30-1 元暗殺者の敏腕スカウト
アルハードは荒野の上空を飛んでいた。
実際飛んでいるのはハスターで、アルハードは抱えられているだけだが。
長身のハスターに抱えられているため、まるで子どもの様に映るアルハードだったが、今はそんなことで文句を言っている暇はない。
地上から探すよりは、上空から見渡したほうがいいとハスターに言われ、こんな状態になっている。
枯れた大地は東西に大きく伸びる広大な大地だ。それこそ中央国クレイアデスの全国土よりも広い。そんな中で人を見つけるのは至難の業である。
インスマスは枯れた大地の中で、海に面している北側に位置する。枯れた大地全体で見れば、やや西よりだ。その為、インスマスの位置からクレイアデスがある東側のみの捜索をしていた。
空から探索。こんな状況でなければ、空を飛んでいるという事実をアルハードも楽しめたかもしれない。
風の属性魔法にも空を飛ぶ為の魔法は存在する。中級程度の扱いではあるが、ある程度の魔力操作が要求され、制御が難しいことからも誰でも使えるものではない。当然アルハードにも使うことができない。
ハスターは風魔法を使っている訳ではないが。
「アルハード様」
「何?」
目を皿のようにして、ハスターに抱えられたまま荒野に人影が無いか探していたアルハードに、ハスターが声をかける。
アルハードは後ろから抱き抱えられるようにされているため、ハスターの方へは向けない。荒野に目を向けたままの体勢で返事をする。
「あちらの方角に微かに人の匂いを乗せた空気が漂っています」
「え……風なんて吹いてないけど、そんなことわかるのか?」
「えぇ、私は風……大気を司る神ですので」
さらっと凄いことを言っているハスターだったが、アルハードにはそれがどれ程凄いことなのかわからない。
大気を司る神と言われても、何がどうできるのかわからないためである。アルハードの想像力は乏しい。
「まぁよくわからないけど、とにかく人がいるんだな?」
「はい。数は……四つ程ですね」
「よし、そいつらが元侵入者達かはわからないけど、とにかく向かってみよう」
「かしこまりました」
ハスターに抱えられたアルハードは、人の匂いが漂っているという方向へと向かう。
ハスターが四つの人の匂いがあると言っていた方角に暫く進むと、まだ距離はあるが確かに人影が見えた。
アルハードの視覚や聴覚はすでに人の域を超えている。そのことはアルハード自身も自覚していた。
人影が見えるのは、常人ならば決して視認することのできない距離だ。
人影は四人。それとは別に二つの影があった。三人を庇うように一人が前に出ている。残り二つの影は飛んでいた。
よく目を凝らすと、交戦中だというのがわかる。そしてアルハードは、あの飛んでいる魔物に覚えがあった。
羽を広げた時の全長は五メートルにもなる巨大な鳥の魔物である。獰猛な肉食の魔物で、注意すべきは爪だ。
爪には麻痺毒が備わっており、一撃でも貰えば動くことが困難になってしまう程強力な毒である。
そして、動けなくなった獲物を生きたまま食らうという趣味の悪い魔物である。
そんな魔物相手に、三人を庇うようにして戦っている者にも、アルハードは覚えがある。
「ロージー!」
元侵入者の一人だ。元侵入者達の中で唯一の女性で、インスマスで出会った時は不自然に染められた真っ黒な髪だったが、今は地毛に戻したのだろう明るめの茶髪である。
一瞬誰か分からなかったが、チラッと見えた青い瞳、整った横顔でアルハードは確信していた。
「ハスター! 急いでくれ!」
アルハードは叫ぶようにハスターへと言葉を投げる。
彼女達まではまだ距離がある。そして、戦況は物凄く不利であった。
飛んでいる相手から三人を守らなくてはいけないロージーは、攻撃に転じることができず、防戦一方だ。
更に何処と無く動きも鈍い。もしかしたら爪による攻撃で麻痺毒を貰ったのかもしれない。
ハスターに抱えられ、彼女達の元へと向かうアルハードの耳に、話し声が聞こえてきた。
「おかーさん!」
「大丈夫、大丈夫だからね」
ロージーに守られている三人の内、小さな女の子と、その母親と思われる者の声だろう。
少女は母親に縋るように抱きつき、母親も少女を守るように抱きしめている。
何な二人に対してロージーは声をかける。
「大丈夫よ……なんとしても守るから」
その言葉は彼女達を安心させるには足りない。誰がどう見ても、圧倒的不利な戦況。
それでも、ロージーの言葉には諦めるなどという感情は一切ない。
「私はこれから新しい人生を歩み始めるのよ……! 貴方達もそうでしょう? だからこんなところで終わる訳にはいかないわ!」
彼女達に向けた言葉のようだが、それは自分自身に強く言い聞かせている。そんな感情の篭った声だ。
ロージーの言葉に、アルハードの拳に力が入る。
なんとしても彼女達を……ロージーを助ける。しかしまだ距離がある。何もできないこの距離に、アルハードの焦りは増していくばかりである。
「でも! でもっ!」
小さな女の子の悲壮な叫び。
相手は自分よりも数倍大きな魔物。戦う力を持たない少女は、死という恐怖に震えながら叫ぶことしかできない。
「ドロシー! 喚くんじゃないよ! あたしらはロージーを信じて付いてきたんじゃろう!? ロージーが大丈夫だって言ってんだい! なら大丈夫じゃよ!」
震える少女に、もう一人の者が叱責した。
彼女の母親ではない。母親と思わしき人物は少女をしっかりと抱きしめているだけだ。
声を発したのは老婆。しかし、その声はとても老婆とは思えない、芯の通った大きな声であった。
老婆の叱責は少女に向けたものだったが、その言葉はアルハードの心に強く響いた。
ロージーを信じて付いてきた。そして、そのロージーはアルハードを信じてここに居るのだ。
なんとしてでも助ける。
しかし、アルハードの思いとは裏腹に、鳥の魔物がロージーへと攻撃を仕掛ける。
動きが緩慢になっているロージーは、その一撃を躱すことができず、持っていた短剣でガードを試みる。が、防ぎきれず短剣を手放してしまい、体勢も崩され尻もちをついてしまった。
顔を顰めるロージーに、もう一匹の魔物が襲いかかる。ロージーにその攻撃を防ぐ方法はもうなかった。
ダメだ。こんなところで終わらせてはいけない。ロージーは自分を信じてくれているのだから。
「ハスター!」
「少々手荒になってしまいますが……行きます!」
アルハードの叫びの意を汲み取ったハスターは、アルハードを抱えていた腕から触手を出す。
その触手はアルハードのものとは違っていた。目が痛くなる様な黄色の触手には、タコの足のような吸盤があり一本一本が太い。
アルハードの胴体に巻き付き、そしてそのままアルハードをロージー達の方へと投擲した。
その速度はハスターの飛ぶ速度よりも早く、まるで砲弾の様にアルハードは飛んでいく。
この速度で地面に激突すれば、大怪我は免れない。それでも、腕の一本や二本なくなったところで、アルハードはすぐに再生することができる。
などといったことは、一切アルハードの頭の中にはなかった。
自分を信じてくれているロージーを救う。それだけがアルハードの頭の中にある。
ロージーは魔物の凶悪な爪が迫り、顔を逸らしながら目を瞑る。
「ロージーから離れろぉおおおおおおおおおお!」
先を尖らせ硬質化させた触手を幾つも前面に展開する。
ロージーに対して攻撃をしようとしていた鳥の魔物は、高速で飛来してきたアルハードに反応することができない。
そのまま串刺しになり、アルハードごと地面へと縫い付けられた。
轟音と伴に大量の砂埃が舞い、そこに居た者達全ての視界が奪われる。
しかしそんな中でも、ロージーはアルハードが助けに来てくれたのだと理解していたようだ。
目を瞑っていた為アルハードの姿は見えなかったが、自身が忠誠を誓った相手の声を聞き間違えるはずがない。その証拠に、ロージーの口から小さく、アル……くん……。という呟きは、確かにアルハードの耳へと届いていた。
砲弾の様な勢いで地面へと激突したアルハードは、鳥の魔物が間に挟まりクッションになったとはいえ、数本の骨が砕けている。
それでもアルハードは痛みを感じることはない。ナルと魂の契約をしたアルハードには痛覚がない。が、痛みが無いことと骨が砕けていることは別である。再生は意識すればすぐに始まるが、即座に動くことはできそうもなかった。
アルハードにとって骨が砕けることなど些細なことだ。そんなものはロージーを救うための代償ですらない。
助けられた。
「ギィヤァアアアアアアアア!」
そう思ったのもつかの間、残っていたもう一匹の魔物が咆哮を上げる。
この鳥の魔物は獰猛な性格をしている。それは仲間が殺られたからと言って逃げ出すような魔物ではない。
魔物の殺意がアルハード自身に向くのなら構わない。しかし、無情にも鳥の魔物はアルハードを標的には選ばなかった。
砂埃が巻き上げる中、視界は最悪だ。魔物が標的に選んだのは誰かわからない。更に追い打ちをかけるように、アルハードは今身動きを取ることができない。
「やめっ――」
「止まれ」
アルハードが叫び声をあげようとした時、泰然とした声が場を支配した。
たった一言の言葉が、この場にいる全て者に誰が支配者であるかを理解させる。アルハード達にとってその声は心地の良いものに聞こえた。しかし、唯一殺気を向けられている魔物はどうだろうか。
一陣の風が、声を発した者を中心に円を描くように吹く。
漂っていた砂埃を吹き飛ばし、その中心に立つのは黄色いローブを身に纏った王だった。
『黄衣の王』『名状し難きもの』……アルハードの後を追ってこの場に飛来した、アルハードの従者。そして、グレート・オールド・ワンに名を連ねる邪神。
ハスターの目の前には、鳥の魔物が身動ぎ一つ取れずに固まっていた。
先程までの獰猛な瞳は、今は恐怖に染まっている。
「我が主の客人に手を出すなど、許されざる蛮行」
ハスターの言葉が響く。この様なひらけた場所で響くはずのない声は、直接脳内で響いているような不思議な感じだ。
ロージーはペタンと座り込み、ロージーの連れてきた三人は瞬きすら忘れてその光景を見ていた。
「潰れろ」
ハスターがそう口にすると、鳥の魔物はどんどんと小さくなっていく。
メキっと音を立て、魔物は歪む。ゴリっと音を立て、魔物は原型を失っていく。
まるで球体に包まれ、その球体が圧縮していく様だ。鳥の魔物はすでに原型を留めていない。丸く、小さくなっていく。
魔物の血なのだろうか、球体は緑がかった赤黒い色をしていた。
鳥の魔物を包んだ球体は、小指の先ほどまでの大きさになり、やがて視認することはできなくなった。
場を静寂が包む。誰も声を発することができないでいた。
いや、声を発することができないでいたのは、ロージーと三人の女性達だ。
ハスターは鳥の魔物がいた場所を見つめ、アルハードは言いたいことがあるようで、ウズウズとしながら再生するのを待っていた。
そんな中、先に動いたのはアルハードだった。
砕けた骨は全て治り、動けるようになった途端ハスターに向かって走る。
ハスターは主が自分の元に駆け寄ってくるその光景に、嬉しそうな顔をアルハードへと向けた。
世の女性全てを虜にしてしまうような、そんな笑みだ。
そして、アルハードはそんなハスターの元へと走る勢いのまま跳躍し、笑顔眩しい美丈夫の頭をはたいたのだった。
「この馬鹿!」




