21-2 『クトゥルフ』の復活
あまりに規格外。おとぎ話で聞く龍よりも巨大な『クトゥルフ』を前に、アルハードは唖然としていた。
「でけぇ……」
間抜けな顔して『クトゥルフ』を見上げているアルハードとは違い、ダゴン達は平服していた。
ダゴンに至っては涙まで流しており、今にもおいおいと声を上げて泣きそうになっており、それを耐えるためにプルプルと小さく震えていた。
ギロリと赤い目がアルハードを見据える。常人であればその目を直視しただけで発狂してしまう程だが、普段からナルという神格と一緒にいるアルハードにはどうということはなく、デカイ、首が痛いくらいにしか思っていない。
「貴殿が私を復活させてくれたのか?」
低い声が海水を揺らし、不思議な響きとなりアルハードの耳に届く。
変わらずダゴン達は平服しており、この場でまともにやり取りできるのはアルハードだけのようだ。
「ま、まぁな」
「そうか、まこと大義であった、感謝しよう」
「お、おう、いいってことよ。俺はアルハードっていうんだ、よろしくな」
「うむ。よろしく頼む。それとダゴン」
「は、はいぃ!」
地面が抉れるのではないかという程、頭を地面にめり込ませていたダゴンが、ビクッとして直立不動となる。
普段のダゴンからは想像もできないその姿に、アルハードはちょっと面白くなってきていた。それと同時に、『クトゥルフ』の偉そうな態度にムッとしていることも事実である。
「そなたもだ、感謝しよう」
「そ、そんな! 私は『クトゥルフ』様の眷属として、当然のことをしたまでです! 『クトゥルフ』様から感謝のお言葉を頂けるとは、感激の極みでございます!」
いつもブスッとしており、周りに怖い人と勘違いされそうなダゴンだったが、今の姿はさながら王の前で緊張のあまり普段使い慣れていない敬語を精一杯使う一兵士のようである。
そんなダゴンの姿に、当然だというわんばかりで頷いている『クトゥルフ』に、アルハードはついカチンと来てしまった。
そうじゃないだろうと、夢の中でも言っただろうと、こいつは何もわかっていないと。
「あのさぁ、『クトゥルフ』さぁ、その態度は何なんだ?」
はぁ、とわざとらしいため息を吐き、腰に手を当て、なるべく声を低くして俺は怒っているんだぞという態度が伝わるように演技をするアルハード。
アルハードの突然の変化に『クトゥルフ』は戸惑っており、ダゴンや深きもの達は顔を青褪めさせていた。
「なんでお前そんなに偉そうなの? ダゴンに感激の極みとか言われて、当然だとでも言うように頷いてるしさぁ」
「い、いや、それは……」
「あ、アルハード! やめぬか! この御方は実際に偉い存在なのだ!」
「実際に偉くてもさぁ、そうじゃないだろ? まずは長い間待たせてしまってごめんなさい。それから、こうして迎えに来てくれてありがとう。そうじゃないのか?」
「む、むぐ……」
「やめろ! その口を慎まぬか!」
邪神とも呼ばれる存在に説教をかますアルハード。正論の前に言葉が詰まる『クトゥルフ』。青褪めていたかと思えば顔を赤くしアルハードを止めようとするダゴン。三者三様の様に、オロオロとしているのは深きもの達だ。
世界広しと言えど、『クトゥルフ』の様な神格に説教をすることができる者など、おそらくアルハードしかいないだろう。
神をも恐れぬとはこの事か、一度スイッチが入ってしまったアルハードは止まらない。
「いいや黙らないね! 今の『クトゥルフ』は偉そうにしているだけで、自分じゃ何もしない嫌な貴族と一緒だ! 自分が偉いことは当然で、そんな自分に尽くすことは当然だって思ってる奴らだ! 俺はあいつらが大嫌いだ!」
「アルハード!」
「ちょっとダゴン黙っててくれない? お小言なら後で聞くから、今俺は『クトゥルフ』と話してるの」
「こればかりは看過できない。『クトゥルフ』様が一体どれだけ偉大なのかアルハードはわかっているのか!?」
なおも食い下がるダゴンに、それ程までに『クトゥルフ』に対する忠誠が高いのかと、ある意味で感心するアルハードだったが、譲れないのはアルハードも同じであった。
アルハードとしては、今日初めて対面した『クトゥルフ』よりも、ある程度の期間一緒に過ごしてきたダゴン達インスマスの皆を優先したい気持ちがある。それなのに『クトゥルフ』は偉いからという一言で、インスマスの皆が小間使いの様な扱いをされるのは我慢ならなかった。
「偉大ってさぁ、何をもってして偉大なんだ? 俺からしたら皆の為に家を修繕してくれるイアンとか、皆のことを思って町の警備をしてくれてるデリック。毎日頑張って漁をしてくれるダゴン達の方がよっぽど偉大だと思うぞ? それに比べて『クトゥルフ』はどうだよ。インスマス面達が辛い経験をしていても、こいつは何かしてくれたか? それとも、お前達は『クトゥルフ』の寝言を聞ければ満足なのかよ」
実際アルハードの言っていることは正論なのだろう。ダゴンは、うぐぅ……と小さく唸り黙り込んでしまった。
一方『クトゥルフ』はというと、居心地が悪いのか、元々猫背気味の背中を更に丸め小さくなっていた。
「『クトゥルフ』はさぁ、これからも身分に胡座をかいて慕ってくれる者達を偉そうに顎で扱うつもり?」
アルハードにそう言われ、思わずその巨体をビクリと揺らす『クトゥルフ』は、もはやグレート・オールド・ワンと呼ばれる邪神としての威厳も何もなかった。
返す言葉を探している『クトゥルフ』に、アルハードは気難しそうに腕を組み、更に言葉を続ける。
「もしそうなら悪いけど、『クトゥルフ』をインスマスに招き入れることはできないな」
アルハードの言葉は『クトゥルフ』に向けて言われたものだが、それに反応したのはダゴンだった。
悔しそうに俯いていたダゴンだったが、再びダゴンはアルハードに食って掛かるように声を荒げる。
「アルハード! 貴様!」
「ダゴン、今はホント黙っててくれない? 何度も言うようだけど、俺は『クトゥルフ』と話してるから」
「しかし!」
「ダゴン。よい」
「しかし、『クトゥルフ』様!」
「アルハードの言うことは最もだ……私はお前達に何一つしてやれていない」
悲痛そうな『クトゥルフ』の声に、ダゴンは今にも泣きそうな顔をしていた。
「で、『クトゥルフ』お前はどうするんだ? どうしたいんだ?」
アルハードは問う。インスマスの村長として。インスマス面や深きもの。ダゴン、ハイドラという『クトゥルフ』を崇拝している者達のために。
もし『クトゥルフ』が激昂し、アルハードに牙を向けば恐らく瞬殺されてしまうだろう。勝ち目など万に一つない戦力差がある。けれど、アルハードとしてもこれだけは譲れない。
もし『クトゥルフ』が、インスマスの住人達を見下すようなことがあれば、アルハードは全力で彼らを守らなくてはならないという思いがあった。
虐げられ、迫害されて来たインスマスの住人達を、自分達が信じている神にまで嘲られるのは我慢ができない。
そんなのは、彼らにとって救いがなさすぎる。
自らを救ってくれたインスマスの者達に報いなければならない。
常人が直視すればすぐさま狂ってしまうだろう『クトゥルフ』の悍ましい目を強く睨みつけ、アルハードは『クトゥルフ』の真意を問う。
「アルハードよ。私は彼らに何かしてやれるだろうか」
「誰かのために何かしてあげたいっていう気持ちがあればできるよ」
「こんな私でも、彼らに迎え入れてもらえるのだろうか」
「ずーっとあんたの復活を心待ちにしてたんだ。歓迎してくれるさ」
「私をインスマスに住まわせて貰えないだろうか」
「おう、いいよ。ただし! インスマスでは皆対等だ、もし『クトゥルフ』が偉そうにしてたら俺は怒るし、働かなかったら飯は無いからな!」
アルハードは『クトゥルフ』に指をビシリっと向け、胸を張って満足そうな表情でそう言い放つ。
もし、働かない奴は飯無し! などと自信満々に『クトゥルフ』を指差し宣言しているアルハードをハイドラ辺りが見たら激昂するか卒倒してしまうだろう。
現にダゴンは、自らが崇める神に向かって、そんな不遜な態度を取っているアルハードに再び食って掛かった。
「アルハードぉ! 貴様ぁ!」
「えぇ!? 何!? 今いい感じで収まってたよね!?」
「ええい黙れ! その減らない口を閉じろ! 『クトゥルフ』様に向かってなんという無礼の数々! 私が躾直してくれる!」
鬼の形相で迫り来るダゴンから逃げるように、アルハードは巨大な『クトゥルフ』の周りを泳ぎ回る。
ロトの力を宿した今のアルハードならば、ダゴン相手でも泳ぎで逃げ回り捕まることはない。
深きもの達はと言えば、ダゴンに賛成なのか、ダゴンさんやっちまえー! と拳を突き出して盛り上がっていた。
『クトゥルフ』の周りを螺旋状にグルグルと逃げ回り、やがて『クトゥルフ』のタコの様な頭部までたどり着いたアルハードは、その頭部を盾の様にしダゴンと対峙する。
「待て待て待て。ダゴンだって皆のために人一倍頑張って漁をしてくれてるじゃん。それにダゴンだって偉いんだろ?」
先日のデリック連れ去り事件から、アルハードは決してダゴンに捕まってはならないという強迫観念がある。その為必死に弁明をしようと早口に捲し立てる。
『クトゥルフ』を盾にされてはダゴンも強硬することができず、射殺さんばかりの視線でアルハードを睨みつける。
「私と『クトゥルフ』様では格が違うわ!」
「格とか知らないから! というかいいこと思いついた!」
「どうせまた碌でもない事であろう! いいからその口を閉じろ!」
「ダゴンはインスマスの皆のために漁を頑張ってくれてるし、いつも皆のことを気にかけてくれているからな。無愛想だから怖がってる奴らも居るけど……だからまぁ、『クトゥルフ』は今日からダゴンのことはダゴン先輩って呼んで師事するといいよ」
「アルハァアアアアドォォォオオオオ!」
ダゴンの絶叫が『ルルイエ』に響き渡る。そして、その絶叫をかき消したのは『クトゥルフ』の笑い声だった。
その声に驚いたのか、ダゴンはギョッとした表情で口を閉じた。
「あーはっはっは! いや、真愉快なことだ。この『ルルイエ』に閉じこもって何百年となるが、これ程までに愉快な日はなかった」
「なんだよ、インスマスで暮らしていればこんなの日常になるぞ」
「それは楽しみだ。今日は素晴らしい日だ。こうして復活することができた。そして、ふっ、ダゴン先輩という師を持つことができたのだ!」
笑いを堪えるように『クトゥルフ』がダゴン先輩と口にすると、今の今まで顔を真赤にしていたダゴンはみるみるうちに青褪めていった。
「そ、そんな、『クトゥルフ』様……どうかそれだけは勘弁してください」
「いや、私は決めた。インスマスのみなに認めてもらえるよう、ダゴン先輩から色々と学ぶのだと! よろしく頼む」
その言葉を聞いてダゴンはたじたじになってしまい、深きもの達も戸惑いを隠せないでいる。
まさか、自分達の崇める神からそのようなことを言われるなどと、一体誰が予想できただろうか。
一方アルハードは、対ダゴンに対する有効な手駒を手に入れたとホクホクだった。
アルハードの説教を受けても激昂などせず、更にどうしようもない提案をすんなり受け入れる辺り、案外『クトゥルフ』は素直なのかもしれない。
同じ村に自分達の崇拝する神が一緒に暮らしていたら、皆落ち着きが無くなるかもと危惧したが、この様子ならば『クトゥルフ』はすぐにインスマスの皆に受け入れてもらえるだろうと思った。
最早アルハードの中で『クトゥルフ』は、威張りたいけど実は素直なお爺ちゃんというイメージで固まっていた。
その事をダゴンないしはハイドラに言おうものなら、八つ裂きにされてしまうかもしれないので、決して口には出さないが。
愉快そうに笑う『クトゥルフ』に、泣きそうな顔で先輩だけはやめて下さいと懇願するダゴン。困惑しながらも、『クトゥルフ』の復活を喜ぶ深きもの達。
アルハードは機嫌が良さそうに、その様子を『クトゥルフ』の頭の上から見ている。
不意に『クトゥルフ』から声がかかる。
「アルハードよ」
「ん? なんだ?」
「改めて、復活してくれたことを感謝する。この短時間だけでもこれ程楽しい時を過ごせたのだ、これからの生活に心が躍る」
「そうか、そりゃよかった」
「うむ。これからもよろしく頼む」
「おう、よろしくなー」
そう言ってアルハードが握手の代わりに『クトゥルフ』のタコ頭をペチペチ叩くと、再びダゴンの絶叫が『ルルイエ』に響き渡った。
「アルハード貴様ぁああああああああああああああああ!」




