9-1 『深きもの』
『アル・アジフ』に書かれていることはそれほど多くは無かった。しかしながら何も知らないよりは良いと思える内容でもあった。
『インスマス面』とは、ナルと同じ神話生物という存在なのだそうだ。
ナルのような神格ではなく、『下級の奉仕種族』として『クトゥルフ』と呼ばれる神格を崇拝しているのだという。
神格のような力はないが、非常に長寿であり、殺されない限りは基本的に死ぬことはないとも書かれている。
『インスマス面』は、先程ナルも言っていたが、成長過程のようなものらしい。
彼らは数年かけ、本来の姿である『深きもの』へと変わっていくのだという。
『深きもの』もしくは『ディープ・ワン』とも呼ばれる彼らは、『インスマス面』を更に魚に近づけたような姿らしい。
『深きもの』についての記述も『アル・アジフ』には簡単に書かれている程度で、ナルがある程度補足を付け加えてくれた。
当然のようにナルは、自身の知っていること全てをアルハードに教えたりはせず、素知らぬ顔で、私が知っているのはこの程度です。などと言っていた。
知っていそうな雰囲気はあったが、これ以上は教えてくれなさそうなので、ナルが教えてくれた話から推察する。
『深きもの』は魚人間のような存在で、陸の上でも生活することは出来るが、基本的に海の中に生息しているという。水の中であれば、かなり自由に早く動くことが可能で、発達した鉤爪を武器にするという。好戦的な部類ではないにしろ、よそ者に対しては非常に敵対心を持っており、残虐で冷酷な種族だという。
(『深きもの』ね……おじいさんと話をしてる時感じた視線は奴らのものかな)
(おや、アルも気付いていたんですね)
(悲しいことに人の視線には敏感なんだよ……特に悪意ある視線にはな)
王都にいた頃から周囲の視線を感じて育ったアルハードは、見られるということに対してあまりいい気分にはならない。だからこそ、誰かが自分に視線を向けていることにはすぐに気が付く。
当然あの海岸でも見られていることには気付いていた。
視線はいくつかあった。しかし、そのどれもが悪意というか、敵意のようなものを宿しており、決して歓迎されているという雰囲気ではなかった。
(そういえばアルは幼少から色んな意味で目立っていたらしいですね)
(あんまりいい思い出じゃないからな)
(そうですか……けれど世の中には見られることに興奮するという特殊な者もいるというではありませんか)
(いや俺そんな変な人じゃないからな!?)
たまにナルは突飛もないことを口走る。
わざと言っているのか、それとも真面目に言っているのか分かりづらいため、アルハードは反応に困ることが多いのだが、今回は全面的に否定させてもらうことにした。
(はぁ……でもまぁ、歓迎されていないってことだけは確信出来た)
(それは当然でしょう。ここは彼らのテリトリーであり、よそ者を嫌う彼らが快くアルを受け入れるはずがありませんしね)
(だよなぁ、やっぱりここに住むのは無理かな)
(アルはこんな魚臭い場所に住みたかったのですか?)
(いやいや、俺だってこの臭いはきついよ。けどこの村なら地図にも乗ってないわけだしさ、俺が元の姿で生活していても大丈夫なんじゃないかなって思うわけよ)
アルハードとしては旅も悪くないと思っているが、やはり何処か気の休まる場所に拠点のようなものを置きたいと考えていた。
王都の連中に追われることなく、それでいて自由気ままな生活をしたいと。
そのためにこの『インスマス』は悪くない場所ではあったが、現状気の休まる場所ではなかった。
ナルの言うように、村は魚臭さが充満している。それについては何か対策を考えなくてはならないが、まだその段階にすら達していない。
彼らをなんとか説得し、この村に拠点を置けるようお願いするか、もしくは別の場所を探すか。しかし彼らが対話に応じるだろうか。
今日は五人の『インスマス面』と会話をしたが、あまり好感触とは言えないだろう。
そもそもその五人以外はアルハードの前に姿すら表していないのだから。
うんうん悩んでいると、ナルがこれは妙案だと言わんばかりに、自信満々に言葉を発してきた。
(良いことを思いつきました)
(ん? 何かいい案が思い浮かんだのか?)
ナルが手助けしてくれるなんて珍しいと思いながら、『魅了』などの精神干渉の呪文を教えてくれたときのように、この場を好転させるための力を貸してくれるのかと期待を寄せる。
(先程の老人が言っていたように、拳という肉体言語で語り合うのは如何でしょう? あの老人も拳は全ての生き物の共通言語だと言っていましたし)
(却下!)
(何故です!? 今のアルならば『深きもの』の一人や二人引き千切れるというのに!)
引き千切っちゃ駄目だろう。なんて思いながら、今の会話だけでどっと疲れが押し寄せて来た気がしたアルハードは、大きくため息をつく。
そもそも最初に約束をした時に、暴力は駄目だと言ったはずなのだが、わかっていて言っているのだろうか。たぶんわかってはいるのだろうな。
ナルは知恵者であるのに、こういった脳筋な一面もある。と、これまでのことを思い出してみると、どちらかと言えば脳筋よりだなとアルハードは苦笑する。
どうやらその様子が不満なのか、ナルはぶーたれているように見える。姿は見えないので、あくまでアルハードの想像であるが。
(そういえばおじいさんと話してる時大人しかったけど何かあったのか?)
アルハードは先程の会話を思い出し、ナルが一言も話しかけてこなかったなと思った。
(観察していました)
(観察?)
(えぇ、あの老人只者ではないですね。飄々としてましたが、アルの中にいる私の存在を見透かすような瞳でした。だから観察していました)
そんな阿呆な。というのがアルハードの感想だ。
少なくともアルハードには、あの老人がすごい人物には見えなかったし、元勇者などとボケが始まっているのではないかと失礼なことも考えていたくらいだ。
その人物をナルは只者ではないと言う。
どこか腑に落ちないながらも、こんな辺鄙な村に住んでいるのだ。それも『インスマス面』『深きもの』達しかいない村にである。
確かに普通ではない。そうは思うが、かと言ってあの老人が元勇者だということは信じることが出来なさそうである。
変わった老人であったが、また話を聞くのもいいかもしれない。
アルハードとしてはこの村になんとか住まわせて貰おうと考えているのだし、そういった意味では、あの老人はこの村での人間の先輩に値する人物なのである。
今日あった出来事などをナルと話しながら、長旅の疲れを少しでも癒すため、宿のベッドに寝転がっているが、寝心地は悪く背中が痛くなりそうであった。
今にも朽ち落ちてきそうな天井を見上げながら、一つ大きく息を吐く。
そんなこんなで夜が更けていく。
ナルとの魂の契約のおかげで、あまり睡眠時間が必要ではなくなったが、それでも眠気はやってくる。
『インスマス面』や『深きもの』達の信頼を得るのは骨が折れそうだが、何もせず尻尾を巻いてこの村を去るという選択肢はない。
どういった方法でアプローチをかけていこうか、明日は何人か村人に声をかけれたらいいなと思いながら眠りに落ちようとした時、扉の向こうから複数人が、荒々しく階段を登ってくる音が聞こえた。




