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ネクロノミコン~神話生物と暮らす~  作者: @素朴
第二章
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24-2 魔女

 アルハードが村の入口に向かうと、デリックが言っていた頭まですっぽりとローブを被った者がいた。


 だぼっとしたローブの上からではよくわからなかったが、背はそれほど高くなく、肩幅もほっそりとしていることから女性なのだと推測する。


「お待たせしました。一応このインスマスの村長をやっている者です」


 アルハードはこれでも貴族だった人間だ。初対面の人に対する礼節は教育されている。


 一方ローブの女性はそんなアルハードの言葉は無視するかのように、何も言葉を返すことはなかった。


 下を向いたままブツブツと何やら呟いている。


 その様子を見て、アルハードは少しばかり警戒する。


「えっと……俺に何か用が――」


「貴様らが」


 アルハードの声を遮るようにして、しゃがれた声が発せられた。


 アルハードが、えっ、と呆けていると、ローブの女性は勢い良く顔を露わにする。


 ボサボサの青い髪に、濁ったような青い瞳。シワだらけの顔に、何より特徴的なのはその耳。そこに居たのはエルフの老婆だった。


 なぜエルフの老婆がこの場所に? とアルハードは疑問に思うが、思考を巡らせる前に目の前の老婆は言葉を続ける。


「貴様らがクトゥルフ様が復活したなどとホラを吹く痴れ者か!」


 およそ老婆が発するとは思えない、そんな怒気を孕んだ声にアルハードは驚きを隠せなかった。


 その瞳は酷く濁っており、狂気に染まっている。


 髪を振り乱し、ヒステリックに叫び散らす様は、およそ正気とは思えなかった。


 とりあえず落ち着いてもらわないことには話ができないと判断したアルハードは、腫れ物を扱うように慎重に声をかける。


「い、いや、クトゥルフは実際に――」


「貴様如きが軽々しくあの御方の名を口にするな!」


 会話が成立しない。アルハードが何か言おうとしても、それを遮るように老婆は怒声を飛ばす。


 なんとかしてアルハードは会話を試みる。


 クトゥルフは実際に復活していて、今はこの村で一緒に住んでいる。そう説明しても、彼女は納得する様子はない。それどころか、更にイライラしているようにも見える。


 これは実際クトゥルフを連れて来たほうが良いだろうと思ったところで、痺れを切らした老婆が動いた。


 中級の水魔法を放ってきた。水魔法はそれほど速度がある魔法ではないので、触手を重ねてなんとか防御する。


 しかし、その魔法の威力はかなり高かった。アルハードがインスマスにやって来た時に襲撃を仕掛けてきた魔族が扱う魔法も中級の魔法だったが、それよりも威力が高い。


 本来水魔法は攻撃にあまり向いていない。威力、速度共に他の属性魔法に劣る。その為アルハードは咄嗟に防御することができた。これが火や風であったならば、アルハードの防御は間に合わなかっただろう。


 突然の攻撃に驚愕したアルハードだったが、それでも臨戦態勢へと移る。


 一方老婆は、不意打ちの初撃を防御されたことなど気にせず、次々と中級の水魔法を放ってくる。


 完全に無詠唱での発動だ。


 初級の魔法であれば、無詠唱、詠唱短縮で魔法を発動させることは、少し訓練すればできる。しかし、老婆の放つ魔法は中級だ。それだけ、目の前の老婆がかなりのやり手だということがわかる。


 アルハードは気を引き締め、防御、回避行動をとる。


 もっと警戒しておけば良かったというのは後の祭りだ。


 強力な魔物が多いあの荒野を単身で乗り越えるほどの実力者である。もし戦闘にかなりの苦戦を強いられることは明確だったはずだ。事実アルハードは、老婆ということで油断していたのだ。


 水の塊の殴打が次々とアルハードに襲いかかる。


 村に被害が出そうな攻撃や、致命打になりそうな攻撃は硬質化させた触手で防ぐ。躱せそうな攻撃は避けるが、そもそもアルハードは身体強化を行うことができないので、攻撃の殆どを触手で防いでいた。


 やがて老婆の攻撃に変化が生じた。


 中級の水魔法による殴打とは別に、初級の水魔法による礫が飛んできた。


「くそっ」


 アルハードは悪態を付きながら、服が破れることも厭わず肩や背中、腰からも触手を出し防御に徹する。


 老婆の行っている初級と中級の同時発動はかなり難度が高い。魔法の同時発動など、一体クレイアデスの魔法兵のどれ程の者ができるのだろうか。


 中級魔法の無詠唱での発動に、初級魔法との同時発動。これだけでも目の前の老婆は一流の魔法使いなのだとわかる。


 このままではジリ貧である。老婆の魔力量がどれ程かはわからないが、エルフである彼女がそうそう魔力を切らすとは思えない。


 アルハードは触手での拘束を試みるが、全て防がれてしまっていた。


(なぜアルは攻撃しないのですか?)


(いや、この人クトゥルフのこと崇拝してる人みたいだし、実際クトゥルフに会えば攻撃止めてくれるんじゃないか?)


(確かにクトゥルフを崇拝する者のようですね、それもかなり熱狂的な)


(だろ?)


(しかし、実際こうして攻撃されているのです……反撃するべきでは?)


(つってもなぁ……『破滅』の呪文は殺しちゃうし、ムーン=ビーストの槍でも下手したら致命傷だろ)


 ナルと話している間にも、攻撃の手数は増えていく。


 ここまで防ぎきれていた攻撃も、少しずつアルハードに当たり始める。それでも、当たれば致命打になりそうな中級魔法は全て防いでいく。


 水の礫がアルハードの服や肌に細やかな傷をいくつも付ける。


 それでもアルハードは攻撃をしない。あくまで触手での拘束だけに留める。


 アルハードは無用な殺しはしない。魔物や動物は食べる為に狩るが、それ以外はしない。しないというよりも、本能的に避けている。


 あの魔族を殺した時は、そもそもムーン=ビーストの力を把握できていなかったため、あまり実感がなかった。


 そもそも、クレイアデスで親の七光りで生きていた頃のアルハードは、虫を殺しただけでも強いストレスを感じる程の小心者であった。いや、常人であれば殺すということに忌避感を覚え、例え小さな命であっても、その生命を自らの手で奪えばストレスを感じるだろう。


 攻撃されたからといって、すぐさまこちらも返す刀を振りかざすことはなかった。


 それ故の膠着状態である。


 しかし、その膠着状態をよく思わなかったのは老婆だった。


 ナルと魂が繋がっているアルハードは、五感が日増しに鋭くなっている。その為、先程からずっと老婆がクトゥルフ様とぶつぶつ言っているのが聞こえていた。しかし、今は違う。


 相変わらず初級と中級の水魔法は止む気配もなく飛んでくるが、なんとそこに上級魔法と思われる詠唱を始めたのだ。


 直感的にマズイと判断するアルハード。アレを喰らったらタダではすまないと。


 それまで触手での拘束しかしようとしなかったアルハードは、咄嗟にムーン=ビーストの槍を召喚する。


 全力での投擲であればムーン=ビーストの槍でも致命傷を、当たりどころが悪ければ即死すらもあり得る。


 話し合いで解決したかったアルハードの思惑とは違うが、致し方ないだろう。


 老婆目掛けてムーン=ビーストの槍を投擲する。狙うは足だ。


 極力殺しはしたくない。できれば怪我を負わすこともしたくなかったアルハードだったが、自分の守るべきはインスマスの仲間達であり、自分の気持ちや老婆ではない。


 槍の軌道は老婆の太ももを貫く軌道だ。しかし、その槍は彼女に届くことはなかった。彼女の周りに、薄い水の膜が張られているのが見える。


 アルハードは驚愕した。ムーン=ビーストの槍は非常に鋭利であり、あの槍象にすら傷を負わすことができる。それにも関わらず、傷一つ付けることができなかった。


 並大抵の防御力ではないだろう。一体いつから展開されていたものかわからないが、相当厄介なものであることは間違いないだろう。


 そうしているうちに詠唱が完了したようだ。老婆が一言、穿けと言うと、老婆の周囲に展開された魔法陣からいくつもの水の槍が飛んでくる。


 避けるという選択肢はない。アルハードの背後には村がある。避けてしまえば村への被害は甚大なものとなるだろう。


「ちっ!」


 舌打ちとともに、幾重にも重ねた触手を硬質化し防御に回る。


 大盾のように、アルハードの身体よりも大きな触手の盾だ。


 受け切る。


 普段よりも多い量の魔力を込め、触手をより強固にする。


 しかし、そんなアルハードの思いとは裏腹に、無情にも水魔法は彼の身体を貫いた。


 防御などというレベルではなかった。触手は紙切れのように壊されたのだ。


 まさかこんなにあっさりとやられるとは思わなかった。自分の手札全てを切っていないとはいえ、まだやれるという自信があった。驕ってはいけないと思いつつも、やはり心の何処かでそう思っていたのだろう。本気になる前に死ぬなんて、なんて自分らしい最後だろうか。


 幾つもの槍に身体を貫かれ、宙を舞う間アルハードは様々な後悔をする。


 まだまだ、やることも、やりたいこともたくさんあったのに――。


 しかしいくら待てども意識がなくならない。感覚的には腹に穴が空いてるし、両腕は千切れている。右足もない。なのに、激痛が来ることも無いし、なんとなく目を瞑ってはいるが、いくら待っても走馬灯も見えない。


 やがてドチャという不快な音とともに、身体が地面に打ち付けられる。


 それでもなお痛みもないし、意識もはっきりしている。おかしいと思ったアルハードは、少しだけ目を開けて周囲の状況を確認する。老婆はまだ立ったまま動かない。千切れた右腕が視界の端に写る。


 腹には風穴が空き、手足も千切れている。それなのに、まったく痛みが来ない。いや、あまりの損傷に痛みすら感じることがなかったのだろうか。


 凄惨な自分自身の身体はわかるが、それにしたって……と、色々と不自然な自身の感覚に逆に混乱してしまう。


 すると、ずっと黙っていたナルが呆れ気味に話しかけてきた。


(私と魂の契約をしているのに、手足が無くなったり、お腹に穴が空いたくらいで死ぬわけが無いでしょう。遊んでいないで早くその手足を再生なさい)


(え? そうなの? 初耳なんですけど)


(言ってませんでしたからね)


(そういうことは言って! お願い!)


 なんで知らないの? という態度の後、言ってないからと、しれっと言い放つナルに釈然としないアルハードだった。


 とりあえずそのことについては後ほど問いただすとして、再生と言われてもどうやればいいかわからない。


(念じればいいですよ。慣れれば勝手に生えてくる様にもなりますし、意図的に損傷させたままでいることも可能です)


(なんかもう滅茶苦茶だな……)


 戦闘をしているよりも、ナルと話している方がよっぽど疲れる。そう思いながらも、言われたように手足が生えてくるよう念じる。


 腹部に空いた傷口がボコボコと音を立て、みるみる塞がっていく。無くなった手足は、傷口から幾つもの触手が生えてきてそれが腕や足を形作り、やがて元の肌色に落ち着いた。


(えぇ……俺、人間じゃなくなっちゃったのか?)


(大丈夫ですよ……まだ、人間です)


 まだ、という不穏な単語が聞こえたが、それは後回しだ。今夜はナルとゆっくり話す必要がありそうだとげんなりしながら、アルハードは立ち上がった。


 アルハードが立ち上がると、先ほどまで微動だにせず突っ立っていた老婆から、焦りのような雰囲気を感じた。


 ここまで狂ったようにクトゥルフの名を口にしながらも、戦闘では冷静に行動していた老婆だったが、動揺しているらしかった。


 何はともあれ、あの老婆に手加減は不要だろう。いや、全力の『破戒』などを仕掛ければ一瞬だろうが、多少強力な呪文であっても即死には至らないだろう。


 そう結論付けたアルハードは、クトゥルフから教えてもらった呪文を詠唱する。


 やっかいなのはあの水の防御膜だ。しかしそれごと拘束してしまえば問題無いだろう。


 アルハードが動いても老婆は動けないでいた。


 それもそのはずである。怪我などを治療する魔法は、主に光属性の魔法が多いが、現存する魔法の中に損傷を即時再生させる魔法など存在しないのだから。


 それをいともたやすく行ってしまう者が目の前にいるのだ。それは信じがたい光景なのだろう。


「悪いけど、拘束させてもらうぞ。ちょっとばかし力が入らなくなると思うけど、多分死なないから勘弁してくれよな」


 アルハードはそう言いながら右手を突き出し、老婆を握りつぶすように掌を閉じる。


「『掌握』!」


 不可視の触肢が水の防御膜ごと老婆を拘束する。


 老婆は自分が何をされたかわかっていないようだったが、すぐに理解することになる。


 水の防御膜が握りつぶされている。


 あっという間に不可視の触肢は、水の防御膜を破り、老婆へと届く。そこで老婆は、自身が潰されることを覚悟したが、その時が訪れることはなかった。身体から力が抜け、為す術もなくその意識を手放した。

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