パンツ界の貴公子登場
「ぎょわわわわっ! バカバカバカ、バカも休み休みにしなさいよ! なんてことしてくれてるのよ!」
あかりは野次馬の視線を撥ね退けて駆け寄り、机の上のパンツをひったくろうとした。しかし、その指先が届くより早く志保が横からひょいとそれを掠め取る。志保はそれを旗のように高々と掲げた。午後の陽光を透かすカーテンのように、純白の布地がきらきらと輝いた。
「おおっ……」
周囲のギャラリーから、感嘆とも感銘ともつかぬどよめきが地鳴りのように湧き上がる。
「これがあかりのパンツかぁ……。一見普通に見えるけど、この生地、吸い付くような肌触りが尋常じゃないわ。いえ、最高だわ!」
掲げた布を頬に寄せ、うっとりと恍惚の表情を浮かべる志保。あかりは顔面を真っ赤に染めて詰め寄り、親友の手からパンツを奪い返すと素早くスカートのポケットへ押し込んだ。
「志保! あんた親友でしょ! これ以上の蛮行を働いたら、末代まで絶交だからね!」
あかりの絶叫に、志保は降参するように手を上げて「わかってる、わかってるから」と小刻みに頷いた。
あかりはそのままの勢いで健太に歩み寄り、バン、と大きな音を立てて机を叩く。
「私を学校に来られなくしたいわけ? どういうつもりか説明しなさいよ!」
あかりの凄まじい気迫に、健太は椅子の上でカメのように首をすくませた。しかし、その瞳はどこか遠くを見つめ、怯えよりも他人事のような素振りに思えた。
「そんな目をしても許さない! 絶対、絶対許さないんだからね!」
あかりが握りしめた拳をぷるぷると震わせ睨みつけると、背後の野次馬たちがひそひそと囁き始めた。
「あかりちゃん、怒ると怖すぎね……」「あんな猛獣に、どうやってパンツをはかせてるんだよ、山科は」「というか、まず自分が先にパンツをはき替えます」
勝手なことを抜かす外野をあかりは鋭い眼光で一蹴した。教室にこもった熱気は一瞬で氷点下までさ下がる。
「どうもこうもない。朝言った通りだ。制作時間が足りないから、どちらか一人ならと言ったんだ。そうしたら、二人とも自分の方を先に作って、自分にはかせてくれと言い出して……気づいたらこんなことになっていたんだ」
健太は困り果てたように、美咲とゆるりを見上げた。
「だったらお兄ちゃんがさっさと好きな方を選べばいいじゃない! 机の上にパンツを置いておく意味なんて一ミリもない!」
「俺は最初に声をかけてくれた美咲ちゃんを選ぼうとした。そしたら、三輪さんが怒り出して。じゃあ三輪さんに、と言ったら今度は美咲ちゃんが……」
健太が視線を彷徨わせた先には、眉を逆三角形に釣り上げ、頬を膨らませた二人の美少女がいる。あかりは大きなため息をつき、天を仰いだ。
「あー……。はいはい、わかりました。どっちにも良い顔をしたかったわけね」
「なあ、すべてはあかりのパンツを完成させるために必要なプロセスなんだ。……あかり、お前が選んでくれないか?」
「なんで私が……」
言いかけて、あかりは言葉を飲み込んだ。ギャラリーたちが固唾を呑んで、彼女の唇に注目している。一刻も早く、この馬鹿げた茶番を終わらせなければならない。
改めて美咲とゆるりを見比べる。二人とも、本来ならこんな騒動を起こすような生徒ではないはずだ。彼女たちもきっと、この異常な状況を終わらせたいはずである。
(……お兄ちゃんは、どんな子が好きなんだろう)
ふと、そんな思いが脳裏をよぎった。健太はあかりのようなうるさい女の子は好きではないだろう。もっと素直で大人しい子が好きなのではないか。そんな気がする。
みんなの言う通りだ。こんなところでギャンギャン喚く子になりたくなんかなかった。怖いなんて思われたくなかった。にこにこ笑いながら健太のあとについていく女の子でいたかった。あのとき、お腹を痛くした女の子があかりでなかったら、健太は深く悩むこともなかったはずだ。そう思った瞬間、心臓を冷たい手でぎゅっと握られたような、形容しがたい絶望感があかりに襲いかかった。
一切の思考を遮断し、あかりは機械的に美咲を指差した。その瞬間、美咲の顔がぱっと明るく輝いたが、それはあかりには遠い世界の出来事のように見えた。
「ちょっと待ってよ! 私たち親友でしょ、私も候補に入れて!」
志保が横から腕を割り込ませてくる。あかりは言われるがまま、焦点の合わない目で志保の方へ指を向けた。
その時、あかりの指先が、温かな掌でそっと押さえられた。
しなやかで長い指。女性的だが、力強さがある。見上げれば、そこには長身の美青年が立っていた。センターで分けた前髪をさらりと流し、大理石の彫刻のように整った顔には、涼やかな笑みが湛えられている。
「山科君。乙女たちをこのような無作法な場に立たせてはいけないし、ましてや戸惑わせてはならないよ」
青年はチッ、チッ、チッと指先を振る。
「高知君……」
健太の呟きが静まり返った教室に響く。高知俊介。あかりはその名前を学園内で噂される「大企業の御曹司」として記憶していた。まさか彼が健太のクラスメートだったとは。
「話はすべて聞かせてもらった。そして君たちの問題、この僕に預からせてもらえないかな?」
俊介がさらりと髪を掻き上げ、白い歯を覗かせて微笑んだ。そのあまりの輝きに、あかりは健太の作るパンツの白さに似ていると思い、慌てて首を振って雑念を追い出した。
「でも、どうやって解決するんですか?」
あかりがおどおどと尋ねると、俊介は優雅に姿勢を正し、ブレザーの襟元を整えた。
「ここにいる四人の女子たちは、パンツを求め、パンツに導かれた者たちだ」
「はあ……。あなたまでパンツとか言っちゃいますか……」
あかりは自分は違うと言いたかったが、とりあえず我慢して俊介の次の言葉を待つ。
「ふふふ。我が家は代々、大手下着メーカーを経営していてね。僕もまた開発部門を任され、『女性とはパンツ、パンツとは女性なり』理論を体現するために日夜研究をしているんだよ」
「はぁ……。あなたもやっぱりパンツの人でしたか……」
あかりの憧れと期待が急速に萎んでいく。目の前の王子様もまた、重度のパンツ信者だったのだ。俊介はそんなあかりの失望をよそに、鋭く指先を健太へと突きつけた。
「僕は先日、そこにいる美咲君に告白してフラれてね」
その瞬間、全員の視線が美咲に集まる。しかし彼女は物怖じをすることもなく、口角をかすかに上げて微笑を浮かべた。その棘のある花のような美しさに、あかりは告白するすべての男をフッていくという彼女の噂は真実であると確信する。
全員が美咲の微笑みに絡め取られそうになったとき、俊介がこほんと咳払いをした。
「だが、恥を偲んで言わせてもらおう。どうかこの僕に敗者復活の機会を与えてほしい。君が真のパンツを求めるのなら、その機会を僕にも与えてほしいんだ。そして、山科君。君に勝負を挑みたい。どちらがより美咲君にふさわしいパンツを作れるか。……パンツ職人としてのプライドを懸けた、決闘をどうか受けてほしい!」
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
あまりの急展開に教室が割れんばかりの歓声に包まれる。そんな中、健太が椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。
「男としてパンツ勝負を挑まれた以上、退くわけにはいかない。その勝負、受けてやる!」
さらにギャラリーは盛り上がり、教室は熱狂の渦に包まれた。そんな中、あかりは両手で耳を塞いだ。事態は沈静化するどころか、より巨大で、より不可解な方向へと加速を始めている。
遠くで、午後の授業開始を告げる予鈴が虚しく鳴り響いていた。
健太と俊介がガッツリと握手を交わす。
あかりの中で高知俊介という名の「理想の王子様像」が、ガラガラと音を立てて瓦礫の山へと変わっていった。




