7-2 『インスマス』へ
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アルハードが王都を旅立ってからおよそ三十日程が経っていた。
現在位置はユピの森と呼ばれる大森林で、自然豊かな場所である。ふと見回せば、キノコや食べられそうな山菜が自生していることが伺える。
ユピの森に入ってから十日程、食糧問題については、飢えを凌ぐという面では解決していた。更には、森に入ってからは、草原では中々見ることの出来なかった動物が数多くいた。
アルハードは初めて魔物を食べたあの日から、この先魔物を食べて行くんだろうなと思っていたが、魔物ではない、普通の動物を狩って食べていた。
美味そうな肉がその辺を歩いているのに、わざわざ魔物を食べる必要はない。
一番良かったのは兎だな。などと呑気なことを考えられるくらいには、心に余裕が生まれていた。しかし問題というのは、一つ解決すれば次の問題が降ってくる。これは世の常であり、アルハードにも容赦無く現実を叩きつけてきた。
「あぁなんてこった……塩が、塩が終わった……」
塩が入っていた小瓶は空になっていた。
それを見つめ、悲痛な声を上げる。
(塩がそんなに大事なのですか?)
(当たり前だろ!)
ここまで魔物の肉や動物を食べてこられたのも、全ては塩という調味料があったからだとアルハードは思っている。
筋張った魔物の肉も、獣臭いイノシシの肉も、全ては塩があったから食すことが出来たのだ。
それを素材の味のみで食べるということは、アルハードにとってこれからの食事は過酷なものとなるだろう。
(素材の味を愉しめばいいのでは?)
(そう言うんなら食事の時だけ俺と代われ)
(感覚は共有するので意味無いですよ)
ナルは少しであればアルハードから身体の主導権を得ることが出来る。ただし、話をしたり動いたり出来る程度で、呪文などを使うことは出来ない。感覚は共有されているので、ナルが言うように意味が無い。
(ナルって素っ気ないってか味気ないってか、たまに冷たいよな)
(塩気が足りないから味気ないってことですね)
(それ何にも上手くないからな!?)
今日もアルハードとナルの仲は良好なようである。
塩がなくなってから更に十日が経過していた。
最早食事は飢えないためだけの行為になり下がっており、腹が減ったら狩りをして、焼いて食う。それだけだった。
懸念事項としては、今はまだ森の中なので、動物の肉を食べることが出来ているが、この先は枯れた大地と言われるような荒野なので、もしかしたらまた魔物を食べることになりそうだということだった。
なるべくそんなことを考えないようにと歩みを進めるアルハード。話し相手は相棒のナルである。
(なんか、もっと攻撃力の高い呪文ってないの?)
(攻撃? それなら触手で十分でしょう)
(いやいや、俺だってもっとこう魔法で派手にドカーンとかやりたいわけよ)
(アルは魔法が使えないのでしたね。それだけの魔力を秘めていながら魔法が使えないとは)
(でも神話呪文は使えるし)
神話呪文。この世界では聞き慣れない単語であり、アルハードも初めて聞いた時は頭の上にはてなを浮かべていた。
神話呪文とは何か、それはまずナルという存在からの話になる。
この旅が始まってからというもの、特にやることもなく、目的地である『インスマス』へ向けてひたすら歩いていた。
ナルがいて本当によかったとアルハードは思っていた。ただでさえ長い旅路だ。話し相手がいるというのはそれだけで気分が和らぐ。
ここに来るまでアルハードとナルは、お互いの事を話し合っていた。その話の中で、ナルとは一体何者かという質問がアルハードからあった。
その問いに対する答えは実にシンプルなものだった。
ナルは自らを神だと言った。ただし、邪神だと。更に、邪神と言っても自分一人だけではなく多数存在しており、『旧き神』『グレート・オールド・ワン』『外なる神』の三つ分類されると。
自身は『外なる神』と呼ばれる存在で、最高位の神格だと言った。
『グレート・オールド・ワン』は邪悪な神格が多く、その殆どが崇拝されている存在。人間に干渉することが多々あり、大抵の場合は害悪をもたらすらしい。
『旧き神』は人間に対していくらか友好的な存在がおり、『グレート・オールド・ワン』や『外なる神』に敵対しているという。
その神格に仕える存在を『奉仕種族』といい、どの神格にも仕えることのない存在を『独立種族』と言われる。どちらも上位と下位が存在する。
『旧き神』『グレート・オールド・ワン』『外なる神』『奉仕種族』『独立種族』などを総称して神話生物と呼ばれている。
その神話生物達が使う超常的な現象を引き起こすものが、神話呪文と呼ばれている。
どれもこれも、人間たちが付けた呼称だということを最後に付け加えて。
ちなみにこの話を聞いたアルハードはというと、随分スケールの大きい話だな。などという感想を漏らしていた。
(だからアルは最高位の神格と友なのですよ。これは皆に自慢出来ることでしょう)
とはナルの言葉だったが、アルハードはというと苦笑いを浮かべるだけであった。
話は戻るが、アルハードは神話呪文が使える。
本来神話呪文とは、前もって様々な準備が必要であったり、場合によっては生贄なんかも必要となるのだが、アルハードはその豊富な魔力量でそれらの過程を全て無視することが出来る。これを並の人間が行えば、即座に魔力が枯渇してしまうだろう。
そんな離れ業を平気な顔してこなしてしまうアルハードだが、なぜか精霊魔法が使えない。ナルもなぜアルハードが魔法を使うことができないかわからないでいた。
(確かに派手なものもありますが、それを簡単に私が教えてしまったらつまらないでしょう?)
(いやいや、つまらなくないからね)
(私がつまらないのですよ)
(お前がかよ! まったく、ケチなやつだなー)
(自分で習得なさい)
ナルは中々新しい呪文を教えてはくれなかった。 本人曰く、神話呪文はすべて使えるとのことだが、それとこれとは話が違うという。
そんな訳でアルハードは、この旅の道中ナルと共に精神に入り込んでいる『アル・アジフ』を読んだしながら、新しい神話呪文を習得しようとしていた。
頭の中で『アル・アジフ』を思い浮かべることで、映像の様に『アル・アジフ』が出てくるので、歩きながらでも読むことが出来た。
『アル・アジフ』は難解なので、一回読んだ程度では呪文を習得出来ない。というより理解出来ない。
旅を始めてから四十日程経ったが、この間やっと『支配』という呪文を覚えたばかりだった。
『支配』対象の意思を曲げ、呪文の使い手の意思通りに行動させることが出来る。ただし、一回に一人までで、尚且つ対象が十メートル以内にいなければならない。
またしても精神干渉系の呪文であった。アルハード自身も理解していく内にそんな気はしていた。
未だアルハードは、攻撃に使えそうな呪文を覚えられずにいた。
(普通の魔法も使えるなら別にいらないんだけどなぁ……なんでだろう)
(この世界では魔法を行使する際、精霊とかいう存在の力を貸りるのでしたよね?)
(そうそう、そうなんだけど、何故か俺には力を貸してくれないんだよなぁ)
(うーん……私も使ったことがないのでわかりませんね)
(邪神様でもわからないことが、俺にわかるわけないな!)
アルハードはお得意の開き直りで、考えることを止めた。
現状で言えば攻撃系の呪文がなくとも、魔法が使えなくとも特に問題はなかった。
魔物もそれ程強いものには遭遇していないし、野盗の類にも会っていないので、弱い魔物や動物を狩る程度なら触手だけで事足りたのだ。そんなことを考えていると、目の間での茂みから何かが飛び出してきた。
「ん? 魔物か?」
それは長い二つの耳をピコンと立て、全身を薄い灰色のモフモフで覆われている愛らしい外見。
「違う、兎だ! 追え! 逃がすか昼飯ぃ!」
一人でそんなことを言いながら、兎に向かって複数の触手を伸ばすアルハード。
今日のお昼は兎肉になりました。




