29-1 アルハードの失敗
「おーい、アルの旦那ー!」
そんなに大声でなくとも聞こえる距離なのだが、どうにも元々声のでかいデリックが叫ぶと、うるささすら感じる程だ。
「あ、すまねぇ、取り込み中だったか」
「いや、いいよ」
この場にはクトゥルフ、シュブ=ニグラス、ハスター、ショゴス・ロードと、インスマスでも上位の存在が集まっているが、絶賛アルハードは蚊帳の外である。
シュブ=ニグラスとハスターの口喧嘩はまだ続いているし、ショゴス・ロードに至ってはこれまでの経緯をクトゥルフに聞いてもらっている最中だ。
というより、ショゴス・ロードの話は殆ど愚痴である。あれ程恐れ慄いていたクトゥルフに愚痴を聞いてもらっているのだが、それは大丈夫なのか? とアルハードは思わないでもない。
「で、今度は何がインスマスに来たんだ?」
「あぁ、ホリスの奴がインスマスに帰ってきたんだ! あと、おっさんも一人いた!」
はて、ホリスとは誰ぞや? とアルハードは首を捻るが、すぐにあの侵入者の内の一人がそんな名前だったことを思い出した。
おっさんというのは、ホリスが連れてきた者のことだろう。
「村の入口辺りをショゴスメイドと歩いていたら、ホリスとそのおっさんが座り込んでたんだよ! なんか疲労困憊って感じで、もう一歩も動けなさそうだったし、多少怪我もしてたから、急いでアルの旦那に報告に来たんだよ」
「怪我? 大丈夫なのか?」
「かすり傷とか打撲くらいなもんだな。それよりも疲れ切った顔してたわ。でも、やりきったぜって清々しく言ってたし、大丈夫だろ。念のためショゴスメイドに診てもらってるけどよ」
「そうか」
命に別状はないと聞いて、アルハードは安堵した。
それと同時に、自らの失敗に気づく。
枯れた大地は非常に過酷な環境である。荒野にインスマス以外に集落や村などがないことからもわかるように、人が生活するには困難な場所だ。
作物は育たないし、水も満足に確保できない。更に、王都周辺ではまず見かけることのない強力な魔物が跋扈している。
そんな環境の中、元侵入者達はバラバラに、インスマスの為になる人材を連れてこのインスマスに向かっていたのだ。
彼らはそうはいっても裏の人間で、プロである。魔物との遭遇は極力避けるだろうし、数日飲み食いなどせずとも活動はできるだろう。
しかし、彼らが連れてくる人達はどうだろう。インスマスに技術と知識をもたらす者を連れてくると言っていた。十中八九訓練された者ではないだろう。
元侵入者だけならば問題ない旅路であっても、訓練されていない人間を連れて、この荒野を抜けることは難しいと考えられた。
そう、考えられたのに、アルハードはそのことを考えもしなかったのだ。
アルハードは苛立ち気味に頭を掻きむしる。もちろん、その苛立ちは自分の配慮の無さに対してである。
「クソっ、俺のミスだ……」
普段こういった苛立ちを表に出すことの無いアルハードだ。その為、そんなアルハードの姿を見たデリックは不安そうな表情でアルハードを見つめる。
他の者達も、何かあったのかとアルハードに注視していた。喧嘩や愚痴などは止んでいた。
「どうかいたしましたか?」
ハスターが代表してアルハードに問いかけてくる。
「いや、どうかしたんだけどさ……」
荒野に跋扈する魔物と、ある程度単騎でやり合えるムーン・ビーストを護衛につけるべきだった。とか、何か連絡手段を用意しておくべきだった。など、今更な考えが浮かぶ。
とにかく今は、自身の失敗を悔やんでいる場合ではない。
もう手遅れかもしれない……そんな最悪をアルハードは思い浮かべてしまうが、すぐに頭を振ってその考えを振り払う。
今できることをするしかない。
そう思考を切り替え、即座に動くことにする。
「ハスター、手を貸してくれ」
「なんなりと。アルハード様のためになることこそ、我が務めです」
ハスターは、今何が起こっているのかはわかっていないだろう。しかし、アルハードの為に動くことこそ誉れと言わんばかりに、優雅に一礼する。
「アル、私はどうすればいいの?」
「シュブ=ニグラスとクトゥルフは、怪我人を受け入れられる場所を作ってくれ」
「わかったわ」
「ふむ……では、宿を使わせてもらえるよう交渉してこよう。あそこならいくらかベッドがある」
「頼む……数がわからないから、ベッドも運べるものは運んでおいてくれ」
「了解した」
ホリスは疲労困憊だが、致命的な怪我は負っていないと言う。ならば彼らがすぐに横になれる場所が必要だろう。それに、他の者で怪我をしている者がいれば治療の必要も出てくる。
元侵入者達だけならば五人だが、彼らが連れて来る者の人数まではわからない。流石に数十人規模ではないと思うが、備えるに越したことはない。
「ショゴス・ロードは……料理なんかは作れるのか?」
まさか自分に話が振られると思っていなかったのだろう、アルハードにそう聞かれたショゴス・ロードは驚いた顔をした後、おずおずと返事をする。
「で、できるが……」
「ならショゴス・ロードは、手の空いているショゴス達と共に精の付くものでも作っておいてくれ」
ショゴス・ロードはハスターからこの十日間、従者としてのスキルを仕込まれている。彼女ができるのなら、他のショゴス達もできるだろうとアルハードはふんでいた。
指示を出し終えたアルハードは、ハスターとデリックを伴ってホリスのいるインスマスの入り口へと向かおうとしたが、ショゴス・ロードがそれを止める。
「ま、待て! 私をいくら扱き使おうが構わないが、シュブ=ニグラス様とクトゥルフ様をコマ使いの様に扱うなど許さない」
アルハードを下から見上げ、睨みつけるショゴス・ロード。急いでいるアルハードからしたら、そんなショゴス・ロードの愚行は頭にくる。
アルハードが何か言おうとしたが、その前に言葉を発したのはシュブ=ニグラスだった。
「黙りなさい小娘」
「ぴぅっ」
威圧とともに放たれたシュブ=ニグラスの声に、ショゴス・ロードは直立不動になる。
過剰なまでにビビっているショゴス・ロードの様子に、シュブ=ニグラスも少しやりすぎたと思ったのか、少しばかり声音を柔らかなものへと変えた。
「いい? アルが私達に頼ってくれてるのよ? それは憤ることではなく、喜ぶべきことなのよ」
「え、えっと……」
「返事は!?」
「は、はい!」
「そういう訳だから、こっちは任せて。アルも気をつけてね」
そう言って微笑みながら手をフリフリしているシュブ=ニグラスの姿に、アルハードの気持ちは少し落ち着くとともに、軽くなった気がした。
任せた。それだけ呟き、アルハードはハスターとデリックを伴って、インスマスの入り口へと向かう。
インスマスの入り口には、ホリスと見たことのない男、それとショゴスメイドがいた。
ホリスともう一人の男は座り込んでおり、ショゴスメイドによって軽い手当を受けていた。
見目麗しいショゴスメイドに、二人とも疲労困憊といった表情ながら、鼻の下を伸ばしている姿にアルハードの肩の力は抜ける。
二人のだらしのない顔を目の当たりにして、心配しすぎたなと思うと同時に、アルハードはホッとしていた。
「ホリス、お疲れさん」
「ん? おぉ! アルさん! 久しぶりだな~……やーっとホッとできたわ」
「悪かったな……配慮が足りなかった」
「ん? なんのことだ?」
「枯れた大地を、誰かを守りながら進むのは大変だったろ」
アルハードがそこまで言ったところで、ホリスもアルハードが言わんとしていることを察した。
それでもホリスは、アルハードに恨みがましい目を向けることはなく、困ったように頬を掻いた。
「まぁ、な……ちっと大変だったけどよ、幸いおっさんが自分の身を守れる程度には戦えたし、槍象とかの強力な魔物に出会わなかった幸運もあるけどな」
「そうか……おじさんも大変だったでしょ」
「ガハハ! まあな! しかし昔の血が騒いだわい」
豪快に笑った男は、立派な髭が蓄えられた顎を撫でながら、少々大きすぎる声でアルハードにそう言った。
「おめーさんがインスマスっていうこの果ての村の村長か?」
「あぁ、アルハードだ、よろしく」
何となく流れで自己紹介してしまったあと、アルハードはまずいと思った。
ホリスが連れてきたのは、クレイアデスの王都から連れてきた可能性があるからだ。
アルハードはクーデターを起こした者として指名手配されている。インスマスでの暮らしが長くなっていたせいか、そのことをすっかり忘れていた。
実際アルハードの名前を聞いた男は、眉をピクリと上げていた。
「本当に、あのアルハード・ボールドウィンなんだな」
「あ、まぁ……ボールドウィンの名は捨てたから、今はただのアルハードだけどね」
「なるほどな……まぁ、俺もクレイアデスを抜け出してきた身だしな! また今度詳しく聞かせてくれよ!」
「わかった。あ、名前は?」
「ロジャーだ」
「ロジャーね、よろしく」
そう言って差し出されたアルハードの手を、目一杯掴みブンブンと振ってくるロジャー。
ホリスが予め説明してくれていたのか、ロジャーは一瞬だけ疑ったような感じだったが、受け入れてくれたみたいだ。
「アルさん、他の連中はもう到着したのか?」
ホリスが心配そうにそう訪ねてきた。
元侵入者達は決してお互いに仲間という意識はなかった。ただ同じ仕事を受けた者達。そういう認識だ。
しかし、揃ってアルハードに救われた身。同じ境遇の者を心配しているのだろう。
ホリスの質問に、アルハードは叱責された気分になるが、すぐに落ち着込んでいる場合じゃないと切り替える。
「まだだ。だからこれから迎えに行くつもり。手遅れかもしれないけど、俺の配慮が足りなかったことだからな、自分の失敗は自分でなんとかするつもり」
とは言ったものの、アルハードにできることは少ない。その為にハスターを連れてきたのだ。
自分の失敗だから自分でなんとかする。昔のアルハードであれば意固地になって、本当に自分でなんとかしようとするところだが、今は違う。
頼りになる仲間がいるのだから、遠慮なく頼らせてもらう。それが最善だとわかっているから。
「そうか、俺はロジャーが戦えたからなんとかなったけどな、他の連中はわからねぇ」
「だな」
「俺もだけどよ、あいつら王都に帰る途中インスマスではこんなことがしたい、あんなことがしたいってすげー盛り上がってな、ずっと裏の世界で孤独に生きてきた俺達だけどよ、あの瞬間は仲間ができたみたいで嬉しかったんだ。だから皆揃って、インスマスでの新たな人生を送りたいんだ」
この通り、頼む。そう言ってホリスは頭を下げる。
もちろんアルハードは皆を連れてくるつもりだ。頼まれるまでもない。しかし、ホリスの気持ちは痛いほどに伝わっていた。
アルハードの拳には、より一層力が入る。気持ちも、より強固なものになった。
「任せろって。それに、お前達がいない間にインスマスはすげー変わったんだぞ。仲間も増えたしな」
「そいつは楽しみだ」
「積もる話はあとだ。今はゆっくり身体を休めてくれ……馬鹿騒ぎができるようになるまでな!」
「そうさせてもらうわ」
「じゃ、行ってくる」
デリックに後は任せると言い残し、アルハードはハスターととも動き出す。
その後姿をホリスとロジャーは、頼りになる存在を見るように眺めていた。
「今少し話しただけだけどよ、あいつが本当に国にクーデター起こすようなやつなのか?」
「国の研究機関をぶっ飛ばしたのは本当だ。ただまぁ、なんか事情があったんだろうよ」
「マジなのか」
「マジマジ。ま、アルさんはああ見えてこのインスマスでの人望は凄いぞ。俺もあの人に救われた身だしな」
「あんなちっこい小僧がなぁ……」
テロリスト。貴族。子どもみたいな外見。それらからロジャーは、まだまだアルハードのことを信頼できる存在だとは思っていないようだ。いや、正確には本当にあいつが村長? といった感じである。
そんなロジャーの肩に、水掻きのある手が乗せられた。
「アルの旦那はすげーぞ! 俺が保証してやるよ」
「うおっ!」
手が乗せられた方を見たロジャーは、デリックのインスマス面を見て驚きの声を上げた。
亜人種でもないデリック。神話生物を知らないロジャーからしたら、デリックは異形の存在に見えるだろう。
しかし、デリックは驚かれたことにショックを受けたり、怒りを覚えたりはしない。
「俺の顔すげーだろ。インスマスには俺みたいなやつばっかりいるぜ」
「おいおいマジか……ホリスの野郎に話しだけは聞いてたけどよ」
「マジだぜ。排他的で閉鎖的な連中だ。よそ者を嫌い、自分の運命を嘆き、世界を恨みながら色んなことに諦めてる連中だったぜ」
「だったってことは?」
「今は違うぜ! 全部アルの旦那が変えてくれたんだ! さ、たっぷりアルの旦那のすげーところ話してやるからよ、さっさと村の中に行こうぜ! 肩貸すからよ」
そう言ってデリックは、ロジャーへと肩を貸す。
あっちのねーちゃんがいいんだけどとぶつくさ言っていたが、そんなものは無視していた。
ロジャーに肩を貸しているデリックは、アルハードのことを自慢しまくろう。そんな顔をしていた。誇らしげな顔だ。




