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視線の設計図 ― パイロットスーツ開発録 ―

作者: あどん
掲載日:2026/01/11

 作業室の照明を一段落とすと、白い壁に浮かぶ彼女の輪郭がくっきりと際立った。

 光量を落としたのは、彼女のためだ。裸眼でセンサー光を直視すれば、網膜に余計な疲労を残す。


 重力補正台の中央。

 素肌の上にインナーだけを纏った女性パイロットが、腕を軽く広げて立っている。

 足元の固定リングが低く唸り、微弱な重力補正が常時かかっていた。


「……ねえ」


 彼女が、不機嫌そうに言った。


「さっきから、あなたの視線がエロいのよ」


 言い切りだった。

 疑いでも冗談でもない。

 逃げ場のない断定。


 私は一度、息を吐き、タブレットから目を離さずに答える。


「違う。計測だ」

「言い訳にしては雑じゃない?」


 彼女は片眉を上げる。

 パイロットらしい、挑発的で、どこか慣れた仕草だった。

 こういう視線には慣れている、と言外に示す態度。


 私はようやく顔を上げ、彼女を見た。

 正確には、**彼女の身体と、これから装着されるスーツの間に生じる“隙間”**を見た。


 肉体と装備の間に存在する、致命的になり得る空白。


「君が次に乗る機体、最大加速は9.8G」


 私は淡々と説明を続ける。


「その時、血液は下半身に引きずられる。

 胸郭の圧縮率が0.3%でもずれれば、肺が先に悲鳴を上げる」

「……」

「スーツは装甲じゃない。

 生命維持装置だ。

 ミリ単位で間違えたら、君は操縦桿を握ったまま失神する」


 彼女は何も言わず、視線だけを逸らした。

 反論が浮かばなかったのだろう。


 私は歩み寄り、彼女の右肩の前で止まる。

 手は伸ばさない。

 ただ、距離だけを詰める。


 近づくほど、数値は正確になる。


「肩甲骨の可動域が、予想より狭い」

「……二年前。模擬戦で」


 短い返答。

 私は頷いた。


「やはり」


 タブレットにメモを打ち込む。

 背部フレームを0.8ミリ削る必要がある。

 それだけで、可動域と負荷分散は大きく改善される。


「でも、それと胸を見るのは関係ないでしょ」

「ある」

「……は?」


「重力負荷時、乳腺組織は独立した質量として振る舞う。

 固定が甘いと内部でずれが起きる。

 痛みは集中力を奪い、最悪の場合、呼吸リズムが乱れる」


 彼女は目を見開いた。


「それを防ぐために、圧力分布を最適化する必要がある。

 視線を外したまま設計できると思うか?」


 沈黙が落ちた。

 機器の低い駆動音だけが、作業室を満たす。


「……」


 彼女はふっと息を吐いた。


「最低ね」

「最高の仕事だ」


 私は淡々と返した。


「私は君を“対象”として見ていない。

 君が生きて帰るために必要な形状を見ている」


 彼女はしばらく私を睨んでいたが、やがて肩の力を抜いた。


「……じゃあ」


 そう言って、もう一度腕を広げる。


「ちゃんと見なさい。

 どうせ見るなら、完璧に」


 その言葉には、諦めと、わずかな信頼が混じっていた。


 私はうなずき、照明を最大に戻す。

 数値が、視界に流れ込む。


 視線を走らせる。

 エロスではない。

 生存率、可動域、圧力、血流。


 この視線が許されるのは、

 彼女が空へ行き、そして帰ってくると信じているからだ。


「……ねえ」


 作業の終わり際、彼女がぽつりと言った。


「もし、私が戻らなかったら?」


 私は手を止めずに答える。


「その時は、このスーツを完成品にする」

「ひどい人」

「設計士だ」


 彼女は小さく笑った。


 その笑顔を、私は記録しない。

 スーツには不要なデータだからだ。


 ――――


 作業は予定より早く終わった。

 最終チェックを終え、私はタブレットを閉じる。


「これで完成だ」


 彼女は軽く肩を回し、試着中のスーツの感触を確かめるように一歩踏み出した。

 布とフレームが、遅れなく追従する。


「……悪くないわね」

「悪くない、で済ませるには高価だが」

「命より?」

「比較対象にするな」


 彼女はくすっと笑い、ヘルメットを脇に抱えたまま私を見る。

 もう、警戒心はない。


「ねえ」

「何だ」

「さっきの話だけど」


 私は内心で身構える。

 視線の件だろう。まだ終わっていない。


「安心して。私、気にしてない」

「……そうか」

「でもね」


 一拍。

 嫌な予感。


「生体ログ、見せてあげようか?」


 嫌な沈黙。


 私は思い出していた。

 共同研究チームが「ついで」に実装した、周辺生体検知機能。

 着用者の安全性には直接関係しないとして、私は深く検証しなかった。


 実装はした。だが、使う場面など想定していなかった。


「……まさか」

「ええ、まさか、よ」


 彼女は楽しそうに笑い、胸元のセンサー部を軽く叩く。


「心拍数、呼吸、瞳孔変化」


 指を折りながら数える。


「作業中は安定。さすがプロ」


 そして、少しだけ意地悪そうに続けた。


「――ただし、私が前に立った時だけ、全部跳ねた」


 私は固まった。


「どう思ったか分からないけど、緊張はしてたわね」

「……」


 言い訳は、浮かばなかった。


「いいわ」


彼女は、もう一度笑う。


「誰にも言わないであげる。私が帰ってきたら、ご飯でも奢って?」


 彼女は優雅に首を傾げる。


「それでチャラ」


 断る理由はあったはずだ。だが、口から出たのは短い肯定だった。


「分かった」


 彼女は満足げに笑い、ヘルメットをかぶる。


「じゃあ、行ってくる」

「ああ」


 足音が遠ざかり、作業室のドアが閉まる。

 金属音が、静かに響いた。


 私は椅子に深く座り、

 彼女が戻ってきたら奢る店を、考えている自分に気づいた。

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