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パンツ大戦  作者: 波留 六


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10/12

絶望の宇宙遊泳

「あふんっ……!」


 高性能集音マイクが拾い上げた志保の吐息が、東京ドームの巨大スピーカーを通じて大音響で鳴り響いた。直後、巨大スクリーンに映し出されたのは、もはや公共の電波に乗せてよいのか判別がつかないほど、恍惚とした表情を浮かべる志保のアップだった。


「ふおおっ……!」


 続いて目を見開いてシャウトする志保の表情が映し出された。よだれを垂らしぐったりとする志保をよそに、カッと目を見開いて絶叫する志保のリプレイがスローモーションで何度も流される。その度に観客は歓喜と爆笑の渦に包まれた。


(……終わった。女子高生としての志保、今日ここで終わった)


 あかりはこめかみを激しく引きつらせ、親友の「死」を見守るしかなかった。



 やがて、審査員席から手芸部部長が、厳粛な面持ちで立ち上がる。


「最初のパンツは七〇点。対して二枚目のパンツは八五点。第一ラウンドの勝者は――、俊介のパンツ!」


 その瞬間、俊介が華麗に拳を突き上げ、健太はガクリと膝を落とした。


「ええっ、両方ともただのバカ面でしたよね! 今ので何がわかるんですか?」


 あかりの抗議に、部長は眼鏡のブリッジをくいっと押し上げ、人差し指を彼女の鼻先につきつけた。


「だまらっしゃい! そんなへんてこなボックスに入れられたあなたにだけは言われたくないわ!」


「私だって好きで入っているんじゃないんです!」


 部長はキラリと眼鏡のレンズを光らせた。


「厳正な審査の妨げになる私語は慎みなさい。あなたは今、審査対象なのよ!」


「審査対象はパンツなんじゃ……」


 あかりが呟くと、部長はキッと鋭い眼光で反論をねじ伏せ、席に戻った。そのスラリとした長身と立ち振る舞いには、どこか既視感があったが、あかりの記憶の糸は繋がらなかった。


◆◇◆◇◆


 あかりが混乱している間にも、勝負は非情なスピードで第二ラウンドへと進んでいた。


 二番手、ゆるりのボックスに漆黒のベールで隠された「一枚目」が届けられる。健太は祈るように拳を握りしめ、対照的に俊介は勝利を確信したような余裕の微笑を浮かべていた。もしここでゆるりの反応が俊介に傾けば、その時点で健太の敗北が決まる。あかりが二人のパンツをはくまでもなく、勝負は終わってしまうのだ。


「ぬおおおおおおおっ! これ、どっちが作ったやつかわかんないけど……あの日、美咲ちんが叫び声を上げた理由が、今わかった気がするっ!」


 ゆるりの興奮した声に、ドームが熱狂の渦に包まれる。間髪入れずに、二枚目のパンツが差し入れられた。


「ひょおおおおおおおっ! これが……パンツ? いえ、もはや人類の叡智の結晶だわ! 私はこれまでの人生で、今日初めてパンツをはいた!」


 ゆるりの反応は、叫びこそ違えど、どちらも同じくらい激しいものに見えた。これは僅差の戦いになるに違いない。観客席からごくりと生唾を飲む音が聞こえる。

 あかりは意見を求めようと志保のボックスを見たが、彼女はまだよだれを垂らしたまま、立った状態で意識を飛ばしていた。そのやすらかな顔は、もはや勝負の行方など一ミリも関心がないことを物語っていた。



 重苦しい審査時間が続く。志保の時よりも長い沈黙の後、部長がマイクを握る。


「一枚目のパンツ、八二点。二枚目のパンツ、八三点。よって勝者は……」


 ドーム全体が固唾を飲んで次の言葉を待つ。


「勝者、健太のパンツ!」


「うおおおおおおおっ!」


 勝利のコールと共に、健太が渾身のガッツポーズで雄叫びを上げた。俊介は余裕を崩さず、惜しみない拍手を健太に送る。


「いやあ、好みのパンツが健太の方で良かったよぉ」


 ゆるりはボックスの中で、安堵からくる嬉し泣きをしていた。


 パンツをはいてよだれを垂らして眠る少女。続いて号泣する少女。そんな狂気じみた光景にドン引きしながらも、あかりは健太が首の皮一枚繋がったことにホッとしていた。しかし、同時に凄まじいプレッシャーが襲いかかる。次が最終決戦。自分の反応一つですべてが決まる。


 ふと手芸部部長があかりをじっと見つめていることに気がついた。


「私、何にもいってません! 文句はありません」


 あかりの言葉を聞いて部長は鼻を鳴らす。


「ふん、だったらいいけど……。あなたもまた『至高のパンツ』を知る娘。極上のリアクションを期待しているわ」


「それって、どういう……。もしかして、部長さんはお兄ちゃんが求めているパンツについて何かしっているんですか?」


 部長はその問いに答えず、審査員席に戻る。あかりはさらに問い詰めたくなる言葉を押し殺して、その背中を見つめたあと、視線を健太に移す。

 それに気付いた健太は、グッと親指を立てた。


「俺がパンツ職人として腕を磨いてきたのと同時に、お前だってパンツ審美眼を磨いてきたはずだ。自分自身の感性を信じろ」


「そんな恥ずかしいものを磨いてきたつもりはない! それに私、お兄ちゃんのパンツをはいて志保やゆるり先輩みたいにあんな恥ずかしい声、出したことない!」


 あかりの言葉に健太はぽかんと口を開く。


「あかり、毎晩俺がお前にパンツをはかせたとき、しっかりと奇声をあげているぞ?」


「そ、そ、そ、そんなわけないじゃない! バカじゃない? うそつかないで!」


「うそじゃない。ちゃんと毎晩スマホに録画してある」


 そういって健太はスマホを取り出す。


「ぎゃああああっ! バカバカバカッ! こんなところで確認しないで!」


「……じゃあ家に帰ったら、二人で一緒に見よう」


「誰が見るかっ! お兄ちゃんなんか俊介先輩に負けてしまえばいい!」


 あかりは叫んだあと、大きなため息をつく。


(だけど、もし私のせいでお兄ちゃんが負けちゃったら……)


 不安にまつ毛を伏せるあかりに、健太はくったくのない笑顔を向けた。


「これは戦いだ。これから何度も熾烈な戦いが起こるだろう。だけどな、あかり。お前が常に公平で正しい反応をしてくれるからこそ、俺はパンツを作り続けることができるんだ」


「こんなことは今日限りにして!」


 あかりの叫びを遮るように、ボックスのスロットから黒いベールにくるまれたものが差し入れられた。



 一枚目のパンツ。それを手に取った瞬間、あかりの全身に戦慄が走った。間違いない。これは俊介のパンツだ。

 これまで健太が作ってきたものとは、明らかに次元の異なる質感がそこにはあった。地球に接近した隕石から採取されたという謎の極細繊維。それは網目を感じさせないほど繊細で、それでいてビニールのような冷たさはなく、生き物のように肌に馴染む不思議な柔らかさを持っていた。


(……お兄ちゃん以外の人が作ったパンツなんて、はくの嫌だなぁ)


 あかりは意を決してその「未知の物体」をはく。


「はうわっ……!」


 その瞬間、異次元の感覚が全身を貫き、背筋を激しくのけぞらせた。


 人馬一体ならぬ、人パンツ一体。『女性とはパンツ、パンツとは女性なり』という俊介の格言を思い出していた。


(そうだ。私はパンツだったのだ。いつから人間と錯覚していた?)


 それはもはや下着ではなく、3D裁断技術によって作られた第二の皮膚だった。パンツとしての主張がないわけではない。だが、このパンツをはいていれば、人類の到達できない極限地帯、例えばデスゾーンと呼ばれるエベレストの山頂、深度一万メートルの超高圧の深海、あるいは放射線が飛び交う真空の宇宙ですら、パンツ一丁で闊歩できるのではないか。


(今度、このパンツをはいて犬橇いぬぞりで南極を縦断してこよう……)


 根拠のない全能感が、あかりの脳内を支配した。もう脱ぎたくない。お風呂の時も寝る時も、一生このパンツと運命を共にしたい。そしてお守りとして、カバンの中に常にこの予備を忍ばせておきたい。そうすれば、たとえ街中でパンツ一丁でヒグマに遭遇したとしても、洗いたての笑顔で過ごせる気がする。


 あかりは思い知った。一ミリの妥協もない、巨大企業の資本力と数多の科学者の情熱が結晶化した魅惑のパンツ。この一枚は何十億という愛好家を抱え、そして何万人という社員の生活を支えているのだ。


(……お兄ちゃんのパンツが、このパンツに敵うはずがない)


 これに比べれば、健太とあかりが積み重ねてきた日々は、ただの「おままごと」に過ぎなかったのではないか。あかりは幸せすぎて宇宙へ旅立っていこうとする思考の糸をかろうじて手繰り寄せ、そんなことを考えていた。



 幸福と絶望感に打ちひしがれるあかりの前に、二枚目のベールが差し出された。健太のパンツだ。あかりは震える手を伸ばし、祈るような気持ちでその布地を掴んだ。

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