12-2 奇妙な共同生活
アルハードの足取りは軽い。具体的に言えば今にもスキップを仕出しそうな程である。というよりも若干スキップをしているようにも見て取れなくもない。
童顔低身長のアルハードがウキウキでインスマスの村の中を行く光景を、インスマスの住人は微笑ましげな笑顔で見送っている。
魚面の面々が微笑ましげなというと、どうにも奇妙な光景に見えるがこの村では仕方のないことである。
アルハードがご機嫌な様子を見るのは、インスマス面達にとっては実は癒やしになっていることを本人は知りもしないのであった。
「ようアルの旦那! なんだか知らねぇけどご機嫌さんだな!」
そんなアルハードに声をかけたのは、実質インスマス面のリーダーとなっているデリックだった。
デリックは初めこそアルハードに対して高圧的な態度であったが、根は気さくで陽気な人間だったのでこうしてアルハードと話している姿はよく見られる。
アルハードにとっては、今インスマスで一番仲の良い人物だろう。
「おーデリック、丁度今お前のこと探してたんだよ」
「なんだなんだ? 今朝方悩んでるような顔して海に向かってたって他の奴らから聞いてたから心配してたんだが、その様子だと何か良いことでもあったのか?」
魔族からインスマスを救ったことで英雄扱いされているアルハードだが、その見た目からインスマス面や深きもの達は、常にアルハードを気にかけている。
子どもっぽさが抜けていないアルハードを皆で見守っている。インスマスの住人達にとって今ではそんな雰囲気があった。
デリックに駆け寄ると、ふと気になるもの、というよりも人が目に入った。
そう人である。紛れもない人間。このインスマスにおいて人間はアルハードとあの老人だけである。それ故にインスマスでは人間というものはかなり浮いている。
「あれ? あそこにいるのって人間だよな?」
「ん? あぁ、ありゃ商人だな。わざわざこんな辺境まで足を運ぶとは、商人は変わっているとはいえあいつはかなりの変わり者だな」
デリックが商人だと言った男は、一台の馬車を隣に控え、インスマス唯一の食事処の亭主であるインスマス面と会話している。
当然アルハードは興味を惹かれたが、今一番大事なことはあの商人に話しかけることではなかったため、とりあえず今は話しかけたりはしない。
商人であればまたインスマスを訪れるのであろう。デリックによると、あの商人はインスマスへ入っても住人はとやかくいうつもりもないようなので、度々訪れているのだろう。
ふと商人と目があったので、会釈程度に頭を下げておく。
商人もこちらに気付いたようで、やはりインスマスに人間がいるのが珍しかったのだろうか、やや驚いた顔をしていたが、アルハードが頭を下げるとそれに返してくれた。
「まぁ今はいいか。それよりもすっげー良いことあったんだ! デリック、今から皆を呼んできてくれよ! 教会前の広場なら皆集まっても大丈夫だろ?」
「おう、なんだかよく判らねぇけど、深きもの達もか?」
「深きもの達もだ。ムーン=ビースト達は俺が集めるよ」
「はいよ。丁度今狩りから帰ってきたところみたいだから、狩り部隊は村の入口辺りで獲物を広げてるぜ」
「サンキュ! じゃあ頼む」
「ガッテン!」
そんな感じでデリックとやり取りを済ませたアルハードは、ムーン=ビースト達を呼びに村の入口へと向かう。
これから皆には臭気抑制の生活魔法を覚えて貰う予定だった。
住民全員。しかも魔法が使えるかどうかもわからないムーン=ビースト達もまとめて覚えてもらうので、上手くいくかはわからないが、ここは根気よく行こうと思っていた。
今はまだ昼だったので、晩御飯の時間まではまだまだある。インスマスでは現在、住民全員に満足な食事を出せるほど自給力がない。今のところは朝と夜の二回が食事にありつける。
いずれは三食きっちり、皆が満足する量、味の食事にしたいと思っているアルハードだが、その道はまだまだ険しそうであった。
何はともあれ、今は臭気抑制が最優先である。
学園に通っていた頃のアルハードは生活魔法を馬鹿にし、習得していなかったことを悔やんだが、幸運なことにあの老人が知っていたため、死に物狂いで覚えた。
実際生活魔法と言うのは、死に物狂いにならなければ習得できないような高難度の魔法ではなく、誰でも使える魔法である。しかし魔力操作が苦手であるアルハードにとっては中々習得することは難しかった。
老人が感覚派だったということもあり、それが習得難易度を高めた要因ともいえるが、そもそもからして魔力操作は魔法を使う上では必須のものであり、それが苦手なアルハードが魔法を習得することは大変なことなのであった。
――「何じゃおぬし、ヘッタクソな魔力操作じゃのう」
――「魔力なんぞ己の中でグルグルと練って、ポポーンと放出すればいいんじゃぞ」
――「違う違う。全然成功しとらん」
――「まさか生活魔法すらも簡単に覚えられないやつがいるとは思わなかったわい」
腹を抱えて笑っていた老人の声が頭の中に残っており、先程のやり取りが思い出される。
インスマスに来てからあそこまで馬鹿にされたことはなかったので、久しぶりの感覚に少しばかりイラッとしたが、老人の態度はできの悪い弟子を馬鹿にするような感じであり、悪意などがなかったことが幸いだった。
更に、日頃からナルにからかわれたり、煽られたりされているおかげで、もしかしたら多少なりとも耐性が付いたのではないかとアルハードは考えるほどだった。
(むっ、何やら失礼なことを言われた気がするのですが)
ナルの言葉は軽くスルーする。このことからも成長されたことが伺えるだろう。
というよりも、今はナルに構っている暇はないので放っておくというスタンスだった。
(アルが構ってくれません)
ナルが何か呟いているうちに、教会前の広場にはインスマス面、深きもの、ムーン=ビースト達が集まって来ていた。
しばらくすると、恐らくインスマスに住んでいるであろう住人が全て教会前の広場に集まった。
「全員集まったか?」
アルハードは隣りにいるデリックに問いかける。
「おそらく全員いると思うぜ」
デリックにはアルハードが今から何をするのか知らされてはいなかったが、アルハードには助けられた恩もあり、またアルハードが来てからと言うもの、村の食糧事情はかなり豊かになった。その為、アルハードは住人からの信頼も得ており、デリックもアルハードを信頼しているため、詮索はせずアルハードの言葉を待つ。
住人達も同様にアルハードには一定の信頼を置いている。なので広場に集まった住人達は穏やかな雰囲気だった。
それを見てアルハードは一つ、わざとらしい咳払いをした後、今日集まってもらった目的を話していく。
「わざわざ集まってもらって悪いな。今日はちょっとばかし皆にやってもらいたいことがあるんだ」
そう切り出したものの、どういった言い方をすればいいのだろうか、まさか直球でお前ら臭いから臭い抑える魔法覚えろよなんて言っていいものだろうか。
とはいえ、良い言い回しが思い浮かばなかったので、そのまま伝えることにする。
インスマス面や深きもの達はムーン=ビースト達の臭いに悩まされていそうだし、ムーン=ビースト達も自分の臭いについてあれこれ言われたところで、気にするような連中には見えないからだ。
「端的に言うとだな、皆には臭気抑制っていう生活魔法を覚えてもらおうと思う」
アルハードの言葉に反応を示したのはインスマス面と深きものだった。ムーン=ビースト達はよくわかっていないといった感じだ。
「まぁ、なんだ……ちょっとインスマスの住人は独特の臭いを持ってる者が多いからな……あっ」
ここでお前ら臭いと言えない辺り、アルハードのお人好しっぷりが伺えるが、そんなアルハードに天啓とも言える考えが思い浮かぶ。
インスマスの住人に臭気抑制を覚えてもらう理由として、あの老人が言ったことにしてしまおうというものだった。
基本的にあの老人は不干渉を貫いているし、先程馬鹿にされた仕返しとまではいかないまでも、ここは汚名をかぶってもらおう。
「皆はあの老人知ってるか?」
知っているという声はインスマス面や深きもの達からだ。ムーン=ビースト達は知らないのだろう。知っていると言っても、姿を見かけたことがあるという程度で、話したりしたことは無いという物がほとんどだった。しかし、その中で老人の話を振ったら、顔色が悪くなった様に見える深きものが何人かいた。
そう言えばあの老人は拳で一方的に語り合ったと言っていたが、その関係なのだろうか。もしかしたらトラウマになっているのかもしれない。そう思ったアルハードは、それ以上聞かないことにした。
「あの老人がな、皆のこと臭いからなんとかしてくれって言ってきたんだよ」
人のせいにしてしまえば幾らでも臭いと言える。
「だからまぁ、皆には悪いが臭気抑制を覚えてもらいたい。もちろん俺が教えるからさ」
不干渉を貫いてる人間に言われたからと、ここで皆に臭気抑制を覚えてもらうには理由が弱いように見えるが、ムーン=ビースト達の臭いに悩まされてるインスマス面と深きもの達は納得してくれた様だった。
ムーン=ビースト達はアルハードの従者的な立場であるし、否とは言わなかった。
これで臭いに悩まされることがなくなると、内心ウキウキのアルハードであったが、なんとかそれを表に出さないよう臭気抑制についての説明を始めた。
ムーン=ビーストにこの世界の魔法が使えるかどうかの不安はあったが、十日程で皆臭気抑制の生活魔法を習得することができた。
生活魔法を教えていく中で、まだ話したことのない住人とも会話をすることができ、その中でインスマスに来る前は生活魔法を使っていたインスマス面が複数いた事がわかった。
なぜ彼らは臭気抑制を始めとする生活魔法を使わなかったのかという疑問があったが、どうやらこのインスマスに来た当時は臭いに悩まされたが、身体の構造が変わっていったためか、すぐに気にならなくなったらしい。
その他にも魔法を使える者もいたが、いずれ海で生活することになり、必要ないだろうと使わなくなったそうだった。
今回の件で改めて魔法の便利さが身にしみたらしく、インスマス面の何名かは以前使えた生活魔法を思い出しながら、いくつか使えるようになっていた。
とりあえずは臭い問題は解決することができた。インスマス面や深きもの、ムーン=ビースト達はかなり交友を深めているし、順調である。
インスマスではアルハードを見下すような者はいない。一部ナルであったり、あの老人であったりは例外だが、何かすればありがとうとお礼を言われる。この村は非常に居心地が良い。大きなトラブルも今のところ起こっていない。
インスマスに住み始めて六十日程が経過していた。ついに、念願の家が完成した。
建築についてよくわからないアルハードだったが、棟梁をやってくれたインスマス面によると、かなり早く建ったらしい。どうやらムーン=ビーストの人外の筋力。そして疲れという概念など無いと思わせるような体力が物を言わせたらしい。
技術や知識はからっきしであったが、そこは棟梁が大工見習いだった時のことを思い出しながらなんとかカバーしたらしい。
棟梁にしても、ムーン=ビーストにしても、全く頼もしい限りだった。感謝の気持ちが絶えない。
外観は他の家と同じレンガ造りであるが、ここ何年も新しい家など建つことのなかったインスマスで、アルハードの新築はかなり浮いているようにも見える。
当然王都で暮らしていた家とは比べようも無いほど小さいが、アルハード一人が住むには十分すぎる家である。部屋数も当然余っており、荷物がそれ程ない部屋は少しばかり寂しい気もするが、いずれ増やしていけばいいことだった。
インスマスを救った英雄として一番初めに家を作ってもらえた。同時進行で造っているムーン=ビースト達の家は、まだもう少し時間が掛かりそうである。ムーン=ビースト達は大所帯なので、合同宿舎の様なものを想定している。
アルハードは自分のために家を建ててくれたことがとても嬉しかったらしく、家をもらった日は家の中をあっちこっち回ったりした。興奮は中々冷めること無く、夜になっても中々寝付けなかった。
寝室に置いてあるイスに座り、ここまでのことを思い出しながら、思わず笑みが零れた。
(ここはいい村だな。皆優しくしてくれるし)
(アルの人望のおかげなのでしょうね)
(やっぱりナルもそう思う? 王都の奴らにはわからないカリスマ性が俺にはあるんだな!)
(そうですね……まぁ誰も彼もアルに向ける視線は優しいですよ。子どもが背伸びして頑張っている姿を微笑ましく見守っていますね)
(……だよな、気付いてた)
人の視線に敏感なアルハードは、自信に向けられている視線が、羨望であるとか、尊敬であるとかそういった類のものでないことには気付いていた。
しかし、その中に蔑むものはない。
その環境はアルハードにとってとても過ごしやすいものであって、こうしてインスマスで充実した日々を送ることが出来るのも、全てはあの時王都と飛び出せたからだろう。
アルハード一人じゃそんなことはできなかっただろうし、やろうとも思わなかっただろう。
やや強引ではあったが、自分をこうして連れ出してくれたナルには感謝をしているアルハードである。
(アルのお子様容姿が大いに役立ってますね)
減らず口は出会った時から変わらない。
飽きもせず、お子様と言われたことにギャーギャーと反応するアルハード。アルハードがナルの言葉に怒り、それをナルがヒラリと躱し、更にアルハードを煽るというやり取りが繰り返される。
そんな感じでだいぶ夜も更けていき、明日も狩りがあるので、体を休めるためにもベッドに行こうとした時、ベタリ、ベタリという何かが歩いてくる様な音をアルハードは耳にする。
確か深きものが歩く時似たような音がしていた気がするが、それよりもなんというか巨大な感じがする。そう思って音のする窓の外へと視線を向ける。
なんだこれは、窓に! 窓に!




