有馬記念
競馬好きです。
楽しい競馬物語を書ければと思います。
某年、12月24日。クリスマスイブ。
関東平野部に今年最初の雪が降ったこの日、千葉県船橋市には17万人の人が集まっていた。
競馬の祭典、有馬記念。
その年に活躍した馬・人気馬のみが出走を許される競馬界のオールスター戦。
馬主、調教師、騎手、記者、そしてファン。全てのホースマンの夢の舞台である。もちろんこれまでたくさんの馬が『優駿』としてその名を刻んできた。
そしてその夢の舞台に、俺は初めて挑もうとしていた。
俺の名前は土芝謙一
競馬をやるために生まれてきたような苗字だが、俺の家系で騎手になったのは俺が初めてで父親も一般企業勤めのサラリーマンだ。そんな父が競馬好きで、俺も騎手になることになったんだが。
この日の騎乗は3鞍。午前中に未勝利戦を2回走ってどっちも着外。つまり両レースとも全然だめだった。正直俺は上手いジョッキーではない。
言い訳ではないが、俺は競馬学校を出てすぐ騎手になって3年。50歳過ぎまで現役の騎手が平気でいるような業界の中では、まだまだ新人も同然だ。
そんな俺が今日、有馬記念で騎乗する。
その馬はなんと1番人気。単勝オッズ1.0倍。100円賭けて的中しても、100円しか返ってこない。
これは間違いではない。それぐらい人気になってしまい、賭けが成立しなくなってしまっているのだ。
馬の名はミルキーウェイ。
3歳にして、桜花賞・日本ダービー・凱旋門賞を制した怪物。
何もかもを飲み込んでしまいそうな漆黒の馬体。まるで肉食獣のような荒い気性。
その強烈な末脚はまるで流星のよう。
変わった性格の持ち主で、わざわざ馬群に飛び込んで突破しないと気が済まない。生粋の喧嘩馬だ。
競馬をご存知ない方はどれほどすごい馬なのかピンとこないかもしれないが、日本競馬が始まって150年、日本馬が一度たりとも勝てなかった凱旋門賞を勝ったのだ。もちろんマグレではないことは、桜花賞・日本ダービーの勝利で証明できる。この二レースを勝つことだけでもとんでもない快挙なのだから…。
そんな紛れもない最強馬・ミルキーに俺はデビュー戦から乗り続けている主戦騎手だ。
一度も鞍上を譲ったことはない。
鞍上を変える話は何度も持ち上がった。
それはそうだ。歴史を変える能力を持った馬が、新人の騎乗で負けてしまっては取り返しがつかない。だが、この馬は他のジョッキーを一切背中に乗せなかった。
調教助手の女の子以外乗せることなく、デビューすら危ぶまれていた時、偶然その場に居合わせた俺を調教師が冗談半分で乗せたところ、すんなりと跨がることができた。原因は今でもわからない。
コンビを組んで早二年。
ミルキーと過ごした日々は夢のようだった。
全く言うことを聞かないミルキーと寄り添い、俺は一方的に夢を語った。
そしてその夢をミルキーが叶えてくれた。
今日のレースを最後に、ミルキーは引退する。その偉大な血を残すため、繁殖入りするのだ。
有馬記念の勝ち負けより、そちらの方がよっぽど気になったし、寂しかった。
だが俺は騎手だ。全てのホースマン達にの思いを乗せて、今日勝たなければならない。
選手控室で白いヘルメットを被り、鞭をしっかりと握った。
パドックには溢れんばかりの人。その視線の先にミルキーがいる。
俺はミルキーに跨がり、首筋をポンポンと叩いた。
いつもならば「私に乗ろうなど100年早い!」と言わんばかりに暴れまわりところだが、今日は違う馬のように落ち着いていた。まるで、自分の引退を悟っているようだ。
「ミルキー…お前らしくないじゃないか…」
俺はすでに泣きそうだった。
時間がきた。本馬場入場だ。
それまで我慢してたと言わんばかりに、17万人の歓声が爆発するようドッと湧いた。
地響きが本当の地震のようだ。
他の馬は驚いて暴れてしまっているものもいる。
そんな中ミルキーはビクともしない。モノが違う。とても3歳の馬とは思えない。
ミルキーに乗ってる時、俺は無敵だ。
ファンファーレが鳴り響き、ゲートイン。
1枠1番に誘導される。すなんりゲートに入り、扉開く
有馬記念がスタートした。
場内が一気歓声がどよめきに変わった。
ミルキーがロケットスタートを決め、先頭に立ったのだ。
一番驚いていたのは俺だ。
「どうしたんだミルキー…!?」
ミルキーは典型的な『追込馬』だった。
レースの終盤まで、じっくり我慢して、直線で一気に全馬を抜き去る戦法だ。
気性が荒く、ゲートもキレイに出ることが少ないミルキーにはぴったりな作戦で、
これまでのほとんどのレースが最後尾からのスタートだった。
それが、俺の指示もなく、ゲートを飛び出した途端に先頭にたち『逃げ』の体制を取った。
『逃げ』は最初から最後まで先頭を走る作戦だ。先頭を走るのは馬にとってペースが掴みづらく、意外と難しい。特に気性が荒いタイプの馬は暴走してしまうことが多い。
その為、場内は見たことのないミルキーの姿にどよめいたのだ。
ミルキーはグングンスピードを上げる。「逃げ」どころか「大逃げ」だ。
8馬身、9馬身、10馬身…みるみる他馬を引き離す。
「オーバーペースだ!」とヤジが飛ぶ。
だが俺の考えは違う。手綱の感触、ハミの噛みかた、ミルキーは自分のペースで走っている。これは暴走ではない。紛れも無く、ミルキー自身の走りだ。
すごく速い。もはや馬に乗っている心地ではない。風になった気分だ。思わず笑ってしまった。
「どこまですごいんだ…お前は…」
2500mの短い旅はあったり終わりを迎えようとしていた。
ミルキーが最後の直線に入る。ゴールまで300m。他馬との距離は20馬身以上。だが、ミルキーは止まる様子はない。もはやウイニングランも同然だ。
「ありがとうミルキー…本当にありがとう…元気なお母さんになってくれ…」
そう思った瞬間だった。
バキッ
音が聞こえた。その音はミルキーの体を伝って、俺の足に直接響いた感じがした。
そして、俺の視界は宙に浮いたようにひっくり返り、暗転した…。
この日、ホースマンの夢と希望が一瞬にして終わりを告げた。
あまりに劇的で悲劇的な最後。ゴール前100mでのことであった…
お読みいただきありがとうございます!
感想が誤字指摘などいただけますと幸いです。