5-1 契約
3話まとめて上げます。3話目です。
アルハードは少女に担がれたまま、門が見えなくなる辺りまで運ばれる。
なんとか拘束を振り解こう身体を捩ってみても、まるでびくともしない少女の力に無駄だと諦めたのか、アルハードは暴れることを止め、ダランと担がられるがままになっている。自分よりも背の低い少女に担がれる青年。なんとも情けない姿だ。
適当なところで地面に降ろされる。街道からはやや離れている場所である。
「なんなんだよこれは! どうしてくれるんだよ!」
降ろされた途端アルハードが少女へと噛みつく。状況としては、研究所を吹き飛ばし、留置所に入れられた時点で詰んでいたのだが、よりにもよって脱獄なんてしてしまったがためにもはや最悪だった。
「どうしてくれるもの何も、私を召喚したのはお兄さんじゃん」
「は?」
それに対して、召喚したのはアルハードだと少女は言う。もちろんアルハードにこの少女を召喚した記憶はないし、ましてや召喚魔法なんて使えないのだから、尚更この少女の言っていることが理解できない様子である。
「召喚? 何のことだよ」
「夕方私を召喚する呪文を唱えて発動したでしょ?」
「夕方……えっ?」
身に覚えが無いわけではなかった。確かにアルハードは、何らかの魔法を研究所で行使したことは鮮明に覚えている。そのせいで自分が牢屋に入れられたことも。だが、だからといってこんな少女に王都の外まで担がれ連れて来られるなんてことが理解できない。
「あの建物を壊しちゃったことはごめんなさい。でも、あれは神格クラスである私を召喚する場合起こる衝撃波みたいなもので、私じゃどうすることもできないの」
少女が素直に謝罪を述べるが、アルハードはそれで許せることでもないし、納得も出来ない様子。
「じゃあ何あれか、俺がお前を召喚しちまって、そのせいで俺は犯罪者になったってことかよ」
「そう、その通り」
「はっ、バカバカしい。大体俺が召喚魔法なんて使える事自体おかしいんだよ。仮に出来たとしても、何でお前みたいなちんちくりんを召喚するんだよ。俺はロリコンじゃねーぞ!」
アルハードはヒートアップし過ぎて、どことなく怒りの矛先がズレていることに気付かない。少女は何も言わないが、アルハードは更に続ける。
「つーか神格クラスってなんだよ。ごっこ遊びか? そんなもんその辺のガキとやってろよ!」
アルハードは気づいていなかった。目の前の少女から表情が消え失せていることに。しかしそれでも、アルハードの言葉は止まらない。
やがて少女の目つきが剣呑なものへと変わる。
「大体――」
「矮小な人間ごときが口を慎め」
先程までとは打って変わった少女の口調。
声自体も先程までの歳相応の可愛らしい少女の声ではなく、幾重にも重なった様な、男や女、子どもや老人。思わず聞き惚れてしまうような心地の良い声。人とは思えないような不快な声。そんな声が互いに反響し合ったような声音になった。
突然のことに気圧されるアルハードは口を噤んだ。
アルハードが並の男性よりも背が低いとは言え、胸辺りまでしかなかった少女の姿が、ボコボコと沸騰し、不定形の黒い物質がうねる。
それは次第に膨張していき、人のような形になっていく。不定形だった黒い物質が触手のようになり、幾重にも重なることでその姿を形成していく。
時折、びちゃりびちゃりと不快な音を出しながら、触手同士が絡み合う。
この世のものとは思えない悍ましい光景だったが、アルハードは目を奪われる。
やがて、アルハードの身長の五倍程までになったそれは、人を模したような形をしているが、その背には触手が絡みあうように一対の翼のようなものがあり、身体はすべて黒い触手が折り重なるように形成されている。頭に当たるであろう部分は、赤黒い触手の束が円錐形を形作る。そこに三日月の様な形をした大きな口が生まれ、三つ赤く光る目が開かれる。
――這い寄る混沌にして無貌の神『ニャルラトホテプ』
三つの赤い目がアルハードを睨め付ける。唖然とそれを見上げるアルハードは小さく震えていた。
『ニャルラトホテプ』はアルハードを、その焦点が合っているのかもわからない三つの赤い目で見下ろしている。
この人間はもうダメだろうと、自分のこの姿を見たことにより精神が侵され、心が恐怖に支配される。目の前の狂気にすぐにでも発狂してしまうだろう。そう思っていた。
現にアルハードは、『ニャルラトホテプ』を見たまま固まってしまっている。しかし、次にアルハードから発せられた言葉は、恐怖している人間の言葉ではなかった。
「……か、かっこいい」
アルハードの口から漏れた言葉の意味が一瞬わからず、その意味を理解すると、困惑する『ニャルラトホテプ』。
「すげー! 何それどうやったの!? カッコイイ!」
目を爛々と輝かせ、全身で喜びを表現するかのように、アルハードは興奮した様子だった。
先程震えていたのは恐怖してのものではなく、ただ単に感動のあまりなかなか声が出なかっただけのようである。
そうしてアルハードはカッコイイを連呼し、『ニャルラトホテプ』を褒め称える。
そーっと手を伸ばし、その悍ましい体に触れようとするが、やはりちょっと怖いのか、ひゅっと手を引っ込めてはまた伸ばしてを繰り返している。
対する『ニャルラトホテプ』は困惑している。
今まで自分を見た者はその姿に戦慄し発狂するか、もしくは狂ったように崇拝するかのどちらかであったが、目の前の少年とも見える青年は違った。
事もあろうに、邪神と呼ばれる存在に対しカッコイイなどと。
その後もアルハードは『ニャルラトホテプ』の事を褒めていたが、ふとした瞬間、アルハードはいきなり怒り出した。
「そういえばお前、さっき俺の事を矮小な人間とか言ってたな!?」
ふざけんなとアルハードは怒りを露わにする。アルハードは見下されることを嫌っていた。当然『ニャルラトホテプ』にはなぜ眼の前の人間が怒り出したのかはわかるはずもない。
突然怒りだしたアルハードに、更に困惑する『ニャルラトホテプ』。
この者は自分のこの姿を見て、カッコイイと言ったり、怒りだしたりと、恐れというものを知らないのだろうか。
「俺だって努力はしたんだよ! 皆は兄様や姉様と同じように俺に期待してくれてたから、すっげぇ頑張ったのに……なのに周りに置いてけぼりにされて、陰であいつはおちこぼれって言われる俺の気持ちがお前にはわかるのか!?」
「い、いや……」
「ほらな! わからないだろ! 兄様や姉様に憧れてたのに、剣もダメ魔法もダメ! じゃあ何なら出来るんだよって、何も出来ないんだぞ! もう悟ったね。十歳になったばかりのアルハード少年は悟った。何も出来ない無能人間なくせに、身分だけは大層なものを持っている。そんな人間を誰が必要とすると思う!? 誰も必要としないんだよ!」
「しかしだな……」
「しかし何だよ!? しかし何なんですかぁ? こうしておけば良かったとか、そんなこと言うつもりじゃないだろうな!? もう手遅れなんだよ! い・ま・さ・ら! 俺は犯罪者になっちゃったの! 誰かさんが出てきたせいで!」
「む、むぐ……」
『ニャルラトホテプ』が何かを言おうとしても、ヒートアップしてるアルハードはそれをさせないかのように言葉を重ねる。
自信の五倍程もある、幾重にも黒い触手が絡まり形作った化物とも言える存在に、愚痴という名の怒りをぶち撒ける図は、なんとも名状しがたいものがある。
そうしてアルハードのぶちまけがしばらく続いたところで、アルハードはすっきりしたのだろうか、それとも開き直ったのだろうか、怒りの表情はスッと引いていった。
「はぁ、悪かったよ。八つ当たりだった」
「い、いや……貴様は十分に頑張ったのだな」
『ニャルラトホテプ』から慰めの言葉が出た。邪神ともあろう存在が、アルハードの剣幕に気圧されていた。
「もういいよ、慰めなんて。どうせ俺はおちこぼれで誰からも必要とされてないし、誰かのために何かできるわけでもない。王都では犯罪者だしもう色々終わってる。いっそこのままどこかに行くとするよ」
どこか遠くを見つめ、何かを諦めたような目をするアルハード。
十六の青年がしていいような目ではないのだが。
「そうだ、お前も俺と一緒にどこかに行かないか?」
『ニャルラトホテプ』は何を言っているんだこいつは、という心境だった。この姿を見せた時は喜び、その後自分の言葉に怒りを露わにし、今では達観したような顔をして一緒にどこかに行かないかなどと言っている。
こんな存在は初めてだった。
だからこそ、面白いと思ってしまっている自分がいることにも気づいている。
『ニャルラトホテプ』とは本来狡猾で残忍な存在である。非常に知性的であり、この世に存在する万物を見下している。例えそれが、自身の生みの親であり主人であってもだ。
しかし、目の前にいる人間はどうだろうか。
「そもそもお前の責任なんだから、一緒に来いよ」
なんとも横暴である。
しかし、『ニャルラトホテプ』はそれでいいと思っていた。
永遠ともいえる年月を生きている『ニャルラトホテプ』は退屈していた。自らの楽しみのため、他の生物をその悪知恵を働かせ貶めたり、他の邪神にちょっかいを出して大喧嘩したり、色々してきたがそれでも退屈していた。
だからこそ、目の前にいる者についていくのも悪くない。それに、この者は話しているだけで退屈しない。話をするたび、コロコロと表情が変わる。それが見ていてとても面白い。
「いいだろう、貴様について行ってやろう」
「貴様じゃなくてアルハードだ。アルハード・ボールドウィン……いや、もうボールドウィンの名はいらないな。今日から俺はただのアルハードだ。アルって呼んでくれ。よろしくな、えーと……」
「『ニャルラトホテプ』だ」
「そうか、よろしくな、『ニャルラトホテプ』」
アルハードは手を差し出すが、当然それは『ニャルラトホテプ』の手には届かない。仕方はないので、脚であろう部分をペチペチと叩いた。
そのなんとも言えない弾力が少しばかり気持ち悪かったのか、顔をしかめている。
「ふむ、これだけでは少し物足りないな……アルよ、貴様には何か目標はないのか?」
突然『ニャルラトホテプ』がそんなことを言い始める。
目標ねぇ……特にないけど。と問われたアルハードは腕を組んで考えている。
「先程どこかへ行くと言っていたが、世界を旅して回るということか?」
「うーん、まぁ世界中を旅して回るのも悪くないと思ってるし、どこかにひっそりと暮らすのも悪くないと思ってるけど」
どうにも煮え切らない様子のアルハードを見下ろし、『ニャルラトホテプ』は複雑な気分になる。
なんと嘆かわしいことか。先程この私に怒鳴り散らした存在だとは思えない。そう思わずにはいられないほど、今のアルハードは情けなく映った。
「では、これから我が相棒となる貴様に目標を与えよう」
目標? と呟きながら首を捻るアルハードに、『ニャルラトホテプ』は今思いついた考えを述べる。
「この世界を見て回るのだろう? なに、ひっそりと暮らすなどと小さいことを言うな、堂々とすればいいのだ。この世界の頂点で」
「言ってる意味がいまいちわからないんだけど」
「察しの悪い奴だ……つまり、我らの目標はこの世界をその手に収めることだ。要は世界征服をすると言っているのだ」
はぁ!? とアルハードから驚きの声が上がる。
世界征服などという言葉を聞いてアタフタしている辺り、アルハードの小物感が半端ないのだが、『ニャルラトホテプ』はどこ吹く風といった感じだった。
「アルは見下されることが嫌いなのであろう? ならば、誰もアルを見下せなくなるような存在になればいい」
いや、そうなんだけど……。と段々と声が小さくなっていくアルハード。更には黙り込んでしまい、腕を組み目を瞑り何かを考えているようだった。
その様子を黙って見つめる『ニャルラトホテプ』には、今目の前にいるアルハードという人間の感情が揺れ動いたことを確信していた。
やがてアルハードがゆっくりと『ニャルラトホテプ』を見上げる。その瞳にはまだ迷いのようなものがあったが、それでも決まったのだろう、言葉を口にする。
「世界征服をするのはいい、でも……無闇に人を殺したりするのは嫌だ。力で言うことを聞かせるとかしたくない」
「ほう、つまり策謀を巡らせ、この世界を手に入れるということか」
『ニャルラトホテプ』の問にしばし考えた後、アルハードは真っ直ぐ『ニャルラトホテプ』を見据える。身長差がありすぎるため、アルハードがかなり見上げる体勢になっている。
「策謀っていうか、俺は見下されることが大嫌いだ。だけど、暴力で言うことを聞かせるっていうのは俺が周りを見下すってことだろ? それはしたくない。自分がされて嫌なことを誰かにしたくない……だからまぁ、協力してもらうって感じかな。俺の意見に賛同してくれる者たちと一緒に、この世界で成り上がる。なんていうのはどうかな」
ほう。と小さく息を吐いた『ニャルラトホテプ』と、やや不安げな面持ちでアルハードは見つめる。狂気に染まった赤い三つの目からは『ニャルラトホテプ』の思考を読むことはできない。
『ニャルラトホテプ』は考える。目の前の人間からは何か特別な力を感じることはなく、人々を惹き付けるようなカリスマ性も感じない。けれど、この人間ならば何か面白いことをしてくれそうだとも思った。
現に『ニャルラトホテプ』はアルハードという一人の人間に対して、面白いと思ったのだ。永遠を生きる者として、常人であれば気の遠くなるような長き時を生きる『ニャルラトホテプ』は非常に退屈していた。
これから先、死という概念を持たない『ニャルラトホテプ』は退屈な時間を過ごすことになる。ならば、目の前の人間が生きている間の短い時間、アルハードに付き合ってもいいと思っていた。
「どうかな……『ニャルラトホテプ』も俺に協力してくれないか?」
アルハードの言葉に、内心ニヤリとする。『ニャルラトホテプ』の中ですでに答えは決まっていたが、確定だ。このアルハードという人間を、この世界でのパートナーと認めよう。
「面白い。我もアルハードに協力させてもらおう」
「本当か!? いやー『ニャルラトホテプ』が話のわかるやつでよかった」
アルハードの顔に安堵が浮かぶ。この世の者とは思えない、狂気に満ちている未知の存在に、少なからず不安を抱いていたようだった。
『ニャルラトホテプ』は大仰に触手が重なり合った腕を広げる。
「決まりだ。ではここで魂の契約を結ぼう」
「魂の契約?」
アルハードには聞き覚えのない言葉だった。何か、魔法の類なのだろうかとも思ったが、『ニャルラトホテプ』が説明してくれる。
「この世界に生きる者達は皆、その全てが魂に刻まれている。言ってしまえば、肉体も精神もその全ての根源が己の魂だということだ」
「よくわからないんだけど、つまり魂の契約ってなんなんだ?」
「魂の契約は、お互いに持てるものを相手に差し出して、それを対価に契約をする。その契約をすることで、相手と自分は対等な存在となる」
魂の契約を行えば、アルハードとニャルラトホテプは対等な存在になる。互いに対価を差し出し、相手の存在を自身の魂に刻み込む。
それが意味するところをアルハードはわかっていないようで、よくわからないという顔をしている。アルハードなりに解釈しようとしているが、そこで一つ気になることがあったようだ。
「持てるものを差し出すって、俺は『ニャルラトホテプ』に差し出せるものなんかないぞ?」
「それについてはすでに考えている。我はアルに力を差し出そう。アルは我に楽しみをくれればいい」
「楽しみを?」
「そう楽しみだ。人間どころか他の邪神ですら、我と対等な存在になれるなど普通ないことだ、光栄に思うがいい」
「随分と上から目線だなおい」
『ニャルラトホテプ』の物言いに、アルハードはちょっとだけ気に入らない様子だった。
アルハードはまだ、『ニャルラトホテプ』がどういう存在か知らないでいた。それ故にこんな態度なのだろう。
「仕方ない。『ニャルラトホテプ』。あんたと契約してやるよ」
自身の数倍ある『ニャルラトホテプ』を見上げているが、胸を張って上から目線で言い返す。
その様子に、『ニャルラトホテプ』は嗤った。
「仕方ない。してやる。か、面白い。それでこそ我が友に相応しい」
ニャルラトホテプは手と思われる場所から、一本細い触手を伸ばし、アルハードの頭に触れる。
「我の身体に触れ、己が差し出すものをイメージし、それを魔力に乗せて相手に送り込め。それで契約が交わされる」
言われた通りニャルラトホテプの身体に触れ、アルハードは魔力を練る。
楽しみという漠然なイメージをすることが難しいようで、少し悩んでいる様子であったが、なんとかイメージを固めたようで、そのイメージと共に『ニャルラトホテプ』へと魔力が流れて行く。
同じ様に『ニャルラトホテプ』からもアルハードへと魔力が流れていくが、それは狡猾でドス黒い。そんな感じの魔力だった。
その魔力を感じ取ったのだろう、思わず苦笑いを浮かべるアルハードだが、ここにアルハードとニャルラトホテプの魂の契約は成された。




