7-1 『インスマス』へ
あの日の夜『魅惑』をかけられた兵士は、アルハードの質問に応えるという形で、知っている情報を話してくれた。とはいったもののは、アルハードが起こしたテロと脱獄は昨日の今日の出来事なので、そう詳しい情報が聞ける訳ではなかった。
まずアルハードが研究所を爆破した動機や手段については、現場検証を行ったり、アルハードの身近な存在に対して聞き込み等により調査中。
特に親しくしていたソフィアについては、自宅にて待機命令が出されており、監視が付いているとのこと。後日取り調べが行われるという。
脱獄については謎が多いらしく、現場検証に当たった兵士達は困惑しているらしい。
概ね予想通りの情報であったが、ソフィアが酷い扱いを受けていないということがわかっただけでも収穫である。
聞きたいことを聞き終えた後は、『忘却』呪文を使い、今話したことを全て忘れさせた。ただし、忘れさせたのはあくまで今話したことだけである。酒場でのやり取りや、宿でのやり取りなどは全て覚えさせておく。
酔っ払って記憶が無くなるという話はよく聞くため、目が覚めたら一人で宿のベッドの上にいたとしてもおかしいことではないかもしれないが、アルハードと兵士のやり取りを見ている人間は多数いるので、全てを忘れさせることは出来なかった。
アルハードたちのやり取りを見ていた者達全ての記憶を無くせばいいが、それは現実的ではない。
記憶を奪った後は最後の仕上げである。『魅了』の呪文を使い、兵士を催眠状態へとする。呪文をかけられた兵士は、手足がじんわりと痺れるような感覚に陥り、身動きが取れなくなってしまう。
アルハードは、彼の耳元で囁く。
「今日あなたはわたくしを買ったのよ。だからお金は貰って行くわね」
これでこの兵士はお金が無くなってても不審がらないだろう。彼はアルハードを買ったのだから。
続けてアルハードは、二つ三つ言葉を重ね、兵士に命令した。すると兵士は、大きく身体を逸らした後、ビクンビクンと痙攣し始めた。
その表情は……恍惚。
これはアルハードなりの協力へのお礼と、足がつかないための気配りだ。これによりこの兵士の記憶には確かにアルハードと過ごした至福の時間というものが存在するようになった。
実際はアルハードは相手をしておらず、催眠状態に陥ってる彼の脳内で快楽物質かなんかがドバドバ出ているだけだろう。
大の大人の男が、だらしない顔でビクンビクンしているところなど見るに耐えないので、シャワーを浴び、彼の財布からお金を抜き取り、さっさと宿を後にする。
ナルの作戦は、この一連の流れで情報と路銀を手に入れるというものだ。王都滞在中はこの方法で情報収集と路銀集めをする方針だった。
アルハードが兵士から情報を集め初めてから二週間ほど経ったころ、町中で自分の人相書きを見つける。どうやら国に対してテロを起こしたテロリストとして指名手配されているらしかった。
若干のショックを受けているが、上手く描くものだなと関心もしている。
いくら似ていたとしても、今は姿が違うので見つかる心配はない。確かにこのままならば見つかる事もないし、姿形を変える魔法なんて誰もが使えるものではないし、そもそもそんな魔法があるのかどうかもわからない。
あるとすれば間違いなく特異魔法に分類されるだろう。
ナルから教えてもらった呪文を駆使すれば、食べるに困ることもない。アルハード・ボールドウィンではなく、まったくの別人として新たな道を歩むことが出来る。けれども、やはり十六年間生きてきた本来の姿でいたい思いもあった。
やや幼い見た目や、低い身長はあまり好きではないが……。
本来の姿でいるためには、自分のことが知られていない土地へ移り住むか、もしくは旅をして世界中を回ろうか考えていた。
しかし大国や、栄えている街などにはなるべく近づきたくなかったので、ほとぼりが冷めるまではどこか辺境の地でひっそりと暮らそうと考えていた。
ナルには世界征服をすると言ったが、今はまだ動くときではない、というよりもおおっぴらに動くことが出来ないので、今は雌伏の時だと自分に言い訳をし後回しにする。
何より中央国公爵家の次男がテロを起こしたなどという話題は、当然広まるスピードも早いだろう。現在一番ホットな話題は、間違いなくアルハードが起こしたテロのことだろう。
そして、アルハードを始末したい人間。中央国に対して良からぬことを企てようとする人間等、そういった連中が接触を図ってくることは容易に想像出来た。
そう思い始めた頃から、あまり人が行かないような場所の情報も集め始めたのだった。そして何人かの兵士から『インスマス』という呪われた土地の話を聞かせてもらった。
『インスマス』はここ中央国クレイアデスから北東の位置にある、海に面した場所にある寂れた漁村だそうだ。
人口は五十人に満たない廃れた村だというが、この土地が呪われていると言われる理由に、そこに住む住人たちは皆重度の皮膚病を患っており、非常に醜い顔をしているということだった。皮膚病というのは気になるが、商人もほとんど訪れない土地だという。
距離としては徒歩で八十日ほどの場所にあるので、魔大陸へ行くより断然近い。
魔大陸とは、魔族や魔物が多く生息している大陸である。人間や亜人もいるにはいるが、極々少数しかいない。大陸と言っても中央国からも地続きでいけるが、大きく北から迂回していかなければならない。
最初は魔大陸にでも行こうかと考えていたアルハードは、とりあえずの目的地として『インスマス』を選択した。
住めそうになかったら他を当たればいいやという軽い気持ちである。
アルハードは旅の支度として簡易テントに寝袋。干し肉などの保存の効く食糧と飲水には初級の水魔法が込められた魔道具を。元の姿で着るための服を何着か。その他に小物を幾つか買い揃え旅立つ準備を整える。
『インスマス』で中央国の貨幣が使えるかわからなかったが、その間にある街や村で食糧を買い足すために、いくらかのお金も手元に持っていくことにする。
各国との間には、商人の馬車が通れるくらいの街道が整備されているため、その街道に沿って歩けばそれ程移動は困難ではない。しかし身分を証明するものがなく、道中にある国には立ち寄れないため、中央国の領土を出た辺りで街道から逸れ、ユピの森と言われる大森林へと向かう。
『インスマス』へ行くにはユピの森を突っ切り、その先にある枯れた大地と呼ばれる荒野を突き進む。その枯れた大地の海に面している一角に『インスマス』は存在するらしい。
地図は存在するが、あまり詳細な地図は一般に公開されてはおらず、簡易的なものしかない。
『インスマス』はその簡易地図には記されておらず、あくまでそこにあるらしいということしかわからない。
やや不安になりながらも、他に行く宛などないので、とりあえずはあるだろうと言うことで歩みを進める。
基本的に野宿になるが、ユピの森に入るまでは魔物の数も多くなく、強力な魔物もいないため危険は少ない。更にナルが寝る必要がないため、寝ている間は見張りをしてくれると言っていたので、アルハード素直にその申し出に甘えることにした。
少ないとは言え魔物は当然出るし、野盗の類だっているので、護身用に剣でも持っていこうかと思ったが、ナルがそんなものを使うくらいなら、触手を使えばいいと言われたので持って来ていない。
初めて触手を使ったときはなんとも言えない気持ちになったアルハードだが、慣れてしまえば多少グロテスクな見た目も気にならなくなっていた。むしろ使い勝手の良さに苦笑いした程だった。
念じれば何本でも、どこからでも生やすことが出来るし、手足の様に動かせる。更に魔力を込めることで硬質化させることも出来た。
道中出くわした魔物は触手で絡め取って動きを封じ、硬質化させた触手で貫くことで難なく倒すことが出来た。
問題は食糧だった。
王都で購入した食糧はすでに底を付いていた。飲水については、初級の水魔法が込められた魔道具を持ってきているので、食料が尽きてからは数日間水のみで凌いだ。
魔道具は一度使用すると、次使用出来るまでにある程度時間がかかるため、五、六個持ってきている。
現在位置は、ユピの森まであと一日程といったくらいだろうか。
前方には大森林が広がっており、今いる辺りは背の低い草が埋め尽くしている。草原という言葉がぴったりの場所である。
どう見積もっても、飢えで行き倒れる。ユピの森まで行けば食べられそうなものはありそうだが、あまりの空腹加減にアルハードの足は動きそうにない。
すぐそばには先程襲って来ていた鳥型の魔物の死体が転がっている。
その息絶えた魔物を凝視しながら、アルハードはある一大決心をしていた。
★☆★☆★
目の前で焼かれている肉の香ばしさに、ゴクリと喉を鳴らす。
味付けは塩のみで、適当に切ったものを焼いているだけだ。
王都で食べた鶏肉の香草焼きに比べたら、なんて見窄らしいものだろうか。けれど、もう空腹に耐えられない。ここ数日は水しか飲んでいないのだ。
「――っ、そろそろいいだろうか」
独り言のようなつぶやきに、相棒は何も答えてくれない。
表面を見る限り、十分に火は通っているように見える。
肉に刺してある木の枝に手をかけ、それを目の前に持ってくる。
極度の空腹のためか、先程から涎が止まらない……にも関わらずやはり躊躇ってしまう。
何を隠そう、今俺が食べようとしているのは魔物の肉である。
中央国に魔物を食べる習慣はない。故にこれが初の魔物肉との対峙である。
魔物の中には非常に美味なものもいるというし、日頃から魔物を狩り、それを食べることで生きている人たちがいることは本で読んだことがある。しかし、俺からしたらこれは未知の食材である。人は自分の知り得ないものに対して怖気づくのは当然のことだと思う。
一応選別はした。俺に襲い掛かってくる魔物の中から、食べられそうで、毒などを使った攻撃をしてこなかった、鳥型の魔物を今こうして手に取っている。
おそらくこいつは食べられると思う。もしかしたらすごく美味いのかもしれない。
しかし魔物だ。
確かに王都を出る時、食糧の持ち合わせは少なかった。とても八十日間の旅路を耐えられるものではなかった。それは俺の落ち度であることは認めよう。正直旅を舐めていたと自分でも思う。
そもそも一人旅なんてしたことはないのだし、することも無いだろうと思ってた。だからこそこうして、自らの手で獲物を狩り、食べようとしているのだ。
しかし、魔物だ。
空腹はすでに極限状態。水のみではこの旅も志半ばで行き倒れてしまうだろう。つまり、これから先飢えを凌ぐ方法は魔物だろうと動物だろうと食べるしか無い。
ユピの森には山菜やキノコ、木の実などが豊富にあるだろうが、生憎とそちらの知識はからっきしである。キノコの毒になんて当たってしまった日には目も当てられない。
そんな訳で肉を焼いて食べる。という方法くらいしかないのである。火も通るしね。
しかし! これは魔物なんだ!
(御託を並べるのはそれくらいにして、早く食べてしまいなさい)
俺の相棒は存外冷たいやつだったよ。
もう躊躇いは……ない訳ではないが、ガブリと。
「――う、うまっ……くはないな、うん」
肉は柔らかい訳でもなく、むしろ筋張っていて、そう、歯ごたえがある。
味は……塩の効いた鶏肉だな。素朴な感じだ。
久しぶりの食事に胃が拒絶しないよう、よく噛んで食べる。
二口、三口と食べ進めていく。
なんというか、味だとか肉質だとか、ほぼ全てが予想の範囲内だったので、逆に冷静になってしまった。
とりあえず美味くはないが、食べられないこともないので、腹を満たすという目標は達成できそうである。
無言で食べ続け、鳥型の魔物一匹食べ終わる頃には腹もいっぱいになった。
満足というには到底及ばないが、これで飢えることはなさそうだ。
あぁ、温かいスープと柔らかいパンが恋しい。
今後ずっとこの食事を続けるのだけは勘弁願いたいので、そのためにも一刻も早く『インスマス』へと辿り着きたい。




