28-2 従者
『ショゴス』召喚を決めたアルハードは、シュブ=ニグラスを召喚した時と同じように、インスマスからある程度離れた場所にきていた。
『ショゴス』を召喚することはクトゥルフやシュブ=ニグラスに伝えてある。二人とも付いてくると言っていたが、ナルとはアルハード一人で『ショゴス・ロード』と戦うという契約だ。ここでナルにへそを曲げられても困るので、アルハードは来なくても大丈夫だと言っておいた。
二人とも少し怪しむような素振りはあったものの、最終的に『ショゴス』ならば平気だと折れてくれた。一応『ショゴス・ロード』の事は伏せておいたことも良かったのだろう。
『ショゴス』ならば平気というのが、アルハードでも平気という意味なのか、神格である二人基準で平気なのかでは、全く意味が異なる。前者であることをアルハードは願った。
念のため二人には、『ショゴス』がもしインスマスに攻め入るようなら撃退して欲しい旨を伝えておくことも忘れない。
(――さて、やりますか)
(やる気があるようでなによりです)
(できれば戦いたくないけどね)
(往生際が悪いですね。大丈夫ですよ、私の見立てではアルが勝てるでしょう)
(その自信はどこから来るんだよ)
(魂の契約をしてからだいぶと経ちますからね。今のアルならばあの鼻が槍みたいな象相手でも勝てるのではないでしょうか?)
ナルが言っているのは、アルハードがインスマスを目指して旅をしていたときに、荒野で出会った槍象という魔物である。
あの時は全面的に敗北し、ひたすら走って逃げるアルハードだった。
あの時のことはアルハードの中で若干トラウマになっており、勝てると言われても戦いたくはない。
アルハードは苦い記憶を思い出し、なんとも言えない顔になった。
(ふふふっ、いい顔してますね)
(誰のせいだと……)
(では、『ショゴス』の召喚をやりますか)
(このやろ)
『ショゴス』と『ショゴス・ロード』の召喚の呪文は昨夜ナルから教わっている。後はアルハードの覚悟だけである。
ここでウジウジしていても始まらない。そのことわかっているアルハードは、魔力を練り上げ始める。
まず召喚するのは『ショゴス・ロード』だ。
先に『ショゴス』を召喚するのは得策ではない。インスマスの住民……主にインスマス面達の家事を賄う程の数は相当数必要だ。それに、今後住民が増えてもいいように、ある程度の余裕を持たせて召喚する方針である。
具体的には百体ほどだ。
仮にその百体が一斉に襲い掛かってきた場合、アルハードは数の暴力の前に為す術もないだろう。
それに比べて、『ショゴス・ロード』は一体しか召喚しない。
『ショゴス・ロード』は『ショゴス』の上位互換といってもいい種族なので、先に上位の存在を従えてしまえば、『ショゴス』を説得しやすくなるというものだった
「よしっ」
小さく気合を入れたアルハードは呪文を詠唱していく。
「こい! 『肥満の怪物』!」
アルハードの前方に複雑な幾何学模様施された魔法陣が浮かび上がる。それあまり大きくない。それこそ人一人が収まる程度の魔法陣だ。
シュブ=ニグラスを召喚した時は、大地を覆うかと思うほどの大きさだったが、今回はそれ程ではなかったため、アルハードは少しホッとしていた。
魔法陣から手が這い出てきた。人の手を形どってはいるが、液状のブヨブヨとした手だ。
ヌルリと出てきた頭部は禿げ上がっており、ギョロッとした目は今にも零れ落ちそうだったが、悪意を持ち召喚主であるアルハードのことを睨めつけていた。
明らかな悪意の篭った瞳に、アルハードは少々怖気づいてしまった。
やがて全身が出てきた。まるで太った背の低い人間そのものだ。
いや、形だけが人間というだけだった。
身体そのものはゼラチン質の玉虫色の液状で、時折発光している。そして、何よりもひどい悪臭を放っていた。
インスマス面や深きもの達のような魚臭さではない。ムーン=ビースト達の様な硫黄の臭いでもない。
アルハードは、目が痛くなるほどの強烈な臭いに不快感を隠せないでいた。
そんなアルハードに、醜い小太りの怪物が無言で襲い掛かってきた。
「うわぁ!」
小太りの腹の部分から玉虫色の液体が吹き出してきたのだ。それはまるで、アルハードを取り込むかのようにアルハードへと襲いかかる。
不意打ちの攻撃に、アルハードは叫びながらも咄嗟に距離を取ろうとするが、出遅れた分だけ玉虫色の液体の方が早かった。
アルハードが防御に使えるものは触手しかない。無意識的にいくつもの触手を出し、重ね合い、まるで壁のように前方に展開した。
ジュウっという肉の焦げるような音が触手の壁からした。
『ショゴス・ロード』は玉虫色の液体でアルハードを捕食し、そのまま消化しようとしたのだった。
(おい! 洒落にならんて!)
(大丈夫ですよ)
アルハードはナルに文句を言いつつも、溶かされた触手の壁をすぐさま切り離し、『ショゴス・ロード』から距離を取る。
『ショゴス・ロード』からの追撃はなかったが、無残に溶かされた触手の壁は、玉虫色の液体に絡め取られ、『ショゴス・ロード』へと吸収されていった。
「こんな人間のガキに私は召喚されたのか」
(しゃべったああああ!?)
(何をそんなに驚くことが?)
(え、だって……)
ナルにとって『ショゴス・ロード』が言葉を発することは当然のことだが、アルハードにとっては違う。
しかし、ナルが至極当然のように言うので、アルハードは自分が無知で悪いのだという気持ちになってしまった。
(ほら、集中していないと捕食されますよ)
「うわっと!」
アルハードの触手を取り込んだ『ショゴス・ロード』は、再び小太りの人型に戻っている。そして、先程のように玉虫色の液体を放出して攻撃するのではなく、今度は触手のように細長くしならせて攻撃してきた。
アルハードは自らの触手で打ち払おうとしたが、相手は液体である。打ち払いきれずに、『ショゴス・ロード』の触手が当たりそうになるが、既の所で躱すことができた。
「あぶな」
(油断しすぎですよアル)
(なこと言ったって!)
ナルに苦言を呈されている最中にも、二撃目、三撃目と『ショゴス・ロード』の攻撃は止まらない。
捕まってしまったらそのまま捕食コースなので、アルハードも必死で防御したり回避したりしていた。
最初こそ危うかったアルハードだったが、段々と慣れてきたらしく、難なく『ショゴス・ロード』の触手攻撃を弾けるようになった。
触手を束にして、面で『ショゴス・ロード』の液状の触手を叩くことで、打ち払うことができるとわかってからは、ナルと話している余裕すらできていた。
(意外と戦えるもんだな)
(アルも中々触手の扱いに長けてきましたね)
(これでも毎日使ってるしな。なんか今防御してるのも、無意識にできてる感じ)
(ほぅ……そこまで使いこなせるようになっているとは、アルには触手使い初級の称号をあげましょう)
(なんだよそれ)
またナルが変なことを言い出したと呆れながらも、アルハードは防御の手を緩めることはない。
アルハードがこうして防御に徹しているには狙いがあった。
アルハードはひたすらに『ショゴス・ロード』の攻撃をいなし続け、『ショゴス・ロード』を焦らしている。けして攻撃に転じることができないわけではない。
実際『ショゴス・ロード』から、僅かな苛立ちを感じることができていた。
アルハードと『ショゴス・ロード』の間には、二十数メートル程の距離がある。この距離が縮まった時、アルハードは勝機があると考えていた。
「人間のガキが!」
『ショゴス・ロード』が苛立ち悪態をつく。
アルハードは順調に作戦が進んでいると思いながらも、ガキという言葉に反応していた。
(俺はガキじゃない、俺はガキじゃない……お前のほうがチビだろうが! ……冷静になれ、クールにいこう)
アルハードは成人している。ただ、一般的な成人男性に比べ童顔で、身長が低いだけだ。
ガキなどと言われるのは心外であるが、自らに言い聞かせ、冷静さを保とうとしていたが……その手にはムーン=ビーストの槍が握られている。
(クールになるのでは?)
(は? 俺はクールだけど?)
(その手にあるムーン=ビーストの槍が説得力の欠片もありませんよ)
(これは作戦をより迅速に成功させるためのものだから)
決して頭にきたとかじゃないから。とナルに言い訳をしながら、ムーン=ビーストの槍を『ショゴス・ロード』に向けて投擲した。
しかし、ムーン=ビーストの力を宿していない今のアルハードの投擲では、一撃必殺の威力はない。一撃必殺の威力はないが、この状況ではそれでも十分だった。
『ショゴス・ロード』は液状である。そのため物理攻撃はきかないが、それはあくまでダメージがないと言うだけである。
防戦一方だったアルハードが攻撃に転じた。『ショゴス・ロード』の攻撃を全ていなしながら、更には攻撃までしてきたことに、『ショゴス・ロード』は遂に爆発した。
「この糞ガキが! なめるな!?」
『ショゴス・ロード』の触手攻撃が止んだかと思えば、『ショゴス・ロード』が飛びかかってきたのだ。
その姿は小太りの人型ではなく、スライムの様な液状で。
獲物を捕獲する網のように広がり、アルハードを丸ごと捕食しようと飛びかかる。
(今だ!)
アルハードの狙い通り『ショゴス・ロード』は一気に距離を縮めてきた。ここぞとばかりにアルハードは前方へと手を突き出した。
「『掌握』!」
不可視の触肢が『ショゴス・ロード』に掴みかかる。
本質がゼラチン状の液体で『ショゴス・ロード』を掴むなど普通ならばできないが、『掌握』の呪文は包み込むように『ショゴス・ロード』を捕え、そして離さない。
アルハードは以前ジーンに対してこの『掌握』を使ったが、その時はまだ習得が不完全であった。しかし、この呪文の有用性からアルハードは練習を重ね、そしてものにしていた。
「ぐがぁあ! 何だこれは!? あああああああああああ!」
拘束し身動きがとれないまま体力と魔力を奪い去る『掌握』は、相手を無力化するのに最適な呪文である。
その拘束からは、いくら神話生物といっても簡単に抜け出すことはできない。
叫び声を上げ、逃げようと藻掻いていた『ショゴス・ロード』だったが、やがて抵抗する力もなくなったのだろう。アルハードの前には玉虫色の水溜りができていた。
「――ふぅ……やったぜ」
見事『ショゴス・ロード』に打ち勝つことができたアルハードは、勝てた嬉しさよりも、ホッとしたという顔をしていた。
(これでいいんだろ?)
(えぇ、上出来ですよ。というよりも、私の想定ではもう少し苦戦すると思ったのですが……中々やりますね)
(え、そう? まぁそれほどでもないけどね)
それほどでもないと言いつつも、ナルに褒められたと思ったアルハードは、まんざらでもなさそうであった。
照れたような、嬉しいようなで、その顔は少しニヤついていた。




