6-3 赤い女
「――まぁ! それじゃあ騎士を目指しているのね」
「あぁ、まだまだ力もない一兵卒だが、いつかは騎士としてこの国を、民を守っていきたいと思ってるよ」
最初は緊張していた兵士だったが、俺が巧みによいしょし、更には酒も回ってきたのだろう、いくらか饒舌になり口調も砕けてきた。
「その民の中には……わたくしも入っているのかしら?」
ここですかさず上目遣いアンドボディータッチ。
ボディータッチはあくまでも控えめに、上目遣いをする時は若干切なげにすることが重要だとナルが言ってたので、それに従い実行する。
「――っ、も、もちろんだよ」
言葉を詰まらせ、顔を赤めているところを見るに、効果抜群のようだ。先程ナルによって行われた『男を魅了する魅惑の女講座』にあったものの一つである。
ちょっとあざとすぎるとも思ったし、そんなちょろい男がホイホイいるわけないだろ。なんて思ってたが、自分が思っていた以上に男という生物はちょろかった。
自分はこんな女には引っかからないようにしようと、少しばかり身の引き締まる思いだ。
「っと、グラスが空いてしまってるね」
照れ隠しのためか、目敏く俺のグラスが空なことを指摘する。
待ってました!
「えぇ、でもわたくし今日この国を訪れたばかりで……その、少々手持ちが心許ないの」
出来る男風が次に言うセリフは決まっている! というのはナルの言葉だ。
「ここは僕が奢るから、君は好きなだけ飲むといいよ」
その出来る男風を釣ることが魅惑の女である! というのもナルの言葉だ。
そして見事に釣れたのである。
少々彼に対して情けないなという気持ちと、中身男に釣られてしまうなんてという同情が入り混じった気持ちになるが、背に腹は代えられない。
早速彼の好意に甘え、マスターに葡萄の果実水のおかわりを頼む。彼もそれに合わせてエールのおかわりを頼んだ。
だいぶと酒が入ってきていることを確認し、次のステップへのタイミングを見計らう。
(そろそろいい頃合いかな)
(まだですね。あとエール二杯飲んだら次へ行きましょう)
(りょーかい)
(ふっふっふっ、私の講義はバッチリ聞いていたみたいですね。我が友ながら感心しますよ)
(最初はバカバカしいと思ってたけど、案外馬鹿に出来ないな……あと、普通に楽しいし)
(なんと! ふふふっ、アルにはいたずらをする才能がありますよ!)
(なんじゃそら)
「お待たせしました」
マスターが葡萄の果実水を持ってきてくれた。それに合わせて兵士にもエールを差し出す。
さて、もう少しだけよいしょしておきますか。
ナルとの打ち合わせから、兵士の彼はエールを二杯飲んでいた。そろそろ頃合いである。
最後に残った葡萄の果実水を流し込み、彼へとボディータッチを仕掛ける。俺の手が触れると、ギョッとし驚き固まってしまった。
俺はさっきからボディータッチをここぞという場面で繰り出している。しかし、今までは少し腕を触ったり、肩に手を置くくらいの軽めのものしかしていない。
今、俺が触っている場所は……なんと、太ももである。
美人に変身している俺の細く白い指が、彼の理性を削るべく這う。上目遣い。切なげな視線。そして今回はやや上気した顔で。
ちなみに俺が飲んでいるものにアルコールは入っていないので、酔っているため頬が赤くなっているわけではない。ナルの魅惑の女講座で教えてもらったやり方である。とはいっても、ただ数秒間息を止めていただけなのだが。
上気し赤らめた頬での切なげな上目遣いで、彼の心を射止めるように視線を合わせる。
これでトドメだ。
「わたくし、もっとあなたのことが知りたいわ。このお店もいいところだけれど……どこか二人っきりになれるところに行きましょう?」
ズイッと彼へと近付き、二人っきりという部分を強調し言い放つ。刺激が強すぎたのか、はたまた引いてしまったのか、彼は固まってしまった。
やり過ぎたか。と内心焦っていたが、俺の言った言葉の意味を理解した彼は、ぎこちなく言葉を発した。
「――っ、あ、あぁ、それならいいところがあるんだ。マスター会計を頼む」
どうやら杞憂だったようだ。しっかりと食事代も奢ってもらい、店を後にする。
腕を組むくらいしてもよかったが、そろそろこちらとしても許容量が限界に近い。色々と恥ずかしいことをしてしまった。確かに面白かったが、ちょっとやり過ぎな気がしなくもない。
店の中からは、視線だけで人を殺せるのではないかという程の、嫉妬の視線が凄まじいことになっていたが、彼は酔っていたことも相まって浮かれ気分でいたため、その視線は突き刺さることもなかった。
夜風が頬を撫で、酒場での熱気が冷まされていく。
ここからが本番だというのに、許容量が限界近いとか言ってられないな。
そう思い、気持ちを切り替えた。
兵士の彼と共に王都の西側の街中を歩いて行く。
西側は王都の中でも比較的治安が良くない場所であり、それを象徴するかのように、酒場や娼館などが多く存在する。治安が良くないと言っても、犯罪が頻発しているわけではなく、ただ単に欲望に忠実なやつらが多いというだけである。
当然そんな西側の街には、一夜を共にするためだけの宿が幾つか存在する。
今俺はその一つであろう、やや派手目な外壁に包まれた宿の前にいた。
実はこんな場所は初めてだったので、辺りをきょろきょろと見回してしまいそうになったが、グッと堪え、兵士に付いて行く。
受付で彼がお金を払っているところを見ると、どうやら前払いらしい。彼が部屋の鍵を受け取ると、こっちだよと声をかけられ、やや体が強張る。
実際に抱かれるわけではないが、ここがそういう場所だということはわかっているし、彼はそのつもりなのだということもわかっているので、少なからず緊張してしまう。
部屋に着くと、まず一際大きなベッドが目についた。
部屋自体は実家にある自分の部屋よりも狭いが、その広さはそれなりである。しかし、それでも部屋が狭いように感じてしまうのは、ベッドが大きいためだろう。
ベッドだけなら普段使っていたものよりも大きかった。
後はトイレとシャワーがあるらしい。
どうやらこの宿は下級の魔道具が設置されているため、シャワーも水ではなくお湯が出るようだ。
彼に促されたので、とりあえずベッドに座り込む。
飲み直すかと聞かれたが、実際アルコールが含まれているものを飲むわけにはいかないので、丁重にお断りした。
さて、こういったところに来た時まず初めに何をすればいいのだろう。
そう思い彼を見ると、何やらソワソワしている。
(なぁ、ナル。なんでこいつはソワソワしてるんだ?)
(こんな美女を抱いたことが無いのでしょうね。緊張と興奮が入り混じってますね)
(そういうもんなのか?)
(えぇ、アルも男ならいずれわかることですよ)
(ふーん。てか、ナルって男なのか?)
(私は男にも女にもなれますよ。もちろん、それ以外にも)
おっと、これ以上はなんか聞いちゃダメな気がする。
思考を兵士へと切り替える。
こちらから仕掛けた方がいいのだろうか。
「さっきから黙ってるけれど、どうかしたのかしら?」
スッと彼の手に自分の手を重ねると、彼はグッと息を呑んだ。
「あ、あぁ、いや、あまりにも君が綺麗なだったから」
「見惚れてたの?」
クスクスと口に手を当て小さく笑うと、彼は照れくさかったのか、頬をポリポリと掻きながら視線を外してしまった。
ここまでは概ね予定通りである。
この後はどうするのが普通なのだろうか。やっぱりここはお互いシャワーを浴びるべきなのだろうか。個人的にもシャワーは浴びておきたい。
ナルに連れられて走り回ったりしたし、地面に投げれらたりもしたので、汗やらホコリやらが気になる。
変身した際にその辺は綺麗になっているらしいが、気分の問題である。
別に今の姿がどんなものか気になるとかそういう訳ではない。断じて違う。
(アルもお年頃ですね)
無視しよう。
こちらから声をかけるべきか? そう思案していると、ふと兵士の彼が思い出したかのように質問してきた。
「そう言えばお互い自己紹介もしてなかったね。僕の名はジェフリー。君は?」
は? 名前?
そんなものは考えてすらいなかったが、確かに名前は必要だ。当然のこと過ぎて何も考えていなかった。
名前。どうしよう。適当に名乗っとけばいいよな? いや待てよ、もしかしたらそこから足が付くかもしれない。いやでも、記憶を無くせば別に教えてもいいのか? なんて名前にする?
想定外の出来事に考えが纏まらない。
俺の口からは、あ……、えっと……などと言葉が出ない。
そんな俺の様子に、彼は訝しげな目になる。
ここまでスームズな流れで持ってくることが出来たのは、全てシミュレートしていたからだった。酒場での出来事。そこから連れ出すこと。宿でのやり取り。
いくつかのパターンを昼間の間にシミュレートしていたため、話術が得意でない俺でもここまで持ってくることが出来た。
しかし名前を聞かれるなど、そんなことは想定していなかった。
やばい。何か言わないと。でもなんて?
考えが纏まらず焦っていると、ナルが助け舟を出してくれた。
(……どうやらここまでのようですね。初めてにしては、まぁ合格点と言ったところでしょう)
(ここまで? 合格点? そんなことはいいから何か適当な名前ないのかよ)
(ここからは私がお手本を見せてあげましょう。アル、ちょっとだけ身体を借りますよ)
え?
身体を借りると言われ、困惑していると、下を向いて兵士から顔を背けていた俺の身体が突然、勝手に動いた。ガバッと兵士の頭を抱きかかえる様な、そんな動きをし、その艶やかな口を彼の耳元へと近づける。
今日一番近い距離である。おそらくその吐息は彼の耳にかかっているだろう。
そして、俺の意思を無視して、俺の口からは言葉が紡がれた。
「あら、私達はあくまでも一夜の関係よ。そんな二人がお互い名前を名乗るだなんて、趣が無いと思わないかしら?」
吐息に言葉を乗せた、囁く様な声。
兵士の顔は見えないが、おそらく戸惑いの表情だろう。
ゴクリと彼が喉を鳴らす。それを畳み掛けるよう、ナルが更に言葉を発する。
「あなたの名前は忘れるわ。けれど、今夜は忘れられない夜にしましょう? ね?」
自分の身体が勝手に動いているという妙な感覚とともに、一連の流れをどこか他人事の様に眺めている自分がいた。
(すげぇ……)
思わず心の中で漏れたのは、感嘆の声。
大抵の男ならば理性が吹き飛んでしまうような、そんなナルの一挙手一投足に釘付けになる。
俺がやってたのはお子様の背伸び。ナルのは本物の魅惑の女だろう。
次からはこれを参考に頑張ろう。
――頑張ろう? ははっ、頑張ろうってなんだよ。頑張ろうなんて気持ちが湧いたのは、いったい何年ぶりだ? けれど悪くない。やってることはあれだが、この気持を捨て置くのは勿体無い。
(なにやら決意を固めているところ申し訳ないですが、そろそろ締めに取り掛かりますよ)
ナルに言われて、意識を兵士へと戻す。
今は先程のような大胆なものではなく、向い合って談笑している。
兵士の顔にも笑みが浮かべられていることから、俺(今話しているのはナルだが)に対しての警戒心や緊張感というものはなく、むしろどこか緩みきっているという感じすらある。
ナルは締めと言った。つまりそういうことだろう。
(この身体はアルのものですから、私が出来るのは精々少し動かすことと、話すことくらいですので)
呪文は使えないということだ。だから最後は自分でやれと、そういうことだった。
そのことを理解すると同時に、自分に主導権が戻った感覚がした。
「ねぇ、兵士さん」
これまでよりも熱い視線を兵士に向ける。彼もそれに応えるように、無言で見つめ返す。
「あなたにとって、今夜が素敵な夜になりますように……『魅惑』」
★☆★☆★
アルハードが王都にて情報収集と路銀集めを開始してから、およそ四十日程が経過した頃、アルハードはそろそろ王都から出立しようと考えていた。
幾つかの有用な情報は手に入っていたし、路銀もしばらくは困らない程度にはあった。
必要な物を買い、王都の西へと歩みを進める。
今は旅人風の、二十代半ばに見える男の格好をしている。
ニャルラトホテプと会話を弾ませながら、西へ西へと進む。
目指すは『インスマス』
その頃、王都で働く兵士達の間である噂が飛び交っていた。
真っ赤なドレスに身を包んだ絶世の美女。名前を名乗ることもなく、ただただ一夜を共にする。
二度目はなく、忘れることの出来ないたった一夜だけの関係。
その女と一夜を過ごした兵士達は皆、至福だっただの、極上だっただの、その口から溢れるのは賛辞しかなかった。
もう一度、もう一度だけ彼女に会いたいという者や、そんなにすごい女なら是非一度会ってみたいという者。兵士達の間では、その噂で持ちきりだった。
その噂の中心人物。男なら誰をも魅了し、誰もが憧れる。そんな魅惑の女のことを、皆こう呼んだ。
『赤い女』と。




