鬼が笑う
「あなたの書く小説っていつも退屈で新鮮味がないか、とても分かりにくくて意味不明かのどっちか。小説を書く才能なんかないんだから、もうそんなのやめちゃいなさいよ」
彼女との待ち合わせ場所に行くと、いきなりそんなことを言われた。家族旅行の間、手持ち無沙汰になることもあろうかとぼくが一生懸命彼女のために書いて持たせた小説のことを言っているのだ。
「そっか……。そんなことよりさ、デートに行こう。家族旅行の土産話を聞きたいな」
ぐっさり傷ついたがそんなことはおくびにも出さず急かした。彼女の傍に立ってニヤニヤしている、ぼくより女性受けしそうで軽薄そうな背の高い男の存在が気になっていたのだ。
「ごめんなさいね。あなたとの約束をすっかり忘れてたようで、彼との約束を入れちゃったのよ。そんなわけだから、さようなら」
軽薄に、しかも映画の女優のようにしなやかに言われた。腰の動きを薄手の短いスカートがなぞる艶めかしいサヨナラに見とれているうちに、彼女はその男の腕に甘えて歩き始めた。ちょっと待ってと手を伸ばしたがもう遅い。二人は道に止めていた真っ赤なスポーツカーの扉をがこっと持ち上げ、ガルウィングに頭をぶつけないよう、低い座席に乗り込んだ。助手席に腰かける時に、彼女と目が合う。惨めな視線のぼくと違い、涼やかなものだ。軽くウインクして身を捻る。短いスカートから白く揉み潰れあう太股とその奥がちらと見えた。座り終わってから、くすっと笑った。わざとだと分かる。赤いスポーツカーはそんな彼女の甘い余韻を残して、見事な加速であっという間に視界から消えた。
彼女に、ふられた。
つきあい始めたころぼくの小説を読んでは喜んで誉めてくれた彼女に、ふられた。
しかも、「才能がないから、もう書くのやめなさいよ」とまで言われて。
くすっ、と笑い声が聞こえた。
聞こえたほうを向くと、若い女性二人連れが、「映画のフラれシーンみたい」、「ちょっと、笑っちゃ駄目だって。聞こえちゃうわよ」などとささやき合って口元を手で隠していた。ぼくがそちらを向いたため、笑っていた目を二人とも背けた。ぷっ、くすくすくすとなお聞こえる。
おおおおおお、と内心おたけびを上げながらかっとなったのはもちろん、ぼくが心底彼女を愛していたから。そしてぼくが心底、小説を書くことに情熱を傾けていたから。その二つを神聖なものとして、ほかのすべてを犠牲にしていたからだ。
衝動的に、近くの街路樹に立て掛けてあった杖を手にした。だれか老人が忘れたものだろうが、知ったことではない。いや、むしろ神の導きだ。鬼になれ、すべてをぶち壊せと。
わあああああと奇声を発しながら、居合いを真似て腰溜めに構えながら殺到し、横薙ぎに一閃。ずばっ、と女性二人が上下半身泣き別れとなった。
驚いて手元を振り返ると、ぎらん。
な、なんと仕込み杖。反りはないが見事な乱れ紋様の刀身だった。
明らかに通常ありえない。
が、逆にこれこそ神意。いや、運命の囁き。
「きゃあああああ」
周りから上がる悲鳴に、はっとした。取りあえず駆け付け、声を上げた女性を下段から斬り上げる。また別の場所から悲鳴。突進して突き。さらにほかから悲鳴。にじり寄って兜割り……。
きりがない。
いくら鬼になったといっても、手当たり次第に殺すのは本意ではない。鬼と言えば、復讐。復讐するとしたならば、すべてを踏みにじった彼女と、そして赤いスポーツカーの恋敵。
オレは、憎しみの情を心に刻みつけて赤いスポーツカーが走り去った方向へと走った。
運命。
やはり、オレが鬼となったのは運命としか言いようがなかった。
なんとあの赤いスポーツカーは、オレが走り出してすぐ、道が曲がって元の場所から見えなくなった直後の場所に路上駐車していた。その前には、オープンカフェ。
いた。
彼女と例の男は満員のカフェの一番奥の席に座っていた。
二人は笑っている。
何を笑っていたのかは知らないが、かぁっときた。
瞬間、そのテーブルに向かい、腰を落して一直線。阻むものは人だろうが椅子だろうがテーブルだろうが右に左にと斬って斬って斬りまくった。いずれも手応えはホールケーキを切り分けるがごとく。さっくさっくと首や手が飛びテーブルが別れ、しぶく血で一瞬だけ形作られたトンネルが開通した。
オレはあらゆる障害をぶった斬り、二人の前へとたどり着いた。背後で血のトンネルが崩れ落ちる気配を感じる。
「お、お前は……」
先に動いたのは、例の男の方だった。立ち上がりかけたところを、問答無用で右袈裟を見舞う。
しかし、刀身に血が捲いていた。骨が砕ける鈍い音。切れ味が落ちたため、一撃に楽にしてやることができなかった。
「た、助けてくれ」
男は尻もちをつくきながら命請いをするが、冷たく見下して胸の中心を切っ先で貫いた。そのままぐりぐりと念を押す。醜い断末魔が響き渡った。
息絶えたのを確認してから、きっ、と彼女の方を向いた。一瞬、うろたえる彼女。
「どうしちゃったの、あなた。もしかして、私がきょうあなたとの約束を忘れてこの男と行ってしまったから? ばかね。この人には今さっき、あなたとつき合ってるからつき合うことはできませんって断りの話をしたばかりよ」
オレは、ヤツをやった姿勢のままたじろいだ。
「それとも、小説をひどく言ったから? でもそうしないとあなた、さらに上手くならないと思って。ほら、このまえ伸び悩んでいるって言ってたじゃない」
オレは、放心した。仕込み杖から力なく手を離すと、彼女が首に両腕を巻きつけてきた。
「ばかね。いつだってはやとちりなんだから」
そうか。そうだったのか。
すべてぼくのはやとちりだったのか。
ぼくの瞳に納得の色を見たのか、彼女は軽く唇を重ねてきた。そして、優しく優しく笑うのだった。
ふふふふっ、と。
おしまい
ふらっと、瀨川です。
他サイトの同タイトル企画に出展した旧作品です。
冒頭の台詞はそりゃないぜセニョリータな感じですよね。