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パンツ大戦  作者: 波留 六


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3/12

秘密の放課後

 健太はかつてないほどの焦燥にかられていた。持ってきたはずのパンツがない。今夜あかりに履かせるパンツが忽然と消えたのだ。異変に気づいたのは放課後、手芸部の部室でカバンを開けた瞬間だった。今朝、確かに収めたはずの紙袋が、どれだけ底を探っても指先に触れない。


(まさか、どこかで落としたか……? そういえば、今日はプールの授業があった。その時に間違って……)


 最悪の想像が頭をよぎる。健太は無意識のうちに自分のズボンのウエストを掴み、中を覗き込んだ。


「……よし、俺が履いているのは男物だ」


 安堵の吐息を漏らし、ふと顔を上げたそのとき、部室内を支配する凍てついた沈黙に気づいた。

 女子部員たちが汚物を見るような、あるいは未知の怪異を凝視するような引き攣った眼差しを健太に向けている。


「山科くん……、あなた、今何を……」


 部長がくいっと眼鏡のブリッジを上げ、低く突き放すような声を出す。健太は鼓膜の振動が全身に伝わったかのように身を震わせた。その彼の背中を嫌な汗が伝う。


「すみません! 忘れ物を思い出しました! 今日は休みます!」


 健太は逃げるように部室を飛び出し、放課後の廊下を教室へとひた走った。


◆◇◆◇◆


 教室に生徒の姿はなく、がらんとしていた。夕日が差し込む時間にはまだ遠く、しかし、一種の物寂しさが満ちていた。健太はそんな雰囲気に構う余裕はなく、ずんずんと教室の中を突き進む。


 健太は自分の机に飛びつくと、中身をすべて引きずり出す勢いで手をかき回す。床に膝をつき、隣の席との隙間までくまなく探したが、やはりあの紙袋は見当たらない。


(掃除の時間に捨てられたのか? いや、名前が書いてあるんだ。誰かが拾えばあかりに届くはずだ……。そうだ、あかりに聞いてみよう!)


 健太は額の汗を拭い立ち上がると、教卓に黒髪の女子が立っていることに気がついた。彼女はうっすらと笑みを浮かべ、健太の様子を見下ろしていた。


涼形すずなりさん……? どうして……」


 問いかけようとした健太の視線が、彼女の細い指に握られた紙袋に釘付けになった。


「それはっ」


 健太は弾かれたように駆け寄り、美咲の手から奪い取るように袋を掴んだ。中を覗き込み、そして、がっくりと肩を落とした。


「そんな……ない……」


 力のないつぶやきを聞き、美咲は拳を握りしめて健太に気づかれないように小さくガッツポーズをする。


「やっぱり、これは山科くんのものだったのね?」


 美咲のはずんだ声が響く。健太は紙袋を見つめたまま力なく頷く。


「ああ。でも、どうして涼形さんがこれを持ってるんだ? 中身はどこへ……?」


 美咲は待ってましたとばかりに身を乗り出して答えようとしたが、あわてて恥じらうようにして顔をそむける。そしてこほんと咳払いをした。


「私がこの袋を持っていた理由を教える前に、先に私の質問に答えてもらってもいい?」


 その言葉に健太は困惑しながらも、再び頷いた。


「この中身の……、それは、その……あれ、えっとパンツはどこで買えるの?」


「どこにも売ってないよ?」


「え?」


 健太の言葉をきいて、美咲がぱちんと大きな瞬きを打つ。


「あれは俺が作ったんだ」


「えええええぇぇぇっ! 山科くんがこのパンツを!」


「このパンツ?」


 健太の問いかけに美咲は激しく咳き込んだ。


「なっ、なんでもない! いや……なんでもあるかも……?」


「涼形さんは、この中身……つまりパンツがどこにあるか知っているの?」


 美咲は耳たぶまで真っ赤に染めて顔を伏せる。


「……ぃている」


 ぼそぼそとした聞き取れないような声で美咲が答えた。


「何だって?」


「今、私がはいているの!」


 静かな教室に、美咲の悲鳴に近い告白が響き渡った。


「えぇ? 返してよ!」


 健太が反射的に手を差し出す。


「あなた、私にここで脱げっていうのっ?」


「そのパンツは未完成なんだ。早く作業に取り掛からないと今日の夜に間に合わない。家にはそのパンツを待っている人がいるんだ!」


「返せるわけないでしょ!」


 美咲はばっとスカートの裾を押さえた。そして、二人の間に重苦しくも奇妙な沈黙が流れた。



 美咲は消え入りそうな声で、今朝からの経緯をぽつぽつと語り始めた。下着を忘れ、窮余の策としてそのパンツをはいたこと。そして、その瞬間に味わった未知の衝撃。語り終えた彼女は、深々と頭を下げた。


「ごめんなさい。そして……もし良ければ、私専用のパンツも作ってくださいっ」


 信じられない光景だった。どんなときでもおっとりとにこにこ笑っている美咲の姿とはかけ離れたものだった。


「ちょ、ちょっと涼形さん、頭を上げてくれ!」


「美咲、でいい」


 美咲は顔を上げると、潤んだ瞳で健太を真っ直ぐに見つめた。


「お友達になりましょう! あなたのことを健太くんって呼ぶから、私のことを美咲って呼んで。お願い、この履き心地を永遠に……!」


 息が詰まるほど熱い眼差しで見つめられ、健太の体温も上昇していく。その言動は変態そのものだが、やっぱり彼女は美少女なのだ。そう、全男子生徒の憧れなのだ。


「いいけど……美咲ちゃんの正確なデータがないと作れない。骨格や筋肉の付き方、皮膚の弾力、日々の変化を追う必要がある」


「私の体のサイズを、毎日測るってこと?」


「ああ。それと、履き終わったパンツは洗濯せずに返してほしい。繊維に残った歪みや湿度の痕跡は、データの宝庫なんだ。そこを精査して、パンツはさらなる境地へと進化するんだ」


「さらなる境地……」美咲がごくりと生唾を飲み込み頷けかけ、慌てて首を振る。「……洗濯せずに返すのは、さすがに嫌!」


 美咲が顔を背けるが、健太は強く首をふる。そして一歩踏み出し、熱に浮かされたように演説を始める。


「美咲ちゃんはパンツの真髄を分かっていない! 俺は至高の一枚、ただそれだけのためにすべてをかけている。一つの見落としが、これまでの積み上げを台無しにする。情熱のない既製品で満足できるなら、俺のパンツを履く必要はない!」


「ううぅ……。なんだかいい感じのことを言って酷いことさせようとしている気がするけど、言い返せないっ」


 圧倒的な職人論理に、美咲が頭を抱えて悶え始めたそのとき、教室の扉が、乾いた音を立てて勢いよく開いた。



「話は聞かせてもらったぁっ。すべての条件を私は呑む。だから、私に健太の作ったパンツをはかせて!」


 けたたましい勢いで乱入してきたのは、青髪のショートヘアー、三輪みわゆるりだった。


「ゆるりちゃん! いつからそこに……」


 驚愕する美咲を余所に、ゆるりは「へへっ」と悪戯っぽく鼻をこすり、自分の頭をぽりぽりと掻いた。


「今日の美咲ちん、挙動不審だったからさ、放課後、健太をストーキングしてるのを見つけて、こっそり尾行してたんだよね」


 彼女は悪びれる様子もなくテヘッと舌を出し自分の頭を小突く。そして健太に歩み寄ると、その顔を覗き込んだ。


「健太、私のも作ってよ。サイズ測定でも、脱ぎたてパンツでも、データになるなら何でも提供して、あ・げ・る」


 ゆるりは健太の鼻先をちょこんとつついた。


「……ほ、ほ、ほんとうに本当にいいの? 俺はパンツを作るためだったら、三輪さんの身体のすべてを探り尽くすよ!」


「美咲ちんがあんな声を出しちゃうパンツでしょ? 興味あるもん。あ、でも、私の秘密で悪用はナシね?」


 その言葉で健太の表情がすんと真顔に戻る。


「俺はパンツ以外のことはどうでもいい」


「それはそれで女子として傷つくけど……まあ、いいや!」


 ゆるりがケラケラと笑って手を差し出す。健太もゆるりとがっちり握手をかわそうと手を差し出したとき、そこへ美咲がチョップが入った。


「ちょっと待って! ゆるりちゃん、ズルい。健太くん、まずは私のから作って!」


「だって美咲ちん、パンツ返すの渋ってたじゃん。本気なら今すぐパンツ脱いで健太に返せばいいじゃん!」


「ムリ、ムリ、ムリッ、そんなの絶対ムリ!」


「じゃあ、やっぱり私のだね」


 ゆるりの煽りに、美咲は唇を噛み締めて地団駄を踏んだ。


「むうぅ……! こうなったら、私だって……私だって!」


 結局、美咲はパンツをはいて帰った。


◆◇◆◇◆


 その日の夜。美咲は風呂上がり、いつもの市販のパンツに足を通した。

 だが、そこにはあのときめきも、純白の布地に包まれた全能感もなかった。あるのは、ただの「布」を纏っているという味気ない現実だけだ。


 彼女は脱衣所の床にパンツ一丁でがっくりと膝をつき、うなだれる。


「健太くんの、あのパンツ……。あの感動がまた味わえるなら……私だって!」


 美咲の決意は、湯気の残る浴室へと伝わり幾重にも反響した。

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