そして戦いの火蓋は切られた
東京ドームは、かつてないほどの異様な熱狂に包まれていた。
グラウンド中央には、巨大な円形台座が設置されている。それはゆっくりと回転し、三六〇度、どの席の観客からもその上に立つ者の姿が見えるようになっていた。台座の中央には、一際高くそびえ立つ白亜の塔。その頂にある玉座には、黄金のティアラをちょこんと載せたお姫様の姿をした美咲が座っている。純白のドレスはまるで花嫁衣装のようで、ライトを浴びて神々しく輝いていた。いつもよりも少し硬めの面持ちで、彼女は膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめている。その緊張感は彼女の凛とした美しさを引き立てていた。
一刻も早く勝者のパンツをはきたい。その切実な願いゆえに、彼女は今日、ノーパンでこの場に挑んでいるのだ。その心意気は、興奮したアナウンサーにより高々と拡散された。
風がないはずのドーム内で時折、彼女のスカートの裾が不自然にはためく。そのたびに観客は地鳴りのような歓声を上げ、巨大なビッグウェーブが会場を一周してさらなる風を呼び起こした。
塔の麓には三つの近未来的なボックスが並んでいた。そこから頭だけを覗かせているのは、ゆるり、あかり、志保の三人である。まるで人体解体のマジックショーのような状態だ。その三人娘がパンツをはき替える際の微細な表情の変化を逃さぬようにずらりと並べられた高精細カメラが捉えた映像が、天井から吊るされた巨大スクリーンに流れている。
その映像がバックボードに切り替わり、場内が薄暗くなった。
『さて、まず入場を果たすのは、下着界の貴公子だぁ! その年齢にもかかわらず、すでに独自のラボを与えられ、そこに召し抱えられたのは数多のロケットサイエンティストたち。その異色の能力と、3D裁断技術という最新機械の融合によって生み出されたパンツのユーザは全世界に三〇億! プゥリーーーーンス、こおぉーーーちーーー、しゅんんんんんんんっすぅけええええええぇぇぇぇぇっ!』
スモークが炊かれ、激しいBGMと光線が迸る中、バックボードから俊介が登場し、前髪をかきあげた。
「いやぁ……僕の作ったパンツは限定生産だから、三〇億のユーザはいないんだけどねっ」
「きゃーーーっ! しゅんさまーーーーっ!」「しゅんさま、素敵ーっ!」
場内から黄色い絶叫が飛び交う。それを見たあかりも、少しだけ心が高鳴る。でも、中身は健太と同じなのだと思うと、すぐにげんなりとした気持ちになった。
大歓声を浴びながら、ゆっくりと中央の台座に向かって歩いてくる俊介の様子が巨大スクリーンに流れる。
「美咲先輩、さっき芸能関係者の人にスカウトされたんだって。凄くない?」
隣のボックスから、志保がいつもの暢気な調子で話しかけてきた。
「へぇ、そうなんだ。……っていうか志保、全然緊張してないよね」
「ふふ。早くあかりのパンツをはきたくて、昨夜は一睡もできなかったよ!」
「私のパンツじゃないってば!」
「でもさ、あのパンツをはいたら、私たちにもスカウトが来るかもよ?」
志保の言葉にあかりは口を噤んだ。実は、あかりもこっそり声をかけられていた。明らかに美咲のついでという感じだったが、それでも誘われた事実は変わらない。このことは誰にも言わず、あとで健太にだけ自慢するつもりだった。
「ねえ」
浮ついた気持ちを、ゆるりの低い声が引き戻した。
「はい!」
あかりは背筋を伸ばして返事をする。ゆるりは苦笑いを浮かべ、スクリーンに映る俊介を見つめた。
「あかりちゃんは、この勝負……どっちが勝つと思ってる?」
「それは……わかりません」
あかりは首を振る。美咲によって健太のパンツが褒めちぎられているが、毎日はいているあかりにとってはその凄さがよくわからないのだ。そんなものよりも、下着会社が作ったパンツの方がいいに決まっているとあかりは考えていたが、さすがにそれは口にできない。
「健太のパンツって、そんなに凄いの?」
「すみません、それも……わかりません」
あかりの答えに、ゆるりは少しだけ唇を尖らせた。
「私はね、健太に勝ってもらいたいんだよね」
「そうなんですか?」
「うん。なんかね。なにかに打ち込んでいる時のひたむきな表情って言うの? 男子はみんな見られていることに気づくと照れて止めちゃうんだけど、健太は変わらないんだよね。……この勝負に勝っちゃうと、美咲ちんと付き合うかも知れないんだよねぇ。それはちょっと辛いなぁ」
あかりは真剣な眼差しでパンツの制作に取り掛かっている健太の表情を思い浮かべる。それはろくなものではなかった。
「ゆるり先輩は、ただお兄ちゃんのパンツが好きなだけじゃないんですか?」
「んー、実はまだはいたことないからね。でも、健太のことが気になったのは、こんなことになるよりも、もちょっと前からなんだ。本当だよ。だから、今の状況はちょっと……ね。てか、健太には言わないでよね」
ゆるりがどこかさみしそうな笑顔を浮かべ、ぷいと顔をそらした。
「言いません……」
あかりはそれを伝えられない。志保の覚悟も伝えられない。そう思うと自己嫌悪に陥る。今回のことで自分がひどく醜くなっているような気がした。
そのとき、大歓声があがった。俊介が中央の台座にたどり着いて拳を突き上げたのだ。割れんばかりの拍手が降り注ぐ。そして、BGMと光線が途切れ、スモークが漂うだけの静寂が訪れた。
『――対するは、孤高のパンツ職人!』
場内に、大仰なアナウンスが響き渡る。
『夜な夜な妹の寝室に忍び込み、その肉体を余すことなく観察! 誰よりも妹の身体を知り尽くし、ただひたすらに妹のパンツを作り続け、その執着によって異能を開花させた鬼才!』
「やめてぇぇっ!」
羞恥で顔を真赤にしたあかりの絶叫は、続くコールによって無慈悲にかき消された。
『やーーーまーーーしーーーなーーー、けえええええんったああああああっっっ!』
黒いフードと長いローブを纏った健太が姿を現した。再び激しい重低音と光線が乱舞する中、健太は一歩を踏み出す。そして長い裾を自ら踏んづけて、ゴンッとものすごい音を立て頭から倒れた。
場内が静まり返り、BGMだけが空虚に鳴り響く。健太は弱々しく起き上がって四つん這いになると、真っ赤になった鼻を擦った。
「お兄ちゃん、頑張れーっ!」
あかりは我を忘れて叫んでいた。
「お兄ちゃん、負けないで!」「健太、気合だよ!」
志保とゆるりの声も重なる。会場からは冷やかしの口笛が吹き荒れる。そして「お兄ちゃん、頑張れ!」コールが湧きおこった。
「ううっ。今日の私は感情がコントロールできない……消えてしまいたい」
自己嫌悪を呟くあかりを、俊介が腕組みをしたままちらりと見た。
「君たち。今日は中立だ、忘れないで」
眉を下げ嗜めるように言われ、あかりは顔を真っ赤にして何度も頷いた。その間に健太は立ち上がり、纏っていたローブを勢いよく脱ぎ捨てた。
その下から現れた彼の「正装」を目にした瞬間、会場は割れんばかりの大熱狂に包まれた。
パンツ、パンツ、パンツ――。
それはこれまで健太があかりにはかせてきた何枚ものパンツだった。「こんなものはけるか!」と投げ返したパンツ。元日の朝、ポストに届いた干支が刺繍されたパンツ。超絶気合を込めて作ったチョコレートのお返しに渡されたパンツ。七夕の日、短冊の変わりにさりげなく差し出されたパンツ。クリスマスの朝、靴下の中に入っていたパンツ。誕生日のたびに渡された、でかでかと年齢が刺繍されたパンツ。少しだけはき心地が良くて、つい脱ぐのが惜しくなったパンツ。尻もちをついた時に汚してしまい、思わず泣いてしまったあの日のパンツ――。
その歴代のパンツたちを繋ぎ合わせ、パッチワークのように仕立てられた異形の衣装。それを見て、あかりはもう、考えることをやめた。




