25-1 狂信者の末路
『掌握』……不可視の触肢が対象を拘束する。範囲は自身の前方二十メートル程。拘束された対象は体力と魔力を奪われる。
クトゥルフに教えてもらった呪文である。
相手の体力と魔力を奪い拘束する呪文で、クトゥルフが得意とする呪文らしい。
なぜアルハードがこの呪文を最初から使わなかったかというと、理由は単純で、完全な習得に至っていなかったからである。
ナルから直接呪文を教えてもらえば即時習得が可能なのだが、クトゥルフに教わってもそうはいかなかったのだ。
アルハードはまだ触手と呪文を同時に扱うことに慣れていない。相手に触手を刺してから使う『破戒』も、触手を刺してから、意識を呪文に切り替えないとうまく発動しないのだ。
その為あの攻防の最中に『掌握』を使うことができなかった。
もし不発だった場合に大きな隙ができてしまうし、何より発動するための隙を老婆が与えてくれなかった。
アルハードが脅威の再生能力を老婆に見せつけたことで、その隙が生まれ、結果うまいこと拘束することができたのだった。
上級の水魔法を放ったことによる爆音に気づいたようで、インスマスの住人が次々と集まってくる。その中にはクトゥルフ達もいた。
老婆は急激に体力と魔力を失ったため、今は気絶しておりピクリとも動かない。
集まってきた住人の中から、クティーラが心配そうにアルハードへと声をかける。
「あの、アル君大丈夫ですか?」
「ん? あぁ、まぁ俺自身は無事だよ」
数少ない服は、老婆の一撃によってボロボロにされていたが、アルハード自身には傷一つ無い。
新たに生えてきた手足も違和感なく動かすことができた。
「お、おい! ここに足が!」
焦ったような声の先には、先程飛ばされたアルハードの足が無残にも転がっていた。
初めに発見したインスマス面は腰が抜けてしまったようで、その場にへたり込んでいた。
その他にも右腕、左腕が次々と発見される。
(おい! あれ消えたりしないのかよ!)
(消えるわけ無いでしょう)
(誰が片付けって……俺がやらなきゃだよな……)
(当然でしょう)
腕や足の周囲では、集まってきた住人が狼狽えていた。
あれはアルハードのもので間違いないが、その事を皆は知らない。アルハードはなるべく皆を怖がらせないように、平静を装って声をかける。
「あーそれ俺のだから……後でどこかに捨ててくるから放って置いて」
その言葉に周囲にいた者達はギョッとしていたが、千切れた手足など見ていても気分が良いものでもないなと思い、多少強引に話を変えることにした。
アルハードはこの老婆のことを皆に話した。
どうやらクトゥルフの崇拝者であり、それもかなり狂信的だということをである。
とはいえ、いきなり襲われたアルハードとしても殆ど何も事情は知らないので、老婆が目覚めるのを待つことにした。
襲われたという話をし、現状服はボロボロでその辺に手足が転がっていることから、かなり酷い事をアルハードがされたのだと推測したクティーラが色めきだっていたが、ニコルが慰めていた。
どうどう、クティーラちゃんどうどう。とまるで馬でも落ちかせるようだったのには、緊張していた住民達を和ませていたので、アルハードとしても何も言わなかった。
しばらくすると老婆は目覚め、周囲を見回した後多勢に無勢の状態にも関わらず、魔法を使おうとしてきた。
これにはアルハードも驚いたが、『掌握』によって老婆の魔力は底をついていたので、魔法は発動せず霧散した。
「魔力がないんだろ? 体力も底をついてるみたいだし拘束したりはしないけど、暴れたりするなよ」
念のためアルハードは釘を刺してから、色々と質問を投げかける。
しかし何を言っても老婆は口を開かず、ひたすら無言を貫く。
これはもうお手上げだなと思ったアルハードは、後は全てクトゥルフに任せることにした。クトゥルフであれば、この老婆も何かしらのアクションは起こしてくれるだろうという打算も含め。
「はぁ……クトゥルフ、この人お前の信者みたいだし後はお前がなんとかしてくれ」
もう疲れたと言わんばかりに、アルハードはため息を一つ吐いてからクトゥルフにパスした。
アルハードがクトゥルフの名を口にすると、ずっと項垂れていた老婆は首だけグリンと勢い良くアルハードに向け、怒鳴り散らす。
「まだクトゥルフ様の名を口にするか! この身の程知らずがぁ!」
魔力は無くなり、体力も殆ど残っていないだろう。いつまた気絶してもおかしくないはずの状態なのに、よくもここまで威勢よく叫べるものだと、ある意味感心してしまう。
それ程までにこの老婆は、クトゥルフのことを思っているのだろうかとアルハードは思う。
何にせよ、後はそのクトゥルフに任せたのだ、戦闘による疲労というよりも、精神的に疲れたアルハードは最早何も言わない。
アルハードと入れ替わるようにクトゥルフが老婆の前へと歩み寄る。
今だ興奮状態にある老婆だったが、クトゥルフはまるで本物の神父のように、柔和な笑みを浮かべ老婆へと視線を合わせる。
「あなたはどうして、そこまでそのクトゥルフに拘るのか聞いてもよいか?」
クトゥルフの笑みに毒気を抜かれたのか、老婆はぽつりぽつりと口にする。
後ろに下がったアルハードは、おしい、口調さえ良ければ本物の神父だったのに! とどうでもいいことを考えていた。
老婆が語り出す。
「私は見ての通りエルフ。でも、私が生まれ育った集落では異端扱いをされていた。その理由が、風の精霊から嫌われていたから……」
本来エルフは、どの種族よりも風の精霊と親和性が高い。殆どのエルフが風の魔法を得意としている。その為、あれ程の水の魔法の腕を持ちながらも、風の魔法を使えない老婆は異端として扱われていたのだという。
理解してくれる友人などおらず、あげく親にまでも見捨てられ、逃げるも同然に集落を抜け出し人間の街でひっそりと暮らしていたのだという。
エルフを奴隷として売ろうとする連中はもちろんいたが、水魔法で追い払っていたため、たまにちょっかいを出してくる連中がいる程度の認識で、集落にいた時よりは平穏に暮らせたらしい。
そんなある日、彼女の元に貴族が現れた。
厄介事かと思ったが、その貴族は老婆の事を優秀な水魔法の使い手として、王宮で雇いたいとのことだった。
「私は歓喜した。私の魔法が誰かの役に立てると、そう思い王宮で働くこととなった。でも、私に与えられた仕事は人を殺すことだった。隣国との戦争に魔法兵として人殺しの兵器として使われた」
それが三百年前のこと。
長寿のエルフとは言え、三百年という年月は相当だ。
「当時私よりも水魔法について腕のある者はいなかった。私自身も対多数に有効な水魔法を得意としていたから次々と戦果を上げることができた……人々からは魔女と呼ばれ、尊敬と畏怖が込められた。やがて戦争は勝利で終えることができた。だから、私はその国から姿を消した。戦争の勝利に貢献した私は武勲を授けられたはずだったけれど、そんな人殺しの証なんて欲しくもなかったから……」
誰も老婆の話に口を挟まなかった。クトゥルフでさえも、静かに話を聞くだけである。
「誰も寄り付かないような森の中でひっそりと暮らすことにしたけど、毎晩のように悪夢にうなされた。私の放った水魔法に為す術なく飲み込まれる、敵国の兵達の悲痛な叫びが頭の中から離れない……寝ても覚めてもうなされる、私は何のために生まれてきたのか、嫌われ、殺して、私はなんでこの世界に生まれてきたのか、そう思って自らの命を絶とうとしたある日、いつもの悪夢とは違う夢を見た」
それがクトゥルフの見せる夢だったのだろう。アルハードは彼女の話す夢の内容と、自らが見たクトゥルフの夢を重ね合わせた。
青白く発光する幾何学模様が刻まれた、見たこともない建造物に囲まれた場所。
それは海の中だったが、しかし呼吸が苦しいとも思わなかった。むしろ海に包まれている感覚が心地よかったと老婆は語る。
「私はそこでクトゥルフ様のお言葉を聞いた。三百年くらい前のことなのに、一言一句覚えてる」
――私を助けてくれまいか? 優秀な水魔法の使い手よ。
「私はこう応えようとした――私は誰にも必要とされない、だからそんなことはできない――でも、いくら口を開こうとしても、声が出なかった。そんな私にクトゥルフ様はこうおっしゃった」
――そなたの懺悔を口にする必要はない。その力を私が欲しているという事実のみがこの場に置いて必要なことなのだ。
「私は恐れ多くも、なんて自分勝手なことを言うのだろうと思った。でも……嫌われ者で、たくさんの人を殺してきた私を、あの御方は必要としてくれた。そして、そのまま意識が深海の底へと沈んで行った。目が覚めた時、私は悪夢から開放されたのだと理解した。そして、あのお方を助け出すために、私の命全てをかけようと、そう誓った」
それから老婆は世界中を旅して周り、クトゥルフを復活させるためにその生涯を捧げたのだという。
老婆の姿を見ればわかることだ。一際容姿が優れているエルフだが、老婆の顔はシワだらけで、髪や肌などは手入れなどしていないのだろう。自分のことは二の次で、クトゥルフを探し回ったのだろう。
誰も口を開くことはなかった。今の老婆の話を聞いて、クトゥルフがなんと言うか待っていた。
クトゥルフは小さく微笑むと、老婆の頭に手をかざす。その瞬間、老婆は涙を流していた。
「私を見つけ出すために長い間旅をしてくれていたのだな。ありがとう」
「あぁ……あぁ! あなたが、あなたがクトゥルフ様だったのですね……!」
「如何にも。そして、私の一言があなたの人生を奪ってしまったのだな……すまない」
「違います! 私は確かにクトゥルフ様のお言葉に救われました……! 私を救ってくださった、私の神様」
老婆は縋るようにクトゥルフを見つめる。溢れ出す涙を拭うことはせず、ただただ目の前の彼女の神様を見つめていた。
そこには、アルハードを襲ってきた魔女の名を冠する老婆の姿はなかった。
「ふむ。長旅に疲れたであろう、これからはこのインスマスでのんびりと暮らすのはどうだろうか? アルもそれで良いだろうか?」
クトゥルフは老婆にそんな提案をした。ついでと言わんばかりに、アルハードにも一応賛否を聞くらしい。
話を振られたアルハードは、苦笑いだ。なにせ、たった今襲われた相手と一緒に暮らせと言われたのだ。千切られた手足もその辺に転がったままだ。
しかし、今の話を聞いて否と言えるアルハードではなかった。それに、インスマス面にも一度襲われているアルハードだったので、襲われたからというのは今更だ。
「構わないよ」
「アルならばそう言ってくれると思った」
アルハードとクトゥルフは互いに笑みを交わした。しかし、老婆はそうではなかったようだ。
「とてもありがたい申し出なのですが、それはできません」
「なぜだ?」
「私は長き時を生きすぎました。間もなく私の寿命は尽きるでしょう……けどれ、最後にあなた様に会うことができて、私の人生は意味を持つことができました」
ありがとうございます。と力なく微笑む老婆の顔には、しかし悲壮感などなく、達成感に溢れていた。
後はひっそりと、人知れず死にに行くだけだと言った老婆に、アルハードとクトゥルフは異を唱えることができなかった。
二人だけではない。老婆の話を聞いていた者全員が口を閉ざしていた。
誰もが口を閉ざす中、老婆の前にハイドラが歩み出る。
「あなたはまだ生きるべきです」
「っ……」
「寿命が尽きる? そんなものがなんですか。あなたは私と共にクトゥルフ様に仕えるべきです」
ハイドラが真剣味を帯びた視線を老婆に送る。
クトゥルフ様に仕えるという言葉を聞いた老婆は、小さくその体を震わせていた。
「今のあなたならば、私と魂の契約をすることが可能でしょう」
「で、ですが、魂の契約は魂の波長が合わない者と行えば、双方の命を落とす契約のはず」
(えっ)
(……)
(おい!)
(……)
「何か問題が? あなたの信仰心はその程度のものなのですか?」
ハイドラが老婆に真意を問う。
三百年間、クトゥルフのためだけに生きてきた老婆にその質問は愚問だろう。恐らくハイドラもそのことはわかっている。わかっていて、老婆の覚悟を問うていた。
「未来永劫、クトゥルフ様の眷属として仕えるつもりがあるのなら、今すぐ私の手を取りなさい。あなたにはその資格があるはず」
スッと差し出されたハイドラの手を、老婆はおずおずと触れる。
光の粒子が彼女らの周りに溢れ、やがて触れ合った手に収束していく。
この瞬間。老婆とハイドラの魂の契約は完了した。
老婆の三百年に及ぶ長い旅はここに幕を閉じた。自らの神の眷属となることで、未来永劫クトゥルフに仕えるという誉れを得ることができたのだ。
感極まり涙を流す老婆に、ハイドラとクトゥルフは優しい笑みを向ける。周りにいたインスマス面や深きもの達も歓喜の声を上げた。
そんな中、途中から一切の会話が耳に入ってこない者がいた。
周りから見たら、一連のやり取りを黙って見守っている様に見える、インスマスの村長だ。
そんな村長ことアルハードは、内心で声を荒げていた。最早ハイドラと老婆のやり取りなど、一切眼中に入っていない。
(おい! ナル! 答えろよ!)
(……)
(無視すんな! 死ぬってどういうことだよ!? お前何にも言ってなかったじゃねーか!)
(……)
(何か言えよぉおおおおおおおおおおおお!)
読んでいただきありがとうございます。
これで二章は終わりです。
思ったよりも長くなってしまいました。
なろうの小説は展開が早いものが結構多いと思いますが、ネクロノミコンは結構ローテンポです。
もう少しテンポを気にして書きたいのですが、どうしても矛盾が出ないようあれこれ気になってしまって、中々うまいこといきません。
すでに二十万字を超えていますが、予定ではだいぶと長くなる予定ですので、気長に読んで頂けると幸いです。
このネクロノミコンのコンセプトとしては、クトゥルフ神話を知らない人でも楽しんでもらおう。クトゥルフ神話を知ってもらおうというものです。(まぁ、原作はもっとホラー感が出ているので、全然別作品みたいになってしまっていますが)
筆者の力不足で、それができているかはわかりませんが、これからも頑張っていきたいと思います。
二十万字読むというのは、それなりに時間がかかることですが、それでもここまで読んでくださった方、重ね重ねお礼申し上げます。
もし気に入ってくださったのなら、評価やブックマーク、感想等頂ければ狂喜乱舞します。よろしくお願いします。




