22-1 帰還
ダゴンの怒りが鎮まるのを待ち、無事『クトゥルフ』の復活を成し遂げたアルハード一行は、『クトゥルフ』を伴ってインスマスへの帰路につく。
とてもではないが『クトゥルフ』のサイズでは、『ルルイエ』から孤島の地底湖へと繋がる縦穴を通ることができないので、その姿を人間サイズに変えてもらった。
来る途中洞窟内でダゴンが張り倒していた巨大なトカゲを、鱗を剥げば食べられそうだという理由で回収した。
ダゴンサイズのトカゲをどうやって運ぼうか悩んだが、なんと『クトゥルフ』が片手で軽々と運んでいた。
ダゴンは自分が代わりに持っていくと主張したが、なぜか『クトゥルフ』が譲らなかったので、渋々折れていた。
ダゴンであっても、あのサイズのトカゲを運ぶことは骨が折れるだろうし、適材適所というやつだろう。
アルハードはあのトカゲを片手で軽々と持ち上げている『クトゥルフ』に驚いていたが、神話生物の、それも邪神クラスである『クトゥルフ』ならそのくらいできるかと一人納得していた。
一行は特に何事もなく洞窟を抜け、インスマスへ向けて遠泳を始めていた。
やはり恐れ多いのだろうか、ダゴンや深きもの達は『クトゥルフ』に話しかけることはせず、緊張した面持ちで黙々と泳いでいた。
インスマスまでは一日程かかるので、その間アルハードは『クトゥルフ』にインスマスの現状を話したりなどしながら泳いでいた。
「――って感じで、まだまだ発展途中もいいところだけど、とりあえず皆仲良く暮らせてるかな」
「なるほど。我々は基本的に不老であるし、長い月日を生きていると日々が退屈になってしまうが、話を聞いている分では深きものやインスマス面達は楽しく過ごしているみたいだな」
インスマスの現状は決して裕福なものではない。その日食べる物を狩り、余裕があれば備蓄していくといった程度の食糧事情である。更に、栄養バランス的にも非常に偏っており、およそ九割が魚と肉だ。
衣類に関しても今のところ改善の兆しはなく、あるものを使いまわしている。
住むところに関しては、元大工見習いのイアンが中心となり、いくらか改善している。
インスマス面、深きもの、ムーン=ビーストと複数の種族が暮らしているが、今のところ大きな問題はなく、互いに助け合うように生活している。住民の人数も大して多くないので、今の状態は村長のアルハードとしても助かっていた。
「しかし、ムーン=ビーストが一緒に暮らしているということには驚いた」
アルハードの話の中でも、『クトゥルフ』が一番興味を惹かれたのはムーン=ビーストと共存しているという点であった。
ムーン=ビーストは、神話体系の中では下級の独立種族であり、一部はニャルラトホテプに仕えているとされている。その本質は非常に残忍で冷酷。拷問者と呼ばれる程のものだったが、それが大人しくアルハードに付き従うよう、インスマス面、深きものに協力的なのだから、ムーン=ビーストを知る『クトゥルフ』としても驚きだったのだろう。
「まぁあいつらもいいやつらだし、仲良くしてやってくれよ」
「無論だとも。我が眷属にも良くしてくれているとの話だ。彼らも決して頭の悪い種族ではない、美味い酒を交わせそうだ」
「あー、そうだなぁ……まぁ、酒は今のところインスマスにはないけどな」
酒などと言った娯楽品は当然のように今のインスマスにはない。
アルハードは酒を嗜むことはなかったので、特段困ることはなかった。それに、今はインスマスを良くすることで精一杯だったため、嗜好品にまで頭が回っていなかった。
『クトゥルフ』は少しばかり残念そうに、そうか……と呟く程度だったが、何処と無く寂しそうな雰囲気があったため、その内酒も用意できるようにしようと、アルハードは心の片隅に留めておいた。
とはいえ、アルハードとて算段がないわけではない。
それは、一度中央国クレイアデスに戻って行った侵入者達だ。彼らはインスマスを出立する際、非常にやる気に満ちていたので、きっとアルハードやインスマスの皆を満足させるだけのことをやってくれるだろうと思っていた。
魂の忠誠まで交わした彼らとアルハードには、インスマスの住民達とはまた違った絆が生まれていたのだろう。
「ま、優秀な仲間達が今頑張ってくれてるからさ、そのうちきっと酒も飲めるようになるさ」
「そうか、それは非常に楽しみだ」
『クトゥルフ』はまるで、神父の様な優しい笑みを浮かべる。
「さっきから気になってたんだけど、なんだよその格好は」
今の『クトゥルフ』は身長およそ百八十センチ程の恰幅のいい人間の姿をしていた。
白を基調とした祭服にその身を包み、顔はあのタコ頭ではなく普通の人間だ。初老といったくらいだろうか、人の良さがにじみ出るような、優しいおじちゃんといった雰囲気が醸し出されている。
クティーラが人間の姿でいるため、その父である『クトゥルフ』が人間の姿に変身できることは驚かないが、それでも何故その格好? とアルハードは思わずにいられなかった。
「特に理由はないが、なんとなくこの格好がしっくりくるのでな」
「なんだそりゃ……まぁ、インスマスには立派な教会があるのに司祭様がいないからな、ある意味ちょうどいいかも」
なんとなくよくわからない説明だったが、本人がいいならそれでいいかとアルハードも深く考えたりはしない。
アルハードと『クトゥルフ』の間には和やかな雰囲気が漂っているが、ダゴンや深きもの達はまだまだ固い。二人に話かけてくる者はおらず、こちらを気にしている素振りはするものの、黙々と泳ぎ続けていた。
この調子では、インスマスの住人達も同じ感じであろう。ムーン=ビースト達がどうかはわからないが、十中八九深きもの達は『クトゥルフ』に対して一歩どころか、十歩くらい引いた態度で接するだろう。
ダゴン達がインスマスで一緒に生活するようになってからも暫くはそんな感じだったが、『クトゥルフ』はその比ではないだろう。
どうしたもんかなーとアルハードが悩んでいると、『クトゥルフ』が一つ提案をしてきた。
「アル、私を復活させてくれたお礼の代わりに、私の得意とする呪文を覚えてみる気はないか?」
『クトゥルフ』は自身が得意とする神話呪文を教えてくれるという。アルハードは悩んでいたことなど忘れ、好奇心満々でその話に食いついた。
「まじで!? 知りたい! 教えてくれ!」
幼い顔をキラキラとさせながら、若干食い気味に『クトゥルフ』に教えを請う。
予想以上の食いつきように『クトゥルフ』は驚くが、すぐに優しいおじさんの様な笑みを浮かべ、もちろんだと答えた。
それを面白くなさそうに見つめるのは、アルハードが『クトゥルフ』とのおしゃべりに夢中で、孤島を発ってから一度も話しかけてもらえないナルだけであった。
インスマスまであと少しといった所で、アルハード達の帰還をいち早く知らせるため、深きもの達は先行してインスマスへと泳いで行った。
数百年ぶりに眷属達に会う『クトゥルフ』も緊張しているのだろうか、口数が少し減っていた。
ここに来るまでにアルハードから仕切りに、ありがとうとごめんなさいをちゃんと言うように言い聞かせられていたので、それも相まっているのかもしれない。
ダゴンは最早諦めたようで、そのことについて何も言ってこなかった。
まずはダゴンが、次いでアルハード。最後に人間の姿の『クトゥルフ』が海から上がり、砂浜を踏みしめる。ついでに、あの巨大トカゲは『クトゥルフ』に引きずられていた。
すでにインスマスの住民達は皆砂浜に集まっており、緊張した面持ちで彼らが海から上がってくるのを待っていた。
『クトゥルフ』の姿が見えると、アルハード以外の者達が一斉に跪く。クティーラやムーン=ビーストも同様だ。
その光景にアルハードはギョッとしたが、今は仕方ないかと何も言わなかった。
跪いている者達の中から普段の巨大なサイズから、人間サイズになっているハイドラが歩み寄る。
「クトゥルフ様、ご無沙汰しております。ハイドラでございま……す……」
そこまで言ってハイドラは涙を流す。それ以上言葉を紡ぐことができないようだった。
頭を垂れたままの者、『クトゥルフ』の姿を見て感極まっている者、反応はそれぞれだ。だが、ハイドラ以外誰一人として前に出てくる者はおらず、声をかける者もいない。
おそらくインスマスの住民の中で、『クトゥルフ』の復活を一番願い、心待ちにしていたのはハイドラなのだろう。皆もその事をわかっているようだった。
「うむ、出迎えごくろ――」
「ん、んん!」
『クトゥルフ』が尊大な態度を取ろうとしたところで、すかさずアルハードはわざとらしい咳払いをする。
そして、お前俺の言ったこと本当にわかってるの? と言いたげな視線を突き刺す。
自らの言葉を遮られ、背中に突き刺さるアルハードの視線に『クトゥルフ』は顔を引き攣らせたが、孤島からインスマスまでの道のりで、耳にタコができる程言い聞かされたことを思い出したようだ。
「あー……皆のもの、長い間待たせてしまってすまなかった。それでもこうして出迎えて貰えたことを嬉しく思う……ありがとう」
普段ありがとう等とは言い慣れていないであろう『クトゥルフ』は、少し照れくさそうにしながら、笑みを浮かべそう言った。
決して大きな声ではなかったが、その言葉は全ての者に届いたのだろう。
ハイドラは大きく目を見開き、そして堪えていたであろう涙が溢れた。
深きもの達も涙を流す者。歓喜の声を上げる者。隣の者と抱き合う者がいた。
インスマス面達は深きもの程『クトゥルフ』に対しての信仰心が高い訳では無いが、それでも喜んでいるし、泣き崩れている深きものの肩を抱き、よかったなと声をかけている者もいた。
ムーン=ビースト達も何故か喜んでいた。
歓喜の声はすぐに砂浜を埋め尽くした。そして、いあ! いあ! クトゥルフふたぐん! という叫びが広がった。
だから、いあいあって何だよ! というアルハードの心の叫びに答えてくれる者は誰もいない。




