16-1 デリックのちょっと昔の話
アルハードがインスマスの村長に就任してから十日程経ったが、特に問題はなかった。
村長になったからと言っても、特に目新しく始めることはなく、今まで通り漁や狩りを行いその日の食糧を確保するといったものだ。
ただし、その漁にはダゴンが加わり、今まで以上に食糧の確保ができている。
変わった点といえば、アルハードの家を建ててくれたインスマス面――イアンが、その時手伝いをしたムーン=ビースト達と共に、傷んでいる家の補修などをし始めた。
ムーン=ビーストが住むための宿舎の建築も着々と進み、その中で建築の要領をムーン=ビースト達が掴んできていたため、補修にも手が回るようになったからだ。
住人が住んでいる家でも、劣化により危ない家もある。その為家の補修は喜ばれた。
インスマス面は数年で深きものへと進化し、海の中に生活圏が移るが、それでもその間に家が崩れないとも限らない。
なんだかんだ忙しくしているイアンだが、この前話をした時は活き活きとしており、インスマスに来た時からつまらない毎日だったが、今は楽しくて仕方がないと言っていた。生きがいを持たせてくれたアルさんには感謝しているとのことだった。
なんていい人なんだ! と感激したアルハードは、その日からイアンに自身の食事を少し分けている。
たくさん食べてしっかり働いてくれ! そう言うとイアンは、はい! といい食べっぷりを見せてくれた。
アルハードは村長に就任してから、今まで以上にインスマス面や深きもの達と会話するようになった。
話しかければ誰もが楽しげに談笑してくれた。特にアルハードの村長に対して文句を言う者はおらず、その日あった出来事などを話してくれる。
ここをこうしてほしい等の要望などはチラホラとだが出ている。もちろん改善できそうなもは随時行っていくつもりだが、今現状では難しいことでも、アルハードは自宅に帰った後メモに残しておく。
アルハードと会話できたことに喜んでいる者達もいたので、今後も積極的に話しかけていこうと思っていた。
その中でアルハードは一つ気になる点があった。
インスマス面、深きもの達との何気ない会話は楽しいが、彼らは決して自分の事を話そうとはしないのだった。
アルハードからそのことについて話しを振ったわけではないので、一概にも言えないが、どうにも会話の中で自身のこと、特に過去についてを彼らは語らなかった。
疑問に思っていたが、特にアルハードからも詮索するようなことはしない。
そしてその謎は、インスマス面や深きもの達を知るために、あの悍ましい外観をした『クタート・アクアディンゲン』を読み進めている内に、謎は解けた。
深きものは人間との間に混血種を設けるそうだった。そして、混血種として生まれてくる者は、初め人間と全く変わらない姿をしているという。個体差はあるものの、大体が十歳程までは人間と同じ様に成長していく。そしてその後深きものへと進化をするために、身体が変化していくらしい。その進化の途中とも言える状態がインスマス面だという。
現在純粋な深きものというのは殆どおらず、血の濃さの違いはあれど、誰もが人間の血が混じっている。
人間と同じ姿形で生まれ、人間と同じ生活をしていたのに、ある日を境に自身の姿が魚の様な見た目へと変化していってしまう。
人間の間では重度の皮膚病とされているが、それは決して病気ではなく、深きものへと至るための進化なのだという。
しかし、人間は自身と違う見た目の者を忌み嫌う者が多い。故にインスマス面へと近づく彼らは自然と今まで身を置いていたコミュニティーを離れ、仲間のいる場所へと足を運ぶのだという。
この事実を知ったアルハードは、思いの外衝撃を受けていた。
ある日自分の見た目が変わっていき、周りの人間に気持ち悪がられる。
自身ではどうすることもできない血の宿命に、やがては自分は人間で無いことを悟る。
アルハードにはその事実に耐えられそうにもないという感想を抱いた。けれど、このインスマスにいる者達は皆その経験をしているのだ。
当然自身の変化に耐えきれず、自ら命を落とす者も多いと言う。
合点がいった。彼らは皆一様に迫害された、もしくは親しかったものに拒絶された過去を持っていたのだ。もしくは、自分から去っていったのかもしれない。
アルハードは、インスマスに住み始めてから感じていた、彼らの生活はどこかチグハグな部分が見受けられたことにも納得がいった。
異形とも言えるあの姿でありながら、どこか人間味の様なものが見え隠れしていたのは、彼らは生まれてから人間として過ごしてきたからだ。
誰もが、自分から過去のことを話そうとしない訳だ。
誰もが、辛い過去を経験しているのだ。
拒絶されるのなら。気味悪がられるのなら。そう言った思いが、ここインスマスを閉鎖的な村にした原因なのだろう。
それでも彼らは生きている。宿命に流されるがままの者もいるかもしれないが、その心は強く、逞しいのだろう。
ならばと、アルハードはもう少し彼らに歩み寄ろうと、もう一歩踏み込んで見ようと思った。
余計なおせっかいかもしれない。アルハードのエゴかもしれない。けれど、もし彼らの中に、人間としてやり残したことがあるのならば、それを成し遂げるための手伝いをしたいと思う。
だからこそ、会話をすることをアルハードは選んだ。
言葉を交わすことの大切さを、アルハードは現在進行系で学んでいるのだ。
アルハードは彼らにしてやれることを考える。何故ならば、アルハードはこのインスマスの村長なのだから。
アルハードはこの十日間で、ある事に悩まされていた。
それは、クティーラと暮らすようになってから、あるいは『クタート・アクアディンゲン』を読んでから見たあの夢である。
あの日から毎日あの夢を見る。
幾重にも重なる幾何学模様が刻まれた建物に囲まれた空間。幻想的に感じてしまうような、それでいて恐ろしくも感じるあの空間で、アルハードは毎晩言葉を聞いていた。
あの言葉の正体は『クトゥルフ』だとわかっている。ナルはあれを寝言とも言っていた。
流石に辟易していた。
毎晩同じ内容の夢を見るというのは、結構堪える。
アルハードはどちらかというと、寝不足時は苛々するタイプである。その為アルハードはここのところ若干機嫌が悪かった。
もちろん誰かの前ではそんなことはおくびにも出さないが、就寝前と寝起きはかなり不機嫌である。
ナルに聞いても解決策は無いと言う。
本当にないのか、教えてくれないのかは判らないが、おそらく後者だろう。
ナルは今のアルハードの姿を見て、少しばかり楽しそうにしている。そのこともアルハードの苛々に拍車をかけていた。
相棒は冷たくて、嫌なやつだったよ。
こんな感じでアルハードはストレスを溜めていたが、今日は少しばかりワクワクしている。
村長に就任した時に、インスマスの皆には気軽に家へ遊びに来てくれと言ったのだが、未だに誰も訪れていない。
少しばかり寂しい気持ちになっていたところ、それを見かねたデリックが晩ごはんの後遊びに来てくれるとのことだった。
同情的な気持ちからかもしれないが、これを皮切りに他の住人も来てくれるようになればいいと思うし、何より嬉しかったのであまり気にはしていない。
「デリック来るけど、クティーラも一緒におしゃべりしよう」
「は、はい!」
いい機会だったので、もちろんクティーラも一緒だ。まだまだ緊張している節が見られるので、少しずつでもいいので慣れていって貰いたかった。
紅茶や簡単に摘めるようなお菓子等はないが、そんなものはインスマスの何処に行ってもないので今回は気にしないでおく。
クティーラと今日あったことなんかを話していると、ドアを叩く音と共に、アルの旦那ー来てやったぞー。と声がしたので、クティーラが出迎えに行く。
「おー! やっぱ新築は綺麗だな!」
デリックがそんなことを言いながら、部屋の中を見回す。
家具最低限の物しか無いので少し寂しさを感じるが、家具が少ないのは何処の家もそうなので、デリックはあまり気にした様子はない。
インスマスにある家はどれも同じ様な間取りなのだが、デリックは物珍しそうにしている。そんなデリックにアルハードは椅子に座るように促す。
「なんもおもてなしできるものはないけど、まぁゆっくりしてってくれ」
「おう、俺の家に来てもらってもなんもないからな! お互い様だ」
そう言ってデリックはカラカラと笑う。
デリックは後腐れのないカラッとした性格だ。
アルハードとは襲った襲われたとあるが、今ではそんなことは無かったんじゃないかという程打ち解けている。
そんな性格だからこそクティーラも話し安いのか、談笑が始まってすぐに緊張も解れたようで、時折笑顔が出るようになっていた。
初めての来客がデリックというのは、案外良かったなと思うアルハードであった。
そんなデリックだからこそ、アルハードは思い切ってデリックの過去を聞いてみようと思っていた。もし渋るようなら深く聞くつもりもないし、デリックの反応次第でインスマスの住人にとって、過去の話題はデリケートなことだとわかる。
もちろんデリックだけで断定はできないが、今後ある程度の注意することができる様になる。
「なぁデリック」
「ん? なんだ改まって」
「言いたくないならいいんだけどさ、デリックの昔の話しが聞きたい」
言いたいことはハッキリ言う関係と言った手前、アルハードが口ごもる訳にもいかず、覚悟を決めてデリックに尋ねる。
「あーなんだアルの旦那……」
「あぁ、インスマス面は元は人間だったんだってな」
「なんだ知ってたのか?」
「いや、最近知ったんだよ。インスマス面が元々は人間で、最終的には深きものに進化していくことも知ってる」
ったく、どこでそんなこと知ったんだか。と呟きながら頭をガシガシしているデリックは困ったように嗤った。
クティーラもさっきまで楽しく談笑していた雰囲気が変わり、アルハードとデリックの顔を交互に見てはオロオロしていた。
「俺の話しなんて聞いても面白いものじゃあねぇぞ」
「それでも構わないよ」
「はぁ~まったく、信頼されてるんだか、俺ならチョロいと思われてるんだか」
「信頼してるんだよ」
アルハードが浮かべた小さな笑みに、デリックは胡散臭そうな顔をしながらも、どこか嬉しそうにしていた。
「アルの旦那。この話は俺以外には?」
「いや、デリックが初めてだ」
「そうか……俺ならいいけどよ、あんまり他の奴らに根掘り葉掘り聞かないでやってくれよ。皆が皆そうだとは思っちゃいねぇが、それなりに辛い思いした奴らもいると思う」
やっぱりそうだったのかとアルハードは理解する。
インスマス面達に過去のことは気軽に聞いていいことではない。けれど、もし辛そうにしていたら相談に乗るくらいはできるだろうか。愚痴を聞くことならできるだろうか。
デリケートな問題だが、これから信頼関係を築いていくことで、いつかは話してくれる様になればいいなとアルハードは思った。
「わかってるよ。デリックも辛かったら話してくれなくてもいいぞ」
「いや、まぁいつまでも過去のことでグジグジしてても情けねぇからな。ここは一つケジメをつけるためにも話すぜ! まぁ俺の生い立ちなんて面白くもないけどな!」
そう言ってデリックは自身の過去をポツポツと話し始める。




