21-1 『クトゥルフ』の復活
小一時間程小休止を取り、その間にこの後の事を話し合ったアルハード一行は、いよいよ地底湖へと潜水を始める。
方針としては焦らず慎重にという事で話はまとまった。
水の中では光源がないため、右も左もわからない。地底湖はそれなりの広さがあるとはいえ、勢い良く潜水して何かにぶつからないとも限らないし、もしかしたら魔物が棲んでいる可能性もあるためだ。
先行して深きもの達が潜っていく。
深きもの達、アルハード、ダゴンの並び順でゆっくりと潜水していく。
ある程度潜ったところで、深きもの一人が細く高い声を発した。
声量がそれ程ある訳ではなかったが、静まり返った水の中でそれはよく通り、アルハードの耳にも不気味な声として残る。
突然の行動にアルハードは驚いたが、ダゴンや他の深きもの達は何をやっているのか理解しているようだ。
アルハードはそっと横にいる深きものに聞いた。
「今の何?」
「あ? あぁ、ありゃああして音の反響を聞いて地形を測っているのさ。こうも真っ暗だとなんにも見えないからな」
どうやら深きもの達にとっては当たり前のことらしかった。
光の差さない海底ではああして声を発し、その声の反響具合を聞いて地形を把握するのだという。
この真っ暗闇の中でも地形を把握できるという深きものの技術に感心したアルハードは、より一層深きものと言う存在の頼もしさを実感した。
少し潜水しては地形を測りを繰り返し、アルハード一行は地底湖の底にある『ルルイエ』を目指していく。
アルハード以外の面々は緊張感からか、やや重苦しい雰囲気が漂っている。しかし音でもって地形を把握している手前無闇に話しかけることはできず、なるべく音を立てない様心がける。
どれほど潜っただろうか。もうかなりの時間潜水をしているが、一向に海底へつかない。もしかして違ったかなとも思ったが、ダゴンに聞くと魔力は更に濃くなっているので間違いないと言う。
更に三回ほど地形を測り潜水すると、僅かにだが視界が効くようになってきた。暗闇に慣れてきたのかもと思ったが、そうではなく、どうやら光が差し込んでいるようだった。
「お、おい! あれって!」
視界に入った光に思わずアルハードが声を上げる。
「う……うむ……あれは……」
それにダゴンが歯切れ悪く返事をする。深きもの達もお互いの顔を見合わせていた。
そのまま進んでいくと、やがて夢で見たものと同じ、幾重にも幾何学模様が施された不思議な形をした建物が建ち並ぶ場所に出た。
アルハード達が目にしていた光は、この建物に刻まれた幾何学模様が発している青白い光だった。
幻想的なその光は、一体どういった原理で発光しているのかはわからない。しかし、目の前に広がる光景はこの世の物とは思えない、俗世から切り離された空間のようだった。
古代の海底都市『ルルイエ』。
その空間は、およそ文明的とは言い難い超常の空間であった。
何の為に建てられたのかわからない、様々な形をした巨大な建造物。その建造物全てに刻まれた、青白く発光する幾何学模様。
都市全体が魔力の内包された海水に覆われており、それでいて生物の気配はまったくなかった。
明らかに地上の島よりも広い面積を誇る海底都市は、一体どこまで広がっているのだろうか皆目検討もつかない。
目の前に広がる、常識外の光景にアルハードは阿呆みたいに口を開けていた。
(口を閉じなさい。それではまるでアホの子ですよ)
(ハッ……誰がアホの子だ!)
(今の自分の顔を見た時、同じセリフが言えるのならアルは大した人間ですよ)
ナルの皮肉に、ぐぬぬとしたあと、気を取り直してダゴンや深きもの達へと向き直る。
「よしっ、やっと『ルルイエ』に辿り着いた――えぇ……」
振り向いた先では、ダゴンは感慨深そうに目を閉じ、腕を組みながら小さく震えていた。深きもの達も目を見開いている者。口をパクパクさせている者。感動に打ち震え泣いている者と三者三様であった。
気持ちはわからなくもないアルハードであったが、少しばかりリアクションに困ってしまう。
「おーい、戻ってこい」
「――むっ……すまない、少々感傷に浸っていた様だ」
「お、おう、まだ『クトゥルフ』は復活してないからな、ちょっと気が早い。それよりも『クトゥルフ』が封印されている場所がわからないんだけど、ここすげー広いしどうしたものかね」
「それならば心配無用……こっちだ」
ダゴンはその巨体ですいーとアルハードの横を泳ぎ、この広大な『ルルイエ』を迷いもなく一直線に進んでいく。
どうやら『クトゥルフ』の魔力を辿っているのだろう。深きもの達も感じ取っている様で、黙ってダゴンに着いていく。
アルハードには『クトゥルフ』の魔力がわからないかったが、他にアテもなかったので大人しくダゴン達についていった。
しばらくすると前方に特段巨大な建造物が見えてきた。
超常的なこの『ルルイエ』でも特に異彩を放つそれは、一言で言い表すのであれば門である。
それに近づくにつれ、その門の異様なまでの大きさに度肝を抜かれる。その大きさは距離感が狂ってしまう程大きく、圧倒的な存在感を放ちながらも、中々辿り着くことができなかった。
青白く発光する幾何学模様が刻まれた建造物がひしめき合う『ルルイエ』において、その門はただただ漆黒に塗られた無骨な門だった。
「ここだ」
緊張を声に含ませたダゴンは、門の前に来るとそう告げた。
とにかくその門は巨大であった。
目の前で見るとそれが門ではなく、漆黒の壁と表現するのがピッタリな程である。二階建ての家よりも大きなダゴンですら、その門の前では小さく見えてしまう。
「この門の中に『クトゥルフ』がいるのか?」
「間違いない……ここが一番『クトゥルフ』様の魔力を強く感じる」
ダゴンに確認したアルハードは、おもむろに門を叩き声を上げた。
「おーい! 起きろー!」
「あ、アル! 貴様何をしている!?」
ガンガンと門を叩くアルハードの、神をも恐れぬ所業にダゴンは慌てて静止をかける。
一方アルハードはというと、何故ダゴンに止められたのかわかっておらず首を傾げるばかりだ。
「え? 何って、この先で『クトゥルフ』は寝てるんだろ? だから起こそうと思って」
なんで止めるの? という顔をするアルハードと、いやいやそういうことではなかろう? と困惑気味のダゴンの間には微妙な意識の差があった。
「『クトゥルフ』様は力を失って眠って居られるのだ……」
「いや知ってるけど」
「声をお掛けしたくらいで復活するのであれば苦労はしない……」
呆れたように息を吐くダゴン。アルハードのアホさ加減に緊張が解れたようだが、必要以上に脱力してしまった様子である。
アルハードとしてはちょっと試してみただけなのであったが、そこまで露骨に呆れられるとは思っていなかったのか、少しばかりムッとしていた。
(アルはお馬鹿さんなのですか?)
(はぁ? なんだよそれ! てか馬鹿じゃねぇし!)
(……扉に手を当てて魔力を流しなさい。『クトゥルフ』は魔力が足りてないだけですので、その足りない分を補充してあげればいいのです。ほら、アルは魔力だけはたくさん持っているので適任ではありませんか)
(ちょっと言い方に刺があると思うんだ)
(本当にアルは拗れてますね)
馬鹿だと言ったり、皮肉をこれでもかと織り交ぜてくるナルにだけは言われたくないとぶーたれるアルハードに、ナルはやれやれといった具合に付け加える。
(今のインスマス……いえ、私が知る限りではこの世界で『クトゥルフ』を復活させるだけの魔力を持ってる者はアルしかいないのですよ)
(え? そうなの?)
(そうですね。インスマスにいる者達全ての魔力をあわせても『クトゥルフ』の復活は叶いません。それ程までにアルの魔力量は常軌を逸しているのです)
アルハードは突然ナルに褒められて驚いていた。しかし、あの滅多に褒めないナルが、アルハードにしかできないと言っている。そのことを理解したアルハードは思わずニマニマとしてしまう。
その間ダゴン達はというと、突然黙り込んだと思ったら驚きの顔をし、その後すぐにニヤけ出したアルハードに不信感を募らせていた。
本当に大丈夫なのかと、その表情には悲壮感すら漂っている。
(インスマス皆の魔力より多いって……俺ってそんなに魔力あるの!?)
(むしろ知らなかったのですか?)
(だって魔力が無くなるまで使ったことなんてないし……)
とはいえナルに褒められたことで俄然やる気の出たアルハードは、文字通りちょろいのだろう。
よしっ! っと小さく気合を入れ、門に両手を押し当てる。
魔力の譲渡などやったことのないアルハードだが、要は魔力を送り込むイメージで行けばいいんだろ。と門に触れた両手から、門に向かって魔力を放出する。
アルハードの魔力操作は控えめに言っても下手くそである。
その為一気に魔力を流してしまうが、それでも『クトゥルフ』の魔力は回復しないらしく、貪欲にアルハードの魔力を吸い続ける。
すでにアルハードが流した魔力の量は、一般的な魔術師の魔力量をゆうに上回っている。しかし、アルハードは魔力が枯渇する様子もなく、吸われるー。と呑気に言いながら魔力を流し続けていた。
そんな光景に、ダゴン初め深きもの達は唖然とした表情で見つめていた。
「あ、アルよ。そんなに魔力を使って大丈夫なのか?」
「え? 別に平気だけど」
心配そうにダゴンが声をかけてくるが、アルハードはケロリとしており、どんどんと魔力を流し込んでいく。
アルハードはインスマスでは殆ど魔法を使わない……というよりも使えないのだが。
魔物の撃退や荒野で狩りをする時は、触手かムーン=ビーストの槍しか使わず、アルハードが魔法を使っている姿をインスマスの住民は見たことがない。
その為ダゴン達はアルハードがどのだけの魔法の腕があるのか知らなかったが、今目の前で膨大な魔力を流し込んでいる姿は異常だったのだろう。
それは、人間にしてはという括りではなく、神話生物であるダゴン達からしても異常な程の魔力量だった。
そもそもアルハードは、本来儀式や生贄を必要とする神話呪文を、その過程を魔力量で代替にし発動している。儀式や生贄をすっぽかして神話呪文を発動するなど、人間にできることではないのである。
それから十分ほどだろうか、魔力を流し続けたアルハードだったが、ふと魔力の流れが切れた。
おや? と思って門から手を話すと、それまで漆黒だった門が青白く発光し始めた。
その光景をアルハードは凄いなーと呑気な感想でもって眺めていたが、ダゴンや深きもの達はそうもいかなかった。
いあ! いあ! クトゥルフふたぐん! と、突然彼らは叫び出したのだ。
ダゴン達はアルハードの後ろにいたため、アルハードはいきなり背後から大声を浴び、ビクッとして振り向く。
「なになに!? いあいあ!? 急に大きな声出すなよ」
アルハードの言葉にダゴン達は応えること無く、一心不乱に謎の呪文を繰り返している。
一体なんだというのだ。アルハードは戸惑いつつも、今のダゴン達は話を聞いてくれそうな雰囲気ではないので、仕方なく青白く発光している門を眺める。
青白く発光する海底都市『ルルイエ』に響き渡るダゴン達の声、この声に応えるかの様に漆黒の門がゆっくりと開かれる。
門の中は青白く発光する『ルルイエ』とは対照的に暗黒であった。
この世の底を思わせる深淵。その深淵の先に、三対の赤い点が光っている。
強大な威圧感、圧迫感がゆっくりと門から出てくる。
アルハードは唖然としていた。山のようなその『クトゥルフ』の大きさに。
ダゴンですら二階建ての家よりも巨大なサイズだというのに、『クトゥルフ』はその倍、いや三倍はあろうかという大きさだった。
どこか類人的な様相をしている全体像。でっぷりと太った身体は、その本質が不定形なためかゼリーのようにブヨブヨとしている。猫背気味の丸まった背中からはボロボロの翼が生えており、腕が恐ろしいくらいに長い。大きく伸びる鉤爪は人一人程の大きさがある。
なにより特徴的なのはその頭部である。悪魔と呼ばれ忌避されているタコによく似た頭部をしており、口元と思われる場所からは、太く長い触手が何本も伸びており、不気味に揺れていた。
海底都市『ルルイエ』の主にして、深きもの達の信仰を受ける邪神『クトゥルフ』がその姿を露わにした。




