40代、大分岐時代を生きる
昨夜は早めに帰宅し、AIライトノベルの草稿をものし、そのまま静かに床に就いた。
審査で退けられていたLINEスタンプは文言を改め、二案を整えて再び世に問うたところである。
生成AIという怪物が姿を現してから、まだ三年ほどにすぎぬ。
それにもかかわらず、産業も、仕事も、人の生き方も働き方も、ひいてはキャリアの見取り図そのものまでもが、根こそぎ組み替えられつつある。
この半年ばかりは、ことさらその変転の烈しさを肌身に感じた。
まるで、誰かが天上から見えざる巨大な歯車を一気に回しはじめ、産業革命という名の機構を、ためらいもなく加速させたかのごときである。
この時代を、いかにして生きるべきか――。
その問いに対する、当座の私なりの答えはひとつ明らかである。
すなわち、キャリアの全てを「AIに振り切る」ことである。
株式も、現物投資も、創作も、仕事も、さらには人間関係に至るまで、私はすでにその大部分をAIという一点に賭している。AIを使いこなす側に立てぬ者は、やがて「AIに使われる側」へと滑り落ち、AI格差社会における「負け組」の列に連なってゆくほかあるまい。
さながら福澤諭吉の『学問のすすめ』になぞらえれば、今や世は「AIのすすめ」の時代である。
ここに、様々な意味での「分岐点」がある。
私にとって第二の柱は、私的生活のすべてをサハジャ瞑想、すなわち「ただ黙って座る」簡素な瞑想に捧げることである。
これまで、幾多のスピリチュアルや占い、哲学宗教、自己啓発の書を読み、実際にその場にも足を運んできた。
だが、その紆余曲折を経た末に、もっとも自分に合致したのは、いかなる教義にも依らず、ただ静かに坐す、というその一点であった。
そこには多額の金も、特別な時間も、秘められたマントラも、幸運を呼ぶ方位も要らぬ。師と仰ぐ人物すら必要ではない。立派な道場も求めない。
ただ「黙って座る」という、ごく簡潔な行為そのものに、計りがたい意味が宿っているのである。
顧みれば、日本の近代史もまた、いくつかの分岐点によって刻みつけられてきた。
1984年――インターネットの萌芽とともに、「一億総中流」と呼ばれた時代が静かに幕を開けた。
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1990年――バブル崩壊という大反転を境に、格差社会が立ち現れ、「勝ち組」と「負け組」の境界線が露わになった。
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2022年――ChatGPTを嚆矢とするAIの台頭により、さらに大きな分岐が訪れ、「AI格差社会」への扉が押しひらかれた。
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そして2030年――おそらく、そこにはASI(超人工知能)の時代が待ち構えているだろう。
量子コンピュータ、核融合、そしてASI。
この三つの語が、次なる時代のキーワードとして、既に朧げな輪郭を現わしている。
この大分岐のさなかにあっては、従来の権威システムは静かに、しかし確実に崩落しつつある。
公務員という安定神話、大企業――トヨタ、日産、電通、インテル、アップルといった「勝ち組企業」の看板、さらには士業、ITエンジニア、コンサルタントといった「専門職」の威光に至るまで、いずれも永続不変の砦ではあり得ないことが露呈しつつあるのだ。
かつて私は、知的財産の世界に軸足を移し、弁理士という進路も真剣に視野に入れていた。
知財の学びそれ自体は、今もなおきわめて刺激的で、知的興奮をかき立ててやまない。
しかし同時に、その勉学の過程こそが、士業という殻に閉じこもることの時代遅れを、皮肉にも私に悟らせることとなったのである。
弁護士や弁理士の仕事ですら、その相当部分はAIに代替されてゆく運命にある。一握りのトップランナーのみが辛うじて生き残り、多数は次第にAIの影に呑み込まれてゆく。
いわば「第二のバブル」はすでに崩れはじめているのであり、そのきしみと軋みを、私は知財とAIの学びを通じて骨身に沁みるほど味わってきた。
この四十代という「大分岐の年代」にあって、私が己の主軸として据えるべきものは、AI作家としての道と、AI資本家としての道、この二つにほかならない。
株式投資においても、これまで保有してきたIP関連株を整理し、AI関連株とウラン、すなわち原子力発電にまつわる銘柄へと舵を切るつもりである。
資本の流れすら、AIと新たなエネルギーの方向へと向け直すのだ。
今日より、今この瞬間より、私は「AI作家/AI資本家」へと己が身を切り替える。
そのうえで、令和の岡本太郎をひそかに標榜し、彼の母校でもある東京藝術大学大学院・横浜校の研究生を志すことにしたい。
クリエイターという生業もまた、もはや「トップクリエイター」以外には居場所の少ない世界となろう。
だからこそ、なおさら真正面から挑んでみたいのである。
時代は大きく変わった。
私の人生もまた、大きく姿を変えつつある。
しかし、振り返れば2025年という一年は、まさに天上から振り下ろされた鋳造のハンマーが、容赦なく私を打ち鍛えた年であった。
その打撃を経てこそ、これから歩むべき方向と進路は、むしろいっそう鮮明になったと言える。
あとは、ただ己の「個の道」を、黙々と歩み進むのみである。
AIに全振りしたキャリアと、静座の瞑想という二本の柱を頼りに、この大分岐の時代を、私は私として生き抜いてゆこうと思う。




