6-2 赤い女
ニャルラトホテプに教えてもらった呪文により、あっさりと王都へと戻ってきたアルハード。時間としてはまだまだ早朝であるため、人もまばらである。
情報収集をするのは夜がメインになるので、日の出ている内からあまり派手に動くことはない。
とりあえず、昨夜自分が逃げ出した留置場がどうなっているのか確認するため、王都西部の走ってきた道を歩いて行く。
やはりというか、この格好はかなり目立つらしく、人々の視線が注がれる。
姿形は違うのだが、自身が犯罪者だという自覚があるため、どことなくソワソワとしてしまいそうになるが、ニャルラトホテプに堂々としなさいとお小言を貰ったためなんとか堪える。
留置所は多数の兵士が見張りをしていた。それどころか騎士まで出張っている始末である。
今は見た目が違っているので、見張りをしている兵士に話を聞きに行ってもいいが、物々しい雰囲気にそんなことをする気は起きず、物陰から様子を伺うに留めた。
(すごい数の兵士だな。騎士までいるし)
(アルは人気者ですね)
(こんな形で人気者になんてなりたくなかった……)
落ち込みながらも、これ程までに自分の行方を探し、警戒している兵士や騎士がいる場に留まるのは、どこか落ち着かないのでそそくさとその場を後にする。
本格的に動き出すのは夜からなので、広場で時間を潰すことにする。
相変わらず視線を集めるその容姿。当然の様にナンパをしに来る者達が後を絶たない。しかしこれ幸いにと呪文の練習をする。
本来これほど呪文を扱えば、人の身であれば魔力はすぐに枯渇してしまうのだが、アルハードは涼しい顔をしている。
このことにニャルラトホテプは驚いている様子が伝わってきたが、双方ともにそのことについては口に出したりはしなかった。
アルハードに声をかけて行った男たちは、少し言葉を交わした後、虚ろな目であったり、惚けたような顔になっていたり様々であったが、誰もが彼女の元から離れていった。
少々異様な光景であったが、アルハードは特に気にすること無く、夜に向けて準備を進めていた。ナンパ男達の相手はその片手間である。
アルハードが行っている準備というのは、ちょろそうな兵士をピックアップするというものだ。
夜まで時間があるため少々苦痛な時間かと思われたが、ナンパ男達のおかげでそんなこともなく時間は過ぎていった。
★☆★☆★
日が落ち始め、露店を広げていた商人たちが宿へと引き上げて行く。それとは対象的に、酒場には明かりが灯り、仕事終わりの男たちが談笑しながら集まってきていた。
さてと、それでは始めるとしますか。
昼間目を付けた兵士がいないか酒場を見て回る。
お金がないため朝から……いや、昨日の朝から何も食べていなかったので、空腹もそろそろ限界だった。一刻も早く昼間の兵士を見つけ出さねば、始めってもいないのに志半ばで倒れてしまいそうだ。
(腹が減った……)
(おおアルよ、お腹が空くとは情けない)
(なんじゃそら)
俺の呟きに対してナルが訳の分からない反応をするが、今は空腹感がやばいので、相手をする気も起きなかった。
ちなみに、ニャルラトホテプというのは長かったので、ナルと呼ぶことにした。本人も特に気にしていなかったので、そのままナル呼びが定着した。
一軒、二軒と見て行って、三軒目で昼間目を付けた兵士を見つけた。
都合のいいことに、カウンター席で一人で飲んでいた。どうやら連れもいなさそうなので、今日は彼に犠牲……協力者になってもらおう。
酒場に入ると視線が集まる。なるべく気にしない素振りを見せ、兵士の座っている席の二つ隣のカウンターへ座る。
ヒソヒソとした声が聞こえるが、たぶんいつもの陰口ではないだろう。今は姿形は違うし、あまり嫌な感じがしなかったので、気に留める必要はなさそうだ。
もし声をかけてくる輩がいるようなら、昼間のナンパ男同様お引き取り願うだけだ。
さて、この作戦は最初が肝心。今現在俺は無一文。ここで兵士に媚を売って奢ってもらう必要があった。それが出来なければ無銭飲食で再び檻の中だ。
クーデターで捕まって脱獄して、その後に食い逃げで檻の中とか嫌過ぎる……。
兵士はチラチラと俺の方を見ているので、脈はありそうだ。
とりあえず食事を摂らねば、店内に漂う料理の匂いが空腹感に更に拍車をかけてくる。
(さーて何食べようかなー)
ウキウキでメニューに目を通す俺に、ナルから待ったがかかった。
(アル、そんなにがっついてはいけません。落ち着きなさい)
(そんなこと言われたってなぁ、俺昨日の朝から何にも食べてないんだぞ)
(そうは言ってもあなたは今淑女なのですよ)
ぐぅ……それも一理ある。しかし小姑みたいなやつだな。
仕方がないので俺はマスターのオススメを注文することにする。支払いはそこの兵士さんだが。
「マスター、注文いいかしら?」
俺が呼びかけると、マスターは他のことをそっちのけで来てくれた。俺の顔に見惚れているのか、少しばかりだらしのない顔をしていた。
「はい、なんでしょう」
「マスターオススメの料理を一つ、それと――」
俺はカンターを乗り出して、マスターに耳打ちをする。
「それと、アルコールが入っていない、お酒に見える飲み物を頂戴」
囁く様にそう言う。いきなりの事にマスターがドキッとしたのが伝わってくる。
彼もいい歳だろうに、こんなことで顔を赤くするなよ。ほら、奥さんと思わしき人の視線が突き刺さってるぞ。
「え、えーと……」
俺の注文に困惑気味なマスター。当然その反応は予想していたので、考えていた言い訳を使う。
「ふふっ、わたくしお酒は飲めませんが、せっかくこんなに素敵な酒場ですもの、少しくらい雰囲気を楽しみたいわ、わかって頂戴?」
そのままウィンクをバチンとくれてやる。
マスターは一瞬クラっとしたのか、ややよろけるも、カウンターを掴むことによって転ばずにすんでいた。顔はさっきよりも赤くなっていたし、もはや目も合わせようとしなかった。
少々お待ちを! と言い残し、調理場に行ってしまった。
料理を待っている間に少しばかりアピールでもしておこう。
チラッと兵士へと視線を向けると、こっちをチラチラ見ていた彼と目が合う。にっこりと微笑むと顔を赤くして視線を外された。
(恥ずかしがり屋だな)
(ちょっと楽しんでますね)
(だいぶこの姿にも慣れてきたし、実際楽しいし)
ナルと雑談をし時間を潰すこと数分。芳ばしい香りが鼻をつく。
俺よりも先に注文を受けていた客のテーブルにまだ何もないことから、どうやら優先して作ってくれたらしい。ここまで贔屓されるとちょっと申し訳なくなるな。しかし今は目の前の料理だ。
メインは鶏肉の香草焼きだ。涎が垂れそうになる。しかし今は淑女だ。我慢せねば。
他のテーブルにもこの鶏肉の香草焼きが多くあることから、どうやらこれはここの酒場では人気の一品なのだろう。
スープはシンプルな野菜のスープだった。入ってる野菜の種類は多く、よく煮込まれてそうだった。それと小ぶりのパンが二つ付いてきた。
料理を俺の前に並べ、最後に濃い赤紫色の飲み物を置いてきた。
「こちら当店自慢の赤ワインです」
その後俺にだけ聞こえる声で、アルコールは入ってません。葡萄を絞った果実水です。と付け加えた。
なるほど、敢えて紹介することで周りの客にお酒だとアピールしてくれたのか、さすが酒場を切り盛りするだけのことはある。
「ありがとう。とても美味しそうだわ」
にっこりと微笑んでお礼を言うと、マスターはまたもや顔を赤らめた。
「な、何かあれば気軽に声をかけてください」
「えぇ、お願いするわ」
さーて食べるぞー!
(落ち着きなさいアル。淑女はパンをまるまる一つ口に入れたりはしません。少しずつちまりちまり食べるものです)
何だこの邪神。聞くところによると、無謀の神だとか、這い寄る混沌だとか言われ、人々に恐れられているらしいが、実情はただの小姑じゃないか。
パン丸ごと一つ口に入れたりはしないが、こいつは淑女はこうあるべきとかいうこだわりでもあるのだろうか。と、そんなことよりも飯だ。
がっつかないように、なるべくお淑やかに食べることを意識しつつ、スープを口にした。
程よい塩加減と、よく煮込まれた野菜の甘味が胃袋に染み渡る。
至福。
昨日の朝から何も食べていない現状、このシンプルな野菜のスープはこの世にあるどんな食べ物よりも美味しい気がした。
続けて鶏肉の香草焼きを食べ、パンを千切って口に入れる。時折葡萄の果実水で気分を落ち着ける。
今だけはこの後のことだけは忘れて、この至福の時間を堪能しよう。
幸い兵士はまだこの場にいそうであったし。
ふぅ、と小さく息を吐く。
おいしかった。
普段家で食べているものはもっと豪盛であるし、味も一級品であるが、それに勝るとも劣らない味だったように思えた。パンはやや固めであったが、そんなことは些事にすぎない。
最後に葡萄の果実水を飲み干し、食事を終える。
さてと、いつまでもこの余韻に浸っているわけにもいかない。やることをやらなければ無銭飲食になってしまう。
マスターに葡萄の果実水のおかわりを要求する。
気持ちを引き締め、手渡された果実水を持って席を移動する。移動先は当然兵士隣だ。
「ごきげんよう兵士さん。隣よろしくって?」
俺の動きに周囲の視線が付いてくる。仲間達と談笑しながら酒を、料理を楽しんでいる男達だが、さっきからチラチラと見られていることには気付いている。
そして俺が兵士の元へ行くと、落胆のようなため息や、嫉妬の視線が送られた。
一方兵士はというと、いきなりのことで面食らったのか目を丸くしていたが、美女が一緒に飲みませんかという誘いをしてきたことを理解したようだ。
「え、えぇ、どうぞ。私もちょうど一人で飲むのに飽きていたところです」
一人で飲むのに飽きていたって、だったら仲間だとか友達と来ればいいものを、こいつはぼっちなのか?
なんてちょっとだけ親近感を覚えつつも、とりあえずは接触に成功した。




