神話の終わり
息抜きがてらに書きました。
チョイチョイ更新すると思うので、お付き合いしてもらえれば幸いです。
世界は星の数よりも尚多く存在する。それらは異なる住人、異なる理でありながらただ一つだけ共通点があった。
世界とは神が作り出し、管理されていたのだ。
そして世界が数多に存在するのだから、それを管理する神々やその眷属もまた数多に存在する。
神々にとって自らが管理する世界とは権威の象徴であると同時に、より高次の存在へと昇るための糧だ。
だから神々は世界を作り出し、繁栄させる。
だが意思ある存在が欲望を持つように、神々もまた程度の差こそあれど欲望を持つ
時として神々が世界を、その支配権を奪い合うために争うこともあった。
とある神々の争いはその世界だけでなく、数多くの世界を荒廃と破滅へと追いやった。
その争いは無関係の神々にも飛び火し、さらに多くの世界が泡沫と消えた。
幾星霜のときが流れ、いつしか始まりを知る神々はみな滅び去り、残された者達は何故争っているのか、何のために滅ぼしあっているのか、それすらも失われて久しい時だ。
ある時、一柱の神が討ち取られた。
討ち取ったのはその神が作り出した世界の住人だった。
荒廃し破滅へと進んでいた世界は、消えかけた神を取り込むことで再びその存在を取り戻していた。
戦に明け暮れた神々を見限り、世界は自らの意思で存在を紡ぐことを選んだのだ。
その結末は世界を管理する存在にとって等しく訪れる可能性であった。
それに呼応するかのように幾つもの世界が、神々の手から離れていった。
このことに慌てた神々は、争うことを止めて自らの世界の管理へと力を注いだ。
これにより【神々の夕暮れ】とよばれた動乱はようやく終結した。
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蒼い世界に一人の少年が立っている。
少年の小柄な体躯の膝裏まで伸びる群青の長髪に、頭から生えた一対の透き通った金色の龍角が特徴的な少年だ。
見渡す限り視界を遮るものは無く、あるのは水平線だけだ。
そう、彼が立っていたのは地面ではなく水面であった。
彼が立っている場所の真下には遥か先まで見通せるほどの透明度の海が広がっていた。
だがそれほどの透明度を持ちながら、果てを見ることはかなわない。
この海はどこまでも無限に広がっているのだ。
底無しの深淵のように深い群青の長髪をたなびかせ、水中を覗き込む彼の紅玉のように赤い瞳の先には一頭の龍がいた。
蛇のような体に少年の髪と同じく群青色の龍鱗を持ち、その中で龍角だけが金色に輝いていた。
しかしそれよりも目を引くのはその大きさだ。
対比となるものが無い水中では分かりにくいが、全体の何億分の一である鱗一枚が大陸と同等あるいはそれを凌駕するサイズなのだ。
不純物一つ混ざらないこの水でなければ、龍の全体像を見ることなどできなかったであろう
無限に広がる海はこの龍のためだけに作り出されたが故に、他の一切の存在を許していなかった。
静謐の揺り篭の中で龍は長い胴体を繭の如く丸めて眠っているかのように目を閉じている。
まるで幼子が成長するために眠りを必要とするかのように。
龍を見ていた少年は、ふと顔を上げると虚空を見つめた。
すると視線の先の空間がグニャリと歪み始め、黒い裂け目ができた。
そして光も通さない暗黒のような裂け目から黒いドレスを着た一人の女が現れる。
裂け目から現れた女もまた少年と同じように水面の上に降り立つ。
艶然と微笑みながら、水面に立つ女はこの世の者とは思えぬ美しさであった。
星を抱く夜空のように煌く黒髪を腰まで伸ばし、美というものそれ自体を象徴するかのように整った顔立ちに、女性らしさの極致のような柔らかな曲線を描く肉体。
その女を構成するあらゆるもの、それらのどれ一つとっても美しかった。
だが美しいが、どこか作り物めいた人形のような美しさの女だ。
もしくはあらゆるものを破滅させてしまう魔性の美貌だ。
「少し見ない間に随分と成長したものねぇ」
心を蕩けさせるかのような女の声に、何の感慨も抱いた様子も無く少年は返答する。
「それは皮肉ですかね?」
並び立つと女より頭二つ分ほど背丈の低い少年が、女の顔を見上げるように相対している状態では少年の言葉にも頷ける。
―――少年の本当の姿がそれであったのなら、だが
「あらつれないわ。久しぶりの再会だっていうのに」
よよよ、と目許を手で覆う女だが口元が弧を描いているのが白々しい。
「久方ぶりなのは私にとってだけでしょうに。貴女には高々数百年なんて―――」
「人間にとって、よ」
少年の言葉を遮って否定する女の顔は笑っていたが、その目には冷淡な光が宿っていた。
女は顔を近づけ、少年の顔を覗きこみながら言葉を紡ぐ
「もう君は元の場所には戻ることはできないわ。たとえそれをどれだけ渇望しようとも」
「残酷なものですよ全く。好きに生きてるつもりがいつの間にか雁字搦めになっていただなんて」
少年は肩をすくめるがその仕草はどこか寂しげだった。
その人間くさい仕草を見て
「化身の姿で世界に降り立ったところで、君の本質がそちらに変わるわけでないわよ?」
女は少年の顔から視線を外すと、眼下の龍を見遣る。
「本質が変わらずとも、在り方くらいは変えられるものですよ」
「それをこの私、万象の影ゼルフィネクに説くのかしら?」
少年の言葉を聞いた女、ゼルフィネクはククと狐のように声を洩らす。
「おっとこれは失礼しましたね」
「今ここでもう一度聞くわ、ミズチ。私達と共に来るつもりはないかしら?」
ゼルフィネクは手を少年、ミズチへと差し出す。
「眠っていた私を起きるまで待っていただいたのに悪いですが、お断りさせていただきます」
ミズチの言葉にほんの少しだけ、彼女をよく知るものでしか気付けないほどほんの少しだけ残念そうに笑った。
「…そう。まぁいいわ。人を待ち続けるのも中々に新鮮な体験よ。神にとっては、ね」
ゼルフィネクは去り際にウィンク一つすると、来た時と同じように黒い裂け目へと消えて行った。
来訪者が去り、再び静寂に包まれた世界で彼は目を閉じる。
すると少年を中心に水面が光り始める。
光の円陣の中心で彼は祝詞を紡ぎだす。
「もはや帰ることはできぬ身の上だ。ならば新しく始めよう。神々にとっては流れ星が消えるよりも儚き刹那の生を。人にとってはかけがえの無い悠久を」
少年は、かつて人間であった龍神は、朗々と歌い上げる。その声に混じるのは郷愁か、それとも―――
「仮初であろうとも、偽りであろうとも、生きて死ぬ。生き損なった身では死に損ないにしかなれない、前に進めないのだから」
円陣の輝きはやがて純白に変化し、少年の足元に一つの光景を映し出した。
そこでは石造りの建物が天を突くように立ち並び、鉄の箱が行き交っていた。
―――終わらせるために始めよう
少年の肉体は足元からほつれる様に蒼い光の帯になったかと思うと、足元の円陣に吸い込まれていった。
静かに眠る龍を残して、その蒼き世界には誰もいなくなった。