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私の魂が浮かんでいるのは、ひんやりとした深い森だろうか。
かすかに霧がかかった森は、どこまでも深く続く。その中を漂うように奥へと進む。
霧はいつの間にか、なめらかな質感を持ち始め、空間は水中と区別がつかない。
全身を弛緩させる。意思を持たず、ただ自然の流れに乗って漂う。私は周囲の物質と半ば溶け合って、安らいだ眠りに向かおうとする。
それから……
いつものように、不意に不安がよぎる。
不安は半覚醒の意識の中で現実となり、時には満月のように、時には夕焼けのように、あの女が鮮やかに私の目の前に現れる。私の事など気にもとめず、ただ現れるだけ。そして、私の大切なものをあっさりと根こそぎ奪いとっていく。
声にならない叫びが、のどからほとばしる。
一瞬おとずれかけた眠りが夢のせいで断ち切られた。
私はあの女をハルカだと確信している。
ベッドの上で、いつの間にか目を開けていた。見慣れた暗い天井をぼうっと見つめていると、カタン、とドアポストが小さく鳴った。昼間の喧騒の中では気付くはずがないほどの小さな音だ。部屋の外に意識を集中する。ドア一枚隔てた向こうに、今まで確かに誰かがいた。でも、もう人の気配も足音も何も感じない。
窓の外からかすかに虫の音が聞こえる。時計を見る。午前二時十五分。いつもの時間だ。微かな睡魔の波も、すでに遠くへ去ってしまって、もう跡形もなく消えた。今夜も眠れそうにない。私はベッドから立った。床がひんやりと冷たい。足の裏に体重がかかる。これは現実だと確信を持てた。
白い封筒は、いつもの倍の厚さがあった。封はしていない。その代わりいつもと同じように、病的なしつこさで、口のところを細かく何度も折り返してある。
初めて封筒が届いたのはいつだったか、憶えていない。初めから、気味の悪さも恐怖心も、さほど湧かなかった。そんな気がする。以来、不定期にこれが届けられる。
女の一人暮らしで、オートロック式のセキュリティーがないマンションなんて信じられない、そう言った友人がいた。確かにこんな部屋でなければ、得体の知れない差出人が夜中にドアポストに封筒を入れる事はできない。
ダイニングテーブルの上で封筒を逆さにして、中身を広げる。いつものようにたくさんの写真。すべて私の盗撮写真だ。それがフィルムで撮られたものなのか、デジタルデータをカラープリントしたものなのか、私には分からない。大きさは普通の写真のものだと思う。ピンボケなどの失敗は全く無い。選んだ写真がこれだとすると、相当の数を撮影していることになる。
特に嫌悪感を抱くわけでもなく、旅行写真をチェックするように一枚一枚手にとって眺めてみる。
街中を歩いている私。
駅のホームで電車を待つ私。
買い物をしている私。
このマンションに入る私。
どの顔にも表情は無い。鏡で見るのとは違う、普通のスナップ写真で見るのとも違う、見慣れない私の顔。カメラを意識していないその顔は、私の本当の顔で、しかもそれはひどく醜く思えた。
バイト先は、大学時代の先輩から紹介された、公立の研究施設。自然博物館の分室だ。駅からしばらく歩くと見えてくるその建物は、住宅街の中に場違いに立っている。三階建てでそれほど高さはないが、豪奢な青銅製のレリーフをはめ込んだ門構えなど、民間の常識からするといかにも無駄遣いの塊に思える。あの建物に通い始めてちょうど半年がすぎた。
勤めていた会社がリストラのため早期退職者を募った時、真っ先に辞職願を出した。別に会社に大した不満があったわけでも、他にやりたいことがあった訳でもなかった。ふと、変化が欲しくなったのかも知れない。
半ば衝動的に無職になった私は、無計画なまま旅に出た。学生時代に訪れて、多少の土地鑑があったヨーロッパの国にしばらく滞在することにした。
その街では、普通の宿に長期宿泊すると驚くほど安くつく事は聞いていた。卒業旅行の時に知り合って仲良くなった外国人の男がその土地でそうしていた事をずっと憶えていた。
当時は、仕事もせず、外国旅行をして安宿に泊まって、なんと無為な行為かと思っていたが、同じ街で同じ事をしようと決意したということは、どこかでそのような行為にあこがれていたのだと思う。旅行資金の続く限り、何も目的を持たず、その日に思い立ったことをする、という生活をした。
日本では、若い女が一人旅をしようとすると、何か面倒を起こすのではないかと警戒されるというが、そもそも、文化と湿度が違うせいだろう。宿の主も、近所の住民も、特別お客さん扱いするわけでない代わりに、ごく自然に異邦人を自分たちの生活の中に受け入れてくれる。片言の言葉で、不自由なコミュニケーション自体をそれなりに楽しんだ日常ではあったが、ちょっとした人間関係のトラブルもあり、来た時同様、無計画のまま、ある朝、帰国を決意し、その日のうちに宿を出た。
二日後、久しぶりの自宅に戻り、埃の積もった部屋を掃除したついでに、思い立って不動産屋に行き、その日のうちに引っ越しを決めた。区を出て引っ越すと手続きが面倒だったので、同じ区内の古いマンションの四階にした。西側に低い建物しかなく、毎日夕陽が見られるという理由で決めた部屋だった。
窓からの景色は予想に違わず、満足のいくものだった。ソファーにねそべり、刻々と変わる空のグラデーションを飽きずに眺めるのが日課になった。
雨が降っていても、分厚い雲のかなたに沈んでいくはずの夕陽を想像しながら空を見つめる。
私にとって夕焼けを見るということは、最も贅沢な芸術鑑賞そのものだ。
大気中の微妙な湿度の違いで赤みの強さが変わり、雲の形や風の強さで毎回、全く異なる図を見せる。
周りとの調和を意識したりせず、周りの全てを自分の色に染めていく、圧倒的な強さと美しさ。私が画家だったら、嫉妬で夕焼けが嫌いになっていただろう。
引っ越して間もなく、大学のゼミのOB会の案内が届いた。そういう類にはめったに顔を出さないのだが、夕焼けを見ながら案内を見ていると、何か予感めいたものを感じて出席の返信メールを出した。
大学生活の思い出は余り無い。とりたてて問題も無く、地味に生活し、卒業した。特に四年生になってからはゼミくらいにしか出席しなかったため、なおさらだ。
年長のOBによる、型通りの挨拶が済むと、引力のある人の周りに自然と環ができた。私は、他の集まりと同じように、気づくとどの環にも属していなかった。
聞くともなしに一番近くの人達の会話を聞いていると、やはり環に入っていない、一年先輩のOBが静かに話し掛けてきた。目立たないことがかえって印象に残っている人だった。確か、学生時代、街で偶然会って、食事をしたこともある。
その人は公共機関で人員の配置転換を調整する仕事をしている、と言った。人の能力に応じた配属を検討し、シミュレートした上で、実践する。半ば実験のような行為だ。私が失業中だと言うと、参考までにと、現在、求人のある職種を教えてくれた。出来るだけ内部の人事異動で穴を埋めたい、という事情から、公に求人情報を出していないという仕事の一つが、博物館分室の作業だった。非常に不人気な仕事で、応募の気配が全く無いらしい。
私は、相手が驚くほど興奮して「何とか紹介して欲しい」と頼み込んだ。翌日にでも履歴書を送る約束をした。
「地味な仕事だよ?」と先輩は念を押したが、そんなこと、何の問題もなかった。