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ネクロノミコン~神話生物と暮らす~  作者: @素朴
第二章
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13-1 クティーラとダゴン秘密教団

 窓に貼り付けられていたのは巨大な手だった。それは人一人くらい簡単に握りつぶせそうな程大きく、指先は鋭い鉤爪があり、根本には水かきが付いている。深きものの手にそっくりであったが、そのあまりの大きさは余りにも常識外のものであった。


 圧倒的なまでのサイズ感に気圧されたアルハードは口をパクパクさせているが、声は出ていない。


 手であのサイズである。本体は一体どれだけ大きいのだろうか。


 アルハードが動けないでいると、巨大な目がギョロリと中を覗いてくる。そこでアルハードははハッと我に返り、右手から触手を出し臨戦態勢にはいる。とはいえ、折角作ってくれたこの家をいきなり壊されたら堪ったものではないので、ジリジリと下がり部屋から出ると急いで外に出た。


 外に出ると、奴は玄関の前に移動していた。


 デカイ。先日捕まえたクジラよりやや小さいが、その頭はアルハードの二階建ての家よりも高い位置にある。


 アルハードはが何か言おうとする前に、巨大な深きものが口を開く。


「私の名はダゴン。このインスマスの民と深きものを率いる者だ」


 ダゴンと名乗った巨大な深きものは、このインスマスのボスらしい。


「姿を表わすのが遅くなってすまない。このインスマスを救ってくれたことを感謝する」


 ダゴンはそう言って深く頭を下げた。


 どうやら今まで姿を表さなかったのは、アルハードが人間であり、インスマスを救ってくれたとはいえ完全に信頼のできる者かどうか警戒していたためだった。そしてこの数十日間のアルハードの働きを見て信頼における存在だと認めてもらえたようだ。


 インスマス面や深きもの達の評判も良好であり、ムーン=ビーストという異形の存在も、インスマスの住人と交流を深めていることから、姿を現すことを決めたらしい。


とりあえず敵対する様子ではなかったので、アルハードは触手を引っ込め臨戦態勢を解く。


 どちらにせよ、戦いになった場合にアルハードは目の前の巨大な深きもの改め、ダゴンという神話生物には勝てないだろうと考えていた。


 なによりサイズが違いすぎるのである。おそらくあの巨大な鉤爪を振るうだけで、アルハードの身体は上半身と下半身がお別れをしてしまうだろう。


 アルハードはダゴンに敵意が無いことに安堵する。


 ダゴンはアルハードにお願いがあると切り出してきたが、今日はもう遅かったので、話は改めて明日聞くことにした。


 ダゴンは承知した。とだけ言い残し、ベタリ、ベタリと音を立てながら、のそのそと海のある方へと帰っていった。






 翌日、デリックに案内されダゴンがいるところへと向かった。


 道中デリックにダゴンのことを訪ねた際、どうやらアルハードとムーン=ビースト以外はダゴンの存在を知っており、アルハード達には黙っている様にと口止めをしていたようだった。


 デリックはしきりに謝っていたが、アルハードとしてもいきなり村に住み着いた者がいれば、警戒の一つだってしただろう。何よりダゴンはインスマスの村長な存在なのであるらしいことが、デリックからの情報でわかった。


 実際は村長などというものではなく、インスマス面や深きものが信仰している神話生物なのだが、アルハードからしたらその辺の事情には詳しくないので、村長ということにしておいた。


 村の中を進み、海に出てから少し浜辺を歩いた先、普段アルハードが行かない大きく崖が反り立っている場所に着いた。


 案内を終えたらデリックは帰るとばかり思っていたアルハードだったが、どうやらこの場に残るらしく、アルハードの隣にいる。


 正直面識もない、戦っても勝てないであろう相手に会うことに少々怖気づいていたため、普段仲良くしているデリックがいてくれるのは心強かった。


「アルの旦那、ちょっと待っててくれ」


 そう言い残しデリックは岩陰へと行ってしまった。


(ナル。昨日聞かなかったんだけど、ダゴンって奴は知ってるのか?)


 待っている間に、どうせ教えてくれないだろうと思いつつも、情報収集を試みる。


(えぇ、もちろん知っていますよ)


(教えて)


(嫌です)


 やっぱり駄目だったよ。と一人項垂れていると、デリックの声が聞こえた。


「おーい! アルの旦那ー! 二人とも連れてきたぜ!」


 え? 二人? と思っている内に岩陰から現れたのは、アルハードより少しばかり背の高いデリックに引き連れられた、昨日のインパクトそのままのサイズの深きものだった。デリックの言っていた通り、その巨大な深きものは二人いたのだった。


「わざわざ出向いてもらってすまない。それと、昨夜は突然押しかけたりしてすまなかった」


 アルハードとしても危害を加えられたわけではないので、昨夜のことは気にもとめていなかったが、今はあの巨大な深きものが二人もいたことに驚きを隠せない。


「い、いや、別にいいんだけど……二人もいたのか……もしかしてまだいたりする?」


 深きものの見た目にはすでに慣れたが、あの魚のような突き出た目に、分厚い唇。鱗に覆われた腕、ダゴンのサイズで見るのは少しばかりインパクトがでかかった。


 それが二人もいるとなると、他にもいなかいかどうか疑わざるを得なかった。


 アルハードに戦うつもりがなくとも、ダゴンや、ダゴンにそっくりのもう一人の巨大深きものはどうかわからない。敵意がないように見えても、やはり怖いものは怖いのである。


 アルハードの怖気づいている気配を感じ取ったのか、ダゴンは優しく語りかけてくる。


「驚かせてすまない。彼女は私の妻で、ハイドラという。私達以外にはもういない」


「ハイドラでございます。申し訳ありません。夫はやや口調がぶっきらぼうなもので、怖がらせてしまいましたね」


 そう言ってダゴンを押しのけるハイドラと名乗る巨大深きもの。


 一方アルハードは、妻だとか夫だとか、色々突っ込みたいことがあったが、あまり狼狽えているのもよくないだろうと、自分も自己紹介をすることにした。


「ちょっとびっくりしたけど、大丈夫だ。俺はアルハード。たぶん二人とも知っていると思うけど、今はこのインスマスに住まわせてもらってる。二人の仲間? のインスマス面や深きもの達にはすごく助けられてるよ」


「いいえ、助けられたのはこちらです。彼らとも仲良くして頂いているみたいで、何よりアルハード様のお陰で住人の生活も豊かになっています」


 逆にお礼を言われてしまったアルハードはどこかむず痒い気持ちになってしまう。


 ダゴンと違ってハイドラの方が丁寧な口調であり、アルハードとしても話しやすく助かっている。そのことを察してか、ダゴンは会話はハイドラに任せるつもりのようだった。


 それからハイドラにいくつかのことを教えてもらった。


 自分達は深きものとして長きの時を経て今の姿となったこと。


 深きものの上位種として、二人はインスマス面、深きもの達から崇拝されていること。


 この村にある教会では、彼と彼女を崇拝しているらしく、教団の名はダゴン秘密教団と言うらしい。この教団の本拠地はこのインスマスであるが、この村以外にも教団員がいるらしかった。しかもそれは人間らしい。


 インスマス面や深きものに崇拝されてはいるが、ダゴンとハイドラも崇拝している神がいること。


 ダゴン秘密教団の活動内容は、ダゴンとハイドラが崇拝している神の復活であること。


「復活ってことは、その神様は今封印されてたりするのか?」


 突然ダゴン秘密教団だの神の復活だの、宗教チックな話しの流れになったことにやや警戒するアルハードだったが、この二人が本気でその神様の敬虔な信者だということは話を聞いていればわかるので、あまり失礼のないようにしようと思考を切り替えた。


 アルハードは別にこれといった宗教に属しているわけではない。一応中央国には国教があったが、基本的には自由であったためだ。


「封印というよりも、今は力が失われている状態とでも言いましょうか」


 特に興味が無かったアルハードはというと、あの教会も一応ちゃんとした? 教会だったのか。くらいにしか考えていなかった。


 そのことを察したであろうハイドラは、別に話題に変える。


「時にアルハード様。我々は貴方様にお願いがあるのです」


 改めて畏まったハイドラに、そう切り出される。


「この村がこれほどまでに活気に溢れていたことはありません。ぜひあなたにこの村を治めて欲しい」


「は? いやいやいや! なんでよりによって俺に!?」


 さすがにこの村に住み着いていくらも経っていない自分にこんなことを頼むのはどうなのだろうか。そんな疑問がアルハードには浮かぶ。それに自分に誰かを率いるなんてことができるとも思えなかった。


 当然断ろうとしたが、それでもとお願いされる。


「この村を魔族から救ってくださった力。村の者に指示を出し、今までにない食糧の確保。他種族であるムーン=ビーストとの仲介。あなたは十分にこの村を治めるだけの手腕があると思います。当然私達もできる限りお手伝いしますので、どうかお願いできないでしょうか」


 確かにアルハードは今ハイドラが言っていたように、村を救い、食糧の確保をし、ムーン=ビーストがインスマスに馴染めるようにはした。しかし、それは全て自分のためであり、そのことを棚に上げてインスマスを収めるというのはバツが悪かった。


 どこまでいってもアルハードという人間は生真面目なのである。


 いくら親の七光りで生きてきたとはいえ、根っこの部分で真面目であり、そして小心である。


「申し訳ないんだけど、俺はそんな器じゃないし、というかここまでやったことは全部自分のためだし、それに二人はインスマスの住人から崇拝されてるんだろ? それなのに俺が統治なんてしたりしたら皆もいい顔しないんじゃないかな」


 言い訳の羅列である。当然ナルから突っ込みを貰うアルハードである。


(言い訳もここまでスラスラ並べられるとある種の才能を感じますね)


(ちょっと黙っててくれよ。今大事な話してるんだから)


(この話受けても良いと私は思いますけどね。でもでもだってで今まで人間から逃げてきた分、神話生物と向き合うってのはどうです?)


 それに神話生物と共存し、世界を制服するのでしょう?


 最後に物騒なことを言っていたナルだったが、それは聞き流しておく。その前に聞きづてならないことを言っていたからだ。


 逃げてきた。確かにその通りであるし、そんなことは言われなくてもわかっている。


 神話生物と向き合う。そんな人間はこの世界にはおそらく存在しないだろう。


 初め出会った時は確かにインスマス面は気難しい奴らだと思ったし、深きものを見た時は本当にこの世に存在する生物なのかとも思った。ムーン=ビーストも魔族も真っ青の異形であったが、こうして数十日間彼らと生活しているとわかる。


 彼らだって生きている。生活を送っている。そこはなんら人間と変わらず、接してみると結構気さくだったりする。


 見た目がどうとか、そのことで相手を忌み嫌うということは、長い間おちこぼれと言われてきたアルハードが最も嫌うことである。


 だからアルハードは見た目で彼らをどうこうとは思っていない。


 神話生物はその見た目から化け物と呼ばれ、恐れられる存在であるが、その点をアルハードはなんなくクリアしているのである。


 そういったことから、アルハードは神話生物と向き合うことに適した存在であるだろう。


 あとはアルハードの気持ち次第である。


 アルハードとしても住む場所を提供してくれて、家まで作ってもらった。毎朝挨拶も交わしてくれるし、食事も共にし、冗談を言い合ったりもする。


 そんなことは王都では絶対になかったことで、素直に嬉しかった。毎日が楽しかった。


 ただし向き合うと言われると、そんな関係でもなかった。


 インスマス面や深きものは、自分達を救ってくれたことを恩に感じ、アルハードは住む場所を提供してくれたことに恩を感じ、そんな関係だった。


 村を収める、彼らと対等な関係で向き合うということはそうではない。


 でも、彼らとならそれができるかもしれないと、少なからずアルハードの中にはそういった感情もあった。


 ハイドラの言葉を否定してはいるが、心の底から断っているわけではなかったのだ。


「我らは彼らに崇拝されてはいますが、彼らに何かしてあげることはできません。しかし、アルハード様であればそれができると思いお願いしました。私達としても、できる限りの事はお手伝いするつもりです」


「私からもどうか頼む。豊かになっていくインスマスで、毎日何事にも無関心で過ごしていた彼らが笑っていたのだ。その笑顔を引き出すことができたアルハード殿の力を貸して欲しい」


 まったく推しの強い奴らである。そう思うアルハードの顔には小さく笑みが浮かぶ。


 いいだろう。ただし、彼らとの関係は対等だ。統治者とはなるが、対等に言葉を交わす。幸いここインスマスには、アルハードを見下ろす人間もいなければ、貴族などという厄介なものは何一つない。アルハードは決意する。


「はぁ、いくらゴネてもダメそうだな……わかった、やらせてくれ」


 その言葉を聞いたダゴンとハイドラはホッとしたような表情を浮かべる。イマイチ深きものの表情は読みづらいが、そんな雰囲気がしている。


 成り行きを見守っていたデリックは、アルハードがインスマスの主になると聞いて嬉しそうである。


「いやー、俺ぁアルの旦那ならやってくれると思ってたぜ!」


 調子の良いやつだなと思うアルハードの顔は笑っていた。


「ただし! 俺が主をやるが、ここでは皆対等な関係だからな! 俺はあれしろこれしろと色々言うが、村の皆も言いたいことはガンガン言ってもらうぞ。デリック、お前もその内の一人だからな!」


「任せな! 言いたいことはハッキリ言うのがデリックって男よ!」


 ガハハと笑うデリックを、アルハードは少し羨ましく思う。


 言いたいことはハッキリ言う。王都ではそんなこと出来もしなかったアルハードだが、ここでは出来そうな気がした。そして、相手も自分に言いたいことを言ってくれる。アルハードが望んだ人との関係を、このインスマスでなら築けそうな気がした。


 だから、羨ましく思いながらも、俺もやってやると言う気持ちになるアルハードだった。

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