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自己満足の芸術


 柳田国男の「病める俳人への手紙」に次のような一節がある。


 「俳諧を復興しようとするならば、先ず作者を楽しましめ、次にはこれを傍観する我々に、楽しい同情を抱かしめるようにしなければなりません。現在の俳句界などは修羅道です。どこにも世に疲れた者の憩い場はありません。それというのが点取り式の競争が、少し形をかえてなお続いているからだと思います。」


 柳田国男の言っているのは俳句についてだが、大体、これは現在の色々な事にも当てはまると思う。今回はこのラインから考えてみる事にする。


                        ※


 「お前のやっている事は自己満足だ」というセリフは、現在では非難的な言葉として考えられている。こういう言葉を投げつけられて「ありがとうございます」と言う人はまずいない。


 僕は芸術の根本は自己満足であると思っている。それが普通だと思っている。むしろ、「自己満足はよくない」という意見が普通にあるというのが一体どのような情勢から出てきたのか、興味がある。


 柳田国男に話を戻すと、柳田は俳句の即興性と、その場限りの愉しみを強く主張している。こういう事は歴史的にはよくある事なのだと思うが、プラトンの対話篇なども実際は、普通の賑やかな談笑という面がかなりあると思う。それが文字に書き起こされ、みんなで真面目に研究しだす事によって微妙に取り逃すものが出てくる。もちろん、研究しないと見えないものもあるが、行き過ぎると、当時の感情が忘れ去られる。俳句は硬く、形を守る事が主眼になり、主観的な愉しみ、ごく自然な愉しみといったものがなくなる。


 芸術というものの根本に自己満足がある、というのは単純な説だが、普通の意見だと思っている。というのも、誰しもがそんな所から始めるしかないからだ。アーティストがスタートを切る時期というのは非常に重要だ。最初、アーティストはとても人に見せられないレベルのものしか作れない。人に見せられない、下手くそな作品しかできないが、自分には静かな喜びを与える。この、自分にしかわからない静かな喜び、原初的な喜びを育て、やがてはその喜びを他人に分かち与えられるようになるのが本物のアーティストだと思っている。どれだけ売れていようが、そうしたものが感じられないアーティストは僕は良いとは思わない。


 しかし、その最初の喜びそのものが稀有なものか、あるいはあったとしてもすぐに消えてしまう類のものではないかと思う。純文学の作家を見ているとデビュー作から、三作目くらいまで、作者の感性が出た少し良い作品を書いていても、その後、すぐにお話を作るようになる。そういうのをよく見てきた。お話と今ここで言うのは、事実をうまくつなぎ合わせて、物語性のある作品を作るというようなものだ。具体的に言うと綿矢りさなんかが思い浮かぶ。確かに、技巧は増したのかもしれないが、同時に、自分の物の見方、感性は失われた。あるいはそもそも、彼らにはそんなものは必要なかったのかもしれない。


 アーティストは最初、下手くそな作品を作るといったが、これがうまい事もありうる。しかし、どんな天才であろうと苦労も苦悩もなく、オリジナルなものを作り上げる事はできない。すでにある規範をうまくなぞれた時、人はそれだけでその人を評価する。一方で、自分の内的な喜びを大事にして、下手くそな作品を密かにこしらえているアーティストは世間からは無の期間である。


 この無の期間に、密かに自分の方法論、物の見方、作品の作り方、そういうものを育てていくという事がアーティストにとっては大切なのではないかと思う。他人本意でやると、他人が嫌だと言った時にこちらも嫌になってしまう。突き詰めるべきは、自己の道を進む事は必ず他者の道に通じるだろうという信念だろう。そういう意味では、人間は例えひとりぼっちで無人島にいても社会的存在である事をやめられない、という哲学の言葉が思い起こされてくる。


 ラスコーリニコフの孤独もまた、どれだけ自分の孤独に籠ろうと、常に(架空のものを含めて)他者が侵入してくるという念入りなものだった。人間は極限の孤独の中にいても、自分の中に共同体を飼っている。自分の中の共同幻想に話しかけられるようになれば、他人にも話しかけられるようになるだろう。最初の、アーティストの静かな自分だけの喜びはいずれ、他者の世界へと開かれていくだろう。そう楽天的に信じても良いのではないかと思う。



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― 新着の感想 ―
[一言]  うーん、『創作をする意義』と『作品発表する意義』は、まったく違います。 前者は自分の為、後者は他者の為、でなければなりません。  ここにおいて、『自分の為の内容を、他人の為に(伝わるよう…
[一言] なるほど。芸術の道は自己満足から始まると言うのは納得です。特に創作に於いては、それなくしては続かないでしょう。何もないところから始めて、思惑通り形のある物に仕上がった時は、達成感が湧くもの…
2017/09/01 16:54 退会済み
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