観察2
前作「観察(http://ncode.syosetu.com/n3099by/ )」をお読みいただいてからこちらを読むことを強くおすすめします。
【ある観察者の語り 1】
【現場終わり、神楽坂の住宅街にひっそり存在する私のオフィスにて。小生意気な新しい弟子を前に】
しかし今回は特にひどい目にあったな。君の治療費も結局全部私持ちだった。私は本当に、私以外でこんな道楽をやっている奴の気が知れない。進んでこの道に入ってきた君の気持ちもな。
腕の具合はどうだ? まさかあの母親が刃物を隠し持っているだなんて思わなかった。死んだ我が子との別れを受け入れられず、その死後に観察を始め、“生きている死者”として平然と連れていたあの母親。私の目から見たら相当な異形だった。私がその子の存在を終わらせたとたん、まさか君を刺すとはな。
ん? あの時私が君にかけたものはなんだったんだって? 魔法などではない、私は魔法を使えないからな。あれは言葉による催眠だ。治療ではなくその場しのぎの痛み止め、麻酔みたいなものだ。あの時君に話したことは竜樹の考え方に近い、空の哲学というべきか。普遍論争中の中世ヨーロッパであんなことを言っていたら、実在論者に殺されそうだ。
まったく、君はまだこの考え方が分からないのか。西洋哲学は一度忘れろといっただろう。自己についての洞察は東洋哲学の方が数千年単位で進んでいるんだ。18世紀に西洋哲学が到達した「自己が存在しない」という考え方は、その約二千五百年前に東洋哲学が通過した地点に過ぎない。
催眠セラピー? まあ、そういえなくもないんじゃないか。脳は漢字を受け取り、主語が分からず、否定語を受け入れない。ちょっとした知識と訓練だな。
これは言葉が聞こえない者、言語が通じない者には通用しない。呪文を聞かせないとかけられないなんて、なんて不便な魔法だろう。だから我々観察者は積極的に語学を学ぶのだよ。
はぁ? 心理学? さっきから君の口から変な用語が出てくると思ったら、そんなことをかじっていたのか。
人の心を扱う学問なんてものが本当にあると思っているのか? あんなものはただの統計学だよ。心理系学生は人間よりもSPSSに向き合っている時間の方が長いんじゃないか? 人を救いたければ医者になれ、寄り添いたければ傾聴の訓練をしろ。そもそも心理学が文系学部として扱われているのは日本くらいだ。完全に理系だろう、あんなものは。ポエムを愛する文学少年少女たちが夢たっぷりに人の心を想像する場ではないのだよ。数学と向き合いなさい。
不満げな顔だな。
では、心を示して見せろ。とんちなんかじゃない。心の研究とやらをしているのだから、それがどこにあるか教えてみなさい。それが何であるか説明してみなさい。
胸の辺り? それは血液の工場兼ポンプだろう。何かを気に病むときにそこが痛むのは、そういう体の作りになっているだけ。信号の結果。
君はどこでものを考えている? 喜びや悲しみを感じている? 脳か? では脳が心であり、君自身なのか? 不服そうだな。
イラストや幼少期からの思い込みで刷り込まれた記憶というものは恐ろしいな。なんでも簡易化・記号化して把握しようとするんじゃない。
あの時言っただろう、心はないし、君もない。
君は脳か? 君は心か? 君はCPUでなければ血液製造工場でもない。ましてや君は、「何かを知覚するもの」などではない。
自分は誰かであると思うのをやめなさい。君はなんでもない。他者に都合よく切り取られ、名前を押し付けられただけの空間。
【ある観察者の弟子の追憶 1】
僕はある観察者の一番にして唯一の弟子。
僕はこの人と出かけるのが嫌いだ。何をしにどこへ行くのかも教えてくれないし、ほとんどのケースで痛い目にあう。しかし住み込みでこの人のもとで働く僕に拒否権はない。
だから僕はいつも言う。
「どこに行くのかくらい教えてください」
そしていつも言い返される。
「君が観察者として目覚められるかもしれないところだ」
この人は薄く笑いながら、いつもそう言う。そう言われたら僕が拒否出来ないことを分かっていて言っている。この人には一生口で敵うことはないだろう。
浮世離れしたこの人とどのくらいの間このように過ごしているのか、しばらく前から数えることをやめてしまった。僕には意味の分からない日々の繰り返しだった。
この人は人の命を終わらせたり始めさせたりすることが出来るらしい。殺すでも産むでもない、「観察」という方法で。当然その考え方ややり方が僕に理解できているわけがなく、僕から見たら朝から晩まで街をふらつく奇人だ。
たまに人を殺したり、人でないものに傷つけられたり。少し田舎にある埼玉の駄菓子屋で子供たちにとんでもない目で見られながら駄菓子を選んだり、美味しくも無い変な味の駄菓子を卸業者から箱で大量に購入したり。
この人が一般人の価値基準では分からないくらいすごい人なのか、もしくは本当にただ頭のおかしい人なのか、僕は時々自信がなくなる。
そうして日曜日の真昼間。井の頭公園で僕とこの人は、どう見ても周りから浮いている組み合わせでアヒルさんボートに乗っている。この人を隣に乗せて、僕がいつも一人でこれを漕がされる。
「¡Muy divertido!」
「日本語で言ってください。僕は外国語が分かりません」
「楽しいな」
わけの分からない怒ったようなアクセントの外国語を、あっさりとした日本語に言い直される。そんな簡単な言葉だったら最初から日本語で言ってくれたらいいのにと思う。
「僕は疲れました、早く帰りたいです。あなたといると目立ちます」
僕の主張に嘘はない。この人はどんな時期でもロングコートを着ていて、夏場は特に目立って仕方がない。深くかぶられた中折れ帽も悪目立ちを助長している。
「もっと笑いなさい。そんなつまらなそうな表情で居ても良いことは何もないぞ。そんな仏頂面でついて来られる私の身にもなりなさい」
いつもこの人が「ついて来なさい」というのに。なんて勝手な言いようだろう。今すぐこのボートの運転手を交代してくれるのなら、多少はましな表情をしてやれると思う。しかしそんなことを言っても僕の言葉を聞き入れるような人ではない。
「あと、僕の煙草を勝手に処分するのはやめて下さい」
「煙草はやめなさい。長時間の高度な思考に耐えられなくなる」
「あれだけはあなたに何を言われてもやめられるとは思っていません」
「肌を白くしたいと躍起になる女が、高いビタミン剤を飲みながら毎時間定期的に顔に墨を塗っている行為に等しい」
「何を言われても、です」
僕が妙なところで意地っ張りなのをこの人はよく分かっている。僕が徹底的に引かない姿勢を見せると、呆れたように肩をすくめた。
お気に入りの中折れ帽を押さえて、上機嫌にどこの国のものとも分からない歌を口ずさんでいる。人が少ないとは言いがたいこの池で、不愉快に響くこの人の歌。
僕が睨みつけると、視線に気づいたのかこの人はまたニヤリと笑う。
「そんな顔をするな。歌にひかれてようやく私の観察対象が見つかったんだ」
僕の方をちらりとも見ないでこの人が見つけたもの。出会ったあの時と同じ、狂気とすら言い飾れるほどの目の輝きで見据えるは、富栄養化したような緑の池の底。
そしてまた僕は、わけのわからないヤバいことに巻き込まれていくのだ。
【ある観察者の語り 2】
【現場中の吉祥寺、夜の井の頭公園にて。痛みにうめく弟子を前に】
私の言葉が聞こえるのなら、目を伏せ返事をしなさい。
うむ。君の左腕はあの者により刃で深く斬りつけられた。血液が大量に溢れている。
さて、私は今からその左腕の痛みを止めてやろうと思う。わめくことをやめ、私の話を聞き、君が思考し続け、必要な答えを都度私にくれるのならば、それを約束しよう。
よし。
ところでそこに無人の車があるんだが、サイドミラーを外したら持ち主に怒られるかな?
怒られるだろうな。何故怒るんだと思う? うん、自分の所有物を壊されたから。
では、車からハンドルを取ったら?
もっと怒られるだろうな。何故だと思う? うん、それそのものとして機能しなくなるから。
では、ハンドルを取られた車はもう車ではないのか?
うん、まだ車ではあると。
では車から更に座席シートとタイヤも全て外してしまおう。そうしたらもうこれは車ではないか?
うん。では外したサイドミラーとハンドルと座席シートとタイヤ、これらが車だったということかな?
そう、そんなわけがないんだ。
我々はある一定のゆるやかなまとまりを切り取り、そこに便宜的に名を与えて日常生活を送っている。例えば外した座席シートだって、ゆるやかなまとまりに過ぎない。ポリウレタン、化学繊維、合成ゴム……。それらだって更に細分化可能なゆるやかなまとまりだ。イソシアネート、ポリオール……。それもまた更に分解可能。
極限まで分解した時それは、人の体を構成するものと変わらぬ「原子」になる。これからまた電子と原子核に分解出来るだろうが、科学が進み我々が必要な区分だと思えば、恣意的に切り分け名を与えられ細分化は永遠に進んでゆく。
原子の集まりにイソシアネートと名づけ、イソシアネートの集まりにポリウレタンと名づけ、ポリウレタンの集まりに座席シートと名づけ、座席シートの集まりに車と名づける。
喩えるなら学校と似ている。原子の集まりたる人間の君がいて、それが六人集まれば班、四十人集まれば学級、三百人集まれば学年、千人集まれば学校。教師が管理しやすいように君たち人間という「原子」を適当なまとまりにし、名をつけただけ。「班」や「学級」なんてものは概念や名称であり、実在しない。
私と君は「東京都民」というゆるやかなくくりの器の中でそれを構成する原子の一つだが、「東京都民」というそれ自体の人間は実際に存在しないだろう? 「東京都民」を私の目の前に連れてくることは絶対に出来ないのだよ。
車もそれと変わらない。車という概念や名称は存在しても、車そのものは存在しない。
細かくばらせば全て原子。人も、車も、空気も。我々が便利なように、そう見たいように切り取っているだけ。空気を構成する原子と君の体を構成する原子、これも便宜的に切り分けただけ。別に君の耳の隣のわずかな空間を「見えない第三の耳」とでも名づけて君の一部として扱ったって一向に構わないわけだ。
原子が構成する君、君が構成する家族、家族が構成する市、市が構成する県、県が構成する国、国が構成する地球、地球が構成する宇宙。それらはそのいずれも実在することのない、恣意的な枠組みにおける便宜的名称である。まさか君は「国」なんてものが本当に存在するとは思っていないだろうな?
私と君はミックスジュースのように、宇宙というカオスの器の中で合わされ、一つのものを構成させられている原子。さらに私も君も、君を刺したあの者も、世界という器で合わされ一つのものを構成させられている原子に過ぎない。
限界まで己をばらばらにしろ、勝手な枠組みを引くな。
我等はうねうねとした波を作る無数の粒子。そこで君と私の原子の波はまざりあう。品質の均等なミックスジュース。遠くの国で演説をする大統領の原子も、乾いた大地で飢える男の原子も、日本のどこかで蹂躙される女の原子も、今まさに死んだ老人の原子も、今まさに生まれた子供の原子も。みんな、大きな波の中。
さて。では君は今、一体どこが痛いんだ?
【ある観察者の弟子の追憶 2】
僕はある観察者の最初で最後の弟子。
この人についていくことを決めたのに、あまり深い理由は無かった。“なんとなく”という理由を告げたら、呆れるでも怒るでもなく笑われた。
今でもこの人はその時の話を繰り返し僕に言う。
「君が私に弟子入りしたいと言った時、君があまりに何も考えていなくて笑ってしまったなぁ」
「僕は元々あまり言葉がうまくありませんし、あの機を逸したら二度とあなたに会えない気がしましたから」
いつも通りの静かな事務所。冷蔵庫が呼吸する沈黙の音がする。
都営大江戸線牛込神楽坂駅を出て、大久保通りと早稲田通りが交わる神楽坂上へ。東の名門東京六大学が聞いて呆れる頭の悪い大学生のたまる飯田橋を背に、早稲田方面に進み老舗の和菓子屋を右に曲がる。裕福な家庭の子供たちが騒ぐ大きな公園の傍、住宅街で澄ました顔をして立っているマンションの中にこの事務所はあった。
この人は自分の特等席でお気に入りの駄菓子を味わいながら、現場に必ず持参する折り畳みナイフを柔らかな布で拭っていた。僕はこの人が刃物の手入れをしている時、あまりこの人に反抗的なことを言わないようにしている。その手元がいつ意識的にうっかり狂わされるか分からないからだ。
「君は私と出会ったあの当時でもう生きはじめて大分経っていたし、観察者としての目覚めはかなり遅くなるとは思っていたんだ。年を重ねると世間に擦れ、無垢な発想を殺す」
「分かっています。あなたが何度も話すから耳にタコが出来そうです」
話を強引に変えてしまおうと、僕はリモコンに手をかける。ディスプレイに現れる子供向けのアニメ。この人はテレビをあまり好かないようで、吐き出すように言う。
「人は勝手に存在を切り出して、勝手に意味を与え、勝手に苦しんでいる」
立ち上がると、この人は僕の掛ける革のソファの隣に腰を沈めた。手入れの行き届いていない変色だらけのソファが、だらしなくへこむ。
「アニメで犬が死んで、みんな涙を流すだろう? ドットの集まりに意味を与え、実際は存在しないものを人の心に作り出す。あの涙は本当に必要か? 私たちがゆるやかなあつまりを恣意的にくくり名を与えたりしなければ、それは半永久的に増大し続けるエントロピー、ただの粒子のカオスに過ぎない。それは本来私たちに涙も笑顔ももたらさないもの」
「美女が仮面をつけた男に切り殺される。あの恐怖も嘘や偽りだというのですか?」
「そもそもその質問自体が間違っている。元々美女も男もいないのに、画面に浮かぶそれらしいまとまりを私たちが都合よく切り取り『美女』と名を与え認識し、『男』と認名を与え認識し、『殺された』と思う。『美女』もないし『男』もない」
「つまり映像を信じるなと?」
「映像に限ったことじゃない。この世界全てに言える。この世界の全ては『原子』という名のドットで出来ている。それを人々が恣意的にまとまりとして扱っているだけ」
そう言うとこの人は、拭い終わった手元のナイフを軽いスナップで投げてみせた。衝くは、金庫の上でくたびれていた犬のぬいぐるみの腹。
「今、わずかでも君はこの犬のぬいぐるみが可哀想だと思ったろう。それは君がただの綿と布を特定の集まりとみなし、勝手な意味を与えた結果生み出された感情だ。これは人の顔と同じ位置にボタンがついただけのただの物質。痛みなど感じるわけが無い。それなのに、君はこの犬のぬいぐるみが感じるであろう痛みを感じているね?」
切先が壁に突き刺さってはりつけにされた犬のぬいぐるみを、僕はじっと見つめていた。足の浮いた犬のぬいぐるみの隣では、この人がいつも買ってくる棘のない薔薇が花瓶に浸かりながら怯えていた。
「The necessity is the mother of invention.(必要は発明の母)。スウィフトの言葉だ。しかし本当に必要に迫られて生まれるものばかりだろうか。今はその逆がほとんどではないかとさえ思う。君はCDウォークマンが発明される以前に歩きながら音楽を聴きたいと本当に思っていたか? 発明されてはじめて必要に思えたのではないか?」
僕はこの人の言葉を聴きながら、犬のぬいぐるみに人の顔と同じに位置につけられたボタンと見つめ合っていた。黒いボタンは蛍光灯の明かりを受け、塗れたように光っている。
「その犬のぬいぐるみがもたらす痛みは、本来君には必要のなかったもの。君がこれを切り出し意味を与え、苦痛を感じ得る何かだと思うから、余計な痛みを感じることになっている。多くの場合、人が感じる痛みはこの仕組みがほとんどだ。何かを何かだと思うから、人は常に痛みにさいなまれて生きることになる。この犬のぬいぐるみも、わたしも、君も、『何か』ではない。なんでもない、ただの原子の波の一部」
この人の話が終わるのを待たずに、僕はソファから立ち上がり壁からナイフを抜いた。落ちた犬のぬいぐるみの腹から綿があふれ出したので、指で押し込んでやる。
「あなたの言う通りです。でも、これは必要な痛みです。痛みを感じられなくなったら、僕が人であることが終わります」
僕の言葉を聞いて、この人が目を見張ったのが分かった。生意気を言ってしまったかもしれない。僕は慌てて言葉をついだ。
「あなたの説明することは分かります。言葉の海を切り取るシニフィアンとシニフィエのように。絶対的なものの存在、ひいては実在などありえないと」
それでも僕は、と開いた唇を人差し指で制し、この人は薄く微笑みながら静かに言った。
「そう、日本の蝶はフランスの蛾(papillon)だ。日本のタコはドイツのイカ(Tintenfisch)」
この人の瞳が見たことも無い寂しげな色に染まっていて、僕は用意した言葉を引っ込めざるを得なかった。その代わりに頷いて言葉を重ねる。
「はい。日本の蛾はフランスの蝶(papillon)、日本のイカはドイツのタコ(Tintenfisch)です」
その切ない眼差しに込められた意味に気づけない僕だけが生き残ってしまうなんて、この時は思ってもいなかった。
【ある観察者の語り 3】
【現場前の吉祥寺。昼の井の頭動物園で。ジュースを飲む弟子を前に。】
巷で私のことを「顔の見せられない観察者(The invisible face watcher.)」と呼ぶものがいるそうだ。この言葉を聞くと私は思い出す、私の存在の始まりを。
四六時中一緒にいる君の前でも、私はこの帽子を深くかぶったままだ。知っての通り、私は顔の一部を焼かれているから。
いや、訂正しようかな。あまりに整った顔立ちをしているので君に敗北感を与えないように見せないでいる、ということにしよう。ふふ。
私自身はそんな舌滑りの悪い通り名を使った覚えは一度も無いんだが、どうもその名を騙るものが時々現れるのだよ。そんなことをされたら私が行かないわけにはいかないだろう? 名指しで指名されているのと同じだよ。道楽でさえ楽しいことだけやっていていいわけじゃないなんてな、本当に生きることは苦しむことだと思うよ。
しかも現場に行っても今回のように他の観察対象を見つけるだけで、いつもその名を騙るものと出会うことはない。姿のない相手と奇妙な追いかけっこをしているようだ。その者の目的が何なのか、私に何をしようとして、私に何をさせようとしているのか。まあ、いずれ必ずすれ違うことになるだろう。この増大しつづけるエントロピーのカオス中で、私も君もその者も均一なミックスジュースの一滴なのだから。
【ある観察者の弟子の追憶 3】
僕はある観察者を長い眠りにつかせた弟子。
相変わらず観察者としての目覚めの気配の無い僕を連れて、今日もこの人は埼玉の田舎にある駄菓子屋にきていた。通報されても仕方が無い浮いた見てくれで、楽しそうに駄菓子を選んでいる。僕はこの人のそんな後ろ姿をもう何度見たことだろうか。
いい年をしてこの人が駄菓子屋に通う理由は分からないが、この駄菓子屋を特に気に入っている理由は知っている。それはこの人の故郷がこの近くだからだ。いつか駄菓子屋の近くの黒目川沿いを歩きながら教えてくれた。幼少期この人はこの川に伝わる河童伝説を本気で信じていて、日が暮れると恐ろしくてここが歩けなかったものだと笑いながら話していた。
僕ら以外人のいない夕暮れの河原に座り込んで、買ったばかりの駄菓子を食いきる。勿体無さそうに容器に残ったクリームをヘラで取りきり、舐めていた。名残惜しそうにゴミをまとめると、この人は僕に意を決したように口を開いた。
思いつめた声に、思いも寄らない台詞を乗せて。
「そんなにまっすぐ私を見るのはもうやめてくれ」
僕はまたこの人が僕に言葉遊びをしかけているのかと思ったが、夕陽に染まった苦しげな表情でそれが今までとは全くの異質であることを理解した。
言葉を返せない僕に、この人は言葉を重ねていく。
「私は君を愛してしまった。家族や友人やペットに向ける愛じゃない。君の目が好きだ、君の唇に触れたい、君が欲しい。私は君を所有したいと思っている。他者を所有するという考え方がいかに愚かで、観察者として失格であることを承知している。だからもう私は君の師匠でもなんでもない」
この人の紡ぎ出す言葉が嘘には感じられなかった。それだけの説得力を持って僕の中に入ってくる。
しかしあまりに受け止めがたい内容であったため、僕はこれが現実なのか夢なのか分からなくなる。荒れ狂う海に浮かぶ船の上で二本の足で立ち続けようとするような、そんな僕の混乱を知ってか知らずか、この人は怪しく笑った。
「しかし、私も観察者であることを諦めたくはない。私がどうすればいいのか、分かるよな?」
この人の言おうとしていることが分かってしまった。分かってしまったから僕は恐怖した。
そして心のどこかで、この人は僕にそんなことをするわけがないと信じていた。
「私を見る君の目を潰してしまおう。私は自分のためならば、容赦なく君を殺せる自信がある」
その夜僕は、この人に顔を焼かれた。
それに抵抗した時僕は真理に目覚め、それと入れ替わるようにこの人は深い眠りに落ちていった。
【ある観察者の語り 4】
【現場の朝、神楽坂の住宅街にひっそり存在する私のオフィスにて。しつこく問ってくる弟子の前で】
冬は寒いと感じなければならない。それが人であるということだから。
かつて私はある女に顔を焼かれた。その女は私の師匠だった。
“必要な痛みは抱かなくてはならない。それは人間があることの最低条件。それを忘れたら人としておしまいだ”。観察者として目覚める最終ステップで、師匠が私に身をもって教えてくれた最後のことだった。
理論上、観察者はいかなる喜怒哀楽からも開放されることが出来る。己をばらばらにして痛みを消してしまえる、人としての苦しみから逃れることが出来る。しかし私を始めほとんどの観察者はそれをしない。痛みを放棄してしまったらもうそれは人ではなく化け物になってしまうことを分かっているからだ。
ある小説家が「人は生まれた瞬間から死に向かって歩む自殺者」だと書いていた。段々と苦痛を増やしながら、痛みと共に歩むのが生きるということ。泣き叫びながら生まれてきた私たちは、泣き叫びながら死んでいく。般若心教も「死んでしまえ」と説いている。生まれ、生きることは苦しみに他ならない。
女は私に「愛している」と告げた。ストロゲーでもフィリアでもない、エロスとして私が欲しいと言った。我々が他者の所有を望むことは、観察者としての資格の消失を意味している。
“私が師匠と呼んだ女がそんなことにただ流されるわけがない、何か意図があるはずだ”と気づけた時にはもう、抵抗した私の手によって女は眠りに落ち、私は観察者になっていた。滞りなく女の後を継げたことで、彼女が私に授けた最後の意図を理解できた。
彼女は観察者でありながらも人で居続けるために「人を求める」ことを残していた。愛と寂しさにまみれ、自己が満たされることを願う苦しみの感情。いつまでも人で居ることを忘れないために、私にそれを身をもって教えるために。
君が私に散々聞きたがっていた「帽子の下の顔」の真実はこれだ。そんな顔をしてくれるな、私は君の顔を焼いたりしない。だから君も私の残った顔を焼いてくれるなよ。
さて、この話はおしまいだ。吉祥寺に行くぞ。面倒にも私を名指しで呼んでいる現場だ。
……そうだ。少し早めに行って、井の頭公園で私とアヒルさんボートでも乗らないか? あれを漕ぐのはとても楽しいぞ。
【ある観察者の弟子の追憶 4】
私はかつてある観察者の弟子だった。
緑に囲まれた横浜の女子医大付属病院。私は年に数回ここを訪れる。私の心も格好も、初めてここを訪れた時から何一つ変わっていない。三ツ境駅前の花屋で買う花束だけは毎回違う色をしていたが、買う花はいつも同じだった。それを抱いて私は何度この廊下を歩いただろう。あなたの眠る病室へ歩みながら、私は色々なことを思い出す。
あなたを隣に乗せて漕いだボートが懐かしい。私は体が人より大きく人の目を気にしていたから、あなたに強引に連れられなければ一生乗ることはなかっただろう。
あなたと歩いた黒目川、あなたと通った駄菓子屋。つまらないくらいに無愛想だった私の前であなたはよく笑っていた。美味しくもなかったあのチープな駄菓子に、今は私が夢中になっている。
あなたにやめさせられた煙草は今、新宿で拾った私の小生意気な弟子が吸っている。私の弟子はあなたに初めて出会った時の私とは大分違うけれど、どうしようもない奴だということは共通しているかもしれない。
記憶の水流が過ぎ去ったことの嫌な部分を削り取り、思い出は全て優しく輝いてみえる。
棘のない薔薇を抱いてたどり着いた、奥まった場所にある個室。
扉を開け、私は部屋を観察する。
誰のためでもない時を数え続けるカレンダー、電気の通らないテレビ、乾ききった花瓶、腹を縫われた犬のぬいぐるみ。
細く開かれた窓から入り込む風が、薄いレースのカーテンを波打たせる。
はじまっていく部屋の中で、彼女だけが目覚めない。
この部屋はいつも私を痛みで襲う。過ぎたはずの時間を吸い取る。
ここに眠る「女」と立ち尽くす「私」は、いつかの時の「師匠」と「僕」になる。
あの日あなたが焼き損ねた弟子はここにいる、観察者として生きている。もうあなたがその身をもって僕に示すことなど何もないはずだ。それでもあなたがこうして眠り続けているのは、もしやあなたは今も僕が人として外れてしまわぬよう、僕の抱くべき痛みとしてあり続けようとしているのですか。
ならば僕はこの部屋を守り続けなければなりません。僕が観察者として生きる限りこの空間は僕が切り取り、名を与え続けます。この部屋の所有を渇望することが観察者として失格だというのなら、僕はこの世界の増大し続けるエントロピーのカオス全てを守り、意味を与え続けます。
あなたが目覚めることで、僕に新しい痛みを授けてくれるまで。