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翌週から、研究室の人口密度は急に高くなった。
一年を通して博物館には研究対象となる標本が次々と入ってくる。例年、溜まっていく標本や資料の整理は行うが、今年は一通りの分析が終わった標本を、日本各地の施設や学校、博物館に寄贈、という形で処分する。その前に、展示会のようなものが企画されたのだ。
都内にある本館の職員や学芸員も含め、支援のスタッフが次々と分室を訪れた。私も、唯一のアルバイト研究助手として主任に紹介された。本館のベテラン学芸員の一人は、私が化石の一次クリーニングを任されている、と初めて聞いたとき、「素人に任せるなんてとんでもない」と大反対した事と共に紹介された。
「いやあ、でもあなたの手掛けた標本を見て、安心しましたよ。とても丁寧な仕事ぶりだ。それ以来、私は分室の作業を全く心配してません。資格を取ってくだされば、いつでも学芸員の席は確保しますよ」
「調子いいなあ。でも給料はすごく安いですからね」
「こんな時に愚痴を言わなくてもいいだろう」
かび臭い研究室が笑いに包まれた。普段、この薬品や岩石の匂いが染み付いた空間に、こんなに多くの空気振動が行き交うことはめったにない。安置されている標本もびっくりしているのではないか。いつの間にか、私も自然に笑いの中に溶け込んでいた。
展示企画は地味なものだった。特別な予算も組まれておらず、二年に一度の協会合同の文化祭の一環として賄われた。
企画の内容は、通常展示を生かしたまま、今回処分する標本を中心に追加で展示する事が決まっていた。いくつかのショウケースが運び込まれた。私はアルバイトなので、いつもと同じクリーニング作業を研究室で続けていてもよかったが、展示の企画に参加させてもらうことにした。普段一緒に作業している同僚の研究員は、そんな私を意外そうに見た。一番意外に思ったのは私自身だ。
はじめに追加展示する標本の目録をまとめ、処分先までの確認をした。寄贈先のリストはあるが、それぞれにどのような条件の標本を当てはめるか、ということは、大半がまだ決まっていなかった。それをパズルのように当てはめる作業だった。相手との立場関係、過去の交流、協力記録などにも関わってくるので、自然と事情を良く知る人達に任せる事になった。
私は並行して進められた、展示内容の検討グループに入れられた。処分リストを元に、テーマを考え、効率よく、少しでも多くの標本を展示したい、そういう思いから、こちらも意見はなかなかまとまらなかった。当然、スペースには限りがある。それに学術的に価値のあるものと、一般的に興味を持たれるものとは、必ずしも一致しない。私は自分から素人代表を宣言して、素人として面白いと思える標本に印をつける役を買って出た。
今回、メインとなるのは、初期古生代の水中生物が中心になる。それも比較的小さな標本ばかりなので、見映えはしない。一部は顕微鏡を組み合わせて、実際にレンズをのぞいてもらう手法にするが、それはほんの一部だ。クリーニングの実演をしてもあまりに地道な作業だけに、見ていられないだろう。特に小さな標本については、写真に撮って展示する手法が検討された。
「でも、特殊なカメラが必要なんじゃないか?」
「いや、普通のデジカメの接写で撮影して、一部分を拡大プリントすればいけますよ。最近のカメラ、結構、高画質だし」
カメラに詳しいらしい学芸員が、撮影とプリントを申し出た。本館の展示室にも、プロの写真に混ざって彼の写真がいくつか採用されているらしい。
その日を含めて三日間、展示内容の検討をしたり目録を作ったりして遅くまで残った。帰りもみんなで駅前のラーメン屋に寄ったりして、まっすぐ帰ることは無かった。まるで学園祭の準備のようだ、と思った。自分がその中で率先して行動していることが、ちょっと意外で、でも悪い気はしなかった。
標本の展示レイアウトは、私の案も採用された。学術的な分類ではなくて、化石が含まれる岩の色を基準に、まるでアクセサリーのように並べるやり方が、専門家の目からは斬新で面白かったらしい。実際に標本を配置し始めると、それは思いのほかきれいだった。化石を含んでいない赤い岩のかけらをバラの花に見立てて並べ、その中に化石を混ぜる。考えてみれば、その岩も、化石と同じ来歴を持つ歴史の証人だ。たとえ化石が含まれていなくても、標本として同列に並べられる権利はあるはずだ。
私が見つけた、カンブリアの蝶は処分リストに入っていなかったが、特別に展示させてもらえることになった。まだ海外の文献を当たってみないと新種かどうかはわからないが、よく知られた生物化石ではなさそうだ、というのがスタッフの共通の意見だった。大きなヒレで現代の小型のウミウシのように、水中をひらひらと羽ばたいて移動したと思われるこの生き物には、初めに私が付けた「カンブリアの蝶」というネームプレートが付けられた。もちろん、来場者に誤解されないように、丁寧な解説文が続いている。
あいかわらず不眠は続いていたが、マイクロスリープの取り方が効果的なのか、この二、三年感じたことのない、心地よい、安定した生活のリズムを作れていた。
企画展示開催の前日はスタッフ全員徹夜になった。しかし、それも悲壮感のあるものではなく、何となくみんなと離れ難いような雰囲気の流れで、お祭りのように作業を続けたに過ぎない。バイオリズムを低く抑えたままのいつもの徹夜とは違い、高揚感を保ったまま夜を明かす。スタッフお揃いの薄っぺらな黄色いジャンパーが、楽しさを高めた。
翌朝、女性陣は一番近くに住んでいるという本館職員の家に、始発でシャワーを浴びさせてもらいに行き、家族を起こさないように次々とシャワーを浴びた。家族の朝の支度がある、と言う本人を残して、全員、分館に戻った。家を出る時、下着一枚のまま二階から降りてきたご主人と玄関で鉢合わせし、滑稽な挨拶を交わして笑いながら家を出た。分館に着くと、男性スタッフの一人が、博物館分館の正門のところに、企画展の乾いたばかりの看板を掲げていた。
「あれ?さっきまでのボサボサ頭が直ってる」
女性陣から口々にからかわれると、裏通りにあるコインシャワーを浴びてきたという。
「そんなところがあったの?」
「分館のヌシに教えてもらったんだ」
私には誰のことだかすぐに分った。
看板が出ると、早速、やんちゃそうな小学生の四人組がやってきて、恐る恐る入り口を覗きこんでいる。
「十時になったら入れるよ」
私は言った。礼儀正しく返事をしたのは一人だけで、その一人も他の三人と一緒に塀によじ登って遊び始めた。注意しなければいけないとは思ったが、誰に迷惑をかけるでもなく遊んでいる子供たちには羨ましいほどの活力がある。それに水を差すことは良くない気がした。
分室始まって以来だという盛況ぶりにスタッフの誰もが満足そうだった。盛況といっても、展示室に常に十人ほどの見学者がいる、という程度だったが、それでも時々質問をしてきたりする、熱心な見学者が多く、それを見ると私もうれしかった。鋭い質問はむしろ子供から向けられる。子供は難しい言葉で内容をごまかすことが通用しない。年配の主任学芸員は、喜んで子供達の相手をしていた。
私がクリーニングした、「カンブリアの蝶」は決して見栄えのする標本ではなかったし、ほんの小さなものだったが、まるで宝石店で指輪を見るように覗きこむ女性が多かった。
「君のレイアウト、評判いいね」
無口な研究助手が少し嬉しそうに言ってきた。私は世の中の人と初めてプラスに接することができた気がしていた。
週末わずか一日半の祭りがおわり、標本の梱包と発送を済ませた。大人数で一気に後片付けを終えたスタッフ達は、早い時間から始まった打ち上げで大いに盛り上がった。館長から私に、正式に研究員として来ないか、という話も出た。今後についてはほとんど白紙の状態だったので、ありがたい話だった。この人たちと一緒に、古代の化石と対話しながらコツコツと仕事をする。それはなかなか魅力的に思えた。
心地のいい酔いと共に帰宅すると、すぐにシャワーを浴び、冷えたミネラルウォーターを飲みながら久々にチャットを繋いだ。
Tはすぐ現れた。わたしは最近の出来事をいつになくこと細かに話した。ストーカーの男に会った事。博物館の文化祭の事。ふと、Tはどんな人なのだろうと興味が湧いた。いつも私のゆめうつつの話に付き合ってくれているTの事は何も知らない。そんな事を思いながら当たり障りのない会話を繰り返すうち、それまで私の言葉を引き出すような聞き役に回っていたTからの言葉が表示されて、コンピューターの合成音がした。
〈これで君もやっとハルカの幻から逃れられるね〉
「ハルカの、幻?」
意味が分からなかった。いや、本当に分らなかったのか。心の奥底では気付いている自分を知っていたのではないのか。
テーブルの横に置いた結城ハルカの写真集を手に取った。不思議な違和感を覚えた。
女が岩の上に体を横たえている表紙。それは見知らぬ女だ。私は震える手でページをめくった。今まで、何度も何度も食い入るように見つめた写真。その景色にも、構図にもはっきりと見覚えがある。良く知っている写真。
でも……
結城ハルカじゃない……
予感めいたひらめきが湧き、壁のポスターを見上げる。思わず立ち上がっていた。
見慣れたポスター。でも、何かが違う。どこかが違う。どこが……
……信じられない。
ポスターのモデルは……ハルカとは別人だ……誰かがポスターを貼り変えた?この部屋に勝手に入って?あのストーカー?そんな筈はない。現に写真集にもポスターにも見覚えはある。そっくりな写真を別人のモデルを使って撮り直した?ありえない。そんなことは不可能だ。
どういうことなのか。
私は何がなんだか分からなくなって、本棚を覗きこんだ。見慣れたエッセイ、何度も読み返した私小説、詩集。全てあの女の作品の筈だった。でも、作者はそれぞれ、全く知らない名前ばかりだ。棚から本をかき出す。床に散らばった本を片っ端から開く。憶えのある文章、挿絵、見慣れた写真。憶えのないのは作者の名前と顔だけ。結城ハルカと見間違えようのない名前と顔ばかり。そんな筈は無い。だって、書かれているのは間違いなく結城ハルカの文章だ。歌にも写真にも、あのハルカの魂がこもっているじゃないか。
これは……これは一体、どういうことなのか。
私はTに断わりもなく乱暴にチャットを止め、ネットの検索サイトにハルカの名前を打ち込んだ。画像の検索をする。彼女の顔を思い出そうとした。次々と、写真集やポスターの映像が目に浮かぶ。でも、思い出すのはその視線の強さ、存在感だけ。うわべの姿が見えない。顔が思い出せない。
私は姿そのものを見てはいなかった。
結城ハルカは存在しない……
同姓同名や似た名前が一斉に表示されるが、いくらスクロールを繰り返しても、私の知っている人物はそこにはいない。私は今まで、私の頭の中で作り上げてきた幻の女を憎み、あこがれ、崇拝してきたのか。
ふいにめまいがしてしゃがみこみ、そのまま床に仰向けになった。目を閉じた。自分自身をじっくりと観察する。本当に今まで、結城ハルカの存在を信じていたのか。信じている自分自身を、別の視点から見ていたのではないのか。
石の中から化石をクリーニングするように、余計な概念や感情を少しずつ、そっと剥がしていく。
「彼女は、存在しない」
勇気を出して口に出してみた。不思議と、恐れていた虚しさは襲ってこない。逆に、何か違う感情が湧いてくる。どうしてだろう。それは、言ってみれば、安心のようなものだ。
唯一絶対の存在だと思っていた結城ハルカは、虚像だった。あれ程、慕い、嫌悪し、殺してやりたいという感情すら湧いてくる女。それでも美しく魅力的で、同化したいと願うほど、完璧な女。その女が幻だった。しかも私の作った、私の中だけの。
世界の全てがひっくり返ったようショッキングな発見の筈だった。実際にはそのショックの少なさに驚く。私はそれを初めから知っていたのか。救いの女神として、あるいは攻撃のはけ口として、私が無意識に生み出したことを、潜在意識の下、あらかじめ知っていたのか。
理想としての結城ハルカと当てはまる部分を持つ人を、ハルカ本人と捉えていたのか。それぞれの人の持つ、輝いている部分が集まって「結城ハルカ」というキャラクターが出来上がったのか。
でも。私は気付いた。幾人もの歌手、詩人、モデルの少なくとも一部分は、私から見て間違いなく素晴らしい。それは絶対的に輝いている。大事なことは、結城ハルカという輝く魂を生み出しているのは、他でもない私自身だということだ。
私も私の周りの世界もそう捨てたもんじゃない。誰の中にも輝きは存在しているのかもしれない。
不意に湧いたポジティブな感情に軽い驚きを感じる。悲劇と同時に自由と希望が生まれ、そこに矛盾を感じない。そういえば、結城ハルカも何かをきっかけに、マイナス思考が急にポジティブな思考に向かうようになったのではなかったか。そして華々しいデビューを飾ったのではなかったか。いや、そんなエピソードも他の誰かのものだろう。たった今、私が頭の中で勝手に作り出したのかもしれない。
そうだ。もしかしたら、今の私は過去のハルカかもしれない。結城ハルカは未来の私なのかもしれない。
私は今、蝶のように羽化し、新しく生まれる。そんな気がして、気持ちが静かに高揚した。意識の混乱が心地よい。
私は快感とともに、長く忘れていた、深い睡魔の谷にどこまでも沈んでいった。
終
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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