トイレで密談
「それで? あかりの王子様は、一体どんな面構えをしてるのかな?」
密談をするならやはりトイレだ。適度に薄暗い密室感がいい。なによりうるさい男子に邪魔をされることはない。すべての扉は開け放たれており人気はない。このトイレはどの教室からも遠く、不便で利用者が少ないのだ。手洗い場の鏡には、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた志保と、がっくりと肩を落とすあかりの姿が映し出されていた。
志保は笑みを浮かべたまま、あかりの顔を覗き込む。
あかりにはもはや言い返す気力も残っていなかった。深いため息をつき、こんな時にこそ健太の作ったパンツをはいて心を落ち着けるべきだと考えかけ、慌てて首を振って思考をかき消す。彼女は鈍い動作でスカートのポケットからスマホを取り出すと、写真フォルダの「お気に入り」にまとめられた一覧を表示させて志保に差し出した。
「うわっ……。なにこの量。全部お兄ちゃんの写真なの?」
志保の指が画面を高速でスワイプしていく。スクロールしてもスクロールしても終わらない、健太、健太、健太の記録。志保の引き攣った表情は、徐々にただ指先だけを動かす無機質なものへと変化していく。それでもスクロールは終わらなかった。
「……って、ほとんど子供の頃の写真ばっかりじゃない。今の写真も見せてよ?」
「だって……。最近はパンツばっかり作ってて、全然遊んでくれなくなったんだもん」
「そんな歳になったら、兄妹で遊ばなくなるのは普通でしょ。っていうか、アンタはどんな遊びをするつもりなのよ……。って、さっきからパンツが何だって?」
志保は顔を赤らめ指先をもじもじと動かしているあかりを見つめる。普段のコートで見せる凛々しく活発な彼女からは想像もつかない少女の姿だった。これほどまで親友をどうしようもないほどに「女の子」に変えてしまう健太への興味と、時折世界を歪めるように現れる「パンツ」という単語。
そこから、志保の期待を遥か斜め上へ突き進むあかりの怒涛の告悔が始まった。
夜な夜な妹の部屋に潜入し、自作の試作品をはかせる兄。
それだけの蛮行を受けていながら、なぜか翌朝まで気づかない妹。さらには、そのパンツを求めて競い合う女子たちの出現。しかもその一人は、校内屈指の有名人、涼形美咲だという。美咲先輩といえば、天使のような振る舞いですべての人の心を蕩けさせるという、まさに前人未到の頂きである。その山裾には、彼女に魅了され玉砕した男子どもが屍となってごろごろと横たわっているという。どこまでが真実なのかわからないが、畏怖を込めて語られる伝説の人物だ。
あかりは一通りの説明を終えると、たまりに溜まった淀んだ息を吐き出した。しかし新鮮な空気に入れ替わるわけではない。この場所はトイレなのだ。そして対照的に、志保の瞳は宝石のような輝きを帯びていた。
「ねえっ。今からお兄ちゃんのクラス、行ってみない?」
「ええっ! 絶対行きたくないんだけど! それに、なんで志保まで『お兄ちゃん』呼びなのよ。私のお兄ちゃんなんだからね!」
「私も……お兄ちゃんのパンツ、興味出てきちゃった。一度はいてみたい……」
胸元で指を組み、後光が差さんばかりの表情で天井を見上げる志保。そこが薄暗いトイレであることを忘れてしまいそうな神々しさだった。あかりは「うげっ」と、心底気持ち悪そうな声を漏らす。
「いい? 考えてもみてよ。これまでのあかりの快進撃は、全部そのパンツのおかげじゃない? テストの順位も、部活でのフットワークも。私だってそれをはけば、レギュラーになれるかもしれない。そうすれば、あかりと一緒にペアで試合に出られるんだよ!」
志保があかりの両手を掴み、ブンブンと激しく振り回す。あかりの眉間には深い皺が刻まれていったが、志保はその皺を慈しむように指先でなぞった。
「その苦労皺も、お兄ちゃんのパンツをはけば消えるかもよ?」
「絶対そんな魔法みたいなもんじゃないって……」
「そんなとこやあんなとこ、いろいろ調べられちゃうんでしょ? そんなの本当に好きな人としかできないよ。そんなことする相手にお兄ちゃんを盗られちゃってもいいの?」
志保の挑発にあかりは頬を膨らます。
「それはお兄ちゃんが決めることだから。それと、お兄ちゃんは志保のお兄ちゃんじゃないってば!」
あかりの叫びを聞いて、志保はうんうんと生暖かく相槌をうつ。
「でも、私なら大丈夫だよ。だってあかりのこと大好きだもん。もしお兄ちゃんとそういう仲になったとしても、私は独り占めなんてしないし、あかりのことも誘うし……なんなら三人で……。きゃ」
勝手な妄想をして目をつむり頬を押さえる志保を、あかりは心底うんざりとした表情でみつめる。そんなあかりに構うことなく、志保は至近距離まで顔を寄せると、潤んだ瞳で懇願するようにあかりを見つめる。あかりは嫌悪感に顔を歪めながらも、反論の言葉を探し続けたが、それはどこにも見つからずやがて視線を逸らした。
「……志保は誤解してる。私は本当にお兄ちゃんのこと好きじゃない」
「はいはい、わかってるって。でも、このままお兄ちゃんのパンツがはけなかったら、次の試合で補欠に降ろされちゃうかもしれないよ?」
志保は駄々をこねる子供をあやすように微笑んだ。あかりは降参したように、消え入るような仕草で、こくりと頷いた。
◆◇◆◇◆
健太のクラスがある三階の廊下には、不自然な人だかりができていた。
志保に強引に引きずられてやってきたあかりは、その異様な光景に足を止める。
「あの、お兄ちゃんいますか……?」
あかりはおそるおそる最後尾で中を覗き込んでいた男子生徒に声をかけた。
「お兄ちゃん? って……誰の妹だよ?」
「えっと、山科健太です」
その瞬間、男子生徒は何かを叫びかけ、慌てて口元を両手で押さえた。そして顔を歪めながら教室の入口へ向き直ると、大声で告げた。
「おい! 山科の、あの『例の妹』が現れたぞ!」
(『例の』って何よ……?)
あかりが問い質す間もなく、野次馬たちがモーセが海を割ったかのような勢いで左右に分かれ、教室内へと通じる一本道が出来上がった。
あかりと志保は一瞬呆気に取られたが、逃げ場なく容赦のない好奇の視線に晒され、ぺこぺこと頭を下げながらその割れ目を進むしかなかった。教室の中もまた、中心を囲むようにして生徒たちが輪を作っている。
「あれが山科の妹か。全然似てねー」「バドミントン部のホープだろ? よく見たら、めちゃくちゃ可愛いな」「あいつが持ち主……だと?」「あんな妹がいれば、そりゃ歪んじゃうよな……」
野次馬たちのヒソヒソ声にあかりの足がすくみそうになる。
しかし悩むまもなく健太の姿は見つかった。輪の中心、最前列に鎮座していたからだ。健太は深々と椅子に腰を下ろし、険しい表情で腕を組んでいる。その対面、机を挟むようにして立っているのは、黒髪ロングヘアと青髪ショートヘアの女生徒だった。黒髪の女生徒が美咲だとすぐに分かったが、もう一人の名前は知らなかった。でも可愛らしい雰囲気の女生徒だった。
「一体、何事なの……?」
あかりが疑問を呟く。そして健太の机の上に置かれた「物体」を目にした瞬間、彼女の全身に戦慄が走った。
ギャラリーたちの注視を浴び、午後の陽光に照らされて神々しく輝く純白の布地。そのパンツの端には見間違えようのない健太の丁寧な手仕事で、こう刺繍されていた。
『やましなあかり』




