1-2 おちこぼれ
今日もソフィアの研究所へと向かうアルハード。しかし、今日の足取りはいつもと違っていた。
端的に言えば、とてもイライラしている。
表情もイライラしている感じが出ているが、それよりも、嫌なやつに会ってしまったといった顔をしている。
その原因は今からおよそ一時間ほど前に遡る。
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数日前、先生のことをソフィア姉さんと呼んでからなぜだか機嫌が良かった。
それからというもの、たびたびソフィア姉さんと呼ぶように言われるので、その都度言う通りにしていた。その度何故か嬉しそうにするのがよくわからなかったが、機嫌が良くなるのならそれでいいかと、特に深く考えてはいなかった。
というか、もう少しバリエーションを増やすのも面白いかと思う。
例えば、お姉ちゃんとかどうだろうか。
いや、それは言うこっちが恥ずかしいな。十年若かったら気兼ねなく言えたかもしれないけど。
そんなことを考えながら歩いていると、最近は聞く機会がなかったが、それでも聞き慣れた声に呼び止められた。
「おやおやぁ、そこにいるのはアルハード・ボールドウィン殿ではありませんかなぁ?」
殿と敬称は付けているが、敬意などは微塵も感じられない。それどころか、わざとらしく間延びさせた話し方が人を馬鹿にしているということが伺える。
無視。そう、無視するのがこの場合一番いい選択肢だと思う。
どうしてお前がここにいるだとか、町中で名前を呼ぶんじゃねぇだとか、うるせぇ話しかけるなだとか、言いたいことはあるがここはグッと堪える。
俺も大人になったんだから。そう言い聞かせる。
「おいおい、無視は良くないだろ」
肩をガシっと掴まれる。先程とは打って変わって、かなり口調が砕ける。
おちこぼれと言われているが、これでも俺は公爵家の人間である。そんな俺に対してこんな口を聞ける奴は少ない。俺が振り向くと、そこには忘れたくても忘れることが出来ない、憎たらしい顔があった。
――ヒューゴ・ウィシャート。
学園に通っていた時からの腐れ縁。
俺としてはさっさと切れて欲しい縁のひとつなのだが……。
学生の時から何かと俺に絡んでは、見下してくる嫌なやつである。
ウィシャート侯爵家の長男であるため、次のウィシャート家の当主である。
侯爵家の子息ということで、公爵家の次男である俺のことを目の敵にしているのであろう。
それに、こいつ自身学生時代は魔法を専攻しており、俺の姉に憧れを抱いているらしいので、あの姉を持ちながら全く魔法の才能がない俺のことが許せないのだろうか。
「うるせぇ! 町中で名前を呼ぶな! てかどうしてお前がここにいるんだよ!」
我慢しようと思っていたのだが、こいつの顔を見たら抑えられなかった。俺もまだまだ子どもだな。対してヒューゴは、どこ吹く風である。
「たまたま王都を訪れたのでね、時間があったから久しぶりに歩いてみようと思ったのだよ」
ヒューゴは学園を卒業した後、ウィシャート家が治める領土に戻ったはずだ。ここ一年程は会うことがなかったので清々していたが、やはりこいつの話し方は癇に障る。
「そうかい、久々の王都の町を楽しんでくれよ。じゃあな」
ここでヒューゴに会ってしまったことは仕方がない。運が悪かっただけだ。そう、今ならまだ運が悪かった日ということで済む。
俺はさっさとその場を離れようとするが、どうやらそれは許されないようだ。
「おいおい、僕と君の仲だろう? 久しぶりに学友にあったんだ、ちょっと話をしていこうとは思わないのかい?」
「思わないね。俺は忙しいんだ」
「ふんっ、君が忙しい? 靴磨きでもしているのかい」
む、むかつく……。こいつ、この一年で相手を苛つかせる技術を磨いてたんじゃないのか?
鼻で笑い、人を見下したような視線。身長的な意味でも見下されてるところが余計ムカつく。
「貴族が立ち話なんてなんだし、ちょっとそこら辺でお茶でもしようじゃないか」
そう言ってヒューゴは近くの喫茶店に入っていってしまった。
別にこのまま行ってしまってもいいのだが、後でなんと言われるかわかったものではないので、俺もそれに続いて入店する。
ウェイトレスに案内され席に付くと、ヒューゴが勝手に紅茶をふたつ頼む。
俺は何も言っていないんだが?
こいつが自分勝手なのは知っているので、今更何も言いはしない。あくまで心の中で呟くだけだった。
すぐに運ばれてきた紅茶は、上品な香りをしていた。
紅茶は地方によっては高級品という扱いにもなるが、ここ王都では一般市民にも広く親しまれている。それは、クレイアデスが貿易の中心地となっていることが関係している。商人の出入りが多いため、その分多く流通しており、一般市民にも手が出せる程の値段である。
「ここの紅茶はなかなかだな。まぁ、僕が普段飲んでいるものと比べると、やはり見劣りはしてしまうが」
一言余計なんだよなこいつは。
一刻も早くこの場を立ち去りたいという気持ちが強く、ヒューゴと話すことないので、俺は黙って紅茶を口にする。
紅茶の良し悪しなんてわからないし。
「さっきから黙っているがどうしたんだ?」
「別に。もういい行ってもいいか?」
「つれないじゃないか。久しぶりに会った旧友と親睦と深めようとは思わないのかい?」
そんなつもりは微塵もない。
そもそもこいつは、学園にいた頃から何かと俺のことを見下してきていた。
俺は周囲に期待されて入った学園だが、すぐにおちこぼれのレッテルを貼られた。
しかし、公爵家の人間である俺に面と向かっておちこぼれだと言ってくる奴はいなかった。どいつもこいつも陰でヒソヒソと、遠巻きに見ながら見下してきやがった。
唯一の例外としてこのヒューゴだけは、俺に面と向かっておちこぼれのクズ野郎と言ってきたが。
いや、クズ野郎までは言ってきてないが、それは俺の中での思い出補正というものだ。
「ふん、まぁいい。それよりも、僕はこの一年で火属性の上級魔法をひとつ習得出来てね」
俺がだんまりを決め込んでいると、勝手に話し始めた。
それにしても、俺と同じ歳で上級魔法が使えるとは、やはりこいつは少なからず才能があるのだろうな。
「君は初級魔法くらいは使えるようになったのかな? そもそも学園を卒業する際、初級魔法も使えなかった君がどうやって卒業にこぎつけたかは知らないが……それとも、靴磨きのために生活魔法の練習でもしていたのかな?」
う、うぜぇ……。
やっぱりこいつ、人を苛立たせる才能だけは頭抜けてやがる。
そもそも俺は靴磨きなんてしていない。
「靴磨きなんかしてねぇよ」
「おやそうなのかい? 僕の靴も頼もうと思っていたのだが」
どこまでも人を馬鹿にしたような態度。一年前と何も変わってはいない。
ヒューゴは紅茶を一口、二口と飲み、ティーカップを置く。まるで、これから嵐のように話を始める準備かのように、唇と喉を潤していた。
「僕は、学園を卒業してからずっと我が領土で魔法の訓練をしてきた。そのおかげで火属性の上級魔法を習得することができたし、風属性の上級魔法だってすぐに習得してみせるよ。僕の目標は遥か高みにあるからね。君とは違う。あのお方の弟でありながら、初級魔法すらも使えない君にはあのお方の弟でいる資格なんてないということを自覚しているのかい? そもそも君はこの一年間何をして過ごしていたんだ? いやまて、言いたくなければ言わなくていい。しかしそうだな、僕が予想するに君はこの一年何もせず、ただブラブラとしていたに違いないだろうな。ボールドウィン家の人間がなんと嘆かわしいことだろうか。これならば本当に靴磨きでもしていた方がいいんじゃないか? 日頃世話をしてくれている使用人達の靴を磨くといい。そうすれば、君のようなおちこぼれのレッテルを貼られた人間も、少しでも人の役に立てるというものじゃないかな?」
自慢話から始まり、見下し、そしてストレートにおちこぼれ呼ばわり。よくそれだけ長く話すのに、舌を噛まないものだと感心する。言っていることはムカつくが。
その後もヒューゴの口は止まらない。
俺が何かを言い返す隙すら無い。
げんなりしてくる。しかし、イライラは募るばかりだ。
こいつは、久しぶりに会った俺の現状をすんなりと当ててきた。俺自身、自分が何もできない、何もしていないということは十分に自覚している。なにせ自分自身のことなのだから。
自覚しているからこそ、そのことを改めて人に指摘されると、尚の事頭にくるものだ。
ティーカップをこいつの憎たらしい顔に投げつけないよう我慢するのが精一杯だった。
あれからヒューゴの話は続いていた。
内訳は、自慢話五割、見下し五割といったところだろう。
我慢の限界だ。
しかし、ここでこいつをぶん殴ってしまうことは簡単だが、それは出来ない。こんなところで侯爵家の人間に手を上げるのは不味い。
親の七光りだけで生きている俺が、父親に迷惑をかけることだけは絶対に出来ない。父親の機嫌を損ねることだけは、なにがなんでもしてはいけない。
となれば、残る選択肢は逃げるだけだ。
俺は奴に悟られないよう、こっそりと懐に手を忍ばせ何枚か銅貨を手に取る。
こいつから逃げる算段は整った。後は実行に移すだけだ。とはいえ、このまま言われっぱなしなのも癪なので、少しばかり気を晴らさせてもらおう。
「おい、そろそろいいだろ」
俺はヒューゴの話を遮る。
やつはやや眉をひそめ、自分の話が途中で遮られたことに不快そうな顔をする。
「何がだい? 僕の話はまだ終わっていないし、どうせ君には予定なんてないだろう?」
どこまでも自分勝手なやつだ。こんなやつがウィシャート家次期当主だなんて、ウィシャート家も大変だろうな。
「こっちは貴重な時間をお前のために割いてやったんだよ。感謝はされども、文句を言われる筋合いはないぞ」
「君に予定だって? ふん、どうせ嘘をつくなら、もう少し考えて嘘をつくんだな」
「ソフィア先生のところに行くんだよ」
「なっ!?」
ヒューゴの目が見開かれ、信じられないという顔に変わる。
なぜこいつがそんなに驚愕しているのかというと、何を隠そう、ソフィア先生は初等学園時代、我ら男子生徒憧れの存在だったからである。
ヒューゴもご多分に漏れず、ソフィア先生に憧れを抱いていた男子の一人なのだ。
初等学園に通う男子からしたら、大人の色気と儚さを兼ね揃えたソフィア先生は、同年代の女の子と比べると別格の存在であり、その誰もが虜にされていた。
そんなソフィア先生のところに行くと言えば、こいつも黙ってはいないだろう。
「き、君、さっき僕は、嘘をつくならもっと考えて嘘をつけと言ったはずだが?」
動揺しすぎだろこいつ。
「嘘じゃないぞ。それに俺は、毎日と言っていい程先生の研究所に通ってるしな」
ヒューゴの顔が、更に驚きの顔へと変わる。
こいつのこんな顔初めて見たかもしれない。
じゃあな。とだけ言い残し、先程握っておいた銅貨をテーブルの上に置いて、足早に去る。もちろん銅貨は、自分の分だけだ。
後ろから、待て、君には聞かなくては行けないことが! と言いながら俺を追いかけようとしてるヒューゴがいるが、ウェイトレスに、お客様代金のお支払いがまだです。と止められている。
その隙に俺は、人混みの中へと姿を消す。
ふん、ざまあみろ。
少しだけ溜飲を下げ、ソフィアの研究所へと向かう。
★☆★☆★
といったようなことがあり、アルハードはイライラしていた。最後に多少なりともやり返したが、それだけで腹の虫が収まるはずもなく、歩みはどことなく荒かった。いつもより乱暴に、ソフィアが仕事をしている執務室のドアを開けそのままイスに座る。
ソフィアは特にこちらに顔を向けず、ドアはもう少し静かに開け閉めしような。と言うだけだった。
両者共、特に声を発することなく、無言が空間を支配している。ソフィアは書類から目を話すことなく、時折羽ペンを走らせる。
やがてアルハードの方が気まずくなったのか、声を上げた。
「なんでなんにも聞かないんだよ」
その口調はやはり、ややイライラとしていて棘があった。
対してソフィアは、特に気にする素振りも見せず、書類から顔を上げると、アルハードをからかうような口調で返事をする。
「んん? なんだ? もしかして私にかまって欲しいのか? ソフィア姉さんに相手してもらいたいのか?」
何がソフィア姉さんだ。自分で言うなよ。
相手に聞こえるか聞こえないか程度の音量で呟く。その顔は、なんとも言い難い。そんな顔をしている。
なんとなく毒気を抜かれてしまったアルハードは、はぁ、と一つため息をついてから、今日あったことをソフィアに話すのだった。
当然それは、いつもの様なただの愚痴になるのだが。




