視線の設計図 ― パイロットスーツ開発録 ―
作業室の照明を一段落とすと、白い壁に浮かぶ彼女の輪郭がくっきりと際立った。
光量を落としたのは、彼女のためだ。裸眼でセンサー光を直視すれば、網膜に余計な疲労を残す。
重力補正台の中央。
素肌の上にインナーだけを纏った女性パイロットが、腕を軽く広げて立っている。
足元の固定リングが低く唸り、微弱な重力補正が常時かかっていた。
「……ねえ」
彼女が、不機嫌そうに言った。
「さっきから、あなたの視線がエロいのよ」
言い切りだった。
疑いでも冗談でもない。
逃げ場のない断定。
私は一度、息を吐き、タブレットから目を離さずに答える。
「違う。計測だ」
「言い訳にしては雑じゃない?」
彼女は片眉を上げる。
パイロットらしい、挑発的で、どこか慣れた仕草だった。
こういう視線には慣れている、と言外に示す態度。
私はようやく顔を上げ、彼女を見た。
正確には、**彼女の身体と、これから装着されるスーツの間に生じる“隙間”**を見た。
肉体と装備の間に存在する、致命的になり得る空白。
「君が次に乗る機体、最大加速は9.8G」
私は淡々と説明を続ける。
「その時、血液は下半身に引きずられる。
胸郭の圧縮率が0.3%でもずれれば、肺が先に悲鳴を上げる」
「……」
「スーツは装甲じゃない。
生命維持装置だ。
ミリ単位で間違えたら、君は操縦桿を握ったまま失神する」
彼女は何も言わず、視線だけを逸らした。
反論が浮かばなかったのだろう。
私は歩み寄り、彼女の右肩の前で止まる。
手は伸ばさない。
ただ、距離だけを詰める。
近づくほど、数値は正確になる。
「肩甲骨の可動域が、予想より狭い」
「……二年前。模擬戦で」
短い返答。
私は頷いた。
「やはり」
タブレットにメモを打ち込む。
背部フレームを0.8ミリ削る必要がある。
それだけで、可動域と負荷分散は大きく改善される。
「でも、それと胸を見るのは関係ないでしょ」
「ある」
「……は?」
「重力負荷時、乳腺組織は独立した質量として振る舞う。
固定が甘いと内部でずれが起きる。
痛みは集中力を奪い、最悪の場合、呼吸リズムが乱れる」
彼女は目を見開いた。
「それを防ぐために、圧力分布を最適化する必要がある。
視線を外したまま設計できると思うか?」
沈黙が落ちた。
機器の低い駆動音だけが、作業室を満たす。
「……」
彼女はふっと息を吐いた。
「最低ね」
「最高の仕事だ」
私は淡々と返した。
「私は君を“対象”として見ていない。
君が生きて帰るために必要な形状を見ている」
彼女はしばらく私を睨んでいたが、やがて肩の力を抜いた。
「……じゃあ」
そう言って、もう一度腕を広げる。
「ちゃんと見なさい。
どうせ見るなら、完璧に」
その言葉には、諦めと、わずかな信頼が混じっていた。
私はうなずき、照明を最大に戻す。
数値が、視界に流れ込む。
視線を走らせる。
エロスではない。
生存率、可動域、圧力、血流。
この視線が許されるのは、
彼女が空へ行き、そして帰ってくると信じているからだ。
「……ねえ」
作業の終わり際、彼女がぽつりと言った。
「もし、私が戻らなかったら?」
私は手を止めずに答える。
「その時は、このスーツを完成品にする」
「ひどい人」
「設計士だ」
彼女は小さく笑った。
その笑顔を、私は記録しない。
スーツには不要なデータだからだ。
――――
作業は予定より早く終わった。
最終チェックを終え、私はタブレットを閉じる。
「これで完成だ」
彼女は軽く肩を回し、試着中のスーツの感触を確かめるように一歩踏み出した。
布とフレームが、遅れなく追従する。
「……悪くないわね」
「悪くない、で済ませるには高価だが」
「命より?」
「比較対象にするな」
彼女はくすっと笑い、ヘルメットを脇に抱えたまま私を見る。
もう、警戒心はない。
「ねえ」
「何だ」
「さっきの話だけど」
私は内心で身構える。
視線の件だろう。まだ終わっていない。
「安心して。私、気にしてない」
「……そうか」
「でもね」
一拍。
嫌な予感。
「生体ログ、見せてあげようか?」
嫌な沈黙。
私は思い出していた。
共同研究チームが「ついで」に実装した、周辺生体検知機能。
着用者の安全性には直接関係しないとして、私は深く検証しなかった。
実装はした。だが、使う場面など想定していなかった。
「……まさか」
「ええ、まさか、よ」
彼女は楽しそうに笑い、胸元のセンサー部を軽く叩く。
「心拍数、呼吸、瞳孔変化」
指を折りながら数える。
「作業中は安定。さすがプロ」
そして、少しだけ意地悪そうに続けた。
「――ただし、私が前に立った時だけ、全部跳ねた」
私は固まった。
「どう思ったか分からないけど、緊張はしてたわね」
「……」
言い訳は、浮かばなかった。
「いいわ」
彼女は、もう一度笑う。
「誰にも言わないであげる。私が帰ってきたら、ご飯でも奢って?」
彼女は優雅に首を傾げる。
「それでチャラ」
断る理由はあったはずだ。だが、口から出たのは短い肯定だった。
「分かった」
彼女は満足げに笑い、ヘルメットをかぶる。
「じゃあ、行ってくる」
「ああ」
足音が遠ざかり、作業室のドアが閉まる。
金属音が、静かに響いた。
私は椅子に深く座り、
彼女が戻ってきたら奢る店を、考えている自分に気づいた。




