでなのか。
健二、美香子、志穂……
ふと、人の気配がした。
気が付くと声もやんでいた。
恐る恐る前を見る。
「美香子……? 健二、志穂」
三人が立っていた。
美香子の手が俺を指差す。
コロス
美香子がそう言うと、また沢山の人間にコロスと言われ始める。
健二も、志穂も、俺をコロスと言う。
三人はじりじりと迫る。
俺を、殺すために。
「っ! ああああ!!! 来るなあああ!!!」
必死で扉を開けようとする。
押しても引いても開かない。
「なあんで開かねえんだよお!!!! 開け!! 開いてくれえ!!!!」
ドアノブを何度も回す。
すると、
カチャッ
唐突に開いた。
俺は慌てて体を滑り込ませる。
扉を閉めて、カギをかけた。
「はあっ、はあっ、んぐ、ふ、はあっ」
粘ついた唾液を飲み込む。
浅い呼吸を繰り返して、ようやく、周りの状況を確認し始める。
「ふーっ、ふーっ……」
部屋は、黒かった。
床は真っ黒、壁も下から半分は黒い。
その黒は、何かが飛び跳ねこびり付いているように思える。
黒に触れてみる。
かすかに、血の臭いがした。
「っ!?」
まさか、血液だとでもいうのか!?
部屋を懐中電灯で照らす。
「ヒッ!?」
部屋の真ん中、天井から縄が垂れ下がっていた。
自殺で首つりに使われるアレだ。
瞬きをした。
「っ!!!???」
髪の長い女が縄の近くに立っていた。
もう一度、瞬きをした。
「いぃい!!??」
女が近付く。
瞬きは条件反射だ。
瞬きをしない事などありえない。
したくないのにしてしまう、女は近付く。
「ひいっ!」
女からは生気を感じなかった。
白い肌にボサボサの黒髪、着て居る物は色あせた着物。
「来るなっ! 来ないでくれえっ!」
帰ろうにもドアが開かない。
カギが開かないのだ。
女はもう、目と鼻の先。
女は俺の顔を覗き込む。
アイシテル
「っ! ヒッ!? ぐ、え」
女は、俺の首に手をかけた。
*****
「何だってこんな所に連れてきたのよお!」
「何って、肝試しだよ」
「ええ? お化け屋敷とかで十分だよ! ここガチすぎ!」
「いいじゃんいいじゃん、ちょっとだけ」
「もお……」
「……ん?」
「なあに? それ」
「うーん、なんか、赤い紙」
「どれどれ? 触った感じ写真ぽいね」
「ふーん……変な紙。って、何してんの?」
「写真撮ってるの!」
「あー……流行りの?」
「廃墟に肝試しに来ましたって、ね!」
「俺も一緒に映っちゃ駄目?」
「いいよいいよ! あたしの彼氏だもんね!」
「あざす」
「はい撮るよー」
バシャッ
「どんな感じになったかなあ」
「んー………え?」
「っ! なにこれっ」
「赤い手がいっぱいって」
「いっ嫌! 怖い!」
「うわあああああ!!!!!」
「先に行かないで! 置いてかないでよお!!!!」
タスケテ