14-2 クトゥルフの夢
夕食後家で寛いでいると来客があった。
こんな時間に誰だろう。そう思いながらドアを開けた先には、たくさんの荷物を持ったクティーラが立っていた。
「きょ、今日からお世話になります」
昼食後用事があるからと別れてから今まで姿を見なかったが、どうやら用事とは荷造りのようで、両手にたくさんの荷物を抱えている。
訳がわからなかったが、とりあえずリビングに通し、荷物を置かせる。クティーラは何やらもじもじしているが、アルハードは状況がいまいち飲み込めないでいる。
「こんな時間にごめんなさい。荷造りに思ったよりも時間がかかってしまったので」
「いやいいけど、その荷物は何? どうかしたのか?」
「今日からこの家のお世話になります。改めまして、クティーラです」
「……は? はぁ!?」
思わず声を上げてしまうアルハード。
聞き間違いでなければ、クティーラは今日からこの家で、アルハードと二人同じ屋根の下で暮らすという意味の言葉を発している。
いきなりのことで動揺しきってしまっている心をなんとか落ち着かせ、話を聞いてみる。どうやらこの案はダゴンとハイドラが発案者らしい。
クティーラを村での生活に慣れさせたい。しかしインスマスにある家はどれもボロボロであるため、そこに住まわせる訳にはいかない。最近アルハードの家ができたので、そこに一緒に住んでもらうようにしよう。アルハードは信頼できる相手なので尚の事良いとの事だった。
「……言っていることは理解した。確かにこの家はインスマスで一番新しいし、俺しか住んでないから部屋も余ってる」
しかし、しかしである。今までガールフレンドなんていなかったアルハードからすれば、いきなり女の子と同じ屋根の下で暮らすなどハードルが高すぎるのである。
「というか、マジなのか?」
「ま、マジです!」
「マジなのかー」
頭を抱えたくなってしまうが、それは流石に失礼だろうと天井を見上げるに留める。
ちらりとクティーラを見ると、断られるのではないかと不安げな表情でアルハードを見つめている。
今日会ったばかりの人間に大事な娘を預けるとは如何なものかと思うが、それだけ信頼されているのだろうか。信頼されているのであれば、それは嬉しいことだが。
悩むこと数十秒。アルハードは決断を下す。
ここは男らしくお断りしよう。
そう思ってクティーラに向き直る。
不安と緊張で潤んだ瞳がそこにはあった。
「……二階の奥の部屋が空いてるからそこを使うといい」
断れなかった。
「あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」
ぱあぁ、と表情が明るくなるクティーラは嬉しそうにお礼を言うと、荷物を抱えて二階へと上がっていく。かと思ったら、何やら手に持ち再び降りてきた。
「あ、あの、これダゴンがアルハードさんに渡してくれって」
差し出された物は布にくるまれていた。
大きさ、形状から察するに、先程お願いした『クタート・アクアディンゲン』だろう。
「ありがとう。ダゴンには明日お礼を言っておかないとな」
布に包まれたままの本を受け取る。
そういえばベッドが一つしかない。ということに気付き、アルハードは迷わずクティーラに自分のベッドを使うように言った。
ありがとうございます! と今日一番の元気の良いお礼を残し、クティーラは二階へと上がっていった。
その途中、アルハードが見えない場所でガッツポーズをしていたことをアルハードは知らない。
アルハードの家でクティーラがお世話になるということを提案したのは、ダゴンやハイドラではなく、クティーラ自身だということをアルハードは知らない。
とりあえず今日はリビングで一晩明かすことにしよう。
(なぁナル……きっぱりお断りできない俺はヘタレなんだろうか)
(むしろあのような可憐な令嬢を家に招き入れたのですから、ヘタレではないでしょう。いやしかし、どうせアルは手を出せないでしょうから、やはりヘタレなのでしょうね)
(手は出さないよ! もうヘタレでいいよ!)
相棒は相変わらず慰めてはくれなかった。
クティーラは簡単に荷解きをした後、今日は疲れたので寝ます。とだけ言いに来た。
外に出て久しぶりにおしゃべりをしたり、引っ越しをしたりなど疲労が溜まっていたのだろう。眠そうに目を擦りながら二階へと上がっていった。
アルハードは先程渡された『クタート・アクアディンゲン』を読むことにする。とはいえ夜もだいぶ更けているので、触りだけ読んで寝ることにした。
包んである布を取る。『クタート・アクアディンゲン』の表紙が見えた瞬間、アルハードは小さな悲鳴を上げ、本を落としてしまった。
「ひっ……」
床に無造作に落ちた本を凝視する。とてもではないが素手で触る気にはなれない。
(なんだよこれ……)
(『クタート・アクアディンゲン』ですが)
(いやそうじゃなくて……これ、何かの皮だよな?)
(あぁ、『クタート・アクアディンゲン』は人の皮で包まれた本なのですよ)
人の皮と聞いて、アルハードの顔は大きく引きつる。
一体どんな理由があり人の皮なんかで包んでいるのかとか、こんな悍ましいものがこの世にあっていいものなのだろうかとか、なぜナルは平気でいられるのか……これはいつものことだった。とにかく、人の皮で包まれた本なんてとてもではないが読む気にはなれない。
しかし、インスマスの住人のことを知るには読まなくてはいけない。
短くない葛藤の後、アルハードは意を決して本を手に取る。ただし、直接触れることは嫌だったので、包まれていた布越しである。
本を持って椅子に座る。その後本をテーブルの上に置いた。
普段本を読む時は手に持って読むが、今回ばかりはそれはしたくない。
表紙を完全にテーブルの上に置くことによって、どこの誰のものとも判らない皮を触らずにすむからだ。
パラパラと数ページめくる。すると一ページ丸々使った絵が描いてあった。ずんぐりとした胴体にタコのような頭部が付いている。背中からはコウモリの翼のような巨大な翼が生えており、手足には巨大な鉤爪が付いている怪物の絵だった。
大いなる『クトゥルフ』、その姿をここに記す。そう右下に小さく書かれていた。
どうやらこの怪物は『クトゥルフ』と呼ばれる存在らしい。
次のページをざっと斜め読みをしてみると、『クトゥルフ』が如何なる存在かがなんとなく掴めてきた。
恐らくこの『クトゥルフ』が、ダゴンやハイドラが崇拝している神なのだろう。
(ナルはこの『クトゥルフ』ってやつ知ってるのか?)
(えぇ、もちろん知ってますよ)
(ダゴンやハイドラが崇拝してるのってこの『クトゥルフ』だよな?)
(そうですね。まぁあの寝坊助は信者に何かしてやるなんてことはしてませんがね。強いて言えば寝言を聞かせてるくらいでしょうか)
寝坊助? 寝言? とナルが何を言っているのかわかっていないアルハードだが、ナルが一から十全てわかりやすいように説明してくれたことなどなく、どうせ聞いても教えてくれないだろうことはわかっているので、あまり深く追求はしない。
どちらにせよこの『クタート・アクアディンゲン』を読めばある程度はわかるだろうと、楽観的に考える。
ページをめくっていくが、アル・アジフに近い読みづらさである。難解な表現があるとかではなく、ただ単にこの『クタート・アクアディンゲン』が古い本だということが見て取れる。
今日のところはここまででいいだろう。『クトゥルフ』という神がおり、その神をダゴンやハイドラが崇拝しているということが判った。
(あれ、てことはクティーラの父親が『クトゥルフ』ってことになるのか?)
(そうですよ)
(まじかー……クティーラって神様の娘だったんだな)
(『クトゥルフ』も私と同じグレート・オールド・ワンですよ。邪神ですね)
(神話生物ってことだよな。ナルみたいな感じなのか?)
(それはどういった意味でしょうか)
(ナルみたいに人のこと馬鹿にして笑ってるようなやつなのか? ってことだよ)
(まるで私が性格の悪い神の様な言い方ですね。心外です。謝罪を求めます)
その通りじゃないか。とアルハードは思ったが、口に出さずにおいた。
アルハードの言葉が不満だったのか、ナルはまだブツクサと文句を言っている。
(どうやら私の株がかなり下げられているようなので、ここは『クトゥルフ』の株も下げておきましょう)
完全な八つ当たりである。
呪文や知識に関して言えば、アルハードのナルに対する評価はかなり高い。しかし、性格面で言えば最悪に近い。今も『クトゥルフ』という邪神の評価を下げるために口を開こうとしているのだ。
(あの寝坊助寝言垂れ流し海産物は――)
(すっごい悪口だな。しかも海産物って)
(そこ、口を挟まないでください。これから私は、『クトゥルフ』の変態性について貴方に言い聞かせるのですから)
(あ、ハイ)
そろそろ寝ようかなーと思っていたアルハードであったが、ナルは話が終わらなければ寝かせてくれないだろうと思い、その話に耳を傾ける。
(まずクティーラ嬢ですが、あの子は『クトゥルフ』の娘でもあり、母体でもあるのです)
(えっ? 母体? なにそれいきなり不穏なワード)
(そうです。母体です。あの変態は自身の身体が滅ぶと、その精神をクティーラ嬢の胎内に宿し、いずれクティーラ嬢から生まれてくるのです)
(おうふ)
なんてこったい。アルハードは頭を抱え込む。
まさか自分の娘から生まれてくるなんて、あまりにもハードな変態である。
(そのことをクティーラは知ってるのか?)
(知っているでしょうね)
(まじかー……)
アルハードは今日出会ったばかりのクティーラの姿を思い起こす。
初めて人間との会話。初めて食べた魔物の肉を美味しいと言っていた時の笑顔。少しおっかなびっくりではあったが、インスマスでの生活に期待していたあの瞳。
クティーラはなんて健気な子なのだろう。そんな変態な父親がいるにも関わらず、あんな笑顔が浮かべられるのだから。
アルハードは心にじんわりとした、なんとも言えない感情が浮かび上がる。
明日からはもっとクティーラに優しくしよう。早く村の皆とも打ち解けられるようにしてあげよう。
あの笑顔を守る。そう心に誓ったのだった。
その夜アルハードは奇妙な夢を見た。
様々な幾何学模様が施された建物が建ち並ぶ都市。その都市の中心部に立つ自分自身に話しかけてくる者がいる。その声はくぐもっていて聞き取りづらいはずなのに、直接脳内に話しかけてくるかのように、ハッキリと聞き取れる。
悪夢だとかそういうものではないと思う。朝起きた時、夢の内容は鮮明に覚えているという不思議な感覚はあったが、身体に不調はないし、精神的にも平気である。
夢を見始めるきっかけとしては、クティーラと一緒に住むようになったか、もしくは『クタート・アクアディンゲン』を読んだことによるものか、そのどちらかだと思う。
しかし、クティーラがそんなことをするとは思えないので、『クタート・アクアディンゲン』を読んだことが原因だと思うのが妥当だろうか。
判らないことを考えても答えは出ないので、ダゴン辺りに相談をしてみた。
ダゴンに夢の内容をざっくり話すと、心あたりがあるのだろうか、どのような夢なのか詳しく教えてほしいと言われた。
夢の内容をできる限り詳細に伝えると、その夢に出てくる場所は『ルルイエ』と言われる場所で、語りかけてくるのは自分達の神である『クトゥルフ』だという。
『クトゥルフ』について大まかなことを教えてもらう。この夢はどうやら『クトゥルフ』が見せているものらしい。




