第二十二話
私もその輪に入る。端の端。
誰も押し出していないのに、そこが私の位置になる。
若い子の円の端は、柔らかいはずなのに、今日はガラスみたいに硬い。
みおが、ひとりを見た。
「ユイ、お願い」
「はーい!」
弾む声。
短いポニーテールが跳ねる。体の動きが大きい。大きいのに軽い。
軽いことが、才能になる年齢だ。
「佐倉ユイ、十八歳!」
数字を言うとき、声が少しだけ上がる。
年齢が誇りとして喉から出る。
「ダンス五年! 歌はまぁ普通! でも体力だけはマジであるから!」
胸を張る。
その胸の張り方が、可愛いより先に“戦う”に見える。
「よろしくお願いしまーす!」
拍手が起きる。
拍手の中で、ユイの視線が私に触れた。ほんの一瞬。
触れて、すぐ離れる。
興味じゃない。分類。仕分け。
――敵か、味方か、素材か。
そんな速度。
次に前に出たのは、小柄で目の印象が薄い子だった。
みおが名前を呼ぶと、肩が跳ねる。
「りな、大丈夫。深呼吸して」
みおの声が、手を差し伸べる温度になる。
りなはその温度に縋るみたいに頷いて、前へ出た。
「……藤沢りな、です。十七」
声が細い。
でも、その細さは“消えたい”じゃなく、“消えたくない”の細さだ。
消えないギリギリを、自分で知っている。
「歌が好きで……ダンスは、苦手だけど……頑張ります」
言い終わった瞬間、りなの指が、自分のスウェットの裾を掴む。
癖だ。緊張が指先に逃げる癖。
私はその癖に、なぜか胸が痛くなる。
癖は、自分を守るために身につく。守る必要があった人の癖だ。
「うん。りなは歌、伸びる」
みおが断言する。
褒めるんじゃない。“決める”。
その一言で、りなの呼吸が少し整う。空気が、りなを“役割”として受け入れる。
次。
前に出たのは、線が細いのに芯が硬い子だった。
「朝比奈さや。十六」
声が低い。
年齢に合わない冷たさがあるわけじゃない。
期待を過剰に抱かない冷静さがある。
「バレエやってました。……歌はこれから。負けるのは嫌い」
最後の一言だけ、目が笑わない。
薄い刃が光る。
ユイの刃が派手なら、さやの刃は静かで抜けない。
四人目。
ショートヘアの子が、勢いよく手を挙げた。
「城戸ひまり! 十九歳!」
明るい声。
明るいのに、底が静かだ。
誰かを元気づける明るさじゃない。自分が折れないための明るさ。
「趣味はランニング! 特技もランニング! 空気読むのも得意……たぶん!」
笑いが起きる。
りながつられて笑って、さやがほんの少しだけ口元を緩めた。
ひまりはその反応を確認してから、輪に戻る。
空気を読むのが得意、は多分本当だ。
自己紹介が一周して、輪の中心が空く。
空いた場所が、私に向けて口を開ける。
呼ばれていないのに、順番が来たと分かる。
そして――その瞬間が、一番怖い。
市役所の窓口なら、名札が先に説明してくれる。
所属も、役割も、手順も。
私は“私は誰ですか”を、言わなくてよかった。
ここでは、言わないと始まらない。
言った瞬間に、“私”が固定される。
固定された私が、耐えられる形かどうかは、まだ分からないのに。
喉が渇く。
舌が上手く動かない。
唾液が薄い。薄い唾液は、緊張の証拠だ。
朝霧が、私の少し後ろで姿勢を正した。
声を出さない。
でも、背筋の伸びる音がした気がする。
「大丈夫」と言わない代わりに、逃げない姿勢で背中を支える。
みおが私を見る。
真正面から。
優しい目。
でも、その優しさは“逃げていい”じゃなく、“立てるよね”の目だ。
「透子さん、お願い」
呼ばれた。
名前を先に言われると、もう逃げられない。
逃げないために、私は一歩前へ出た。
床が足裏に絡む。
滑らない。
滑らない床は、誤魔化しを許さない。
「宮坂……透子です」
声が、思ったより低く出た。
低い声は強く見える。
強く見せたいわけじゃない。ただ崩れたくない。崩れたくない気持ちが声を低くする。
「二十四です」
一拍。
空気が止まる。
ほんの一秒。
でもはっきり分かる。全員の中に、同じ言葉が浮かんだ。
――遅い。
遅い、という言葉が何より残酷なのは、事実に近いからだ。
私はその事実を、昨日の面談でも聞いた。
それでも、ここで“十代の空気”に晒されると、事実は刃になる。
「え、まじ?」
ひまりが思わず漏らし、すぐ手で口を押さえる。
りなが目を見開き、慌てて視線を落とす。
さやは無言で、私の足元を見る。フォームを見るみたいに。
そしてユイが、笑った。
「……結構いってますね」
冗談の形。
でも冗談じゃない温度。
悪意の有無より、“遠慮が無い”ことが一番刺さる。
胸の奥が冷える。
冷えたのに、体は熱い。
足先が軽く痺れる。逃げたい痺れじゃない。立っているだけで血が暴れる痺れだ。
ユイは続ける。止まらない。止まる理由がない速度で。
「アイドルってさ、体力勝負だし、成長スピードも命じゃん」
私を見る。
“だから?”の目。
「正直、ババアじゃん」
言い切った。
躊躇がない。
その速さが、現実の速さだ。
――ここは、そういう場所だ。
可愛い言葉だけで守られない。
優しい嘘で包まれない。
そして、多分それは、私が選んだ“未完成を晒す場所”の正しさでもある。
みおが、柔らかく口を挟む。
「ユイ、言い方」
責めない。
でも整える。
場の中心が、場の端の刃を管理する。
ユイは肩をすくめる。
「事実は事実じゃん」
そして、私に向ける。
「本人も分かって来てるよね? そこ」
逃げ道を塞ぐ言い方。
分かってるなら泣くな。
分かってるなら辞めるな。
分かってるなら、ここに立て。
息を吸う。浅い。
浅いけれど、逃げないための呼吸。
言い返す言葉はいくらでも浮かぶ。
でも、口にした瞬間、全部が言い訳になる。
言い訳は、ここでは一番弱い。
「……はい」
声が、まっすぐ出た。
自分の声が揺れていないことに、遅れて気づく。
強いわけじゃない。揺れる余裕がないだけだ。
「分かってます」
それだけ。
ユイが一瞬だけ目を細めた。
興味が湧いた目。
けれど、それを見せるのも癪だとばかりに、「ふーん」と視線を外す。
私は立っている。
心臓がうるさい。
でも足は動かない。




