16-2 デリックのちょっと昔の話
「俺ぁ人間の頃はエレトリアで兵士をしてたんだよ。ってもまだまだ見習いで、王都じゃなくて近くの町でだったけどな」
エレトリアはインスマスを東に行き、荒野を抜けてから暫く行くとある小国だ。
海を挟んで魔大陸があったり、北の大国とも近いため小国ながらそれなりの軍事力を誇る国である。
比較的気候がいいので、農畜産業が盛んに行われており、中央国や周辺の国とも貿易を行っている。
大国程ではないが、歴史ある国でそれなりの発言力を持っている。
デリックはそんなエレトリアで兵士をやっていたのだという。
子供の頃は農業をやっていたが、体格がよく農業で鍛えたおかげかそれなりに力もあったため、十五の時に兵士に志願したらしい。
農民だったため学がなく、兵士になってからは訓練よりも読み書きが大変だったという。
エレトリアは軍事力に力を入れていたこともあり、兵士の育成にはそれなりの予算が付く。見習いであっても食うに困らない程度の給金は出ていたそうだ。
「訓練は結構ハードだったけどな、同期の奴らは気のいい奴らだったし、俺のとこの上官は厳しいけど部下のことをよく見てくれてるいい人だったよ」
デリックは昔を思い出すように、遠い目をしていた。
アルハードとクティーラも真剣にデリックの話を聞いている。特にクティーラは自分の知らない世界のことなので、興味津々といった様子である。
「訓練訓練の日々でな、幸いにも俺が勤務していた町は平和で実戦はなかった。やっても町の警備とかで喧嘩してる奴らを止めるくらいだったよ」
「それでインスマスでも村の警備をやってたのか」
アルハードはインスマスで初めてデリックに会った時のことを思い出した。
「あぁ、長年やってたことだったからな。インスマスに来て何もしない日々が落ち着かなかったからだよ」
そう言ってデリックは笑う。
別段インスマスの住民からやってくれと頼まれた訳ではなかったが、自ら行っていたらしい。しかし今は、それなりに盛ってきたインスマスの警備をアルハードはデリックにお願いしていた。
基本的にインスマスで争いは起こらない。なのでどちらかというと困った住民の手助けをする何でも屋の様な感じだ。
デリックは住民からの信頼も厚かったので、今のポジションはまさにデリックに向いている。
「っと、話が逸れたな。まぁそれなりに充実した日々を送ってたんだがよ、ある時吹き出物ができたんだ。っても食生活はあんまり良い物じゃなかったからよ、あんまり気にしてなかったんだ」
デリックの表情が僅かに暗くなる。思い出したくないことでも思い出したのだろうか。
アルハードは心配になったが、デリックが話を続けた。
「この吹き出物がよ、中々治らねぇんだ。それどころか日ごとに増えていきやがる。医者にも見てもらったが、薬でも塗っておけばいいってな。けれど、それでも治らねぇ……流石になんか皮膚病にでもかかったかと思っていた矢先、手に違和感を感じるようになったんだよ」
デリックは自分の手に視線を落とす。その手には鉤爪があり、水掻きの様な膜がある。
「そうさ、手に水掻きみてぇのができてるんだよ。だけどよ、こんな事誰にも言えねぇし見せられねぇ、バレねぇように隠しながらの生活さ。当然夜もあんまり寝られなくなったよ。俺の身体どうしちまったんだよって。そんなある日同僚に言われたんだ。お前大丈夫か? って……手の事がバレたのかと思ったけど違った、目が零れそうなほど目の周りが窪んでたんだ」
インスマス面は魚の様にギョロッと目が飛び出している様な風貌である。暗いところでいきなり出会ったりしたら悲鳴を上げてしまうかもしれない。
「それからは休養という名の隔離だったよ。吹き出物も日毎に酷くなるし、顔も変わっていく。原因は判らないしで医者もお手上げ。誰かに伝染るかもしれない皮膚病としてな……。忘れもしねぇ、いや、忘れることなんてできない……ある日な、同僚に会ったんだよ……そしたらそいつさ、俺の事見て悲鳴上げて化け物って言ったんだ……その時思ったんだよ、あぁ俺はもう人間じゃないんだって」
泣きそうな、寂しそうな、悲しそうなそんな悲痛な表情でデリックは語る。
親しかった仲間に化け物と言われ、変わっていく自分の姿。果たしてそれは正気を保つことができるのだろうか。
「きつかったぜ。いっそ死んじまった方がマシなんじゃないかってくらい。部屋にいると廊下から聞こえてくるんだ。あいつどうしちまったんだ。とか、実は魔族なんじゃないか。とかな。だからまぁ、俺は国をこっそり抜け出したよ。仲間や家族に別れも告げずにな。野垂れ死ぬならそれでもよかったと思いながら……それで荒野を彷徨ってたら自分と同じ姿の奴らが暮らすこのインスマスに行き着いたって訳だ」
デリックが話し終えた後、部屋の中はシンと静まり返っていた。
アルハードもクティーラも声を発さない。それ程にデリックの話は衝撃的だったのだ。
クティーラは『クトゥルフ』の娘でもあるので、インスマス面の進化の過程はもちろん知っている。しかし、その進化の過程でその人がどんな苦しみを味わったかなど知りもしなかった。
アルハードはある程度予想はしていたが、実際に体験談を聞くのではショックも受ける。それでも、話してくれたデリックは心が強いと思ったし、今はこうしてインスマス面のリーダーもやってくれている。同じ境遇の者だからこそ、皆の信頼を得ることができているのかもしれないと思った。
そんな中、沈黙を破ったのはデリックだった。
「おいおい、確かに暗い話をしたのは俺だけど、二人は気にしなくていいんだぞ! それに、今はインスマスでの生活も楽しいしな! アルの旦那のおかげだ」
そう言ってニヒルな笑みを浮かべるデリック。
「あ、あぁ……ちょっと衝撃的だっただけだから、うん」
「デリックさんは、今の生活楽しいんですね」
「おうよ! だから二人が気にするこたぁない」
それを聞いてアルハードは安心した。インスマスを良くしようとしているアルハードからしたら、そういった声は嬉しい。それと同時に、もっと頑張らねばという気持ちにもなった。
それとは別に、アルハードは一つ気になることがあった。
「なぁデリック、インスマスにたどり着いたって言ってたけど、インスマスは地図にも載ってない場所なのにどうやってこの荒野の中から見つけ出せたんだ?」
その疑問にデリックはうーんと唸る。
「判らねぇけど、なんとなくこっちかなって感じで吸い寄せられた感じかな」
「ふーん……じゃあさ、もう一個いい?」
「おう、なんでも聞いてくれ」
「デリックって何歳なの? インスマス面から深きものに進化するのって二、三年だよな? てことはデリックって結構若いのか?」
なんとなくどんよりしてしまった空気を変えるためにも、無難な感じの話題を出すアルハード。とはいえ、実はアルハードとしてはデリックの歳が気になっていたというのもある。
普段は気にいいオヤジといったイメージがあったが、話を聞く限り思ったより若そうだと思ったからだ。
「ん? 俺の歳か? うーん……確か今二十三とかだったと思うが」
「えっ!?」
「二十三!?」
アルハードとクティーラから同時に驚きの声が上がる。
その二人の様子にデリックの眉が下がる。
「なんだなんだ? そんなに驚くようなことか?」
「いや、なんというか、思ったよりだいぶ若い」
歯切れの悪い口調でアルハードがそう言うと、クティーラも頷いていた。
その様子にデリックは顔を顰める。
「インスマス面は皆同じ様な顔してっから分かりにくいが……一体いくつくらいだと思ってたんだよ」
「三十五、六くらいだと思ってた……あっ、いや! デリックは普段からよくやってくれてるからな!」
「私も、デリックさんは皆さんのリーダー的存在ですし、もっと人生経験豊富な方だと思ってました」
慌ててフォローするアルハードと、物は言いようといった感じのクティーラに、デリックとしては苦笑いを浮かべるしかなかった。
「あんまり歳とか気にしなかったが、こうして結構年上に見られてるって思うと意外とショックだな」
ハハハっと力なく笑みを浮かべるデリックには、どこか哀愁の様なものが感じられ、余計に老けて見えてしまう。
しかしそのことを言ってしまうとトドメになりそうだったので、アルハードも微妙そうな笑みを浮かべるだけだった。
「そういうアルの旦那はいくつなんだよ」
「俺か? 俺は今十七だぞ」
インスマスに来てからひっそりと誕生日を迎えていたアルハードは、現在十七歳だ。
アルハードの歳を聞いたデリックは驚いた表情をした後、ここだと言わんばかりにニヤリとする。
「お前、アルの旦那十七歳ってまじかよ!」
露骨なくらい大げさに驚いてみせるデリック。嘘でしょ? と手を口元に運ぶクティーラ。
二人の様子にアルハードは機嫌が良くなる。
王都を出てからちょっとは成長したという自信のあるアルハードは、もっと大人びて見られていると思っていたからだ。
低身長に童顔がコンプレックスだったが、インスマス面も深きものもムーン=ビーストも皆猫背であるため、実際の身長よりも小さく見える。それ故アルハードは自分の身長の低さというものに対して麻痺をしていた。
更にここインスマスでは人間があの老人しかいないため、同年代の人間がどんな顔だったか記憶が薄れていたため、成長したことで幼さが抜けてきたと勘違いをしていた。
しかし現実は非情だ。アルハードは王都を出てからこれっぽっちも身長は伸びていないし、顔も以前と変わらない童顔である。
アルハードの機嫌が何故良くなったのかわかっていない二人はあれ? という顔をしている。そして、アルハードはこの後現実を知ることになる。
「ふふん、なんだ二人ともそんなに驚いたりして。もしかして俺がもっと歳を取ってるように見えたのか?」
今やこのインスマスを治める身であることが、更にアルハードを助長させているのだろう。
先程デリックは、リーダーとして皆を纏めていることで実際より年上に見られたので、アルハードとしても、自分が結構歳を取っているように見られていると思っているのだ。
そんな得意げな顔をしたアルハードに、デリックが口を開く。
「いやーびっくりだ! アルの旦那はもっと若いと思ってた」
その言葉にクティーラも頷き肯定する。
途端にアルハードから、えっ? とマヌケな声が出た。
「アルの旦那は十二歳くらいだと思ってたぜ! 十七歳ってもう立派な成人じゃねぇか! いやーびっくりしたわ」
ビックリしたと言いながら腹を抱えてデリックは笑う。
アルハードはまだ話の流れについていけないのか、唖然とした顔をしてガハハと豪快に笑うデリックを見つめている。
「クティーラ嬢もビックリしたよな」
「え、っと、はい。村の皆の感じからしてアル君はもっと若いと思ってました」
クティーラの言葉を聞いて、アルハードはガクリと崩れ落ちた。
嘘だろ……。と床に向かって零れた言葉が、アルハードがどれ程ショックを受けたのか窺い知れる。
デリックはともかく、クティーラにもそう思われていただなんて。
インスマスの皆がよく声をかけてくれていたのは、実は自分が幼く見えるからだとでも言うのだろうか。しかし、今のクティーラの反応からしたらそうなのだろう。
インスマスの皆も、自分の事を実際の年齢よりも幼いと思っているのだろうか。
「まぁまぁまぁまぁまぁ! アルの旦那よ! 確かに今は子どもらしい身長に顔だけどよ、アルの旦那も男の子だ、すぐに身長も伸びらぁ!」
子どもらしい身長に顔。デリックはフォローのつもりで言ったのだろうが、今の言葉はアルハードにグサリと刺さる。
そしてアルハードは、癇癪を起こした子どもの様に喚き散らした。
「うるさいうるさい! デリックのバーカバーカ!」
その姿は正に子どもだったが、そのことにアルハードは気付いていない。
デリックとしてもちょっとやり過ぎたかなと思った様で、話の中心人物をクティーラへと移した。
「す、すまねぇ、アルの旦那がそんなに気にしてたとは思わなくてよ。まぁ、俺もだいぶ年上に見られたし、見た目と歳なんてアテにならねぇな! それに、見た目と歳が違うって言ったらこの中じゃクティーラ嬢が一番だろ」
突然自分の話になったことで、クティーラは首を傾げる。
「クティーラ嬢ってずっと昔からダゴン様達と暮らしてるんだろ? 見た目は人間の少女と変わらねぇのに、実際は何百歳とかなんだろ」
実際にアルハードはクティーラの歳は知らないが、かなりの長い期間ダゴン達と暮らしていたらしいので、重ねた年月はかなりのものとなっている。
しかし、クティーラの見た目は可憐であり、美少女と言える。その実、クティーラが重ねた年月はもうすでに四桁を超えている。エルフとは比べものにならない程長寿なのである。
「……確かにクティーラが一番見た目と歳でギャップがあるな」
「年増だぜ」
「そうだな!」
事もあろうに女の子に対して年増などと、失礼極まりないデリックの言葉に同意してしまうアルハード。臭い発言に加えて、更に罪を重ねてしまっているが、精神的にダメージを受けていたアルハードはそのことに気づけていなかった。
そして、口は災いの元である。
「と、ととと年増!?」
男二人の心無い言葉に、クティーラは怒りを我慢するかのようにプルプルと震えている。
ちょっと言い過ぎたかなと思うよりも早く、ドドドドドドっという爆音が外から聞こえてきた。
魔族による敵襲か!? と思った頃には、玄関のドアが乱暴に開かれた。
「クティーラを悲しませる奴はどいつだあああああああああああ!」
そこには鬼の形相をしたダゴンらしき者がいた。
見た目はダゴンだったが、サイズが違った。普段のダゴンであれば家よりも巨大なのだが、今玄関を乱暴に開けたのは二メートル程であった。
あまりの形相にアルハードがビビりながらも、声をかける。
「お、おい、お前ダゴンなのか?」
「いかにもそうだが?」
「なんか小さくね?」
「今はインスマスの村を荒らさぬよう魔力を込めて小さくなっているに過ぎない、この姿を維持するのは魔力を使うので、日常的にはできない」
普段のダゴンの様にぶっきら棒な言葉遣い。そして、クティーラを愛して止まない親ばかっぷりからして、目の前にいるのは確かにダゴンなのだろう。
小さいとはいえ、その身長は二メートル程あり、深きものと比べて筋骨隆々であるため、威圧感たっぷりである。
そのダゴンが、そんなことよりと口を開く。
「クティーラを悲しませたのはどいつだ!?」
ギロリとアルハードとデリックを交互に睨みつける。
ダゴンのあまりの形相に、二人とも声が出ない。
デリックに至ってはダゴンの怒りを買ってしまったことに、表情のわかりづらいインスマス面を蒼白にしている。
そんな沈黙の中、先に口を開いた、もとい相手を売ったのはアルハードだった。
「で、デリックだ」
アルハードのその一言にダゴンはジロリとデリックを睨み、デリックはなんてことを言うんだアルの旦那! と驚愕の表情でアルハードを見る。クティーラは呆れたような半目でアルハードをジッと見つめた。
クティーラからの視線が突き刺さるアルハードだったが、ダゴンのあまりの剣幕にそれどころではなかったのだろう。
ここで言わなければやられる! そう思ったアルハードの口は止まらなかった。
「デリックだ! デリックがクティーラのことを年増って言ったんだ!」
アルハードがそう言うと、ダゴンが、貴様ぁああああああああああ! と声を張り上げ、デリックからはヒッっという悲壮な悲鳴が上がる。
確かにクティーラのことを年増と言ったのはデリックであったが、それに同意したアルハードも同罪であろう。しかし、アルハードは自分が助かりたいばかりに、自分は悪くありませーんという態度を貫き通す。
ダゴンの恐怖に声が上擦りそうになるが、これまで培った演技力をフルに活用させ、背中を流れる冷たい汗に耐えつつ平静を保つ。
ダゴンがデリックの首根っこを掴む。
今は小さいダゴンだが、その膂力は健在のようで逃げようとデリックが藻掻くが、まったくと言っていいほど意に介した様子はない。
「どうやら私はこの不躾者と話し合わなければならないようだ。今日はこれで失礼する」
そう言い残しダゴンは去って行く。その手にはしっかりとデリックの首根っこが掴まれている。
ミシミシという音が聞こえそうな程力が込められているためか、この後の話し合いに絶望してなのか、デリックからは、うわぁあああああああああああという断末魔が上がった。




