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ネクロノミコン~神話生物と暮らす~  作者: @素朴
第二章
40/60

24-1 魔女

 結論から言えば、クトゥルフはニコル、デリックと打ち解けることができた。


 最初は恐縮していた二人だったが、アルハードとクティーラのフォローもあり、今ではすっかり友人のように話ができる仲まで進展することができた。


 日常的にニコルとデリックは頻繁にクトゥルフに話しかけており、その談笑している姿を目撃した住民達は、クトゥルフ様は我らの神様だが、普通に話すことができるのではないか? という気持ちに持っていくことができた。


 結果、今ではクトゥルフに話しかけることを躊躇う者は少なくなった。


 一部古参の深きもの達は、まだまだ恐れ多いと思っているようだったが、それも時間の問題だろう。


 クトゥルフも話しかけられることが嬉しいのだろう、インスマスに来た時よりも表情豊かになっていたし、偉そうな態度も鳴りを潜めていた。


 更には、相談する者も出てきていた。


 クトゥルフは真摯話を聞き、良いアドバイスをしていた。流石途方もない年月を生きてきた神様は、その辺博識であった。


 その姿を目撃したアルハードは、良かったなーと満足げであった。


 さて、そんなアルハードの目の前には今ハイドラがいる。村の中居る時はダゴンもハイドラも人間サイズになっている。


 時は正午前。漁や狩りが一段落した頃合いだ。


「アルさん、少しお話があります」


「お、おう、何?」


 普段は温和なハイドラだったが、今話があると言ってきたハイドラの雰囲気は違っていた。


 ハイドラは和を大切にする。インスマス内で争いが起こらないよう常に周りを気にかけ、住民の皆には平等に優しい。


 ハイドラが怒っている場面は、クトゥルフを復活させに行く際、ダゴンに敗れた時くらいしかなかった。


 そのハイドラが、今はキッと鋭い眼光でアルハードを睨みつけるように見つめているのだ。


 思わずアルハードは声が上ずってしまう。


「何故、クトゥルフ様はダゴンの事をダゴン先輩と呼んでいるのか気になっておりました」


「あぁ、うん、それな」


 その原因は間違いなくアルハードにある。


 ルルイエで適当な思いつきをそのまま口にし、クトゥルフがそれを気に入ったため、今もなおダゴンはダゴン先輩と呼ばれていた。


 それがハイドラの気に障ったのだろうか。


「ダゴンがそう言わせているのではなく、クトゥルフ様が気に入ってそう呼んでいることは、普段のお二人を見てわかりました」


 何かを諭すように、ゆっくりと丁寧な口調で話すハイドラだったが、今はそれがなんだか怖いとアルハードは感じる。


 一体何をやらかしてしまったのだろうか。熱くもないのに汗が滲み出てくる。


「そして、ルルイエでのことを全てダゴンから聞きました」


 一際ハイドラの眼光が強くなる。アルハードは背中から冷や汗が吹き出した。


 ルルイエでは、クトゥルフに対して説教をかましたり、頭をペチペチしたりとやりたい放題のアルハード。


 その事がハイドラにバレてしまったのだ。


 恐らく、インスマスで最もクトゥルフを崇拝しているのはハイドラであろう。そのハイドラに、アルハードの暴挙が伝わってしまったのだ。


 もちろん危惧していなかったわけではない。しかし、ダゴンは寡黙であるし、もしかしたらハイドラには何も言わないかもと楽観視していた部分もある。


「ダゴンに何故先輩と呼ばれているのか問い詰めたところ、全てを話してくれたのです」


 どうやら思いつきで言った先輩呼びのせいらしい。


(適当な思いつきを口にするんじゃなかったぁああああ)


(やれやれ……アルは浅慮ですからね)


 今更後悔するアルハードだが、後悔先に立たず。


 すでにハイドラの様子がおかしいことに気付いた住民たちは、遠巻きにアルハード達を見守るだけであり、近くには誰一人としていない。


「ルルイエでは、クトゥルフ様に対して数々の無礼を働いたようですね」


「あ、あのですねハイドラさん、それには誤解がありまして……」


「いいえ、私はその事について言っているのではないのですよ。確かに許しがたいことですが、それはもうそのような無礼者を何故八つ裂きにしなかったのかとダゴンに問い詰めたいですが、私自らが手を下すことも吝かではありませんが、クトゥルフ様が気にしていないのであれば、私が出しゃばるような事は致しません」


 どうやらハイドラは、ルルイエでのアルハードの傍若無人な振る舞いについて言及したい訳ではないらしい。八つ裂きだの手を下すだの物騒な言葉は出てきたが、クトゥルフが気にしていないことでアルハードは破滅しなくて済みそうだった。


 では一体、ハイドラは何が言いたいのだろうか。


「えっと……ハイドラは一体何が――」


「何が!? アルさんはこの私の気持がわからないというのですか!?」


 突然声を上げたハイドラに、アルハードは身体をビクつかせる。


 興奮のあまり一歩詰め寄るハイドラ。


 ハイドラの剣幕に気圧され一歩後退るアルハード。


「ダゴンが! 先輩と呼ばれていることが! 私は羨ましい!」


 そこ!? そこなの!? とアルハードは思ったが、口に出す前にハイドラが言葉を続ける。


「私は! クトゥルフ様にハイドラ先輩と呼ばれたい! 我らの神であらせられるクトゥルフ様に先輩と呼ばれ、師事を請われる、あぁ、なんと背徳的で甘美なことなのでしょう……しかし、その寵愛を受けているのはダゴンただ一人、どうして私ではないのか、私では駄目なのか、あの時、クトゥルフ様をお迎えに行く際ダゴンを打ち倒していれば、先輩と呼んでもらう権利を勝ち得たのは私だったのだと思うと、悔しさでどうにかなりそうです!」


「えーっと、でも、ダゴンは先輩って呼ばれるの嫌がってなかったっけ?」


 ダゴンは先輩と呼ぶのだけは勘弁して欲しいと言っていたはずだ。実際、インスマスで生活している時もダゴンはクトゥルフに先輩と言われギョッとしていた。もちろん周りにいた者達も同様にギョッとしていた。


 なのでアルハードは、ダゴンがクトゥルフに先輩と呼ばれることに困っていると思っていたが、どうやらそうではないらしい。


 現に、ハイドラは火に油を注いだかのごとく更にヒートアップしていた。


「嫌がってなどいません! 困ったような顔をしてはいますが、伊達に長年ダゴンと夫婦をしている訳ではないのですよ? クトゥルフ様にダゴン先輩と呼ばれるたびに、ダゴンはほんの僅かに口角が上がっておりますし、嬉しそうな雰囲気を醸し出すのです! あぁ、なんと嘆かわしい、漁をしている時もクトゥルフ様はダゴンの側で色々と聞いております、その度にダゴンから幸せそうなオーラが出ているのですよ! 漁をしている時クトゥルフ様が私に何かお尋ねになることはありません! 全部ダゴンです! 私は! ダゴンの幸せを呪わずにはいられません……!」


 その表情はダゴンに対しての怒気と嫉妬に染まっているが、とても悲痛そうだった。


 これは、ハイドラの心の叫びなのだろう。


 あんなに温和なハイドラが取り乱し、ヒステリックにアルハードに迫りくる。


 アルハードは、すでに話をし始めた位置から十歩程後ずさりしている。


(アルの適当な提案が、ここまであのハイドラを嫉妬に狂わすとは……アルはすごいですね)


(いや、そういうのいいから! この状況を抜け出す秘策をお願いしますナル様!)


(こんな面白い状況、そうそう終わらしてしまうなどもったいない)


(面白いのはナルだけだろ!)


(ここにクトゥルフとダゴンが仲良さそうに通りがからないでしょうか)


(まじで勘弁してください!?)


 目が血走っているハイドラに、底知れない恐怖を感じているアルハードは、ナルに助けを求めたがダメだった。


 ナルはこの状況を楽しんでいる。十中八九切り抜ける方法など考えてくれないだろう。


 三日月をひっくり返した様に口を歪ませ、至極楽しそうに嗤っているナルの姿が想像できる。


 そんな追い詰められていたアルハードだったが、なんと救世主が登場したのだった。


「おっ、アルの旦那ここにいたのか!」


 デリックである。


 アルハードは地獄に垂らされた、デリックという糸にすぐさま飛びつく。


 あぁ、デリックお前はほんと凄いやつだよ、この状況に臆せず声をかけられるなんて。そう思いながらも、感謝の気持ちが絶えない。


「デリック、今アルさんは私とお話しているのですよ?」


 ピシャリと言い放つハイドラ。流石のデリックも、普段と違いすぎるハイドラの姿にたじろいでいた。


 しかし、救世主デリックはそれでもアルハードに救いの手を述べてくれるようだ。しかも、最高の形で。


「う、あ……すんませんっスハイドラの姐さん、でもアルの旦那にお客さんなんだよ」


 ここで飛びつかないわけにはいかないアルハードは、若干食い気味にデリックへと寄る。


 ハイドラから逃げたい一心だったため、ハイドラにはそのアルハードの行動が不自然に見えたらしく、眉をしかめている。


「俺にお客さん? 珍しいな……貴族っぽいやつか?」


「いや、なんか頭からすっぽりローブを被ってたから判らねぇけど、貴族っぽくはなかったぞ。なんかこの村の責任者を出せって」


 アルハードはなるべくハイドラの方を見ないようにし、今はお客さんが優先ですよーという雰囲気を精一杯出す。


 デリックもハイドラの物々しい気配を感じ取ったのだろう、なるべく触れないようにしている様子だった。


 デリックはこういう時空気が読める男だ。


「責任者をか? 一応俺が村長だし、責任者ってことになるのかな」


 相手方はアルハードを指名したわけではなく、責任者と言ってきたらしい。しかも、デリックの話を聞いていくと、どうやら相手は一人らしく、荷馬車などを引いているわけでもないとのことだった。


 商人という訳でもないらしく、単身の荒野を乗り越えてこのインスマスに来る者。


 そんな相手に心当たりのないアルハードは、ますます首を傾げるが、とにかく会ってみないことには始まらない。


「全然心当たりがないけど、とりあえず会ってみるか」


「おう、そうしてくれよ……あぁ、たぶんだけどばーさんだと思うぜ? 声がそんな感じだった」


「ばーさん? うーん……まぁいっか、何処にいるんだ?」


「村の入口で待ってもらってる、誰かつけるか?」


「いや、多分大丈夫だろ。行ってくる」


 デリックとしては、単身荒野を乗り越えてきた謎の老人ということでやや警戒していたため、村に招き入れること無く、入り口で待ってもらうようにしていた。更に、アルハードが会いに行くと言うことでムーン=ビーストあたりについて行って貰おうと思ったが、アルハード本人が特に警戒をしていなかった。


 アルハードとしては、今の最大の脅威はハイドラだという認識だったので、一刻も早くこの場を逃れたい一心だった。


 村の入口に向かおうとしたところで、アルハードはデリックに耳打ちする。


「じゃ、ハイドラのことはデリックに任せるぞ」


「は?」


 それだけ言い残すと、デリックが呆けている内にさっさと走り出した。


「ハイドラー! 後はデリックが聞いてくれるってー!」


 一度だけ後ろを振り向き、ハイドラにそれだけ言い残し、一目散に駆けていった。


 ハイドラの剣呑な雰囲気と、デリックの恨みがましい視線と声を背中に浴びながらも、決して後ろを振り向かずに走る。


 一時的に逃げただけであり、その場しのぎに過ぎないアルハードの行いだったが、当の本人はすでに助かった気になっていた。来客の対応が終わった後、再びハイドラに詰め寄られるだろうなどとは思いもしないアルハードは、ナルが言った通りやはり浅慮なのだろう。


「おい! 待てよアルの旦那ぁー!」


 デリックの声はしっかりと聞こえていた。無視した。

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